<イラク戦争と「民営軍事請負会社」(下)>
[書評]
『戦争請負会社』
P・W・シンガー著 山崎淳訳
原著2002年秋 日本語版2004年12月
NHK出版
原著名『"CORPORATE WARRIORS:
The Rise of the Privatized Military Industry" 』
戦争を食いものにして栄える「民営軍事請負会社」(PMF)


[はじめに]

 『戦争請負会社』(2004年12月 NHK出版)は、イラク戦争の5ヵ月前に出版された"CORPORATE WARRIORS : The Rise of the Privatized Military Industry"( P・W・シンガー)の翻訳である。

 著者シンガー氏は、1996年に「ボスニアの戦後の状況を調べる」という国連が支援する調査に加わってはじめて軍事請負会社について知り、衝撃を受け、「民営軍事請負業に関する最も完全な概観」を与えるために広範な調査研究を行なった。「一時期はペンタゴン(米国国防総省)で働き、こうした会社の請負事業の一つを監督する手伝いもした。」(p.15「はじめに」より)。現在は米ブルッキングズ研究所国家安全保障問題研究員で、同研究所対イスラム世界外交政策研究計画責任者を務める。(「著者紹介」より)。

 この5月10日に起こった日本人傭兵の拘束事件で突如マスコミを騒がせた「戦争請負会社」なる聞き慣れない言葉。日本でもこの事件をきっかけにしてシンガー氏の名はその著書『戦争請負会社』とともに、一躍有名になった。今や彼は「戦争請負会社」の第一人者である。著者は、民営軍事請負会社(PMF:Private Military Firms)をいかに有効利用するか、そのためにいかに規制するか、という観点から詳細な研究を行なっている。この著者の観点についての批判は後で行うことにして、まずはこの書のきわめて興味深く、また驚くべき内容を見ていくことにする。



[1]戦争・紛争のたびごとに肥え太りグローバル展開したPMF−−市場規模は少なくとも約10兆円。2010年までには20兆円規模に。

 PMFのはしりは1980年代の末から登場するが、本格的に活動し始めるのは冷戦終結後である。まずは第一次湾岸戦争、次いでアフリカ南部諸国での紛争、バルカンでの紛争、さらに中南米、中東、インドネシアなど、世界中あらゆるところでの戦争・紛争のたびごとにPMFの活動の場が広がり、その「市場」が拡大していった。今では、PMFは「南極大陸を除くあらゆる大陸で」活動している(p.35)。

 PMFの「顧客」は、主権国家、多国籍企業、国連、NGO、反政府組織などさまざまであるが、最大の「顧客」は米国、国防総省である。「実際1994年から2002年までに、米国国防総省は米国に本拠地を持つ企業と3000件を超える契約を結んだ。契約金額は3000億ドルを超えると推定されている。」(p.47)。
 年間の市場規模は、「業界が完全な透明性を欠くため、正確なデータが集められない」が、「最も適切と思われる推定では」1,000億ドル(10兆円以上)の圏内にあり、「2010年までに、少なくともこの2倍に達すると期待されている。」(p.163)
 著者がこのように書いたのは、イラク戦争の前の段階である。アフガニスタン戦争でもPMFが「活躍」し、潤ったが、さらにイラク戦争でPMF業界は未曾有の活況を呈している。著者は、イラク戦争とその後の占領期についてもよくフォローし、報告をまとめているが、それについては<イラク戦争と「民営軍事請負会社」(上)>で紹介したとおりである。
※「イラクに群がる“新しい死の商人”=「民営軍事請負会社」(PMF)」(署名事務局)



[2]戦争を食いものにするPMFの3つの形態

 <イラク戦争と「民営軍事請負会社」(上)>でも紹介したが、シンガー氏は、軍事請負産業を大きく3つのセクターに分けている。
1)軍事プロバイダー会社 : 実際の戦闘まで含む戦術的軍事支援を提供する。
2)軍事コンサルティング会社 : 戦略的アドバイスと軍事教練を提供する。
3)軍事サポート会社 : 兵站、情報、保守点検業務を提供する。
 以下、本書に詳述されているそれぞれのセクターを見ていこう。


