核ミサイル基地に抗議した修道女に不当判決
−−「大量破壊兵器をここコロラドで発見!」−−

(1) 「イラクは大量破壊兵器を保有している」「今にも世界にそれを使おうとしている」「イラクは国際社会の脅威だ」等々、ブッシュ政権は昨年夏以降、「大量破壊兵器」と「イラクの脅威」をこじつけて、遂に今年3月20日イラク侵略に踏み切りました。それがウソとでっち上げであったことは、今皆さんがマスコミ報道でご存じの通りです。

 私たちも、イラク戦争のドラム・ビートが激しくなり始めた昨年夏前から、この大量破壊兵器問題のウソについて繰り返し批判してきました。そして自らは世界と地球を何十回、何百回となく破滅させるだけの核兵器、生物・化学兵器、ありとあらゆる非人道兵器を保有しながら、また実際に使用しながら、それを棚に上げ、なぜあそこまで偉そうに他国(イラク、今は北朝鮮)にその破棄を迫れるのか。まず自国の膨大な大量破壊兵器を破棄し、核軍縮の具体的道筋を明らかにするのが先決だ。そう思うのが普通です。

(2) 米国でも昨年秋から始まったイラクでの国連査察に合わせて、反戦運動が市民査察団を結成し、核兵器など、米国内の大量破壊兵器の基地や貯蔵庫に抗議する行動が取り組まれました。「核兵器はイラクではなく米国内にあるのだ」という抗議行動です。

 コロラド州においても市民武器査察運動が取り組まれました。55歳から68歳の修道女3人が、コロラド州にある大陸間弾道弾(ICBM)ミサイル基地に「市民武器査察官」の“制服”で身を包み査察を行い、「大量破壊兵器をここコロラドで発見!」したのです。

(3) そしてこの市民武器査察行動に対して今年7月25日、信じがたい「重罪」判決が下されました。ブッシュ政権にとって“神聖不可侵”ともいえる核ミサイル基地を冒涜したというのでしょうか。米国の膨大な「大量破壊兵器」を世界にアピールすることが犯罪なのでしょうか。明らかな見せしめです。
 実際に核兵器を“発見”し本当のことを言っただけ、柵を切っただけの修道女達は有罪判決を受け収監されたのに、武力で大量破壊兵器を破棄するとウソを言ってまでイラクに侵攻し、数万人のイラクの人々を殺し傷付けたブッシュ大統領は、平然と大統領の職務を続けている。こんな理不尽なことがあるでしょうか。

 日本ではほとんど紹介されませんが、このような地道な取り組みを是非とも日本の皆さんに知ってもらおうと思いました。
 以下に掲載するのは、長谷三知子さんがこの不当な有罪判決に抗議する集会に参加された報告です。今年秋に発行される「女性・戦争・人権」学会の学会誌第6号に掲載予定のものを、筆者の了解を得てここに紹介します。

(4) この修道女達が参加し、長谷さんがここで紹介している“プラウシェアズ”という平和運動は、亡きフィリップ・ベリガン氏が始めた運動です。奇しくも今年2月、私たちが劣化ウラン戦争反対の取り組みを強めていたときに、米国の反戦団体ANSWERのサイトに載っていた追悼特集に感銘し、翻訳紹介しました。「79歳のその死まで反核平和運動を貫いた闘士 故フィリップ・ベリガン氏追悼−−生涯の最後は劣化ウラン反対闘争に捧げる」というものです。併せてご覧下さい。

2003年8月28日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局



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 昨年(2002年)10月6日、ジャッキー・ハドソン(68)、アーデス・プラティ(66)、キャロル・ギルバート(55)の、三人のドメニコ修道会の修道女が、コロラド州に49あるミニットマンIII核ミサイル格納庫のひとつでで抗議行動を行いました。
 現在米国には、500ものICBM (大陸間弾道弾)ミニットマンIIIが、コロラド (49)、ワイオミング(19)、ネブラスカ(82)、モンタナ(200)、ノース・ダコタ(150)ーすべて国の中央に位置し人口密度の低い地域ーに、15分以内に発射できる態勢(”ハイ・アラート”)で配置されています。(そのほか、発射態勢にない予備の核ミサイルが170あります。)


向かって右端から、アーデス・プラティさん(66歳)、キャロル・ギルバートさん(55歳)、ジャッキー・ハドソンさん(68歳)
「核兵器は法律違反であることを軍隊に教え、シンボリックに武装解除をするため」(修道女)、三人は、CWI (市民武器査察官)と書いた白いユニフォームに身を包み、格納庫のまわりの鎖の柵を切って敷地に入りました。 そして、格納庫のふたに自らの血で六つの十字架を描き、格納庫に続く鉄道線路を金づちで叩いて、抗議しました。
 逮捕・起訴された彼女達は、裁判の結果、今年4月、「国防を妨害し、政府財産を壊した」罪で有罪になりました。(ブッシュ任命官の)判事は、シスター達の、「核兵器は国際法違反であり、それに抗議し廃止しようとするのは、米国民の義務である」という議論を使うのを許さず、国内法の狭い範囲のなかにこの抗議行動を押し込め、国内の抗議行動を国際法を根拠にして正当化しようという弁護側の努力を退けました。

