2008年3月“バスラの戦闘”が明らかにしたもの(その1)
マリキ政府軍の自壊とブッシュ増派戦略の破綻

[1]マリキ政権の歴史的敗北

(1)ブッシュが吹聴していた「イラクの治安回復」「安定化」なるものが全くの虚構であることが全世界の面前にさらけ出された。3月25日に突如始まったイラク政府軍・治安部隊によるサドル師派掃討作戦=「バスラの戦闘」は、完全な失敗、政権側の大敗北に終わった。ブッシュが昨年1月から進めてきたイラク増派戦略の破綻である。イラク情勢は一気に不安定化しようとしている。
 “バスラの戦闘”は、マリキ政権とイラク政府軍・治安部隊が抱えている深刻な問題を明るみに出した。この政権側の大敗北は、バスラでのローカルな戦闘にとどまらない、米のイラク支配にとって、決定的に重要な意味を持っている。米軍の治安権限をイラク政府軍に委譲し、漸次的撤退をめざすという基本戦略自体が、根底から崩されることになった。

(2)ブッシュの「イラク治安回復」は、昨年後半以降暴力や死傷者数が急減していたことを根拠としていた。だがそれはスンニ派部族に対して直接現金を与えて抱き込み「アルカイダ」との戦闘に当たらせ、反米活動を封じ込めるという「増派・覚醒戦略」、そしてサドル師派マハディ軍の一時的な活動停止によってもたらされていたものに過ぎない。米政権内には、これら部族への無節操な金と武器の供給が武装勢力の闘争能力を温存させ、将来の不安定化を促進するという懸念が生じ始めていた。何よりも現場を知る米軍現地司令官らから、楽観論を戒める発言が相次いでいた。いつ崩れるかもしれない極めて不安定なもとで均衡が保たれていたのである。今回の戦闘はまさにそのような最中に起こった。

(3)当初ブッシュは「決定的瞬間が来た」などと事態を楽観視し歓迎する記者会見まで開いていた。だが、米軍は作戦開始からわずか3日後には空爆などでマリキ政権に加勢し、さらにそのまた3日後の30日にはマリキがサドル師からの停戦提案をのまざるを得なくなった。この停戦協議はイランが仲介したとも言われている。
 仮にイラク政府軍がマハディ軍と死闘を繰り広げ、互角に戦った上で停戦に追い込まれたとしたならば、ブッシュにとっても救いはあっただろう。だが、イラク政府軍の中から戦闘を放棄する者、脱走する者、敵に寝返る者、武器を供与する者が続出し、あっという間に戦闘継続不能状態に陥ったのである。あわてた米軍は空爆を開始しマリキ政府の支援に乗り出したが、すでに趨勢は決していた。停戦を受け入れて傷口を広げないようにするのがやっとであった。
 サドル師派が昨年夏の停戦以来人民の中に浸透していたこと、人民に支持されたマハディ軍による反撃があまりに強固であったこと、マハディ軍が求心力を高め兵力を1万人から6万人へと増強していたこと、マリキ政権の無能と無作為の元でサドル師派による食用油や小麦など生活物資の配給、「殉死者」遺族への手厚い保護などによって人心を掌握していたこと等が次々と明かとなった。また、メディアはサドル師派が「闘った方法ではなくやめた方法」に注目し、30日にサドル師が攻撃中止を命じ、ほぼ一日の内に戦闘がやんだその統率力と軍事力を、驚きを持って伝えた。
※How Al-Sadr won in Basra(Time)
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1726763,00.html
 主導権はサドル師の側に移った。サドル師は4月8日に予定してい反米デモをあえて延期して見せた。大規模な戦闘態勢に入るか、沈静させるかが自在であることを見せつけている。


[2]首都バグダッドとイラク占領支配そのものが崩壊の瀬戸際へ

(1)サドル師派マハディ軍はバスラの大部分を掌握していた。バスラの住民がマハディ軍を支持し武器を取って合流し、イラク治安部隊に対して強固な抵抗と反撃で応じた。だが実際はマハディ軍の抵抗の頑固さ以前の問題であった。バスラに動員されたイラク政府軍は、シーア派同胞のマハディ軍と戦うことを拒否して1000人を越す兵士が脱走した。イラク内務省報道官は、400人以上の政府軍兵士らがマハディ軍に兵器を引き渡していたことを明らかにした。その多くがマハディ軍に合流したという。この動きは個々の兵員レベルではなく、連隊レベルでの戦線離脱をも生み出したとされる。マリキ政権は、バスラに動員した政府軍1万5000人、イラク警察1万5000人計3万人の治安部隊そのものが瓦解する危機に直面したのだ。
※Thousands of police officers who refused to fight Sadr are given the sackュ(Azzaman.com)
http://www.azzaman.com/english/index.asp?fname=news/2008-03-31/kurd.htm
 イラク兵の脱走、寝返り、投降、合流は、断片的な記事を寄せ集めても相当数に登ったことがわかる。軍隊と警察の数割が戦列を離れて敵に付いたとなると、組織として崩壊状態に陥ったことになる。上の記事は、バグダッドで数千人のイラク警察官がサドル師と戦火を交えることを拒否したこと、少なくともイラク軍の2連隊が武器を持ってマハディ軍に合流したこと、バスラではさらに多くの兵員がマハディ軍の側についたことを報じている。イラク内務省は、サドル師派との闘いを拒否した警察官や将校の解雇を命じたが、その数は数千人に上るという。しかも、解雇された彼らは、マハディ軍に合流する以外に選択はないだろうと分析している。