(1)戦闘まで請け負う「軍事プロバイダー会社(軍事役務提供企業)」――その典型としてのエグゼクティブ・アウトカムズ社 : 資源豊かな貧困国で鉱山会社と組んで暴利をむさぼる――

南アの札付き部隊の元副指揮官が設立
 エグゼクティブ・アウトカムズ社は1989年、南アフリカ国防軍退役将校イーベン・バーロウによって、当初は諜報コンサルタント会社として設立された。バーロウは、南ア国防軍第32大隊の元副指揮官。第32大隊は、最精鋭を集めた攻撃部隊の1つで、1970年代から80年代にかけて周囲の国々から「恐るべきやつら」として知られ、「どの部隊よりも高い殺傷率を持って」いた。この部隊は、「のちに南アフリカ真実和解委員会によって途方もない人権侵害をしたとして告発された。」(p.206)。
 バーロウは、その後「秘密の暗殺および諜報をこととする部隊の隠れ蓑」である「南アフリカ市民協力局」に在籍。対ANC責任者となる。そこでANCについての偽情報を広め、経済制裁を避けるための隠れ蓑会社を設立し、南アフリカの武器輸出を行なった。

 従業員は、ほとんどが元南アフリカ国防軍の特殊部隊の出身者である。アパルトヘイト政権が終焉したとき、これらの部隊の大半は解散され、数千人が退役軍人になった。(南ア国防軍全体では退役軍人は約6万人にのぼった。)そのかなりの部分がエグゼクティブ・アウトカムズ社に吸収されたのである。従業員には国防軍の他に、南アフリカ警察特殊部隊の出身者もいる。従業員の70パーセントは黒人だが、将校レベル以上の地位は主として白人である。

資源豊かな貧困国を食いものに
 会社組織は、南アフリカの巨大持ち株会社SRC(ストラテジック・リソーシズ・コーポレーション)社の子会社という形式である。SRC社は、他にも軍事請負活動にかかわる会社を20社ほど保有している。それらは主に、鉱物資源を採掘する会社を守る業務を行なっている。SRC社は、ロンドンのブランチ・ヘリテージ・グループ(アフリカで多くの資源採掘権と鉱山企業を持つ)と緊密な関係にある。エグゼクティブ・アウトカムズ社は、このブランチ・ヘリテージ・グループと組んで、後で詳しく見るように、資源が豊富なアフリカの貧困国を食いものにしながら肥え太ったのである。

 その手口はこうである。――エグゼクティブ・アウトカムズ社が貧困国政府に雇われて反政府勢力を鎮圧する。貧困国政府は高額の支払いをブランチ・ヘリテージ・グループやその関連会社などから融通してもらう。その見返りは資源採掘権などである。しかし、貧困国政府がPMFに頼らずに国家再建しようとするや否や、反政府勢力に攻められて窮地に陥るまで放置し、再びPMFに頼ることを余儀なくさせるのである。そして鉱山会社はまた新たな利権を獲得するのである。
 ブランチ・ヘリテージ・グループも独自にPMFを所有している。サンドライン・インターナショナル社とアイビス・エア社である。これらがエグゼクティブ・アウトカムズ社と緊密に連携している。特にアイビス・エア社が持つ航空機戦力は強大なもので、それがエグゼクティブ・アウトカムズ社の軍事戦闘能力を圧倒的なものにしている。

1993年のアンゴラ内戦で戦闘能力を誇示
 アンゴラは、天然資源に恵まれ、ナイジェリアに次ぐアフリカ第二の産油国である(最近の発見によってアフリカ最大の産油国になると言われている)。また米国の第6番目に大きな原油輸入国である。しかし、豊かな天然資源とは裏腹に、人々の生活の質は世界で160番目とされている。
 冷戦時、1970年代後半から80年代に、ソ連と社会主義諸国に支持されたアンゴラ解放人民運動党(MPLA)が政府を掌握し、米国と南アフリカが反政府勢力アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)を支援していた。冷戦終結後、アンゴラ政府が窮地に陥り、1993年にはUNITAが軍事攻勢に出て、石油施設を占領した。その石油施設は、国営石油会社とブランチ・ヘリテージ石油会社の所有であった。ここで、エグゼクティブ・アウトカムズ社が石油施設奪回のためにアンゴラ政府に雇われ、電撃的に施設を奪回して、その戦闘能力を見せつけたのである。しかし同社の兵士が撤退するやいなやUNITAが再び石油施設を占領。再度アンゴラ政府が同社を雇い、再度取り返した。その際の費用はブランチ・ヘリテージ社と提携関係にあるカナダの鉱山企業が出したと言われている。石油採掘権と鉱山採掘権を見返りに。