 7月25日、デンバーの連邦裁判所で量刑言い渡しがあり、それぞれ、41ヵ月(シスター・アーデス)、33ヵ月(シスター・キャロル)、30ヵ月(シスター・ジャッキー)の実刑判決が言い渡されました。当日の朝8時、裁判所の前に集まった100人を超える支持者と30人以上の報道陣の前で、シスター達は、それぞれ、用意した声明を読み上げました。 (声明のテキストはwww.rmpjc.orgに掲載されています。) 

 記者からの質問の後、「女性・戦争・人権」学会からのメッセージを読むことが許されました。シスター達は国内・世界から千通以上の支持・激励の手紙を受け取ったとのことで、そのなかで、唯一、学会からのメッセージが読まれたのです。日本からのメッセージに、シスター達はもとより、支持者の人たちも何人か、「日本からのメッセージを聞いて、ほんとうに嬉しかった。ありがとう」と、声をかけてくれました。


今年7月25日の抗議行動
 30ヵ月から41ヵ月の実刑判決は、最悪の場合(6−8年)よりは軽かったものの(三人は長い平和活動暦を持ち、それぞれ5回から13回の逮捕暦がありますが、彼女達の社会奉仕の実績と、コミュニティ、全国、海外からの大きな支持が、量刑軽減の理由の一つでした)、国際法を根拠にした弁護が許されず、また、わずか3008ドル4セントの弁償ですむ程度の器物破損を起こしただけの「犯罪」に見合わない、重すぎる刑だとの批判が支持者からあがっています。
 9.11後の、政府批判に過敏状態の米政府による「見せしめ」の趣があると、私は感じています。(デンバーのカトリックの大司教も、シスター達は「犯罪は犯しておらず、シンボリックな行動をとったのだから、罰則もシンボリックなものであるべきだ」と実刑判決を批判しました。)

 8月25日に収監のため出頭するように、との判事の決定にもかかわらず、三人は、実刑判決に備えてすでに身の回りを整理し、行く所もないから、と、ただちに収監されることを希望しました。7月31日現在、シスター・ジャッキーとシスター・キャロルは一緒の留置所に、シスター・アーデスはひとりで別の留置所で、収監先の決まるのを待っています。 

 翌26日、コロラド州北東部に集中する49のミニットマンIII地下格納庫の周辺で、35のグループが、三人のシスターを支持し、その平和のための活動を続けてゆく、という意思表示の行動を行いました。それぞれ趣向を凝らしたいでたちで、歌、踊り、芝居、祈り、などをおこない、最後にすべてのグループが集まった集会には、300人もの人が出席しました。上空では、主催者がチャーターした飛行機につけた、”WMD Found--Here in Colorado!" (大量破壊兵器をここコロラドで発見!)と書かれた横断幕がはためいていました。
 シスター・キャロルが前日の声明の中で語った言葉、"You can jail the resister but not the resistance. We will not be silenced”(抵抗者を投獄することは出来ても、抵抗は投獄できない)を証明した大衆行動でした。また、”Adopt-a-Missile-Silo"と名づけられたこの大衆行動を提起し率先して働いた女性(これまでは余り積極的に活動してこなかったけれど、シスター達の話に心を打たれて、何かせずにはいられない気持ちになった、というとことです)をはじめ、毎週の計画会議の司会、広報担当、ビデオ・ドキュメンタリー制作など、主な役割を女性が担っていたのが、とても印象的でした。

 三人の修道女の抗議行動は、プラウシェアズ(Plowshares)という平和運動の一環で、米国内・海外あわせて79回目のプラウシェアズの直接行動だそうです。プラウシェアズは、「二十世紀の最もラディカルな平和主義者のひとり」(ニューヨーク・タイムズ)とも評された、元カトリック神父の故フィリップ・べりガン(Philip Berrigan;1923−2002)によって始められました。
 ベトナム戦争たけなわの1960年代後半にメリーランド州ボルティモアの貧しい黒人教区の神父だったべリガンは、戦争、貧困、人種差別が、腐敗した経済体制を支える相互に不可分の要素であるとの認識に立ち、黒人の公民権運動、ベトナム反戦運動に熱心に取り組みました。その後も、反核・平和運動を続け、79年の生涯で都合11年間を獄中で過ごしました。
 1973年には、ボルティモアにジョナ・ハウス(Jonah House)という、非暴力・反消費主義の共同生活の場を作り、2002年に亡くなるまで、米国の核兵器反対を中心とする平和運動に従事しました。シスター・アーデスとシスター・キャロルも、コロラドでの直接行動の前は、そのジョナ・ハウスで暮らしていました。

 今年3月のイラク攻撃前後の米世論調査やマスコミの報道では、米国人の大多数が武力侵略を支持していたようですが、マスコミを見ていただけでは、プラウシェアズのような、長年にわたって粘り強く続けられている平和運動は見えてきません。今回の修道女達の行動は、彼女達の真摯さが多くの人びとの良心に訴えたと同時に、地道な反戦・平和運動の存在・ちからをアメリカ社会に教えることになった、と思います。そして、彼女達を支持して行われた26日の大衆行動は、イラク攻撃の前に世界中で盛り上がった反戦運動の意志とエネルギーを、米軍事主義拠点のひとつであるコロラドの地で持続しさらに強めて行こうという意思表示であった、と感じます。

2003年7月31日・長谷三知子記
学会誌『女性・戦争・人権』第6号に掲載予定