改めて戦争責任を追及する[シリーズその3]
政府・文科省が沖縄戦「集団自決」の日本軍関与削除を強制
◎史実を抹殺してまで日本軍の蛮行を正当化
◎教科書検定の反動化と憲法改悪の動きが一体化


 文部科学省は3月30日、2008年度から使用される高校の歴史教科書の検定結果を発表した。今回の検定は前回検定と同一の学習指導要領の下で行われたものであり、改訂幅は本来小規模であるはずだ。しかし無改訂の箇所に意見あるいは昨年度までと異なる観点から意見がつけられるといった事態となり、今回の検定での意見数は決して少なくないという結果になった。今回の意見で目立ったのは、@沖縄戦における「集団自決」への日本軍の関与、A南京虐殺の犠牲者数、B自衛隊のイラク派兵、国旗・国歌法等の焦眉の政治課題である。
 今回の教科書検定は、何よりも「戦後レジームからの脱却」を標榜する安倍内閣の下で行われた初めての検定である。さらに教育基本法が改悪されたもとでの検定である。改悪教育基本法を具体化させるための法律が未整備のまま、改悪教基法の理念を先取りしようとして多くの意見がつけられることになったのである。安倍の「教育改革」の危険性をまざまざと見せつけることとなった。
 とりわけ今回検定の最大の焦点は、沖縄戦における「集団自決」への日本軍の関与の否定である。文科省は、沖縄戦の「集団自決」の記述において、日本軍が強制したとの記述7カ所(5社7冊)に、「誤解するおそれのある表現である」として検定意見をつけ各教科書会社に書き直しを命じた。集団自決における日本軍の関与を消し去ってしまうという歴史的真実の隠蔽、歪曲であり、不当極まりないものである。しかしその検定意見で書き換えを命じる根拠は薄弱なものでしかなく、政府による「日本軍関与」隠しを逆に浮き上がらせるものである。
 沖縄県の市町村議会などでは、検定の撤回を求める意見書が次々と採決され、ますます拡大する様相を示している。それは、海上自衛隊が辺野古基地建設「事前調査」へ派遣されるという暴挙が強行されたことで、住民に牙をむいた自衛隊と「集団自決」を強制した日本軍が重なり合い、「集団自決」検定が政治問題化し始めているのである。
 私たちは今回の教科書検定について、ここでは特に沖縄戦「集団自決」の日本軍関与削除について徹底して批判し、日本の侵略戦争の正当化と日本軍の蛮行の隠蔽・美化によって「戦争できる国づくり」をすすめる安倍右翼政権の意図を暴露していきたい。
※教科書検定:沖縄戦「集団自決」 那覇、糸満市議会でも撤回求める意見書可決
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/wadai/news/20070515ddg041010004000c.html
※集団自決「命令」削除の撤回要求 豊見城市議会
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-23756-storytopic-3.html
※座間味・渡嘉敷 撤回要求へ/「集団自決」軍関与削除 検定に意見書
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705231700_03.html
※「集団自決」検定 南風原町議会、撤回求め意見書可決
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-23950-storytopic-1.html

