「対テロ戦争」への加担に反対し、イラク・インド洋からの自衛隊撤退を求めるシリーズ(その8)
9.15ワシントン行動、10.27全米行動に見る新たな変化
−−アメリカの反戦運動は、シーハンさんが投げかけた問題をどう克服し前進していくか

[1]はじめに

(1)アメリカの反戦平和運動は、「イラクからの即時撤退」を前面に掲げて質的な変貌を遂げ始めている。ブッシュが「出口戦略」を描きだすことができなくなりイラク戦争が泥沼化する中で、実質的にイラク戦争容認姿勢に転じた民主党と最後的に決別する動きを見せはじめたのだ。「イラクからの即時撤退」−−この当たり前のスローガンを前面に掲げて強力な闘いを組織するのかどうかをめぐって激論が闘わされ、ニ大反戦センターのANSWER(Act Now To Stop War and End Racism)だけでなく、民主党とのつながりが比較的強かったUFPJ(United for Peace & Justice)もが民主党批判を鮮明にし、両者が統一行動を取り始めた。もちろん、民主党と反戦運動団体との関係や二大反戦センター同士の関係が今後どのような形で推移していくのかは分からない。2年前のワシントンでの大統一行動以降の再分裂を見れば、一直線には進まないだろう。また、統一行動を行うかどうかだけをアメリカの反戦運動を評価するメルクマールに置くことはできない。しかし、全米の主要な反戦団体などから統一行動への根強い呼びかけがあることは、ブッシュの戦争政策と対抗し実際に阻止していく力をもつためには、「小異を捨て大同団結」することによって、より広範で大きな反戦運動を構築することが求められていることを示している。

(2)10月27日サンフランシスコにおける3万人集会がこの変化を告げた。この行動はUFPJが呼びかけた全米の反戦行動の一環であったが、ANSWERとUFPJの共催という形を取り、デモの先頭にはシンディ・シーハンさんが立った。これに呼応し、いくつかの地域でもANSWERとUFPJとの共同行動が行われた。二大反戦平和運動の共同行動は、今年初めにもANSWERがUFPJ主催の集会に合流するというような形では存在したが、双方の自覚された形では、およそ2年ぶりのことである。これに先だって9月15日には、ANSWER単独の呼びかけによるワシントン10万人大行動が行われている。この行動にもシーハンさんはじめ、イラク帰還兵、戦死者家族などが積極的に参加した。

(3)アメリカの反戦運動の動きに決定的なインパクトを与えた出来事の一つが、シーハンさんの動きである。5月にシーハンさんは衝撃的な引退宣言を行い、7月に突然復帰した。民主党がイラク戦争継続予算に賛成票を投じたことが引退宣言の直接の引き金となり、CIA工作員名漏洩事件の主犯であるリビーの恩赦に対する怒りが復帰の契機となった。引退と復帰を促したそれぞれの出来事の持つ意味を私たちは改めて詳しく検討しなければならないが、シーハンさんの引退は突然ではなく、昨年の総選挙前から抱いていた民主党と米議会に対する不信が決定的な形で現れたものであったこと、同じくブッシュ政権の腐敗と反動の極まり、議会のていたらくが、シーハンさんの復帰の強い衝動となったことをここでは確認しなければならない。シーハンさんの動きに触発されるように、アメリカの反戦運動は左へ大きく舵を切り始めた。
 だが、これらの運動の規模と広がりはまだまだ小さいと言わざるを得ない。一時はシーハンさんを引退宣言にまで追い込みんだこと、そして彼女が復帰してきた過程が、米国の反戦平和運動が抱える矛盾と弱点、その克服のための闘争や苦悩を体言しているといってもいいだろう。

