有事法制:討論と報告
有事法制の危険性とデタラメ
(第5号 2002/05/18)
教育現場と有事法制の危険−−加速する教育反動と教員統制
私たち教職員は再び子どもたちを
戦争に駆り立てるのか?

−−法律成立後学校現場で直ぐに始まる、「平時」からの    
    「国防教育」・「有事向け教育」・「有事訓練」の強要−−


                            敗戦50周年を問う教職員の会 森節雄


■ 今まさに問われる日教組運動の原点「教え子を再び戦争に送るな」
 私たちの目の前で学び遊んでいる子どもたちを見るとき、その子どもたちの将来を考えるとき、私たち教職員は絶対この法案を成立させるわけにはいかない。何としても阻止しなければならない。そういう思いで一杯になります。
 なぜなら成立するやいなや教育現場と教職員に対する反動攻撃、そして教育を通じた反動と軍国主義の攻撃が一層強化されることは火を見るより明らかなことだからです。ここ5年、10年の学校現場での右傾化や校長を頂点とする管理強化、職員会議の空洞化や解体の推移を見れば、もっと大変なことが起こると実感するからです。有事法制が出来れば今まで教育現場で公然と賛美できなかった「天皇制」や「公への奉仕」=「滅私奉公」「愛国心の注入」「国防教育」「自衛隊への賛美・協力」が推進され、持ち込まれ、教えさせられることは確実です。
 今教職員は有事法案に対して正念場に立たされています。戦後直後、まだあの悲惨な戦争の傷跡と体験が生々しい頃、朝鮮戦争が勃発した中で、教職員は戦前・戦中の自ら行った戦争加担を痛切に反省したのです。空洞化し忘れ去られようとしていますが、「教え子を再び戦場に送るな」は誰が何を言おうと日教組の原点です。
 このスローガンが、言葉の真の意味において今ほど試されている時はありません。何も知らぬ純粋な子どもたちを皇民化教育で洗脳し、「天皇の赤子」に仕立て、「お国のために死ぬこと」を教えた、あの戦前・戦中の教育と教師の役割を思い起こすとき、二度とあのような、いわば戦争犯罪と言ってもいいような役割を果たしてはならない、そう誓った戦後教職員運動の原点に、今こそ立ち帰らねばなりません。


■ 成立後直ぐに始まる「有事に備える学校作り」の危険
 有事法制成立後すぐに、あるいはしばらく時間をおいてでも予想される、教育の場における「戦争国家」づくりの主なあらわれは、列挙するだけでも以下のようなことが考えられます。

@ まずは「武力攻撃事態法案」第21条6項に基づく攻撃――「武力攻撃事態法案」の第21条6項には「政府は、事態対処法制について国民の理解を得るために適切な措置を講ずるものとする」とあります。「国民の理解を得る」がミソです。政府は最大のターゲットを学校現場と教職員に据えることは間違いありません。このさりげない「理解」という官僚用語の中に、教員が再び「国のために死ぬ教育」の先兵になりかねない危険が潜んでいるのです。

A 法案が成立するや、最初にありそうなことは、法案の「趣旨徹底」が教科書の「部分修正」という形を通じて、教育内容に対する攻撃から始まることです。「国防」や「公共の福祉」が強調されます。文部科学省は、これら教科書を使ってちゃんと教えろとの通知や通達を各教委に下ろすかもしれません。それを受けた各教委は各学校の管理職に様々な手を使いつつ現場への「徹底」を指示するでしょう。管理職は教職員に、国民の「国防の義務」や「公」への奉仕を教えよと強制してきます。「日の丸」「君が代」強制のやり方と同じ手口です。こうした上からの攻撃だけでも現場にはかつてない反動的な雰囲気の漲ることが予想されます。

B それに加え、法案成立が右翼、右翼的マスコミ、財界の右翼的部分を活気づかせることは間違いありません。やれ学校現場で「公」への奉仕の強調が足りないだの、やれ「滅私奉公」を強調せよだのと、現場を攻撃してくることは明らかです。法案は彼らの反民主主義的、反平和主義的で理不尽な要求にさえ法的根拠を与えることになります。
  ここ10年で、S新聞、Y新聞、「○君」、「○論」等々、右翼的な新聞や雑誌が先導する形で、平和教育や民主主義教育を実践してきた地域や学校に、政府・文部省と一体になって襲いかかり、教職員が狙い撃ちにされてきました。こうした彼らのターゲットを決めた狙い撃ち攻撃にもいわば法的根拠を与え、その攻撃を加速させます。