[1]「日本軍がいたからこそ集団自決は起きた」―――日本軍による集団自決と住民殺害は沖縄戦の本質的な歴史的事実

 沖縄戦における集団自決と日本軍による住民虐殺事件は、軍隊の論理と民衆の論理が衝突したアジア・太平洋戦争の本質をなす悲劇である。
 那覇市の西方30キロの海上に浮かぶ慶良間諸島には海上特攻隊の秘密基地として海上挺身隊各隊が駐屯した。一つの島に、特攻隊約100人、基地の設営・守備隊約900人が配備され、その数は人口の倍にもあたる。その島々に1945年3月23日から米軍の空襲、艦砲射撃が昼夜を問わず降り注いだ。そして米軍は慶良間、座間味に26日、渡嘉敷に27日に上陸を開始した。
 「生きて虜囚の辱めを受けず」という軍人の規範である「戦陣訓」を、日本軍は沖縄住民にも押しつけ、「米軍に捕まれば、男は八つ裂き、女は強姦される」と徹底的に刷り込みがおこなわれ、同時に住民対策として防諜対策、すなわちスパイ狩りを繰り広げた。戦況が悪くなると「沖縄人がスパイを働いたから負けたのだ」「捕虜になるものはスパイとして処刑する」と警告まで発せられた。それは逃げ場のない孤島の住民に残酷な軍命であった。「敵のスパイ」という汚名を着せられることは当時の日本国民として生き恥を晒すような恐怖に他ならなかった。
 渡嘉敷島「集団自決」において、辛うじて九死に一生を得た金城重明氏は次のように証言する。
―――渡嘉敷島では米軍上陸のおよそ一週間前に、役場の役員や青年たちが集められ、赤松隊長の下士官が二個ずつ手榴弾を配り「いいか、敵に遭遇したら、一個で攻撃せよ。捕虜となるおそれがあるときは、残る一個で自決せよ」と命じた。部隊が厳重に管理している手榴弾を住民に配るということは明らかに住民に対する自決命令であった。
 また米軍が上陸した27日の夜間、軍の住民への命令は、米軍の攻撃のターゲットになる最も危険な陣地へ移動せよ、というものだった。次いで、米軍上陸の翌日、住民に二度目の手榴弾が配布された。文字通りの「軍官民共生共死の一体化」は沖縄第32軍の方針そのものであり、軍隊は国民の生命・財産を守るのではなかった。
 追いつめられた住民の前で村長は「天皇陛下、万歳」を三唱した。軍命に対する住民の死の決断であった。手榴弾の爆発音が聞こえた。子どもたちの泣き声や女性の悲鳴。しかし操作ミスで手榴弾が爆発しなかった方が凄惨を極めた。自分の妻子を棍棒で撲殺しはじめた元区長を皮切りに、親がわが子を、夫が妻を、祖父が孫たちを愛するが故に殺害せざるをえないという、自らも母親と弟妹に手をかけたという凄惨極まりない残酷な地獄絵図がそこに展開された。生き残ること、すなわち生が恐怖と化したのであり、自死することが絶望の中の慰めであったという。―――

 座間味島でも手榴弾の配布は行われ実際に凄惨な集団死で犠牲者が出ている。
「自ら望んで死のうとしたわけではない。日本軍が島にいたからこそ起きた」、集団自決の自らの体験を語る宮城恒彦さんは、姉や担任教師が手榴弾の爆発で苦しみながら亡くなった姿を次のように証言している。
 ―――3月25日、米軍上陸が目前に迫り、追い詰められた島民たちが駆け込んだ壕内に極度の緊張が高まった。26日の明け方、校長の「天皇陛下、万歳」の三唱。続いて教師がもっていた手榴弾が爆発し、その場にいた姉と教師の肉が吹っ飛び亡くなった。それでも全員が死ぬことはできなかった。残った校長は妻の首をカミソリで切り、続いて自らの首も切って息途絶えた。残った人の中には、壕を飛び出し家に火をつけて死ぬ家族や首をつる者、毒物の猫いらずを飲んで死のうとする者等々、この日だけで座間味島では170人以上が死を強制された。まさに地獄絵であった。―――
 このように慶良間諸島での集団自決は、友軍と呼ばれた皇軍に追いつめられ、死が唯一の選択肢であった悲劇的死である。
 だが「集団自決」は慶良間諸島だけで起きたのではない。軍民混在となった沖縄では戦略的に「軍官民共生共死」がこの地域住民全体に押しつけられ、各地で多くの「集団自決」が起きている。
 壕の存在自体が、体験者以外にほとんど知られることではなかったし、まして、「集団自決」が起こったこと自体を語ることは、これまで共同体の中ではタブーであった。
 しかし戦後60数年がたって体験者も歴史の実相を消し去ってはならない思いから重い口を開き始めた。「集団自決」の犠牲者数は、渡嘉敷329人、座間味284人、慶良間53人といわれているが、他にも読谷チビチリガマ83人、伊江島や沖縄本島でも1000人以上といわれている。さらに朝鮮人であることで「スパイ視」されての虐殺もある。その実数は60年以上たった今でも正確にはわからない。


