「地獄だ…。みんな壊される」
'It's hell…everything will be destroyed'
軍はファルージャ停戦に違反していると非難される

ルーク・ハーディング ガーディアン紙 2004年4月30日
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1206705,00.html

米軍のジェット戦闘機による空爆から二晩たち、アフマッド一家は満腹だった。水曜の午前7時、ファドヒル・アフマッドは妻と子供達をシボレーに乗せる前に、平たいパンの最後の一切れを口にした。

一家はファルージャを出発し、ほこりだらけの舗装されていない道を下った。道路はガラガラだった。米兵を避けようとして、アフマッドは米軍のバリケードに衝突した。近郊の村で寝なければならなかった。

約24時間後、アフマッドはバグダッドにたどり着いた。道のそばのサッカー場にイラク赤十字が建てた難民キャンプに到着してすぐに、アフマッドは「そこは地獄だよ」と述べた。

「米兵は停戦に違反している。彼らはジェット戦闘機、戦車、大砲で私達を攻撃している。米軍の狙撃兵がどの屋根と尖塔にもいる。奴等は誰を撃とうが気にしないんだ。老人を撃ち、女性と子供を撃っている。国連は一体何しているんだ?」

空爆と狙撃が続いた後、アフマッドと他の難民が、米軍が提案したサダム・フセイン政権下で将軍だった者の一人が指揮する1100人の強化されたイラク軍が安全を保障するという新たな停戦に懐疑的なのも驚きではない。「ファルージャに戻るまでに全てが破壊されるだろう」とアフマッドは言った。その間、ファルージャでまだ動けないでいる全住民の状態は地獄のようだった。

昨日の朝に街を出発した30歳のアブ・モハンマドは言った。「電気が無い。水が無い。食料供給が全く無い」。彼はファルージャで米軍の戦闘機とヘリがこの3日間、市民の居住区を標的として砲撃を加えていたと証言した。

「奴等は市民を爆殺している。私がそこを出発しようとしたとき、脱出しようとしている女性が2人いた。アメリカの狙撃兵は彼女達を射殺した。彼女達の死体はジュムフリヤの道端にまだ野ざらしのままだ。その道は閑散としていた。地区全体が爆撃された。銃撃や砲撃の音が絶えず、いつも救急車のサイレンが鳴り響いていた。」

米軍はアメリカ人のセキュリティ要員4人が殺されて切断されて以来、ファルージャでの包囲攻撃を3週間以上前から始めた。ブッシュ政権の報道官は街の中の犠牲者を外国人戦士かサダム・フセインの狂信的支持者に仕立てようとしている。水曜日にはトニー・ブレア首相が彼らを前政権分子と外部のテロリストと表現した。

しかしながら昨日、ファルージャ犠牲者らはブレア首相の主張を理解できなかった。犠牲者はテロリストではなくイラク人であり、彼らは前政権を支持せず単にアメリカの占領に対して愛国戦争を闘っているだけだ。妻と6人の子供達と避難してきたモハメッドは、「闘っている人々は地元民だ」と証言した。「彼らはサダムの支持者ではない。」

他には、米兵は、居住地域ではなく戦場用の武力を無差別で過剰に行使することで、バグダッド西のスンニ派都市で問題を引き起こしていると不満を述べる者もいた。「情けなんてない」と56歳のサミ・サブリは言った。彼は1週間前にキャンプにやってきた。彼の2人の従兄弟、22歳のカリフ・アリと19歳のイッサム・シェーカーは米軍狙撃兵に射殺された。

「彼らのしたことは、自分の家のドアを開けただけだった。彼らは家から離れようとした。米兵は彼らを殺した。私達はカリフの体を運び、サッカー場に埋めた。正葬は行わなかった。私達はただ彼を墓に埋めただけでバグダッドを発った。」

彼は今、米兵をどう思っただろう?「皆殺しにしてやりたい」、と彼は言った。

ファルージャが孤立する中で仲介を試みてきたイスラム聖職者協会の広報官であるムトハナ・ハリス・アルダリ博士は、連合軍の街に対する状況分析は根本的に間違っていると述べた。

アルダリ博士は街中にサダム支持者がいる可能性を認めたが、その数は「100より多くなく」、米軍に逆らうなどできないと彼は指摘した。「これはイスラムの原理に基づいた広範で全人民的な反乱なのです」。さらに彼は、サダム支持者が全くいないシーア派地域ナジャフの南部の都市でも同じ様な反乱があることを付け加えた。

昨日、イラク赤十字からのボランティアがアルカドラ・キャンプにさらに25のテントを建てた。そこは今、ファルージャの100の家族の家になっている。2番目のキャンプも計画中だ。

避難民は1日に3食与えられ、子供は地元の学校で教育を受けていたと広報官のアブドゥール・カリムは述べた。アフマッドは車のトランクに子供を座らせて一家13人と共にファルージャを逃れてきた。彼は昨日、イギリスに対して長きに渡って恨みを抱いていると認めた。イギリスは第二次世界大戦中の1941年に彼の兄を殺した、と彼は言った。

イギリス軍はかつてのドイツ政府を倒すために2度に渡って国を侵略した。「私は兄とファルージャ近郊の砂漠を歩いて横断しているとき、イギリスの飛行機に攻撃されました。私達はただの子供でした。飛行機は飛んできて兄を空から撃ちました。それも恐ろしい占領です。」




    ファルージャの大虐殺を今すぐ中止せよ!