C 「有事訓練」に学校が動員される危険。東京での「ビッグ・レスキュー」に代表される、自衛隊や警察の参加する災害訓練は、有事法案成立により、「有事訓練」に変わるでしょう。そうすれば必ず地域の自民党や地域ボス、あるいは右翼が騒ぐ形で、教育委員会や学校も「学校も有事に備えよ」との声に押されて、教員や子どもたちも動員される危険が増大するでしょう。
 こうして学校現場には、「上」からの、文部省や教委からの管理統制的攻撃と、「下」からの、自民党や草の根反動からの、両方からの攻撃の挟み撃ちの中で反動的・軍国主義的雰囲気が作り上げられていくでしょう。


■ 反動的「道徳」教育、「国を守る」教育、「公共の福祉」教育
 次に、「道徳教育」、「総合学習」、「奉仕」活動の「義務化」を利用した攻撃が強まるでしょう。強化されつつある「道徳教育」が国家への忠誠を説く恰好の場となることは容易に予測されます。

@ すでに先行例のある「総合学習」を使った自衛隊への参加、「国防教育」の受講は、いわば「法的根拠」を得て一層活気づきます。

A 自衛隊での活動・参加が、「奉仕」活動の「義務化」の場になることについても「法的」な点では反対の論拠をなくしかねません。子どもたちに「国家への忠誠」「公への奉仕」を吹き込まれる場が数多く準備されます。


■ 教科書検定の一層の反動化。学習指導要領を「有事に備えた教科書」作りに変える恐れ。
 きたる教科書検定では、今までのところ食い止めている「滅私奉公」「国のため」「命より大切なもの」、ついには「天皇制の賛美」という「つくる会」教科書の価値観での検定基準が大手を振ってまかり通ることになります。一方、民主主義的、平和主義的な教育=憲法に基づいた教育、が「違法」となって攻撃されかねません。そして新たな学習指導要領は同じ価値観で書き直されます。こうして教育内容においても反動化・軍国主義化が当然のごとく進行していきます。
 私たちは、昨年「つくる会」教科書の不採択運動を必死に闘いました。全国民的な反撃で事実上拒否したのです。しかし有事法制が通れば、平和教育ではなく、「戦争教育」が公然と大っぴらに行うことも可能になり、「国を守り」「いざというときには基本的人権は“公共の福祉”の前に制限されなければならない」「お国のためには死ぬことこそ美徳」という教育がまかり通ることになります。まさに「つくる会」教科書が、その歴史教科書、公民教科書の両方が、今度は法律の裏付けをもって復活する危険が大きくなるのです。そんなことを黙って見過ごすわけにはきません。


■ 一層強まる「日の丸」「君が代」攻撃。
 これまでも強化されてきた「日の丸」「君が代」の強制が一層徹底されることになります。「愛国心」が当然のごとく強調される下では「日の丸」「君が代」に対する批判・反対はきわめて困難な状況に追い込まれます。教職員が立たない・歌わないということに対する攻撃のみならず、「日の丸」「君が代」を「愛国心」と共に「教えよ」という攻撃を、法を盾に教育委員会・管理職、右翼が結託して強めるパターンが猛威を振るう危険性が出てきます。まだ闘っている、残っている部分に対するしらみつぶし的な攻撃を強めてくる危険です。


■ 「教員評価制度」「指導力不足教員問題」を利用した教員統制。
 教育において「戦争国家体制」作りを進める時、その推進役はなんと言っても教員です。政府・文部科学省・各教委が教員に対する管理・統制を強めるのは必至です。その際、東京都においては先行実施され、大阪では答申や報告といった形で準備されている新たな「教員評価制度」や、「指導力不足教員」に対する対応がそれに利用されることは一層明白です。これらの制度が民主主義的、平和主義的教員や「日の丸」「君が代」に反対する教員を狙い撃ちにするものであることは、東京での根津教諭に対する処分攻撃(注1)ですでに明らかになったことですが、有事法案成立後はその本質が一層むき出しになるでしょう。政府等はこうした制度を通じて彼らに取っての「問題教員」をパージし、「国防教育」を積極的に教える教員や、あるいは無抵抗な教員を育成しようとするのです。


■ 総決算としての教育基本法改悪攻撃。
 日本国憲法と教育基本法はいわば一体のものです。憲法はその理想を基本法に託し、理想の実現を教育に期待しました。一方、有事法案は憲法を覆し、否定する法案です。その意味では教育基本法を否定するものでもあります。現在進行している教育基本法改悪策動はそうした動きと軌を一にするものであり、またこれまで進められてきた教育における反動攻撃のいわば総仕上げであり、またこれまでとは質を画する教育への攻撃の出発点でもあります。法案の成立は「国防」意識の高揚、民族主義の賛美などを基本法へ織り込めとの改悪論の主張を励まし、活気づかせ、改悪への道を掃き清めるでしょう。