(4)ブッシュ政権と対峙し、民主党の「後退」をも乗り越え着実に前進しようとする米国の反戦平和運動は、置かれている立場が大きく異なるとは言え、私たち日本における反戦平和運動に対しても多くの勇気と示唆を与えるものである。日本で合意の瀬戸際まで行った「大連立」騒動にある「政権交代可能な二大政党制」の危険は、「本家」のアメリカで起こっている政治過程がまざまざと見せつけている。アメリカの共和・民主両党の暗黙の一致点が、イラク・中東支配と石油利権の確保であるように、「憲法改悪」「派兵恒久法」「消費税増税」という反人民的政策の三点セットが、福田と小沢の「幻の政策合意」であった。人民大衆と反戦平和運動の厳しい批判と闘争だけが、インド洋からの自衛艦の撤退という成果を不動のものとし、ブッシュの侵略戦争への加担と戦争国家への道をくい止める力となるだろう。


[2]イラクからの「即時撤退」を要求。9.15ワシントン包囲行動と10.27全米行動 

 9月、10月全米各地において、イラクからの「即時撤退」を求める大規模な反戦行動が相次いで行われた。ANSWERが中心となって組織した9.15ワシントン包囲行動には10万人を超える市民が参加した。ANSWERとUFPJが合同で取り組んだ、一昨年9月の30万人ワシントン行動以来の規模のものとなった。10.27行動は、各地域別の行動として取り組まれ、全米の各都市において少なくとも10万人が加わった。10.27の最大の行動はサンフランシスコであり、そこではUFPJとANSWERが合同し3万人が抗議行動を行った。一連の行動は、これまでに見られなかった特徴を持っていた。

(1)9.15ワシントン大行動。10万人が結集し議会を大包囲

 9.15ワシントン行動はANSWERが主催した。10万人を超える人々が全米からワシントンに結集した。行進の隊列は、イラク戦争に反対する退役軍人、軍人家族や戦死者家族に先導された。この行動にはシーハンさんも参加した。ホワイトハウスから議事堂まで続く10万人を超える大行進であった。イラク占領を今すぐ止めよ!これがメインスローガンである。大行進の最終地点に参加者が次々と集まり、警察の防衛線と向きあった。そして議会を囲むようにして、戦争と占領支配の犠牲となったイラク民衆や米軍兵士を想起させるダイインが、5000人を超える規模で行われた。
 その後議会に対して抗議の意思を示すためデモ参加者が議事堂に踏みこもうとした時、多くの参加者が逮捕された。行動の先頭に立った退役軍人、活動家たちを含む198人が逮捕されたのだ。恐れをなしたブッシュと議会は、強引な逮捕によってその抗議に対して報いたのである。だが行動は15日の行進で終わりではなかった。翌日の16日にはIVAW(IRAQ VETERANS AGAINT THE WAR:戦争に反対するイラク帰還兵の会)主催のワークショップが行われ、17日には新兵募集に対する抗議行動、その後21日まで議会に対する様々な行動が行われた。大規模な抗議行動に続く一連の行動は、「今や抗議の意思を示すだけではなく行動が求められている」とする退役軍人を中心とする強い意志で企画され、担われたのである。
 参加者の顔ぶれも多彩であった。まず、高校生、大学生、若者たちのグループが目立った。“Youth & Student Answer”,“Muslim American Society Youth National”,“Campus Antiwar Network”“Hip Hop Campus”等々。ANSWERの基盤の一つであるアラブ系アメリカ人、イスラム系アメリカ人も多く参加した。「戦争と占領ではなく、仕事と教育にお金を」−−このようなスローガンが掲げられた。また、“ブッシュ弾劾運動”、“草の根アメリカ”、“キャンプケーシー平和研究所”等々主要な反戦団体が合流した。
 ANSWER連合のコーディネーターであるブライアン・ベッカーは、今回の行動がこれまでのANSWER主催の行動には見られなかった、異例の新しい人たちが参加したことをはっきりと認めている。
※The Sept. 15 March on Washington: A New Movement is Emerging (ANSWER)
http://answer.pephost.org/site/News2?page=NewsArticle&id=8679&news_iv_ctrl=0&abbr=ANS_