1995-7年シエラレオネの内戦でやりたい放題の“ゆすり・たかり”
 シエラレオネは、世界最高品質のダイヤモンドがキンバーライトの形で大量に埋蔵されている国である。1991年からの内戦で、1995年、反乱軍が首都へ進撃を開始。それを前にして窮地に陥った政府が、エグゼクティブ・アウトカムズ社を雇った。この段階で、各国大使館は撤収しはじめ、国連、英国、米国とも、シエラレオネ政府の介入要請を拒否した。政府がエグゼクティブ・アウトカムズ社を雇うに際しては、シエラレオネでも系列鉱山会社を持って活動していたブランチ・ヘリテージ社のオーナーが、反政府軍の支配する地域のダイヤモンド採掘権と引き換えにカネを融通したと言われる。エグゼクティブ・アウトカムズ社によって、反政府軍はアッと言う間に蹴散らされた。

 1996年2月の大統領選で当選したカバー大統領は、エグゼクティブ・アウトカムズ社との契約を打ち切り、同社は1997年1月に去ったが、その際、同社はカバー大統領に、100日以内にクーデターが起きるだろうと予告した。同社が去った95日目に実際にクーデターが起きた。大量殺人と略奪が横行したが、鉱山会社の所有地はエグゼクティブ・アウトカムズ社と組んでいる警備保障会社に守られていた。政府と国連の職員はその警備会社に保護を求めたが、一般民衆は放置された。数ヶ月後にカバー大統領がサンドライン・インターナショナル社(ブランチ・ヘリテージ社所有で、エグゼクティブ・アウトカムズ社と連携しているPMF)を雇って政権を取り戻した。結果は、国のいっそうの荒廃と民衆の犠牲と、資源のいっそうの略奪である。著者は、一時であっても秩序を回復したエグゼクティブ・アウトカムズ社の能力を高く評価し、それを有効に活用したいという観点で論じている。しかし、まさに「マッチ・ポンプ」というべきである。
※(注)マッチポンプ:和製語。自分でマッチを擦って火をつけておいて消火ポンプで消す意。自分で起こしたもめごとを鎮めてやると関係者にもちかけて、金品を脅し取ったり利益を得たりすること。(『スーパー大辞林』より)

「解散」と再拡大
 エグゼクティブ・アウトカムズ社は、この他にもウガンダ、ケニヤ、南アフリカ、インドネシア、コンゴ、その他多数の国で活動してきた。しかし、1997年、南アフリカで「外国の軍事補助規制法」が施行され、同社のような民営軍事請負業務を行なう会社が各契約ごとに政府の許可を受けることが義務となった。エグゼクティブ・アウトカムズ社は、南アに本拠を構えていることが不都合になったため、1999年1月1日に解散した。
 しかし、これは全く表向きのものでしかない。同社と関係のあるサンドライン社などがその後も営業を引き継ぎ、また、同社の元社員が新しい会社をいくつも設立した。装いを新たに再拡大したと言うべきである。


(2)軍事戦略・戦術・訓練を売る「軍事コンサルタント会社」――米国国防総省と米軍の民間別働部隊としてのMPRI社――

米軍退役上級将校が設立
 1987年に米軍の元上級将校8人が、ミリタリー・プロフェッショナル・リソーシズ・インコーポレーティッド(MPRI)社を設立した。創業時の23人の社員の軍歴を合計すると700年以上であるという。つまり一人当たり30年以上の軍歴というわけである。「その会社案内にはペンタゴンから近距離にあることが抜け目なく記されていて、親密な関係があることをほのめかしている。」(p.242)