 以上見てくると、有事法案は、教育の場にもいかに大変な事態をもたらすものであるのか容易に想像できます。この法案はこれまでの軍国主義的で反動的な法案の中でも全く異なる、戦後史を画するとっても重大な法案なのです。法が成立後実現させようとするもの、そして発動するものは日本の民衆にとっては悲劇以外の何物でもないのではないでしょうか。それがかつての日本の侵略戦争の敗北から日本の民衆が学びとってきたことであるし、教職員が自己の戦争との関わり、教育と教職員の戦争責任の追究、侵略戦争に教え子を駆り出したことへの自己批判からの教訓ではなかったでしょうか。
もう一度繰り返します。「教え子を再び戦場に送るな!」――今ほどこの精神をもって法案に反対する意識を高め、行動を起こさねばならない時はありません。


(注1)根津教諭に対する処分攻撃
東京都多摩市立多摩中学校教諭根津公子氏は、担当教科の「家庭科」や特別活動を通じて、従軍慰安婦などの日本の戦後責任問題や、男女平等、同性愛差別、「日の丸・君が代」の強制による思想良心の自由の否定といった人権問題を、生徒たち自身に考えさせる教育実践を追究してきました。
ところが、多摩市教育委員会は2002年4月から、男女共生・従軍慰安婦等の授業が「学習指導要領」に適合せず、教員として不適切であるという判断に基づき、処分を前提とする事情聴取を強行しようとしてきました。これに先立ち、多摩中学の校長は、生徒・保護者に対し、そうしたことは「学習指導要領に記述がない。学習指導要領逸脱だ」と説明し、教諭の教育実践を否定する発言を繰り返し、保護者らに教諭に対する不信感を醸成する積極的役割を果たしてきたのです。こうして保護者の不信感を掻き立てた中で、校長によって開かれた保護者会において、同教諭に対してこれらの問題を授業で取り上げぬよう要求がなされ、さらに保護者会の要求に基づき、東京都教育委員会と多摩市教委の指導主事によって授業観察が行われたのです。
市教委、校長によって一貫して問題とされてきたのは、同教諭の授業内容であることは明白です。ところが、校長と多摩市教育長は、この経緯で行われた授業観察を理由に、同教諭を「指導力不足等」教員として東京都教育委員会に申請したのです。
東京都教育庁は、多摩市側の申請に基づき、根津教諭を「指導力不足」等教員として認定するために判定会を強行しました。東京都はこの判定に関わり「意見を聴取する場」を設定したものの、教諭の代理人が要求するまで記録さえ取らないという、形だけの運営をしました。また教諭の何が「指導力不足等」として問題とされているのか明確な理由は示さず、またその判断基準さえ明らかにしませんでした。
結局東京都教育庁は根津氏を「指導力不足」教員と認定しませんでした。いや出来ようもなかったのです。しかし別の些細な理由で処分を加えています。
この処分で問われた実質は、根津教諭が授業で取り上げてきた内容であり、同教諭の前任校での「日の丸・君が代」の授業への報復であり、他の教諭に対する見せしめとも言えます。
この処分問題ほど、「指導力不足等教員問題」において各教委・管理職が実現したがっていることの本質を暴露したものはありません。各教委・管理職は自分たちにとって気に食わない教育実践を行っている教員、行おうとしている教員、それは今や教委・管理職の圧迫・抑圧・いやがらせに抗して、民主主義的・平和主義的な教育を実践している教員なのですが、彼らはこうした教員に「指導力不足」とのレッテルを貼り付け、現場から「追放」し、研修生活を送らせる、ひどい場合には退職まで追い込もうとしているのです。
そうした意味で「指導力不足等教員問題」は、新たな「教員評価制度」とあわせて、監視と警戒を怠ってはならない制度となっているのです。



有事法制:討論と報告


(第4号 2002/05/15)
    既に「原発防災訓練」には自衛隊が多数参加
    警察庁はサブマシンガンで重装備の「原発警備隊」を新設
        (美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会)

(第3号 2002/05/12)
    許してならない現代版「隣組」=「民間防衛団体」
    有事法制が通ればすぐに始まる「軍事訓練」の強要。参加を嫌がれば「非国民」扱いになる危険。

(第2号 2002/05/09)
    5月7日衆院有事法制特別委員会での論戦で浮き彫りになった有事法制の危険性

(第1号 2002/05/08; 05/09 加筆訂正)
    有事法制の危険性とデタラメ
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