[2]「日本軍による集団自決を強制された」は「なかには追い込まれた人もいた」に書き換え―――露骨に日本軍関与を隠蔽する

 「集団自決」関係で検定意見がつけられたのは実教出版(日本史B2冊)、三省堂(日本史A,B)、清水書院(日本史B)、東京書籍(日本史A)、山川出版社(日本史A)の7冊である。いずれも検定前の申請書では「集団自決」について「日本軍により…強いられ」「日本軍により…追い込まれ」などと記述し、日本軍による強制・命令を明記していた。しかし文科省より、「沖縄戦の実態について、誤解するおそれのある表現である」と今回初めて検定意見がねじ込まれた。
 文科省が記述変更の根拠にあげたのは、係争中の民事訴訟の証言と学説状況の変化の2点である。第一の根拠は大阪地裁で係争中の訴訟での元隊長の証言である([3]で後述)。
 しかし国自身が当事者でもなく、事実認定と証人尋問がこれからという段階の訴訟であり、しかも原告、被告双方からの意見ではなく原告だけの主張を取り入れるという。前代未聞の極めて作為的・政治的な意図がプンプン臭う異様な扱いである。
 その結果の書き換えられた記述は次のようにひどいものとなっている。
 「日本軍は…配った手榴弾で集団自害と殺し合いをさせ…」と記述した教科書は検定後、「日本軍の配った手榴弾で集団自害と殺し合いが起こった」を書き換えさせられた。また「日本軍に『集団自決』を強いられたり…」は「追いつめられて『集団自決』した人や…」に、「日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に起き込まれた住民もあった」は「日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた」に、「日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で『自決』を強いられたものもあった」は「集団自決に追い込まれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった」にそれぞれ修正させられた。さらに「なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた」の記述は「なかには集団自決に追い込まれた人々もいた」に書き換えさせられた。
 これでは、日本軍は手榴弾を配っただけで、住民があたかも自発的に自決を行ったかのように読み取れる修正である。まさしく政府・文科省による集団自決に関する「日本軍の関与」隠蔽工作に他ならない。日本軍による都合の悪い加害性を教科書の記述から消し去りたいとの意図がありありと見て取ることができる。