(2)さらにバスラでの戦闘の劣勢だけではない。バスラの戦闘が、首都バグダッド、ナジャフ、クートなどのシーア派地域、さらには北西部のスンニ派地域のティクリートまで飛び火した。
 とりわけバグダッドでは27日、数万人、十数万人といわれるサドル師支持者が抗議行動を展開し首相の辞任を要求した。マリキ当局は、バグダッドに3日間の夜間外出禁止令を発令した。その中で米軍の安全地帯グリーンゾーンに対してロケット弾が打ち込まれた。バグダッドの要衝が次々にマハディ軍の手に落ちていった。一部では激しい戦闘が行われたが、一発の銃声もなくイラク治安部隊が検問所をマハディ軍に明け渡す事態に直面した。サドルシティーでは警察部隊がマハディ軍の集中砲火を浴びた際、近くにいた別部隊の指揮官が支援を拒否したうえ、敵側に投降したという。要するにこのまま戦闘を継続すれば、首都バグダッドさえサドル師派の手に落ちる危機に直面したのである。
※Areas of Baghdad fall to militias as Iraqi Army falters in Basra(Timesonline イラク軍がバスラでもたついている間に、バグダッドの地域が次々と民兵の手に落ちる。)
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/iraq/article3631718.ece

(3)バスラの戦闘のイラク全土への波及、とりわけバグダッドとの連動は、イラク人民のマリキ政権への蓄積されていた不満と怒りが、バスラの事態を契機に爆発する可能性が生まれたことを意味する。とりわけ宗派分断支配のためにバグダッド各所で建設されている巨大なコンクリートの分離壁によって都市機能はマヒ、生活基盤の崩壊のもとで人々の生活は極度に悪化していた。アムネスティが「イラクの人権状況は壊滅的」との報告を出すなど、国連機関や人権団体も開戦以来最悪の状態にある市民の生活状態について警告を発していた。生活を破壊するマリキ政権に対する怒りが極限に達し、武装闘争支援へと向かわせたのである。


[3]バスラの石油支配の奪還を目的とした掃討作戦

(1)問題はなぜ今の時期に、マリキ政権がこのような形で賭に出たのかである。アメリカが1年以上にわたって演出してきた「治安回復」の「成果」を一夜で水泡に帰すような愚行をなぜしたのかという問題だ。
 サドル師派が長期の停戦によって分裂・内紛の危機にあると言われていたことから、マリキはそこにつけ込んで勝負をかけたとも言われている。10月の地方議会選に向けて、一気にたたきつぶすことでサドル師の影響力を削ごうとしたとも言われている。その背景には、政権から離脱したサドル師派にかわってマリキ政権を支える「イラク・イスラム最高評議会」のハキム師の強い意向があるとも言われている。
 だが、より根底にあるのはイラクの石油問題である。バスラは単なる一地方都市ではない。有数の石油産出地域であり、イラクの石油の実に6〜8割がバスラ港を通じて輸出されている。イラクの石油は、アメリカの侵略戦争の最大の目的の一つであるとともに、マリキ政権の生命線でもある。今年の480億ドルの国家予算の収入の90パーセント以上は、石油輸出からのものだという。石油の支配と権益をサドル師派から奪取するために賭に出た可能性が高い。事実、政権にとって10月の地方議会選挙での勝利による連邦政府樹立と石油法の成立はワンセットである。

