[投稿]9・29教科書検定撤回県民大会と沖縄「島ぐるみ」闘争
「集団自決」=日本軍強制集団死の歴史歪曲を許すな!
文科省は、不当介入をやめ、検定意見を撤回せよ!

 砲弾の豪雨の中へ放り出され
 自決せよと強いられ
 死んでいった沖縄人の魂は
 怒りを持って再びこの島の上を
 さ迷っている

 まだ砲弾が埋まる沖縄の野山に
 拾われない死者の骨が散らばる
 泥にまみれて死んだ魂を
 正義の戦争のために殉じたと
 偽りをいうなかれ

 歴史の真実をそのまま
 次代へ伝えることが
 日本を正しく歩ましめる
 歪められた教科書は
 再び戦争と破壊へと向かう
 
 沖縄戦の使者の怒りの声が
 聞こえないか
 大和の政治家・文科省には届かないのか
 届かなければ 聞こえなければ
 生きている私たちが声を一つにして
 押し上げ 訴えよう

 9月29日、文科省が「集団自決(強制集団死)」から日本軍強制の記述を削除したことに抗議する「教科書検定意見撤回を求める県民大会」で、11万6千人(八重山、宮古の郡民大会を含む)の参加者が、「県民へのアピール」として発した言葉である。
 県民大会は、大会実行委員長に県議会議長、県議会や県PTA連合会、県遺族連合会など22団体の実行委員会と247の共催団体の呼びかけで開催された。県知事は「『集団自決』の日本軍関与は、覆い隠すことのできない真実」とアピールし、「集団自決」の現場となった渡嘉敷島、座間味島の「体験者」が「決意の証言」を行い、高校生が「真実を知りたい」と訴え、戦争体験者から子どもたちまで幅広い世代が静かな怒りに包まれながら聞き入った。県民大会は、沖縄県民の10人に1人が結集した復帰後最大の「島ぐるみ」闘争となって沖縄の怒りを爆発させた。
 県民大会で発揮された怒りは、一気に全国を駆けめぐり、我々も含めて無関心だった「本土」に対して一喝を与え、連帯の運動に火をつけただけでなく、「つくる会」登場以降急速に進んだ文科省と日本会議系国会議員による露骨な教科書への政治介入を覆し、国家主義的教育反動に痛打を浴びせるものとなった。発足したての福田政権に痛烈な一撃を浴びせるものともなった。
※『集団自決は強制』 削除するな 11万人島挙げて抗議(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007093002052715.html
※教科書検定意見撤回を求める県民大会(琉球新報)
http://ryukyushimpo.jp/video/index_20.php(ビデオ)
http://ryukyushimpo.jp/news/page-171.html(写真)

1.政府・文科省を突き動かしつつある沖縄教科書検定撤回9・29県民大会の力

 3月30日、文科省が沖縄戦「集団自決」の記述について、日本軍が強制したとの記述7カ所に「誤解するおそれがある表現である」と検定意見をつけ、教科書会社に書き直しを命じていたことが明らかになった。そこから半年というきわめて短い期間に、教科書検定意見撤回闘争は、文字通り「島ぐるみ闘争」に発展した。9・29県民大会に結びついた沖縄の闘いの原動力は何であったのか。沖縄の人々を突き動かしたものは何であったのか。

(1)出発点から運動をリードした沖縄の教職員
 第一に、検定撤回と記述の回復を求める運動を出発点から支え、県民運動に発展させたのは、沖縄の教職員の運動であった。沖縄の教職員運動の立ち上がりは素早かった。4月3日には、沖教組、高教組が抗議声明を出し、6日には約200人の参加する緊急抗議集会が開かれ、署名運動も始まった。署名は9月提出時点で54万を超えて全国に広がった。5月8日には、県退職教職員会の抗議声明もでた。6月9日には、「慰霊の日」に向けて、沖教組・高教組が県民大会を呼びかけ、約3500名が結集し、「島ぐるみ闘争」への勢いを増していった。
 特筆すべきは、教職員組合の動きだけでなく、教育行政の動きも活発であったことである。6月に入り県教育長は、「沈黙は削除を認めることになる」と文科省へ異例の要請行動を行った。9・29県民大会には、全学校の校長と教職員へ参加を呼びかけた。
 また、沖縄の教職員は、「集団自決」問題をリアルタイムで子どもたちに伝え、新たに発掘された証言を紹介する教育実践も行ってきたのである。「集団自決」を含めた沖縄戦の新たな教材作りのネットワークが広がり始めている。今回の「島ぐるみ闘争」の大きな下地となったことは間違いない。