[3]日本軍「慰安婦」問題を教科書から一掃した後、沖縄戦「集団自決」が次の標的に−−政府・文部科学省と右翼反動層が一体となった計画的な隠蔽工作準備

 今回の「集団自決」の軍関与削除は、右翼勢力が周到に準備し、政府・文科省とグルになって実現させたものである。最初に動き始めたのは、あの札付きの自由主義史観研究会だ。同研究会は2005年7月全国大会で「沖縄戦集団自決事件」の見直しを決定している。それに先だって、6月の集会「沖縄戦集団自決事件の真相を知ろう」で当時代表の藤岡信勝は「現実の教科書、歴史教科書には、集団自決軍命説が平然と書かれている。…この集会を起点にすべての教科書、出版物、子ども向け漫画をしらみつぶしに調査し、一つ一つ出版社に要求し、あらゆる手段で嘘をなくす」と、歴史修正主義の矛先を新たにここに設けた。
 2005年の春に中学のすべての歴史教科書から、日本軍「慰安婦」の記述を削除させ、「南京虐殺はなかった」キャンペーンを繰り広げてきた日本の右翼反動層が次なる狙いを沖縄戦記述をターゲットに定めたのである。集会では、国や教科書会社に「集団自決強要」の記述を削除することを求める決議もしている。
 またこの年の5月に自由主義史観研究会が、座間味島で「軍命」があったというのは「国から補償金をもらうため」の嘘だったことことを確認するために沖縄を訪れ、その後、産経新聞を使ったキャンペーンを開始した。この「嘘」の一点だけを取り上げて、集団的強制死を隠蔽できると踏んだようである。これは「日本軍慰安婦を強制連行した軍の直接の(「狭義の」)命令はないから、自ら望んで慰安婦になった」という安倍をはじめとする右翼反動層の言い訳と二重写しになる。
 このキャンペーンと連動して2005年8月には沖縄戦集団強制死(「集団自決」)訴訟が大阪地方裁判所に提訴された。原告は梅澤裕(元座間味島の第一連隊長)と赤松秀一(元渡嘉敷島の第三連隊長赤松嘉次[故人]の弟)であり、訴えられたのは、岩波書店と大江健三郎氏である。
 この訴訟は単なる「名誉毀損」裁判ではなく、政治的な意図をもって用意周到な準備をして提起されたものであり、原告側の事務局や原告代理人は「大阪靖国訴訟」や「百人斬り裁判」と同じ面々、顧問には自由主義史観研究会の藤岡信勝代表も名を連ねている。
 「太平洋戦争」(家永三郎著、岩波書店)、「沖縄問題二十年」(中野好夫・新崎盛暉著、岩波新書)、「沖縄ノート」(大江健三郎著、岩波新書)のこれら書籍が、慶良間諸島での「集団自決」は、守備隊長であった原告と原告の兄が命令したと記述しているが、それはウソであり、むしろ自決を引き留めたほどであり、戦後になって「援護法」適用のための方便であったと、こんな新説が裁判でまことしやかに主張されている。
 またあれやこれやと論点をすり替え、「村長命令説」や「軍命令思いこみ説」を唱えだし、隊長は自決命令を下してはいないが、民間人が勝手に「命令」し、それを住民が「軍命令」だと勘違いして受けとめたたのだという論法を持ち出している。最終的には「集団自決」の責任は日本軍にはない、沖縄住民に責任はあるというのである。
 あろうことか、二人の守備隊長は生きて本土の土を踏んでいる!! 自分の名誉を回復したいがために、生きたかった、しかし生きることを許されなかった死者の魂を裏切り蔑ろにし、肉親に手をかけざるを得なかった今も苦悩と背中合わせの住民の心を、再び銃剣で突き刺すかのような途方もない裁判である。


[4]広がる新たな軍関与証言、新たな歴史的事実の調査

 沖縄戦で住民が自らの意志で、「国のため、天皇のため、日本軍のために協力して死んだ、すなわち殉国死した」のか、それとも住民は地上戦に巻き込まれた結果、敵軍のみならず「自国軍隊によっても直接殺されたり、死に追い込まれたりした」のかは、沖縄戦の本質に関わる根本的問題である。
 だからこそ、この点に関する教科書の記述を巡って、実相を後々の世代まで正しくありのままの姿で伝えようとする側と隠蔽・美化してしまいたい側との間で、戦後60数年の間論争があり、沖縄県民の闘いはその前者の側を牽引・リードしてきたのであった。
 82年の検定で「住民殺害」が削除させられたときには、「沖縄戦の実相」を否定・歪曲するものとして沖縄県民全体の強い抗議運動が巻き起こり改訂検定で復活させた。これ以降、多くの教科書に沖縄戦での住民殺害が書かれ始めたが、再び83年に当時の文部省は、犠牲者数の多い「集団自決」を「住民殺害」記述に先立って書くべきであるという検定の修正意見をつけたのである。
 しかしこの「集団自決」こそが、第三次家永訴訟での論戦を経て沖縄において研究が進み議論と理解が深まり、沖縄戦の実相を伝える方向に、すなわち日本軍の強制・誘導による強制集団死という認識に転換し深まっていったのである。
 このことは、先の最高裁判決において、「集団自決の原因については、集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防備対策、沖縄の共同体のあり方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのは当たらないとするのが一般的であった、というのである」「集団自決と呼ばれる事象についてはこれまで様々な要因が指摘され、これを一律に集団自決と表現したり美化したりすることは適切でないとの指摘もあることは原審の認定するところである」と明確に判断が下され、「日本軍によって強制された集団自決」は、「住民殺害(住民虐殺)」と並んで、教科書記述でもこの認識が定着してきたのである。
 今回いくら都合の悪いことに蓋をしても、事実はすでに明白である。先に触れたように、近年になってからも新たな証言が掘り起こされてきている。「集団自決」当日に限った言葉による軍命の有無に問題は矮小化できないのである。
 一つは、重い心のふたを開いて語ってくれる証言――皇国臣民化教育と軍からの圧力や軍国主義的精神状況――が日本軍関与を証明している一方で、もう一つの側面である沖縄配備の日本軍の差別性と侵略性からも問題にしなければならない。特に中国戦線で中国民衆の激しい抵抗に対して殺戮と蛮行を繰り返した日本軍が沖縄に展開配備され、そこで従来の沖縄差別と結びついたとき、日本軍は沖縄住民の誰もがスパイになりうるという猜疑心を抱き続け、疑わしきはスパイと見なして殺害する、少なくとも敵の前では足手まといになるなと住民に強迫観念を徹底的に植え付けたのである。このような状況下で渡された手榴弾は自決強要に他ならないのである。
 事実と現実をありのまま直視しなければならない。