(2)実は3月にはいって、アメリカでは、「テロリストによるイラクの石油密輸」非難キャンペーンが張られていた。ニューヨークタイムスは3月15日「盗まれた石油の利益はイラクの反政府勢力を勢いづかせている」(3月15日)という長大な記事を掲載した。他ならぬペンタゴン情報として、バジリ(バグダッド北部のイラク最大の精油所)の生産の70%が毎年闇市場に消えており、その利益の半分は反政府勢力が得ている等々の内容である。そのような中でチェイニーは3月17日に突然イラクを訪問した。何が話し合われたのかは定かでないが、マリキに対して石油法と石油密輸問題の解決を迫った可能性は十分ある。さらに23日には、石油密輸出入者として逮捕すべき200人のリストが米政府によって作成された。そこには、バスラ州の知事の兄弟や、マハディ軍の数人の幹部を含んでいるという。そして25日、掃討作戦を開始する際マリキは「一番悪いと思っていたアルカイダよりもっとひどい連中が身内にいる」と語った。あたかも、「アルカイダ」かどうかは問題ではない、石油を盗んでいるかどうかが問題だとうような言い方であった。
※Stolen oil profits are helping to keep the insurgency running, according to Sunday's report.(ニューヨークタイムス)
http://www.nytimes.com/2008/03/16/world/middleeast/16insurgent.html?_r=1&oref=slogin
※Basra Strike Against Shiite Militias Also About Oil(クリスチャンサイエンスモニター)
http://www.csmonitor.com/2008/0409/p01s03-wome.html

(3)これら一連の動きを見れば、アメリカによって石油問題の解決を迫られたマリキが、バスラを実効支配するサドル師派を、サドル師派の分裂・内紛という情報に乗じて一気にたたきつぶそうとしたと見るのが自然である。
 一方イラクでは、イラクの石油を外国資本が略奪するための法律=石油法の決着が大詰めを迎えている。2月29日にはイラクのシハリスタニ石油相が、ロイヤル・ダッチ・シェルやエクソンモービル、BPなど国際石油資本との技術支援契約交渉が最終段階に入っている事実を明らかにした。石油省は、国際石油資本との合意締結を急ぐためにも、石油法の制定に進もうとしている。だがこの石油法は、イラク政府と外国資本との権益の配分を取り決める「生産分与協定(PSA)」を巡って利害対立が続いている。また中央政府の動きとは裏腹に、北部油田はクルド自治政府が勝手に外国資本と独自の覚え書きを結ぶ動きをみせはじめた。南部はサドル師派の支配下にある。さらにスンニ派地域の西部にも新たなガス・油田が発見されたと言われることからスンニ派「覚醒評議会」が利権がらみで動きを活発化させ始めた。石油問題は極まった状況に至っていたのである。
※Forbidden fields: Oil groups circle the prize of Iraq’s vast reserves(フィナンシャルタイムス)
http://www.ft.com/cms/s/0/5b24f674-f5e6-11dc-8d3d-000077b07658.html?nclick_check=1
※Iraqi Sunni Lands Show New Oil and Gas Promise(ニューヨークタイムス)
http://www.nytimes.com/2007/02/19/world/middleeast/19oilfields.html
 すでに、ブッシュはトルコ軍によるクルド自治区への執拗な越境攻撃への支援を表明している。マリキは、南部の石油の要衝バスラのサドル師派支配をなんとしても覆すよう迫られて、掃討作戦に踏み出したというのが真相ではないだろうか。

(4)従って今回の戦闘をシーア派の内紛などと見るのは誤りである。石油利権をめぐる、権力による軍事弾圧とそれに対する人民の抵抗闘争という基本性格を見なければならない。さらに言えば、鮮明な反米を掲げるサドル師に対する人民の支持が急拡大する一方、サドル師派が閣僚を引き揚げたことによってマリキが依拠せざるを得なくなったイラク革命評議会の力が弱体化し、対米従属のマリキが文字通り裸の王様になっていったということだ。その意味で、対立の軸は、反米か親米かなのである。
※Shia Intifada The Rise of Muqtada al-Sadr(Counterpunch)
http://www.counterpunch.org/smith04102008.html
 この記事は、2003年3月の米軍侵略に際して、シーア派組織イラク革命評議会(SCIRI)やダウア党などが米軍の受け入れ・順応の姿勢を直ちに示したのに対して、サドル師派はそれを拒否したことからとりわけ貧困層での人気が高まっていったこと、そして2006年2月の「アスカリ聖廟」爆破事件を契機に、バグダッドの闘いで市の半分とシーア派近隣地域の80%を支配するまでになったことなど、サドル師派の勢力拡大を歴史的に検証している。
 「ナジャフの戦い」、「アスカリ聖廟」爆破事件をめぐる情勢などについては以下を参照。
2004年8月:“ナジャフの戦い”の政治的・軍事的意味(署名事務局)
イラク戦争開戦3周年にあたって−−ブッシュ政権:腐敗とスキャンダル、イラク占領支配の最後的行き詰まりと末期症状(署名事務局)