 活動内容は、設立当初は国内的業務にしぼっていたが、次第に国際部門が成長の原動力になっていった。国内的には、軍事訓練の運営、軍学校の管理補助、分析や模擬実験の処理などの米軍の様々な業務を請け負う。国際的には、米国軍が介入を禁じられているところで「米国軍に代わって国際的活動をますます引き受けるように」なり、「米国の外交政策の目標に忠実であることで際立っている」(p.245)。

 売上は、毎年約1億ドルにまで成長した。従業員は、2002年現在12,500人以上が社員予備軍として待機。社員予備軍の95パーセントが元米国陸軍の人間である。退役軍人だけで構成されていることで米国政府と緊密な結びつきをもつ。

米軍の別働部隊=民間延長部門
 MPRI社の活動は、米国政府が議会や大衆の目をのがれて外交政策目標を達成する政策手法として活用されてきた。同社は米軍の単なる民間延長部門なのではないか、といわれている。

 主な活動歴は次の通りである。
・1991年、台湾とスウェーデンの軍隊のために湾岸戦争の教訓のセミナー開催。(はじめての国際請負業務)
・1994-95年、旧ユーゴスラビアで、国務省との契約のもとで45名が国境監視員として勤務。同時期、クロアチア共和国と契約し、軍事訓練を指導。当時、武器禁輸や軍事訓練禁止などで米国が表立って活動するわけにはいかなかった。
・1996年、ボスニア連邦軍の訓練、装備の請負契約を結ぶ。ボスニア軍を強化することについての批判がヨーロッパ諸国から上がる。
・1996年、陸軍が予備役将校訓練隊を民営化。MPRI社がその訓練を引き受ける。
・1997年、訓練教義軍団(TRDOC)と契約。陸軍が戦時の環境において請負業者を獲得、管理する方法のマニュアルを作成。
・中東でサウジアラビア軍の訓練を手がけ、1999年からはクウェートでも活動。
・2000年から、「麻薬対策」として、コロンビア軍の訓練を手がける。実際にはコロンビア政府への軍事的テコ入れ。米国のコロンビアへの内政干渉・軍事介入の肩代わり。しかし、コロンビア軍が不満を表明したため、2001年の期限満了前に打ち切られる。

米国政府(国防総省)=最大手PMF(MPRI社)=軍産複合体(ロッキード社)が結びつく
 2000年、L-3コミュニケーションズ社がMPRI社を買収した。L-3コミュニケーションズ社は、ローラル社とロッキード・マーチン社の派生会社で、軍事訓練業務、通信業務、その関連機器の大手企業である。著者自身は、この結びつきを特別に重要なものとして叙述しているわけではないが、これは非常に重要なものとして注目しなければならない。
 冷戦終結後しばらくは、軍産複合体の大部分は規模縮小と合併を余儀なくされたが、軍事請負業は花盛りだった。この急速に発展しつつあったPMF業界は、TWR社とかノースロップ・グラマン社というような軍産複合体に、公的契約が縮小する時期に利益を維持する手段を提示したのである。軍産複合体トップ企業のロッキード・マーチン社も、軍事民営化の流れの中で、軍事訓練の請負でトップ(市場の18%)を占めていた。しかし、これらはまだ、この業界の一部に軍産複合体が食い込んでいたという状況であった。

 しかし、10年にわたるPMF業界の発展の中で、米国政府と深く結びついた軍産複合体トップ企業が、米国政府と深く結びついた最大手PMFと緊密に結びつき始めたのである。このほかにも、PMFのなかでは老舗とされるヴィネル社(当初は建設会社であったが今ではほとんど完全にPMFとなっている)は、カーライル・グループをオーナー会社とするBMD社の一部門になっている。カーライル・グループは、元米国国務長官ジェームズ・ベーカーや元国防長官フランク・カールッチらが名を連ね、ブッシュ元大統領(父)が顧問を務める投資会社である。このように、政府と軍産複合体と大手PMFとが緊密に結びいて一体化しつつあるのである。


