(翻訳 『ハンギョレ21』第596号 2006年2月14日より)
韓-日の連帯運動は結実するだろうか
プルトニウム生産工場に反対する日本の市民たちと手をつなぐ

 私が、六ヶ所村に関心を持ち始めたのは、1990年代初めからだ。当時、六ヶ所村のプルトニウム生産工場が建設される中、国内言論にこれを憂慮する記事等が載せられ始めた。私は、それ以前から原子力発電の危険性を深く憂慮しており、その延長線で六ヶ所村問題にも関心を傾けるようになった。このため、李海鑽議員の文章が載った<話>も購入し、今日まで持っており、高速増殖炉『もんじゅ』などに関する記事も、一時期ずっと集めた。

 核賛成勢力が、六ヶ所村を"聖地"として宣伝することに対抗して、六ヶ所村の住民たちと大韓民国の核廃棄場政策関連地域の住民たち、そして大韓民国の環境運動との間の連帯活動が活発に繰り広げられた。しかしこの活動は、大韓民国の核廃棄場政策に焦点を合わせたものなので、六ヶ所村の反対運動にまで進むことはなかった。こういう状況で、日本の六ヶ所村反対運動の側から、参与連帯に連帯活動を要請するメールを送ってきた。

 私は、日本の要請により、六ヶ所村のプルトニウム生産工場の稼動を防ぐための韓-日連帯活動を繰り広げ始めた。まず、2005年7月6日に、日本の運動家である田窪雅文氏がソウルにきた。続いて7月12日に私が東京に行って、2度の討論会に参加した。この結果を土台に、7月末から本格的に韓-日連帯活動を組織した。その結果、様々な団体と専門家たちが力を集めて対応できるようになった。

 11月8日に国会東北アジア研究会の助けを受けて、国会図書館小講堂で開いた「六ヶ所村の脅威に関する韓-日国際セミナー」は、その重要な成果だ。続いて11月17日に、私はまた東京に行って記者会見とシンポジウムはもちろん、集会と街頭デモにも参加した。特に11月の行事は、全国規模の反核・反六ヶ所運動として繰り広げられたものなので、様々な面で重要であったし、印象深かった。

 日本の六ヶ所反対運動には、原子力発電に賛成する側も参加している。原子力発電に賛成しても、六ヶ所村のプルトニウム生産工場のような危険千万な準軍事施設は賛成できないというのだ。六ヶ所村のプルトニウム生産工場は、日本の核武装の意志と関係がなく、世界的な核軍備拡散の脅威を高めるほかはない。それは途方もない"特典"であるためだ。また万一にでも事故が起きたりテロにあうようになったら、その地域はもちろん、東北アジア全体が途方もない打撃を受けるだろう。日常的にも相当の量の放射性物質を大気と海に排出するようになるから、六ヶ所村のプルトニウム生産工場はきわめて危険な施設だ。

 韓(朝鮮)半島平和構想は、東北アジア平和構想の文脈で推進されなくてはならない。ここで"戦犯国"日本の平和意志は、朝鮮民主主義人民共和国の平和意志と同じくらい重要だ。このような点で、六ヶ所村のプルトニウム生産工場の稼動を防ぐのは、私たちの焦眉の課題でもある。言い換えれば、六ヶ所村のプルトニウム生産工場は、どの面から見ても決して日本だけの問題でありえない。それは、世界の問題であり、何よりも日本との不幸な歴史を相変らず清算できないでいる私たちの問題だ。さらに多くの人々の関心と参加を訴える。

洪性泰(ホン・ソンテ)/尚志(サンシ゛)大教授