イラクの医師たちは、ファルージャでの戦争の日々の後、力なく見守る
Iraqi doctors watch helplessly after days of war in Fallujah

海兵隊による武装レジスタンスの弾圧は市の中心的な病院を閉鎖させた。

AFP通信/デイリー・スター 2004年4月20日
http://dailystar.com.lb/article.asp?edition_id=10&categ_id=2&article_id=2494

イラク、ファルージャ発:ヨルダンの病院(白い移動式住宅の崩壊寸前の寄せ集め)がちょうど、包囲され銃撃の傷跡がついた家や工場の建ち並ぶファルージャの東部出口を越えた場所に位置している。

その30台のベッドは、1年以上前に米国がこの国への侵略を開始して以降イラクで起きた最も大きな軍事攻撃の1つの間、十分に利用されることはなかった。

紛争が続くこの2週間に医者が実行した少数の手術は、ファルージャの北西境界に位置する市内の主要な総合病院とは著しく対照的である。

米海兵隊がイラクのレジスタンスの拠点と見なし、2週間前に強力な弾圧を開始したその一環として市街を封鎖した数日後、総合病院は閉鎖状態となった。

その包囲された人口約300,000のコミュニティーで発生した負傷者の大半は、ファルージャ内に4ケ所ある小さなクリニックか、あるいは赤新月社の印をつけた救急車両に乗って海兵隊の前線を少なくとも1日で3回も横断してバクダッドに運ばれるかであった。

米連合当局も、衝突で負傷した人々に治療を保証する緊急の必要性を認めている。海兵隊の将校らは、蜂起した者たちが民家から兵士を攻撃するかもしれないと考え、一般市民を十字砲火の下に閉じ込めている。

連合の言い分では、医療救援は、反政府運動家が武器や兵士らをファルージャ周辺に輸送するために救急車両をハイジャックする事によってもひどく妨害されている、という。

続いてのハイ・レベルでの休戦に関する話し合いは金曜日と土曜日であり、海兵隊はファルージャの総合病院が再開できるように兵士らの再配置を行っている。

米主導の連合軍の意思表示は、地方の当局者が戦闘開始以来で数百人はいると見積もっている市内の死者及び負傷者に対する医療手当てが劇的に改善されることを意味する。

ヨルダンの病院スタッフは流血の事態が展開するのを見てきた。ファルージャのすぐ外に設備を持っているにもかかわらず、そこへ患者を運べず手をこまねいている事に失望を感じながら。

「私たちのサービスが求められているが、ほとんど何もできない。ファルージャからほんの数キロしかないのに、私たちは彼らを助ける事ができないんだ」とサミル・スマディ医師は金曜日に話をした。

米軍はヨルダンの病院への通行を許可すると約束しているが、いつ銃撃戦が勃発するとも分からないファルージャの街頭を通行するには多大な恐れが残ったままとなっている。

昨年4月にヨルダン政府が開設した病院に運び込まれた負傷者の大半は、先週激しい戦闘の現場となったカルナを含むスンニ派イスラム教徒の都市の周辺村落から来ている。

海兵隊がファルージャから6人の負傷者を病院まで運んできている。
背中に榴散弾による傷を受けた3歳の少年がそこで死んだ、とアフマッド・ザワヒリ医師は話した。

エジプト人運転手が榴散弾傷を臀部に負った、と彼は付け加えた。

スタッフは、厳しい褐色の砂漠に、別々の敷地に二人の男性を埋葬している。

一人は70歳の男性で、口に榴散弾の破片を受けて殺された;もう一人は身元不明の死体で、打撲と手足にロープで縛られた跡があった。これは米兵らが降ろしていったものだ、とザワヒリと病院医師のヒシャム・アル−ファロウリ大佐は述べた。

ファロウリ大佐は、この25歳の男性の死んだ状況は知らないし、米海兵隊員らもなんら事件の記録を持っていなかった、と話している。

最後の戦闘が続く間に40人の患者が病院に運ばれてきた。戦闘自体は連合当局と地方のリーダーが恒久的な停戦のための会合をするため、週末には沈静化した。

負傷者のうち約35人は榴散弾や弾丸による傷を負っていた。病院は市内のクリニックへ血液を600パイント送った、とザワヒリ医師は話す。

病院はまた近くの米軍の検問所を目標にした夜間の迫撃砲弾を耐え忍んでいる、とファロウリは述べた。2つのロケット砲弾が木曜の夜、病院の女性病棟に命中し、医師が1名ひどく負傷した。

金曜には彼は下腹部を血に覆われた白く包帯を巻き、点滴を受けながら寝ている。

「こんな状況下で働くのは難しい」とザワヒリ医師は、 ほとんどが空の病院のベッドが連なる中で言った。

AFP通信 ネッド・パーカー記事




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