(3)兵站業務で潤う「軍事サポート会社」――土木、エネルギー部門から政商企業として軍事請負業に転じたBRS(ブラウン&ルート・サービシズ)社――

ハリバートン社の子会社として繁栄
 BRS(ブラウン&ルート・サービシズ)社は、1919年に土木建設会社として設立された。1963年、ハリバートン社の子会社となる。1992年、米国陸軍のLOGCAP(兵站民間補強計画)からの契約を落札。米軍が地球規模での計画策定を民間業者に請け負わせたのはこれが最初であった。これ以降、「米軍行くところ、必ずBRS社あり」(p.272)という状況になっていくのである。
 1995年、BRS社はバルカン諸国の戦争にかかわり、飛躍的に拡大する。米国が、BRS社などの軍事サポート会社に兵站を担当させることなしに、大規模な軍事介入を行なうのはもはや不可能なまでになった。
 1996年、石油市場の低調にもかかわらず、ハリバートン社は10年以上もの間で最高の財務成績を収めたが、その原動力は軍事請負会社としての子会社BRS社が飛躍的に発展したことによるボロ儲けにあった。

企業規模ではPMFの中で最大級
 BRS社の社員は約2万人。総売り上げは年間約60億ドル。(これはイラク戦争前で、著者は最新論説でイラク戦争での受注額130億ドルという数値を挙げている。) BRS社の軍事関係の仕事は年間17億ドル(これもイラク戦争前の話)。
 BRS社の軍事サポート活動を含むエンジニアリング・アンド・コントラクション・グループは、KBR(ケロッグ・ブラウン&ルート)社の名でも知られ、ハリバートン社の全収入の40パーセントを稼いだ。親会社の「ハリバートン社は世界的に建設工事とエネルギー関係業務を扱う会社であり、年商160億ドル、世界100カ国に10万の社員を擁する」(p.273)。

露骨なチェイニーとの関係
 1995年、元国務長官ディック・チェイニーが社長兼最高経営責任者(CEO)としてハリバートンに入社。「チェイニーが入社する前の5年間に同社が政府から取りつけた債務保証は1億ドルだったのが、チェイニーの在任期間に、金額は15億ドルに跳ね上がった。」(p.280)。2000年の夏、チェイニーはブッシュの副大統領候補に指名されたため、ハリバートン社を辞任したが、同社の役員会は3,370万ドルを超える気前のいい退職慰労金を贈ることを票決した。

 兵站業務を中心とするこの領域で、BRS社はチェイニーの功績によって独占的地位を獲得していた。しかし、1997年にダインコープ社によってこの独占は打破され、熾烈な競争が行われるようになった。著者は、この書を書いた段階で、それをこう評価していた。「同社が90年代に経験した華々しさをもう一度見ることはなさそうだ。とりわけ、ダインコープ社とかカナダのATフロンテック社のような新しい地球規模の競争相手が参入してきたのだから。」(p.292)と。だが、この評価はイラク戦争によってくつがえされたようである。



[3]多国籍企業とPMF――途上国での資源略奪の先兵・用心棒

危険地帯こそ巨額の利益が上がる「最後のフロンティア」
 多国籍企業にとって、「政治的な高危険度地帯こそ市場拡大の最後のフロンティアである。」(p.168)。ここで言う「政治的な高危険度地帯」というのは、主として豊富な地下資源をもち、それをめぐる紛争が多発している途上国である。「世界のきわめて危険な場所で起きている投資ブームは、同時にPMFの業務にも需要を作りだしている。」(p.169)。
 そこで生じていることは、多国籍企業がPMFを雇って安全保障をカネで買うということである。進出先の途上国では政府も軍も警察も当てにならないことが多い。自国の軍隊に守ってもらうのは、何かと制約が多いし、機動性に欠けることが多い。その点、自前でPMFを雇うのは、カネさえあれば極めて便利なのである。そして途上国ではそれぐらい何でもないほどのボロ儲けができるということである。

 アルジェリアでは、石油企業は活動予算の9%近くを「軍隊式保護」に費やしている。コロンビアでも安全保障費が多国籍企業の総予算の6%を占めている。(ここで著者が挙げている例が期せずして石油に関係していることは注目に値する。コロンビアは南米でベネズエラに次ぐ産油国である。地下資源の中で石油はやはり特別な位置を占めているのである。)
 英国のPMFであるエア・パートナー社が最近始めたという「世界規模の避難支援業務」も興味深い。これは、「多国籍企業の職員をあらゆる紛争の窮地から安全な場所へと連れ出す」(p.170)という業務である。著者はこの後にこう付け加えている。「それは、危機が表面化した際、国外在住者とその家族は、海兵隊が遅滞なく沖合に到着するのを待つ余裕はないということを意味しているのである」と。急場に間に合わないかもしれない自国軍隊の代わりにPMFが用心棒として雇われているということが端的に現れている。