(2)新たな証言の発掘が動かした全会一致の県議会意見書
 第二に、運動の拡大に決定的な役割を果たしたのは、「集団自決」の新たな証言が続々と出てきたことである。
 沖縄戦では、米軍上陸が目の前に迫った慶良間諸島や沖縄本島中南部、伊江島で、肉親を手にかけたり自ら命を絶った「集団自決」が起きた。狭い島の中で米軍と日本軍に追い詰められる中で、「皇民化教育」をたたき込まれた住民は、肉親同士でカミソリや鎌で首を切り、輪になって手榴弾を爆発させたり、棒や石で家族を殴り、互いの首にひもを巻き付け引っ張り合ったり、壕の中で布団に火をつけ窒息死を試みたり、家族に農薬や「猫いらず」を飲ませたりして、死ぬことを強制された。そのような体験に身を置き、生き残った人々の苦悩は想像を絶するものがある。それゆえ沖縄戦の中でも、「集団自決」は、証言者を発見し、「何が行われたのか」実像に迫ることは難しかった。戦後長い間、タブー視されていたのである。読谷村チビチリガマの「集団自決」の全容が明らかになるまで敗戦後38年の歳月を要し、伊江島アハシャガマで遺骨収集が行われたのが戦後26年目のことであった。
 文科省は、証言者が少なくタブー視されていることをいいことに、日本軍の強制、誘導、関与を隠蔽し、軍民一体の「殉国死」として利用しようとしたのである。体験者たちは、「軍命がなければだれも死ななかった」「自分で死んだと言われたら、死んだ人は浮かばれない」と死者を二重に侮辱する文科省の検定に、抗議し、決意の証言をし始めたのである。「日本兵が、米軍に捕まる前にこれで死になさいと手榴弾を配った」(座間味島)、「いざというときはこれで自決せよと防衛隊員から手榴弾を渡された」(渡嘉敷島)など、どれも日本軍の命令、誘導、強制、指示、関与がなければ、「集団自決」は起こりえなかったことを、具体的に実証した。
 体験者の証言に呼応して、六月下旬までに沖縄全四一市町村議会で検定意見撤回決議があがった。とりわけ「集団自決」の現場となった市町村決議は、県民の心を奮い立たせた。百名以上が死に追い込まれた伊江島村議会は「アカシャガマ、サンダタ壕では日本兵による命令、誘導等により筆舌しがたいほど悲惨な『集団自決』などで多数の住民が死に追い込まれた」と訴え、読谷村議会では「85名が命を絶った我が読谷村で起こったチビチリガマ『集団自決』においても、当時の母親たちは日本軍が全てを支配する戦時状況の中で教育され、誘導してきたことを涙ながらに証言している」と記した。
 これらの沖縄各地からの草の根的な運動が、県議会での自民党県連の抵抗を乗り越えて、6月22日の全会一致の県議会意見書に結実したのである。
※「軍関与」証言する動き 自治体も調査 沖縄戦集団自決(朝日新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/1006/TKY200710060274.html

(3)県民の訴えを無視し、責任逃れに終始する文科省と島ぐるみ闘争への発展
 第三に文科省の責任逃れと県民の訴えを無視する姿勢が、「島ぐるみ闘争」の拡大に火をつけた。7月4日、県議会・県行政代表は、県議会や全四一市町村の意見書を携え、文科省に検定の撤回と記述の復活を要請したが、文科大臣は面会を拒否し、「教科用図書検定調査審議会が決定したことに、文科省は口を挟むことはできない」の一点張りで、事実上門前払いにした。
 その後、文科省の主張が、責任逃れの言い訳に過ぎないことが次々と暴露されていった。教科書検定過程で「軍強制」削除を主導したのは文科省であり、「検定意見書」の決裁をしていたのも文科省であった。記述改ざんに対して文科省の責任が重大であることが明らかとなった。7月10日、沖縄県議会は、文科省への厳しい批判を盛り込んだ二度目の意見書を採択した。同一テーマで二度の意見書採択は異例中の異例で、沖縄の怒りの深さを示すものとなった。
 これ以降、急速に超党派での県民大会の構想が練られ具体化していく。7月29日の参議院選挙での安倍政権の歴史的惨敗がこれらの流れを加速させ、県議会議長の実行委員長への就任、県知事の参加、自民党・公明党の協力姿勢への転換へとつながり、11万6千名を結集する復帰後最大の県民大会となった。