[4]ブッシュの増派戦略の破綻 米軍は今すぐ撤退すべき

(1)ブッシュ大統領は4月10日、イラク駐留米軍について、約3万人の増派部隊の撤退は行うものの、追加撤退は見り兵力14万人体制を維持することを明言した。イラク駐留米軍のペトレアス司令官の提言を受け入れたものである。
※Bush won't order new Iraq troop drawdowns(Msn)
http://www.msnbc.msn.com/id/24034202/
 今回の事件を契機に、米メディアの論調は、撤退慎重へと大きく傾いた。米軍がいま撤退すればイラクはカオスに陥る、マリキ政権だけではイラクの治安は維持できない等々。2006年秋に、軍事一辺倒から政治・外交重視への転換と08年からの米軍の漸次的撤退を要求したイラク研究グループ(ISG、ベーカー・ハミルトン報告)に近い部分も「昨年よりもゴールに近づいているとはいえない」として、今回は撤退の要求を控えるまでになった。
※Report:US No Closer to Achieving Its Goals in Iraq Than It Was Year Ago(AP)
http://ap.google.com/article/ALeqM5jtt1wEGUxFUfwG_9vziyFmtQItMwD8VSGV700
 また、新たな危険性を指摘する声もでている。米が一年にわたって養成してきた8万人に登るスンニ派の覚醒評議会とシーア派民兵主体のイラク治安部隊との間の緊張が高まる危険性である。すでに今年に入って、ディヤラ県の覚醒評議会の民兵ら3500人が、シーア派のイラク警察署長の辞任を求めてデモをするという事態も生じている。緊張が高まるのは不可避である。
※Tense Truce Between Awakening Groups and Iraqi Government(Ahmed Ali and Dahr Jamail/Antiwar.com)
http://www.antiwar.com/ips/aali.php?articleid=12662

(2)今回の事件が明らかにしたのは、結局ブッシュの狙いは埋蔵量世界第3位のイラクの石油であること、これをアメリカと石油メジャーの好き放題にするために、イラクに18万人もの兵力を駐留し、宗派と民族を分断支配し、傀儡政権を作り、人々を殺戮し、膨大な難民を作り出し、また自国の若者を戦死させているという事実である。詰まるところ混乱と対立を生み出しているのは、アメリカの占領支配なのである。
 ブッシュの増派によって明らかに事態は悪化した。3月にはいって、イラクでの暴力と犠牲者が再び増加し始めた。国連筋によると今回の戦闘だけで、少なく見積もっても700人が殺され、1500人が負傷した。停戦以降も米軍はサドルシティを攻撃し、罪のない人々を殺し続けている。戦略が完全に破綻した元で、腹いせであるかのように空爆と殺りくだけをむやみに繰り返しているのだ。
※Iraqi deaths spike in March(CNN)
http://www.cnn.com/2008/WORLD/meast/04/01/iraq.main/
※UN says 700 killed in Iraq Shiite clashes(AFP)
http://news.yahoo.com/s/afp/20080404/wl_mideast_afp/iraqunrestbasraun_080404114115
※WRAPUP 7-Baghdad violence spirals higher despite clampdown(Wiredispatch)
http://wiredispatch.com/news/?id=121359
 すでに開戦以来100万人を越えるイラク市民が殺され、400万人とも600万人ともいわれる難民・避難民が放り出され、米兵の犠牲者も4000人を超えた。根拠のないでっち上げの侵略戦争は今も甚大な犠牲を生み出し続けている。米軍は今すぐ攻撃を中止すべきである。

(3)イラク駐留米軍の撤退先送りが、米軍のローテーション危機を改めて焦点化するのは間違いない。貧困層や移民、マイノリティの若者たちを戦地に送り込んできた「隠れた徴兵制システム」=格差、差別、貧困、医療・社会保障の切り捨て等々=に対する闘いはますます激烈なものにならざるを得ない。また、サブプライム危機を発端とする深刻な金融・経済危機は、巨額の戦費問題を浮上させている。すでに戦費は日本の国家予算に匹敵する7500億ドル(75兆円)が費やされている。帰還兵たちの失業対策やPTSDをはじめとする身体的精神的障害のケアと保障のための財政負担など、「戦争国家」にのしかかる広範な戦争経費の問題は深刻である。
 イラクの石油の確保、中東での恒久的軍事基地の建設を至上命題にした上で、面倒な治安活動はイラク政府に任せ、米軍は漸次的撤退をめざすという虫のいい考えは、程度の差こそあれ、民主党・共和党で共通している。彼らが恐れているのは、治安悪化一般ではない。米軍が撤退してイラク情勢が米のコントロール不能になり、石油利権をものにできないことだ。だが、このような帝国主義的覇権主義、植民地支配と占領支配の関心にとらわれている限り「出口戦略」など存在しない。イラクの石油はイラク人民のものである。イラクの政治はイラク人民が決める。アメリカは即時無条件にイラクから撤退すべきである。

2008年4月12日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局