貧困国に「ファウスト的取引」を強要
 エグゼクティブ・アウトカムズ社の例で見たように、軍隊まがいのPMFは、途上国で資源開発企業の用心棒のような役割を果たしている。そして貧困にあえぐ途上国は、「国民全体として将来高い価値の出る資源を短期的難局を逃れるために、余儀なく売り払うことになる」(p.326)のである。著者はこれを「ファウスト的取引」と呼んでいる。先に見たシエラレオネの場合、政府は2億ドルの価値があるダイヤモンド採掘権を1,000ドルと見積もられるサンドライン社の軍事的救済と引き換えにしたという。まさに、将来の結果を考えずに現在の利益のために契約するという意味で、著者の言うように「ファウスト的取引」である。
 しかし、ファウストはメフィストフェレスが巧妙に誘惑したとはいえ自らの主体的意志で取り引きしたのに対して、貧困途上国は、あくどい多国籍企業とPMFにゆすられたかられて「ファウスト的取引」を強要されているのである。

「21世紀の新植民地主義」の先兵
 著者によれば、「数多くの多国籍企業がすでに弱小国家や内紛の地に要塞を築いて、軍事役務提供企業から雇い入れた武装部隊に保護させている。」(p.367)。このような状況を、国連のある特別報道官は「21世紀の多国籍新植民地主義」と表現した。PMFは、その先兵として、また資源を略奪する多国籍企業の用心棒として「活躍」しているのである。
 こうしたPMFと多国籍企業が一体となった資源略奪は、現地の途上国における貧富の差をいっそう拡大し、社会的亀裂をいっそう深めている。



[4]米ソ冷戦の終結とPMFの隆盛−−軍事部門にまで及んだネオリベラリズムの波

 PMFは、1990年代に入って、雨後の竹の子のごとく設立ラッシュを迎えた。そして、90
年代を通じて急速な発展を遂げた。「民営軍事請負業登場という事件の核心にあるのは冷戦の終焉である。」(p.111)。

あふれる元兵士
 冷戦の終結により、全世界的に軍の縮小が生じた。「国家の軍隊は1989年に比べざっと700万人もの兵士を削減した。」その「削減が特に大きかったのは旧共産圏」であったが、「西側列強のほとんどもまた軍の抜本的な削減を行った。」(p.118)
 この大量の元兵士“失業者群”が、PMFにとって従業員を有利な条件で望むだけ確保できる状況をもたらした。

市場にあふれる武器――戦車や戦闘機まで購入できる!――
 冷戦の終結はまた、世界市場に武器をあふれさせた。それまで国家が管理していた大量の武器が市場に放出されたのである。
 「大量の在庫兵器が公開市場に出回った。機関銃、戦車、ジェット戦闘機さえ誰にでも買えるのである。」(p.119)。特に旧社会主義諸国の「兵器の巨大な中古品処分市」ができあがった。例えば、新統一ドイツは東ドイツの武器をほとんどすべてお払い箱にして、市場に放出した。その結果、「現金を潤沢に持っている者なら誰でも、ほとんどどんな武器でもバーゲン価格で売り手を見つけることができる。」(p.120)という状況が現出した。一例を挙げれば、ソ連製主力戦車であるT-55戦車が一台4万ドルで買える。これはSUV(スポーツ多目的車)よりも安価である。

途上国と旧社会主義諸国で国家機構の弱体化と紛争の激増
 冷戦の終結以来、世界中で紛争が激増した。「内戦の勃発数は、冷戦が終わってから2倍になり、1990年代半ばには、中間点たる95年をとっても実に5倍にも増えたのである。紛争地域(すなわち戦争が行われている場所)の概数は、ほぼ2倍になっている。」(p.113)。しかし、それは場所によってかなりな偏りがあった。つまり「西側は平和、他の場所では戦争」である。
 冷戦時に軍事的経済的に大国に依存していた国の多くで、冷戦の終わりごろから内部的破綻が顕在化した。「超大国が撤退し、支えの壁が取り除かれると、現地の支配者は社会的約束に応えることができなくなり、国家機構が麻痺した。」(p.114)のである。