2.「新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)」の沖縄戦修正策動を打ち砕いた沖縄県民の怒り

(1)自由主義研究会と「つくる会」の政治介入による教科書書き換え策動は、沖縄県民の怒りによって打ち砕かれた。
 藤岡信勝が「つくる会」の別働隊として設立した自由主義史観研究会は、2005年6月「沖縄戦集団自決事件の真相を知ろう」と「緊急集会」を行い、「集団自決の軍強制」記述の削除を求める運動を開始した。2001年以降、中学校教科書から「日本軍慰安婦」「南京大虐殺」「強制連行」記述を削除・曖昧にさせてきた日本会議・「つくる会」勢力が、沖縄戦「集団自決の軍強制」記述を次のターゲットに絞り、運動を開始したのだった。これらの動きと連動して2005年7月には、「大江・岩波『集団自決』訴訟」が起こされた。原告は、座間味島の戦隊長であった梅澤元少将と渡嘉敷島の戦隊長だった赤松元大尉の弟で、「両隊長は、集団自決の命令を出していない」として岩波書店と大江健三郎を名誉毀損で訴えた。同「訴訟を支援する会」は、自由主義史観研究会、昭和史研究会、靖国応援団、「つくる会」等、右翼歴史歪曲主義勢力で構成されており、裁判を通して文科省に教科書記述削除の圧力を強めることを目的としていたのは明白であった。
 彼らの主張は、日本軍「慰安婦」を教科書から削除させた論理と全く同様の詭弁とごまかしであった。「集団自決」は日本軍による強制と誘導によるものであると実証的に結論づけている沖縄戦研究者の著書から、座間味島の例だけを取りだし、さらにその中から「軍から自決用に手榴弾を渡されていた」が「明示の自決命令はなかった」という自分たちに都合の良い部分だけを全体の文脈から切り離して抜き出し、日本軍による強制、誘導、関与はなかったと主張しているのである。しかし、これらの主張は、身を引き裂かれる思いで証言をした沖縄の人々とそれと結びついた歴史的検証を全く無視する暴論である。
 「『集団自決』とは何であったのか、何故起こったのか」−−−この沖縄戦の本質に関わる重要な問題が、84年に提訴してから97年の最高裁判決まで闘い抜いた第三次家永教科書裁判の中で、鋭く問い返され、証言の掘り起こしと研究を通じて認識が深められていった。最高裁判決では、「集団自決の原因については、集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防諜対策、沖縄の共同体のあり方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するには当たらない」「集団自決と呼ばれる事象についてはこれまで様々な要因が指摘され、これを一律に集団自決と表現したり美化したりすることは適切でない」と判断を下したのである。それ以後、「集団自決」とは、政府の主張する「崇高な自己犠牲の精神」の発露としての「殉国死」ではなく、日本軍から強制された集団死であり、本質的には住民虐殺と何ら変わらないことが明らかとなり、教科書記述でも定着していった。しかもこの間、渡嘉敷島、座間味島では、新証言が続々と出てきており、日本軍の強制がますます具体的な形を取って明らかになってきているのである。何より沖縄県民が総意として9・29県民大会でそのことを実証した。