(2)10.27行動。全米11カ所で10万人が参加

 UFPJが呼びかけた10.27行動には、ボストン、シカゴ、ジョーンズボロー、ロサンゼルス、ニューオーリンズ、ニューヨーク、オレゴン、フィラデルフィア、ソルトレイク、サンフランシスコ、シアトルの全米11ヶ所において、少なくと10万人もの人々が抗議行動に立ち上がった。その中でも最大の規模は、サンフランシスコにおけるものである。この都市の行動だけで、3万人もの人々が街頭に現れ、抗議の行進を開始した。「ウォールストリートは豊かになったが、イラク人と兵士は死んでいる」「爆弾ではなく教育を落とせ」−−このような叫びが聞こえ、横断幕が掲げられた。AP通信は、「私が見る限り、初めて参加した人が多いようだ。何かが変わり始めている。なすべき道は、街頭行動に参加することだと人々が理解し始めたのだ」という、この行動を組織した一人の声を伝えている。ここでも米軍兵士とイラク市民の犠牲者を悼むダイインが行われた。
 ニューヨークではブロードウェイ前に数千人が集まり行進した。その中には、グアンタナモの囚人が着せられているオレンジ色の衣服を着用し、全世界で繰り広げられているブッシュによる不法拘束に抗議する一団もあった。シカゴでは5000人を超える市民が行動に参加し、シアトルでは行進の先頭に退役軍人が立っていたことが報じられている。
*Thousands Protest Iraq War Across US(ABC)
http://www.abcnews.go.com/US/wireStory?id=3785488

 UFPJのこの行動も異例であった。とりわけ、ボストンでのニューイングランド抗議行動では、
イランや、イラク、パレスチナ系の人権活動家などが演説した。移民の権利を主張してデモを支持したAFL−CIOのジョンオルソンも演説に立つことになった。行動では、「60年間に及ぶイスラエルのアパルトヘイトと占領はもうたくさんだ」が横断幕に加えられた。

(3)9.15,10.27行動に表れた新しい特徴

 ブライアン・ベッカーの言うように、ANSWERの主催する集会に「発言する戦死者家族の会」や「戦争に反対するイラク帰還兵の会」などが参加したことは、これまでの流れからすると画期的なことである。彼らはこれまでUFPJの行動に参加してきた。ANSWERはその傘下にイスラム系やパレスチナ系の団体を抱え、アメリカやイスラエルの占領支配に対する武装抵抗闘争に対して支持あるいは寛容であるため、戦死者家族や帰還兵達の感情とは相容れないと考えられていたからである。このような流れは、UFPJのあり方、UFPJが提起する10.27行動のあり方に対しても大きな問題提起をしたのではないかと考えられる。
 一方10.27の行動もまた、これまでの統一行動のあり方とは違っていた。これまでは、今年1月の行動のように、UFPJの呼びかける行動に対してANSWERが一方的に合流する(押し掛ける)やり方、二年前の9月行動のように、お互いの主張についてそれほど吟味することなく、行動だけを統一するやり方であった。
 しかし今回は、特にUFPJ内において準備段階で激しい論争が闘わされたと言われる。かねてよりANSWERとの複雑な確執、イスラエルロビーについて言及することを恐れること、アラブイスラム系についての十分な配慮をしないこと、そして民主党との強い関係とリーダーシップ等々UFPJにはいろいろ批判があった。だが、パレスチナの権利をUFPJが強く擁護し始めたことから、UFPJを支持する民主党議員はほとんどいなくなったという。2007年6月のシカゴで行われたUFPJの会合で出された文書では、イスラエルへの経済的政治的援助をすべてカットするよう要求している。それは、UFPJがイスラエルの占領支配に反対する「占領を終わらせるための全米キャンペーン」から強い影響を受けたことを意味する。10.27行動を準備したサイトhttp://www.oct27.orgでは、民主党支持の声は皆無となった。 また、この6月の会合で、[3]で述べるように、アメリカの反戦運動の状況を憂うシーハンさんの引退宣言が議論されたことは想像に難くない。
※ All Out for October 27? Something New from the Antiwar Movement(Counterpunch)
http://www.counterpunch.org/heller10232007.html
もちろんANSWERに対しても、傘下にある団体の「セクト的な」運動スタイルや戦死者家族などへの冷淡な態度、共同行動での実務的な側面での無責任さなど、いろいろの点で批判があることも付け加えなければならない。なお、ANSWERは今年5月に、統一行動などを呼びかけるアピールを出している。
What Should the Anti-War Movement Do Now?(ANSWER)
http://answer.pephost.org/site/News2?abbr=ANS_&page=NewsArticle&id=8501&news_iv_ctrl=1621