軍事にまで及んだ新自由主義と民営化の波
 新自由主義にもとづく民営化と市場原理の徹底は、1980年代から英国サッチャー政権、米国レーガン政権のもとで始まり、90年代には旧社会主義諸国も含めて全世界的に推し進められた。グローバリゼーションの進展のもとで、民営化と外注化が国家機能の多くをとらえ、ついに軍事にまで及んだ。
 それは、「当初は、データ処理とか健康サービスとか、民間ですでに行っていることを軍が重複してやっているだけの分野で始まった。しかし時の経過とともに、効率をよくするためならいかなる分野も最初から除外するのはまちがいだという気持ちが育っていった。」(p.146)



[5]PMFに対する法規制問題と著者の限界

 以上、本書の興味深い内容をかいつまんで見てきたが、著者の関心と研究内容はもっと広範なものである。たとえば、古代から近代にいたるまでの傭兵の歴史、かつての傭兵とPMFとの異同、PMFとの請負契約における監視の問題、過大請求などを含むボロ儲けの問題、軍にとって不可欠になればなるほど制約・弱点にもなるという矛盾、PMFと国連との関係、国際法とPMF、政治的隠れ蓑として利用される問題、PMFと道徳的退廃、法的規制と管理の問題、等々。これらの諸問題はここでは割愛して、最後に、著者がPMFを肯定して「有効利用」しようと考えている理由とその限界を考察することにする。

 著者がPMFを肯定し、その有効利用を考えようとする理由について、著者自身が語っているところを、少し長いが次に引用する。国連でも働いたことのある著者の主要な関心は、国連の「平和維持介入の領域」にある。
 「現在の国連平和維持システムには深刻な欠陥があり、加盟国が意欲に欠けるためしばしば軍隊が揃わない。軍隊が提供されても、派遣された国連部隊は展開が遅い上に整然とせず、訓練は不十分で、装備も貧しく、攻撃されると無力で、意欲にも毅然たる命令にも欠けていることが多い。」(p.358)
 「それゆえ、アナリストのなかには、PMFの幹部社員の熱心な支持を受けつつ、軍事役務提供企業を新しいタイプの平和維持軍として推す人がいる。彼らの本質的信念は、『民間会社は国連よりも、より速く、より巧妙に、より安価にやれる』ことにある。平和維持の現状について全般的不満のあるなかで、この案を検討せよと唱える人々は次第に増えている。そこには国連の伝統的支持者がたくさんいて、なかには、国連による平和維持作戦の過去の司令官たちや、多数の人権擁護論者がいる。国連平和維持活動の生みの親と考えられているブライアン・アーカート卿さえその一人なのだ。」(p.358-359)
 「エグゼクティブ・アウトカムズ社のシエラレオネにおける経験と多国籍軍の作戦という対照的な例が、この提案のために最もよく引用されるものである。民間企業エグゼクティブ・アウトカムズ社の作戦は、規模と経費の点で国連の作戦の約4パーセントにすぎなかった。さらに重要なことに、民間企業の作戦のほうがはるかに成功だったと一般の人々は考えている。反乱軍をものの数週間で敗北させ、選挙を行えるに十分なまでに国の安定を回復した。国連だと何年もかかる仕事である。」(p.359)
 「民営軍事請負企業は実に幅広い反応を誘発する。その企業としての存在理由は人々や国家の安全保障問題を解決するその能力にある。そのため、一方には、彼らが果たしてきたさまざまな肯定的な機能を指摘する大勢の支持者がいる。多くのPMFが活動する地域、特に役務提供部門の企業が活動する地域は、今日の世界で最悪の暴力がはびこるところが多い。彼らを雇用することが国家や他の顧客の第一選択であることは稀である。彼らは、他のもっと伝統的な選択肢が失敗に終わった欲求不満の果てに選ばれる。国家が国民に安全保障や保護を与えられないとき、そして他の公的な第三者が救いの手を差し伸べる意欲を見せないとき、そんなときでも民間企業という選択肢は絶対に放棄しなければならない、という考えは偽善だと思う。」(p.420-421)