(2)右派歴史歪曲勢力の巻き返しに全国から反撃を
 10月4日、「つくる会」は、文科省に対して「検定撤回要求に屈してはならない」と申し入れを行い、メール・FAXによる要請行動を呼びかけた。産経新聞は、9・29県民大会の意義を過小評価するために「一人歩きする11万人」と報じ、参加者を半減以下に見立てるするキャンペーンを開始した。「つくる会」は、「琉球新聞の会場写真から数えた」と「実数1万3千名」と主張した。何とか9・29県民大会の意義を低め、政治的波及を阻止しようと必死になってこそくな手段にでたのである。
 10月16日には、「つくる会」と「教科書改善の会」(教育再生機構[代表:八木秀次]の別働隊)の中心人物が発起人となり「教科書検定への政治介入に反対する会」を立ち上げ、緊急集会を行った。さながら右翼歴史歪曲勢力の共同戦線の様相を呈した。そこでは、「軍の『命令』や『強制』がなかったことはすでに実証済み」とステレオタイプ化した主張を繰り返し、沖縄県民の抗議を教科書検定結果への「不当介入」であり新教育基本法16条違反であると主張した。さらに文科省が教科書書き換えに応じたときには、裁判を起こすことも提起し恫喝を加えた。「日本の前途と歴史教育を考える会」(教科書議連)は、教科書検定制度の堅持と「検定結果への介入反対」で首相官邸、文科省に申し入れることを決めた。
 教科書検定や採択に対して不当な政治介入を繰り返してきたのはどこの誰であったのか。そもそも「集団自決」での軍責任削除は、不当な政治介入の結果起こったことであることは、今では明白な事実である。


3.教科書書き換えの最大の責任は政府、文部科学省

(1)教科書への介入姿勢を露骨に示していた安倍政権
 今回の「集団自決」軍強制の削除は、沖縄県民だけでなく出版社・執筆者にも不自然さと唐突感を与えた。昨年度の高校教科書検定では、「集団自決」記述に対して全く修正意見はついていなかったからである。それが突然、今年の検定では、検定意見がついたのであった。
 今回の教科書検定は、「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍内閣のもとで行われたものであった。安倍首相(当時)は、幹事長代理時代に自民党県連に対して「つくる会」教科書を採択させるように檄をとばした、「つくる会」教科書支援者である。首相になってからの安倍のもとには、中西輝政や八木秀次など、かつて「つくる会」の理事だった人物が群がっていた。安倍ブレーンのひとり下村博文は、安倍政権発足後の集会で「自虐史観に基づいた歴史教科書も官邸のチェックで改めさせる」と豪語していた。まさにこの言葉通りのことが起こったのである。

(2)教科書書き換えを主導したのは文科省
 3月以降、教科書検定意見撤回の闘いの中で、国会論戦を通じて政治介入の仕組みが明らかになってきた。
 教科書検定は、通常出版社が文科省に申請本を提出することから始まる。今回の教科書検定についても申請本には、例年通り「日本軍によって・・・追い込まれた」「日本軍に強制された」等、「集団自決」での日本軍の強制、誘導を示す記述が見られた。まず、文科省は、同省職員や専門家などを教科書調査官に任命し、「沖縄戦の事実について誤解するおそれのある表現である」との修正意見をつけた「調査意見書」作成を主導した。マスコミ報道によると、沖縄戦の検定意見原案を作成した教科書調査官は、2001年度「つくる会」歴史教科書を監修・執筆した伊藤隆と師弟関係にあった人物であることが明らかになっている。そもそも誰がどのような基準で教科書調査官に任命されているか、全く不明である。
 教科用図書検定調査審議会は、この「調査意見書」に基づいて審議し、「答申」をまとめ教科書出版社に示すことになっている。これが、毎年三月末に公表される「検定意見書」である。実は、「検定調査審議会」メンバーには、沖縄戦の専門家は一人もおらず、「集団自決」について何の議論もなかったことが審議委員の口から明らかとなった。つまり文科省の教科書調査官が検定意見の原案を示し、「検定調査審議会」で何の議論もないまま、「検定意見書」となっていたのである。沖縄県の要請行動に対して、「決めたのは検定調査審議会。文科省は介入できない」と繰り返していた伊吹文科大臣(当時)の主張は、全くの責任逃れであることが露呈した。この発言が、沖縄県民の怒りをさらに倍増させたことは言うまでもないことである。
※文科省調査官が介入、波多野委員が初明言 教科書検定審議(琉球新報)
http://ryukyushimpo.jp/modules/news/article.php?storyid=27964