[5]本当の狙いは日本軍の名誉回復−−憲法改悪による「戦争のできる国」づくりへ

 これら一連の、しかも戦後60年になって再燃した日本軍関与否定キャンペーンの狙いは、日本軍の強制を削除することで、慶良間諸島の住民が自ら選択して死んでいったとして、住民の殉国美談化と皇軍の免責を図ることにとどまらない。右翼勢力や政府・文部科学省にとっては、沖縄の住民がどのような死に方をしたのかはどうでもいいことなのである。
 本当の狙いは 日本軍の名誉回復であり、本当に守りたいものは、現在の国家や軍隊の名誉である。そしてさらにこれに続くのは、憲法を変え、再び戦争のできる国を作ることである。米軍再編と日米軍事一体化、集団的自衛権の容認方向の見直し、有事の際の国民協力を定めた国民保護法の成立、防衛庁の省への格上げと自衛隊海外派遣の本来任務化がされるなかで、有事の備えも政府は一歩ずつ整えてきている。その時には銃後も前線もなくなる。当時の県民人口四分の一にあたる12万人を失った沖縄戦の記憶、「軍隊は住民を守らない」という重い代償を払って得た教訓は、今の日本には邪魔なだけだというのである。
 沖縄では、この集団自決の軍関与削除にこれまでにない危機感を強めている。今後、日本軍による「住民の壕追い出し」「住民害殺」の否定にまで及び、ひいては「二度と戦争を起こさない」という願いも否定されかねないと、沖縄戦当時の史料・公文書の調査・発見等の地道な実証的研究と合わせて、なぜ日本軍は民間人を死に追いやったのかを様々な方面から検討し、沖縄戦を後生に正しく継承していくための活動を強化しようとしている。

 また「集団自決」問題と同時に今回の検定では、軍隊の否定面をどう覆い隠し、肯定的に描くのかで政府の姿勢は一貫していた。日本軍による南京大虐殺での犠牲者数に諸説があることを理由に最低犠牲者数の記述を要求。「自衛隊のイラク派兵」については、米国主導の多国籍軍に加わったという表現を「後方支援」「復興支援活動」にいったと修正させ、「戦闘地域に派遣」とする記述を「復興支援を目的として、主要な戦闘終結後も武力衝突が続くイラクに自衛隊が派遣された」と、あくまで「復興支援」が目的であるとする政府見解を徹底させた。
 他にも、「国旗・国歌法」については、「制定時に政府は教育現場での強制はしないと明言した」との記述を「制定時に政府は義務付けの条文がないこと、児童・生徒の内心の自由まで立ち入って強制する教育をしてはならないことを明言した」と一方的に国側の見解だけに書き換えさせ、原子力発電の問題点に対しては「長所も書け」と、「ジェンダー」に関しては、総じて日本では実質的な男女平等が進んでおり問題はない、もしくは小さいとする記述に変更させた。
 これらの危険な動きの一つ一つは、戦争放棄、戦力不保持を掲げた憲法九条を反故にし、米同盟国と一体となった日本の交戦権を復活させることにつながっている。日米同盟の「片務性」から「双務性」への転換を目指すことに他ならない。
この沖縄戦を巡る問題は沖縄だけの問題ではない。日本の戦争責任・戦後責任を問う運動と憲法改悪反対運動を結びつけていくことは今ほど求められているときはない。

2007年5月23日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局