 著者は、反対の意見も含めて幅広く検討しようとして、次のような考察もしている。
 「しかしながら、決定的に重要な問題がある。たとえ企業が国連の活動より有能だとしても、紛争を長期的に解決できるだろうか? 永続する平和への鍵は、正当性の復活であり、とりわけ、公的権威に組織暴力を抑止する力を再び委託することである。不幸なことだが、平和維持が民営化されても、企業は現存の秩序を支える一時的な手段にはなるが、不安定と暴力の底にある原因に取り組むことはしないのである。」(p.365)
 しかし、「にもかかわらず...」というのが著者の基本的な考えである。

 著者がPMFの能力を有効利用できないかと考えるのは、一時でも戦乱をおさめて秩序を回復することによって現地の人々の苦難が軽減されるという、「ヒューマンな観点」からであるようにみえる。だが、そのことと、著者が提案していることが客観的にもつ意味とは別である。「エグゼクティブ・アウトカムズ社のシエラレオネにおける経験」が、「この提案のために最もよく引用されるものである。」と著者が述べているが、この例については既に[2]の(1)で見たように、鉱山会社(ブランチ・ヘリテージ社)とエグゼクティブ・アウトカムズ社やサンドライン社などによる「マッチ・ポンプ」である。
 著者がその多大な能力を高く評価するPMFは、そもそもいかなる存在としてあるのか、ということが問題である。著者自身が紹介している豊富な実例から浮き彫りになってくるのは、PMFが戦争・紛争そのものの元凶のひとつだということである。特に途上国では、資源略奪の先兵であり用心棒である。そのようなPMFが法規制を整備したからといって、「平和に貢献する存在」に変身することなどあり得ない。あるとすればそれは、「次の戦争・紛争」を引き起こす火種を播くためである。

 それでもなお、「にもかかわらず...」という意見を持つ人は多いと思われる。実際多くの人が国連平和維持活動へのPMFの利用を支持していると、著者が紹介していることにもあらわれている。特に「今日の世界で最悪の暴力がはびこるところ」を何とかしたい、という思いがあるのかもしれない。しかし、そこで欠落している観点は、そのような「世界で最悪の暴力がはびこる」原因は誰がつくっているのかということである。第一に責任があるのは、資源を略奪している多国籍企業やそれに雇われているPMF、さらに長い歴史をもつアメリカやヨーロッパなどによる帝国主義的支配に他ならない。したがって、多国籍企業や帝国主義の支配や略奪という根本問題をそのままにして、それが生み出す諸矛盾だけを取り除くことなどできない。仮に、PMFによって「最悪の暴力」を抑え込んだところで、それはせいぜい一時的なものに過ぎず、別の形で矛盾は現れるだけである。

 さらに付け加えれば、PMFが「最悪の暴力」を抑え込み秩序を回復するためにとる手段がいかなるものであるか、ということも見ておかなければならない。著者自身が、エグゼクティブ・アウトカムズ社のアンゴラでのゲリラ掃討のひとこまを次のように紹介している。
 「エグゼクティブ・アウトカムズ社の攻撃ヘリコプターのパイロットが、分厚い天蓋のような密林の上を飛んでいたときに、ゲリラと民間人との識別に苦労していると報告したところ、『皆殺しにせよ』と言われたという。報道は、パイロットは命令に従ったが、そうするように雇われていたからだと述べている。このことは武器の選択に影響するかもしれない。同社はアンゴラ作戦で燃料気化爆弾を使ったことがわかっている。『真空爆弾』の名でも知られているが、燃料気化爆弾の使用はいくつかの国際組織から人権の侵害と見なされている。とりわけ拷問のような苦痛を与えるうえ、無差別に使われがちだからだ。」(p.424)
 この例でもわかるとおり、またこの間イラクで起こったことからもわかるとおり、PMFは非人道的な無差別殺戮を率先して行うことによって、戦争・紛争の残虐さをこれまでになくエスカレートさせてきた張本人なのである。