 ここで重大な疑惑が生じる。これまで「検定調査審議会」は、文科省から独立して「検定意見書」を作成していると思われていたが、今回の沖縄教科書検定問題で明らかになったのは、文科省の直接的な介入を覆い隠す役割を果たしているだけかもしれないと言うことである。教科書検定手続きを定めた現行の「教科用図書検定規則」の中には、「検定調査審議会」の存在も関与も明示されてない。
 これまでの教科書検定でも、自衛隊のイラク派兵や有事立法など政府の政策を是認する方向での書き換えや日本の戦争責任の具体例を削除する検定意見をつけてきた。これまで文科省の関与を批判する世論に対して、「検定調査審議会の判断」と自らの関与を否定していた。今回、沖縄県民の怒りは、教科書検定過程で文科省が思い通りに介入してきたからくりを浮き彫りにしたのであった。

(3)右翼歴史歪曲勢力と一体となって軍強制を削除した文科省
 文科省は、軍強制削除の根拠として「大江・岩波『集団自決』訴訟」を「参考資料にした」と説明している。しかし、同訴訟は、検定作業当時、証人調べも行われておらず、何ら司法の判断が示されていないものであった。しかも現在では、9回の口頭弁論(沖縄出張法廷も行われた)を終え、証人調べの段階に入り、原告の主張はほころびだらけとなってきた。直近の7月法廷では、「赤松隊長の軍命はなかった」ことを証明するはずの原告側証人が、反対尋問の中で「自決命令があったかなかったかを知る立場になかった」「赤松隊長の命令なしに住民への手榴弾の配布はありえない」ことを認める結果となった。また、岩波・大江側の証言として立った座間味島での体験者は、軍命があったことを聞いたと明確に証言したのである。
 文科省は、このような政治的色彩の強い訴訟の存在を重視して、「すべての集団自決が軍命令で行われたと誤解されるおそれがある」と決めつけたのである。沖縄を中心に何十年も積み上げられた歴史的検証を完全に無視し、沖縄戦体験者の証言を一切聴取せず判断したでのある。文科省が、歴史歪曲勢力と阿吽の呼吸で検定意見に介入し、削除したことは明らかである。
※「命令主体は戦隊長」/裁判の核心著作 宮城さん証言 「集団自決」訴訟/助役妹証言「決定的」(沖縄タイムス)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707281300_01.html
(参考)
http://www.youtube.com/watch?v=Wiua6jnFeIE
http://www.youtube.com/watch?v=pYPxGZcI49I


4.文科省は検定意見を撤回せよ!福田政権の責任逃れを許すな!

(1)政府・文科省に「検定意見の撤回」を迫り、「沖縄条項」設置を要求しよう
 検定意見撤回県民大会以降、沖縄県民の闘いは、全国的な運動と連帯して政府・文科省に検定意見の撤回と記述回復を迫る新たな段階に入っている。10月15・16日、「県民大会実行委員会」は、9月3日に続き、二度目の政府・文科省要請行動(約170名参加)を行った。要請団に合わせて東京では、約7百名の連帯集会がもたれた。全国の自治体でも、30府県市町村区(10月20日現在)で検定撤回の意見書が採択され、全国沖縄県人会、全国婦人協、九州知事会でも全会一致で決議をあげた。
 教科書執筆者の動きも活発化している。1982年の教科書問題をきっかけにして、文科省の強権的な検定に歯止めをかけようと結成された社会科教科書執筆者懇談会が活動を再開した。各社からの訂正申請について情報交換し、新たな証言を取り入れ申請本より日本軍の責任を明確化させようと努力している。17日現在、検定意見のついた5社中4社が訂正申請を表明している。
 これらの全国化しつつある動きの中で、沖縄教科書問題は福田政権を揺さぶり、政治焦点化し始めている。福田首相は「県民大会に参加した多くの方々の思いを重く受け止め、文科省でしっかり検討する」と発言し、渡海文科相は教科書会社から訂正申請があれば対応すると発言もした。16日、池坊文科副大臣は、政府サイドとして初めて「反省」の意を表した。民主党は、優位に立つ参議院で「沖縄国会決議案」の提出を模索し与党を揺さぶっている。
 政府・文科省が決して認めないのが、検定に自ら介入した事実と検定意見の撤回である。教科書会社の訂正手続きに応じる形で修正し、責任追及を免れようとしているのである。
 検定意見撤回県民大会で示された沖縄の意志は、検定意見の撤回と記述の復活、沖縄戦記述に配慮を求める沖縄条項の設置である。教科書執筆者からは、検定意見を撤回しないままでの訂正申請は、日本軍強制の事実を曖昧にしかねないと、教科書会社の拙速な訂正申請に警戒感を表明している。教科書会社からの記述訂正だけで、政府・文部省の幕引きを許してはならない。教科書検定過程での不当介入と歴史歪曲の検定意見に対する責任を徹底して追求していかなければならない。沖縄での沖縄戦証言と歴史的検証の積み上げを基にして、日本軍の強制を明確に記述するように要求しなければならない。沖縄戦の実相を歪めることへの島ぐるみの怒りや抗議を軽視することは許されない。