 つまり、ANSWERとUFPJのこれまでの活動のあり方を見直すような動きが、草の根レベルも含めて急速に進行したのである。ANSWERの行動に、もともとUFPJに組織されてきた退役軍人や戦死者家族達が合流するようになり、UFPJの行動に、ANSWERと結びつきが強かったイスラム、パレスチナ系の活動家達が招かれるようになった。垣根が徐々に取り払われようとしているのである。
※米国の反戦平和運動の二大センターANSWERとUFPJとの関係については以下を参照
シリーズ<マスコミが伝えないイラク戦争・占領の現実>その17 民主党への幻想を断ち切り、反戦運動が一大政治勢力へ成長(署名事務局)
イラク戦争開戦3周年にあたって==ブッシュ政権:腐敗とスキャンダル、イラク占領支配の最後的行き詰まりと末期症状(署名事務局)

(4)民主党に近い反戦運動団体“MoveOn”の混迷と分裂

 一方、これまでの運動の中で巨大な動員力を誇り、反ブッシュ広告などの派手な反戦活動を繰り広げてきた、民主党に最も近いといわれるMoveOnは、民主党との関係を巡って分裂を深めている。ワシントンにおける議会行動などで戦闘的な役割を果たしてきた「コードピンク」などはすでに離脱を宣言した。「民主党を攻撃するやり方は得策ではない」とする陣営と、あくまでも「即時撤退」を求める陣営との間での激しい対立が生じているのだ。MoveOnの一つ構成団体はブッシュ政権の戦争戦略の転換を迫る議会活動、とりわけ共和党議員への働き掛を中心に取り組んできた。議会内の共和党内に亀裂を作り出すことで、占領政策の転換が勝ち取れるというのである。この取り組みは、民主党の議員たちとの協力で進められてきた。しかし今や、民主党の姿勢が問われることになった。これまで手を携え共闘してきた様々なグループからは、民主党の議員、指導者と手を結ぶMoveOnの戦術に対して、批判が沸き起こっていた。“コードピンク”は、「(民主党が)『われわれは補正予算に賛成するべきである』と語ったとき、われわれを裏切ったのだ」と語っている。この内部対立は、今始まったばかりである。近づく大統領選挙を前に、ますます内部の対立は深まることになるであろう。
※Split in anti-war left(The Hill)
http://thehill.com/leading-the-news/split-in-anti-war-left-2007-08-08.html