(2)国家主義的教科書反動に歯止めをかける突破口に
 今回の教科書検定での沖縄の怒りと抗議の爆発は、「集団自決」軍強制復活という直接的な成果に止まらず、きわめて大きな意義を持つものになりつつある。
 それは、@今後の教科書検定と採択に決定的な影響を与えることは間違いないからである。現在、中学校教科書会社は、来年4月の検定申請に向けて教科書執筆中である。高校教科書に「集団自決」での軍強制が復活すれば、それは間違いなく中学校教科書の記述へと反映されるだろう。その際、どこまで明確に軍強制を書かせるのか、運動の広がりにかかっている。
 Aこれまで文科省や「つくる会」などの歴史歪曲勢力の常套手段であった教科書検定への政治介入に一定のブレーキをかけることが必至だからである。文科省は、表向き「検定調査審議会」の透明性、公開性をあげることを検討し始めた。しかし、それがいかにいい加減なものであるか早速露呈した。今回の教科書訂正申請でも教科書会社に対して、文科省が結果を出すまで申請内容を公表しないように指示していることがわかった。文科省、歴史歪曲勢力による政治介入を排除する要求を強めなければならない。
 Bこれまで全く同じやり方で教科書から削除・修正させられてきた「日本軍『慰安婦』」「強制連行」、様々な見解があり論争中であるとして過小評価されてきた「南京大虐殺」記述の復活につなげていく手がかりをえたことである。「集団自決」記述削除への文科省の介入が問題になったことをきっかけに、「日本軍『慰安婦』」「強制連行」「南京大虐殺」記述の後退に対する政治介入の存在が問題になり始めている。
 今年は南京大虐殺70年である。「つくる会」・歴史歪曲勢力が再び「南京大虐殺はなかった」キャンペーンを強める中、中国や日本の研究者が新たな事実の発掘と検証、南京虐殺記念館のリニューアルを精力的に進めている。今後、沖縄での日本軍による戦争犯罪の記述復活から、アジアでの日本軍の戦争犯罪の復活につなげていくことが重要である。

(3)鍵を握る「本土」の闘い
 来年4月に高校教科書を間に合わせようとすると、今年中に訂正を完了しなければならない。「集団自決」軍強制が復活するかどうか、10月下旬から11月にかけてまさに正念場を迎える。沖縄の人々は、県民大会や政府・文科省への要請団の派遣等を通して精一杯闘っている。問われているのは、我々も含めた「本土」での運動である。検定意見撤回県民大会以降、「本土」での運動に火がつき連帯の輪が広がりつつあるが、それは一部にとどまっている。すぐにでも、できるところから政府・文科省に検定撤回と記述復活の具体的行動に立ち上がることが必要である。沖縄の闘いに学び、「つくる会」登場以降、急速に進んだ教科書反動化に対抗し、日本の加害事実と責任を明確に記述した教科書を実現させる闘いを強化していかなければならない。
(2007・10・21大阪教員 I)



検定意見を撤回させよう!大阪集会
「日本軍がいたから『集団自決』は起きた」
なかったことにはできません!日本軍の強制!

日時  12月2日(日) 開会 13:30 終了 17:00
講演者 目取真 俊さん
場所  大阪市立弁天町市民学習センター 講堂
参加費 1000円
主催  子どもたちに渡すな あぶない教科書 大阪の会

■沖縄県民大会実行委呼びかけの「1人はがき1枚運動」に連帯して
 政府・文科省へ検定意見の撤回と記述回復の声を届けよう!
(外部リンク)
 http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/okinawa-renntai.htm