[3]イラク反戦運動のシンボル−シンディー・シーハンさんの引退と復活の意味

(1)アメリカの反戦運動のあり方を決定づけたシーハンさんの動き

 今年5月シーハンさんは突如運動から身を引く宣言をした。これは反戦運動を闘う人々に大きな衝撃を与えた。ブッシュが強引にイラク占領支配を継続し続ける中、彼女の独創的で粘り強い闘いは、多くの人々を勇気付け、そして、多くの人々を運動に引き入れてきた。彼女の行動はアメリカ世論を揺る動かし、ブッシュ政権のイラク政策に対する批判を呼び起こし、世論を変化させた大きな力であった。今年に入ってからもグアンタナモに乗り込み、世界中で不法拘束を繰り広げるブッシュに対する抗議行動の先頭に立っていた。その彼女が5月末、突然運動から身を引く決意を公表し、活動を休止したのである。
 引退宣言に追いやった事情は彼女の発言から読みとれる。それは単に民主党への幻滅ではなかった。シーハンさんが民主党に対する批判を開始するやいなや、他ならぬ民主党と味方の陣営から批判が加えられ始め、「目立つ売春婦」など個人的な誹謗、中傷も含めて激しい攻撃がなされた。「誰が言ったかに関係なく、私が悪い母親だという種類の批判は、非常につらいもの」であったとも語っている。また、ジョージ・ソロスから資金提供を受けている、本当は大金で経済的に支援されており、息子の死のおかげで贅沢三昧をしている等々の批判が、「左翼の中から」から行われたのだ。
※Transcript: Cindy Sheehan: "We'll Come Back Stronger"(PBS)
http://www.pbs.org/now/news/322-transcript.html
邦訳はhttp://hope.way-nifty.com/a_little_hope/2007/06/post_af50.html

(2)民主党は「私たちの力を利用した」「そして裏切った」

 実際彼女の民主党批判は痛烈であった。「私は民主党を離れる。方針を変えさせようとして議会に送り込んだあなたたちは、私たちを裏切った。私たちは、国という船を、安全な港に導くかわりに沈めようとしているあなたたちを選ばない」。はっきりと民主党を批判し、断絶を宣言した。それは、議会で多数派を握り、ブッシュを弾劾、辞任に追い込むチャンスがあったにもかかわらず、行動に踏み込まない民主党に対する怒りである。民主党支持者たちが「彼らにチャンスを与えてください」などと言っている間に、まさにブッシュのイラク占領支配の継続が、日々、米国の兵士ばかりではなく、イラクの子供たち、市民を死地に追いやっている。このような彼女の怒りは、イラク問題を政権奪取のための格好の材料と考えている民主党指導部を許容できなかっただろう。だからこそ民主党は、共同できる範囲内では彼女の活動を支援してきたが、対立が鮮明になるや、手のひらを返したように、誹謗、中傷を浴びせたのだ。
※彼女はインタビューで次のように語っている。「ペローシ議長がブッシュの法案に署名した時に、彼女は、“ブッシュの政策は綻ぶことになるだろう”と言った。・・・なんとおかしなことを言うのか。十分に「綻ぶ」までに、一体どれだけのイラク人が殺されることになるのか。ブッシュの取り巻きどもが犯罪を繰り広げるのを、いつまで見過ごすというのか?ペローシの心中において「綻ぶ」事態になるまで、・・・70万人を超えるイラク人の犠牲者、400万人もの難民、この状況がさらに悪化することになるのではないか?」「民主党がブッシュのイラク政策の引き延ばしを認めることで、一日3.72人もの米軍兵士の犠牲者を認めることになる。多くの遺族の悲しみを生み出すことになる。4000人の米軍兵士の犠牲者を、認めることになる」。「私たちは、独立国に対する暴力的な干渉をした自国の政府を許さないし、今なお継続する狂気じみたイラク支配を非難する」。「ブッシュ政権が不正のためボロボロに崩れかかっているのに、民主党は大統領にもっと意味のある法案を送ることがきなかったのです。」

(3)シーハンさんの復活

 そのシーハンさんが5週間の「休息」(本人の言葉)を経て、再び、反戦平和運動の表舞台に復活したのは7月初旬であった。ブッシュがリビー(CIA工作員名漏洩事件の主犯とされた)を超法規的に訴追からのがれさせる発表を宣言した時であった。復活を宣言した彼女は、ブッシュをいろいろと理由をつけながら結局支え続けている民主党を痛烈に批判し、「ブッシュ一味がこれ以上ファシズムと暴力の泥沼にこの国を引きずり込むのを、彼らと一緒に休みを取って見過ごすことはできません」といい、「もし議会がブッシュ一味を政治の場から葬らないなら、それは私たち人民の仕事です」と宣言した。彼女は、引退宣言において、批判の矛先を二大政党制という政治的枠組みにまで向け、「ファシズムから救うため、腐敗した二大政党制に替わるシステムを私達が見つけなければ、代表民主制は死に絶え、チェックも均衡も決してはたらかない社会、ファシストが統治する荒野へと急速に転落していくだろう」と語っていたが、人民運動の力に依拠して変革していく以外にないという結論に達したのである。
※Call Out The Instigator(Commondreams)
http://www.commondreams.org/archive/2007/07/03/2276/
邦訳は以下http://hope.way-nifty.com/a_little_hope/2007/07/post_ff85.html
※Good Riddance Attention Whore(AfterDowningStreet)
http://www.afterdowningstreet.org/?q=node/23018
邦訳は以下http://hope.way-nifty.com/a_little_hope/2007/06/post_5da9.html

(4)10.27統一行動を受けてのシーハンさんの問題提起

 このような経緯からシーハンさんは、ANSWER主催の9.15ワシントン行動に参加し、10.27のサンフランシスコでの統一行動をことさら高く評価した。彼女は少しおどけた感じで、「10・27の行動では、UFPJとANSWERの間でのなかなかいい協働をみたわ、少なくともサンフランシスコではね、イエー」と書いている。彼女はかつての引退宣言の中で、アメリカの反戦運動のあり方に対しても痛烈な批判をし、「あるグループは別のグループとは一緒に活動しようとしません」などと語っていたのである。
 だがその一方で、シーハンさんは、全米各地で集会、デモンストレーション、ビジル、議員事務所での座り込みなどが行われ、ファックスやメールや手紙やあらゆる形態で抗議の声が議会に届けられたにも拘わらず、議会は全く変わっていないこと、2006年11月に平和運動は大きなクーデターをおこしながら、結局民主党がその運動を利用する結果にしかならなかったことなどから、反戦平和運動の重点の置き方、エネルギーや資金の集中の仕方を再検討する必要を主張する。
※シーハンさんが提起する、反戦運動の今後の戦略についてはきちんと検討する必要があるが、その一つが平和候補の立候補とそれへの支援であると思われる。シーハンさん自身、民主党の指導者の一人であるペローシ下院議長の選挙区であるサンフランシスコ8区に、ペローシと対決するために立候補することを表明している。これは、シーハンさんが、民主党の戦争支持政策と真正面から対決する決意を示したものである。

 息子を大義なきイラク戦争に動員され殺された怒りから運動に立ち上がったシーハンさんが、民主党の議員と手を携え行動していた時期を経て、そして絶縁状をたたきつけて前進することになった経緯は、まさに反戦平和運動がより大きく前に進むための葛藤であったともいえるであろう。
※ The Morning After(AfterDowningStreet)
http://www.afterdowningstreet.org/?q=node/28101


[4]二大政党制に風穴を開けるための新たな闘いの模索

(1)昨年秋中間選挙勝利、上下両院での多数派獲得−−怖じ気づいた民主党

 昨年11月の中間選挙において民主党は、米軍のイラクからの早期撤退を掲げて勝利した。それは、米国民に広がる厭戦気運だけでなく、ブッシュが進めてきた膨大な軍事支出と人民予算切り捨て、米医療保険制度の破壊、非正規・不安定雇用の大群の創出、賃金水準・生活水準の切り下げ、地方都市と地域の崩壊に対する怒りを受けたものであった。しかし、上下両院において多数派を占めるようになったとたんに、ブッシュに「即時撤退」を求めることを躊躇するようになった。大統領の弾劾、戦費承認を拒否することができる条件を獲得した民主党が、ぎりぎりまで抵抗姿勢を見せながら、ことごとく戦争政策に賛成に回ったのである。大統領選を来年に控えた民主党は、戦費不承認によって、イラクでの敗北の責任、米軍兵士の犠牲の責任が自党に及ぶ事を恐れ始めたのだ。イラクからの「即時撤退」は、遠い将来の目標に取って代わった。ヒラリー・クリントンは、来年の大統領選挙に向けてますます巧妙になり、「大統領就任60日以内にイラク撤退を開始する」などと言い始めている。
※ヒラリー議員:「大統領就任60日以内にイラク撤退開始」(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071016k0000e030014000c.html

 イラクからの即時無条件撤退=イラク戦争の敗北は、中東におけるアメリカの帝国主義的覇権と軍事的プレゼンスの放棄を意味し、ブッシュ共和党はおろか民主党にとっても受け入れがたいものであることを意味する。「二大政党制」の危険が、民主党が上下両院で多数派に転じることで、改めて浮き彫りになったのである。

(2)決定的問題としての追加戦費承認をめぐる対立

 昨年11月以降、民主党がブッシュを追いつめることができる機会は幾度となくあった。民主党は今年4月、戦闘部隊の撤退を10月までに開始し、来年4月までに完了する案を提出し、下院218対208、上院51対46でその法案は可決された。そして最大の好機が、イラク・アフガニスタン戦費の補正予算をめぐる対決であった。民主党は予算拒否をちらつかせてブッシュの拒否権行使を牽制したが、ブッシュは躊躇無く拒否権を行使した。そして5月24日、民主党は早々と白旗を掲げ、ブッシュに妥協した。結局、今年9月末までのイラク追加戦費950億ドル(約11兆5000億円)を盛り込んだ総額1200億ドル(約14兆5000億円)の補正予算案を認め可決したのである。民主党がこだわった米軍の撤収期限についてさえ、予算条項への明示を断念した。こうして、ブッシュを追い詰める最大の機会を自らが放棄した民主党のリード院内総務は、「戦争の針路を変えるための戦いは続ける」と言明したが、もはや負け惜しみに過ぎなかった。民主党に議会の多数派を与えることで変化を期待した人々は失望し、幻滅を味わった。シーハンさんが引退を表明したのは、これから3日後の事である。

(3)年初からの米軍増派以降、イラク犠牲者が激増

 米軍の増派以降、イラクの泥沼化はハイペースで進行した。8月には、イラク戦争開戦以来100万人のイラク市民が殺さたことが発表された。11月初め、今年の年間米兵死者数が開戦以来最悪の853人になりその後も増え続けている。首都を中心とした大規模掃討作戦と「自爆テロ」、600万人とも800万人とも言われる、シリア国境での難民と国内避難民の大量発生、北部クルド地域での石油を巡るトルコとの軍事衝突など、全土での不安定化が進行した。
「対テロ戦争」への加担に反対し、イラク・インド洋からの自衛隊撤退を求めるシリーズ(その5)イラク戦争の民間人犠牲者が100万人を超える!(署名事務局)
※イラク:駐留米兵の死者数最悪、今年853人(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/world/news/20071107dde007030066000c.html

 9月10,11日に行われたイラク派遣米軍のぺトレイアス司令官とクロッカー駐イラク大使による議会報告では、「増派は治安改善に効果があった」とし、来年の夏までに5個旅団を撤退させるという提言を行った。ブッシュ大統領はこれを受け9月13日、ペトレイアスの提言を取り入れた部隊の削減案に言及したのである。だがこの削減案は、増派前の水準に戻すというまやかしに過ぎない。ブッシュはまた、中東地域での橋頭堡確保のためにイラクへの永久軍事基地建設を画策している。

(4)“治安回復”の欺瞞

 たしかに、ここ最近は、バグダッドやラマディ、あるいはファルージャなどかつての激戦地、治安悪化地域において、治安改善の兆候が報告されている。ブッシュはこれを「米軍増派の成果」などと喧伝している。しかし、事態は単純ではない。9月に発覚した民間軍事会社ブラックウォーター社による市民無差別殺戮などによって、米軍の掃討作戦に対する批判が噴出し、米軍が空爆や不当拘束を自粛し、治安活動を現地の部族長らに委ねたこと、米軍に対する攻撃などが減少していること、各地で住民らによる自警団が形成されていること、シーア派強硬派サドル派マハディ軍が停戦を宣言していること等々いくつもの原因が指摘されている。いずれも、米軍が増派されたからではなく、軍事行動の縮小を余儀なくされたことで、一時的な小康状態が保たれているに過ぎない。しかもそれは、米軍が分断支配と首都の要塞化を徹底した結果でもある。米軍は巨大な分離壁の建設によって首都を分断し、スンニ派とシーア派の居住地域を一方的に分離し、商業圏、生活圏を寸断した。その最大の目的は、米軍施設の防衛であり、米軍のパトロール活動の安全確保である。米軍駐留のために市民生活を犠牲にするという本末転倒した壁建設は、宗派対立と部族対立を固定化させ、さらに住民を反米と親米に色分けする危険がある。
※Iraq Has Only Militants, No Civilians
http://www.tomdispatch.com/post/174866/tomdispatch_dahr_jamail_how_to_control_the_story_pentagon_style
 ファルージャでは依然、住民が検問所において網膜スキャンや指紋押捺、身元証明のバーコードによって厳しく出入りを規制され、電気、水道、衛生施設、生活基盤の破壊された中での生活を強いられている。シリア国境の数百万の難民、避難民の人道的危機への警告も発せられている。
※As winter approaches, warnings of deepening crisis for hundreds of thousands who have fled their homes(Solidarity for an Independent and Unified Iraq)
http://solidarityiraq.blogspot.com/2007/11/as-winter-approaches-warnings-of.html

 「小康状態」とは、以前と比べて抗争や「自爆テロ」による犠牲者が相対的に減少していると言うに過ぎない。和解ではなく分断が進行している。極めて危うい条件の下にある。いずれにしても、マリキ政権に、イラクの深刻な事態を克服する能力のないことは明かである。米軍が分断支配の方針をやめ、いますぐ撤退することがイラクの安定の最低条件である。
※イラク:バグダッド治安回復? 市民は慎重に値踏み(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/world/news/20071116ddm007030047000c.html
※「理由なく市民殺害」 ブラックウオーター事件でFBI(朝日新聞)
http://www.asahi.com/international/update/1114/TKY200711140337.html
※「要塞化」進むバグダッド、テロ警戒 市民生活、窮屈に(朝日新聞) 
http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200310290087.html

(5)アメリカの反戦運動はブッシュの戦争マシーンをどう止めるか

 [3]で述べたように、9.15、10.27行動を経た時点でのシーハンさんの問題提起は、単に分裂したアメリカの反戦運動を行動においてどう統一していくかという枠組みで捉えられるものではない。民主・共和の両党が戦争を支持するという「二大政党制」の中で、もはや民主党に依拠できないことがはっきりとしたもとで、人民運動がどうそれに風穴をあけて、イラクからの撤退という政治目標を実現していくかという決定的に重要な問題である。
 戦争最優先・地方切り捨て政策や州兵問題で悩む全各州や自治体からの反対、外交官のイラクへの任官拒否、帰還兵の中でのPTSDや自殺者の激増、新兵募集危機とイラク再派兵拒否、その根底にある米軍派兵のローテーション危機等々ブッシュのイラク戦争は、国内から激しい反発と抵抗に遭っている。
※The War Comes Home: PTSD; Addiction; Homelessness and Suicide All Coming to a Neighborhood Near You!(Commondreams)http://www.commondreams.org/archive/2007/11/21/5387/
 それを運動がどう組織していくのか。世界最大の戦争マシーンの歯車を止め、イラク戦争を終結させるために、アメリカでは新たな試みが始まっている。


2007年11月26日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局





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[投稿]シーハンさんの闘いの軌跡と現在の活動を見られる動画