■  翻訳資料  ■
2001年9月11日、米国でのテロ残虐行為の責任者

(イギリス政府発表)

<翻訳>
星川 淳さん(作家・翻訳家/屋久島環境政策研究所)
枝廣淳子さん(環境ジャーナリスト)

<原文>
http://www.pm.gov.uk/news.asp?NewsId=2686


    本文書は、法廷においてオサマ・ビンラディンに対する起訴可能な申し立てを提供することを目的としたものではない。証拠能力に関する厳格なルールおよび諜報源の安全を保護する必要から、諜報を証拠として用いることができない場合がよくある。しかし、入手可能なあらゆる情報をもとに、英国政府は、本文書に表明されたその結論を確信している。

<はじめに>

1. 政府の到達した明らかな結論は:

・オサマ・ビンラディンと、彼が率いるテロリスト・ネットワークであるアルカイダは、2001年9月11日の残虐行為を計画し、遂行した。

・オサマ・ビンラディンとアルカイダは、さらなる残虐行為を実行する意志と資源を保持している。

・英国および英国民は、標的となる可能性がある。

・オサマ・ビンラディンとアルカイダは、タリバン政権との緊密な連携があるために、これらの残虐行為を行うことができた。タリバン政権は彼らを罰せず、そのテロ行動の追求を行わせた。

2. 1998年およびUSS Cole 号に関する情報は、起訴状および諜報筋からのものである。9月11日に関する情報は、諜報筋および今日までの犯罪捜査からのものである。詳細を提示することができない点がいくつかあるが、諜報筋から事実は明確である。

3. 諜報源を保護する継続的および絶対的な必要性に鑑みて、本文書には英国政府の知るところとなった情報のすべてが含まれているわけではない。

< 要約>

4. 関連のある事実の示すところは以下のとおりである。

● 背景

・アルカイダは、グローバルなネットワークにつながりを持つテロリスト組織であり、10年以上にわたって存在してきた。この組織を設立し、終始導いてきたのは、オサマ・ビンラディンである。

・オサマ・ビンラディンとアルカイダは、米国およびその同盟国に対するジハードを行ってきた。彼らが表明した目的のひとつは、米国民の殺害であり、米国の同盟国への攻撃である。

・オサマ・ビンラディンとアルカイダは、1996年からアフガニスタンに本拠地を置いているが、世界中に軍事行動ネットワークを有している。このネットワークには、訓練キャンプ、倉庫、通信施設、およびその活動を支えるための巨額の資金を集めるための商業事業が含まれる。この活動は、アフガニスタンからの大規模な不法麻薬貿易を含む。

・オサマ・ビンラディンとアルカイダおよびタリバン政権は、相互に依存する緊密な同盟である。オサマ・ビンラディンとアルカイダは、タリバン政権に対し物質的・財政的・軍事的支援を提供している。彼らは連帯して麻薬貿易に携わっている。タリバン政権はビンラディンに対し、彼のテロリスト訓練キャンプやアフガニスタンからの活動を行うことを許し、外界からの攻撃から彼を保護し、その麻薬の貯蔵を保護している。オサマ・ビンラディンは、タリバン政権の同盟と支援なしには、そのテロ活動を行うことはできないだろう。タリバンの強さは、オサマ・ビンラディンの軍事的・財政的支援がなければひどく弱体化するであろう。

・オサマ・ビンラディンとアルカイダは、大規模なテロ攻撃を実行する能力を有している。

・オサマ・ビンラディンは、18名が死亡した1993年10月のソマリアでの米国兵士への攻撃、224人が死亡し、5000人近くが負傷した1998年8月のケニアとタンザニアでの米国大使館への攻撃の犯行を主張している。また、17人の乗組員が死亡し、40人が負傷した2000年10月12日のUSS Cole号への攻撃につながりがあった。

・彼らはテロの武器として使うために、核物質および化学物質を入手しようとしてきた。

● 9月11日のテロ攻撃との関連

5. 9月11日のあと比較的最近になって、ビンラディンが米国に対し大きな攻撃を仕掛けるつもりだと示唆していたことがわかった。9月11日のテロ攻撃の詳細な計画は、オサマ・ビンラディンの側近の一人が行った。2001年9月11日に関与した19人のハイジャッカーのうち、少なくとも3人はアルカイダとのつながりがあることがすでに立証されている。2001年9月11日の攻撃は、オサマ・ビンラディンとアルカイダが行ったこれ以前の攻撃に、その野望や意図された影響が似ており、共通する特徴を有するものでもあった。特に、

・自爆攻撃者
・同日に調整した攻撃
・最大の米国人犠牲者をもたらすという目的
・イスラム教徒も含め、その他の犠牲者をまったく気にしていないこと
・細部にわたる長期的な計画策定
・警告がないこと

6. アルカイダは、米国および英国を含むその同盟国に対し、さらなる攻撃を行う能力と意志を保持している。

7. アルカイダは、テロ攻撃の警告を発しない。

<事実>

● オサマ・ビンラディンとアルカイダ

8. 1989年に、オサマ・ビンラディンと他の人々は、「アルカイダ」(基地)という国際的なテロリストグループを創設した。つねに、彼がアルカイダのリーダーであった。

9.1989年から1991年まで、オサマ・ビンラディンはアフガニスタンおよびパキスタンの ペシャワールを本拠地としていた。1991年に、彼はスーダンに移り、そこに1996年までいた。その年に、彼はアフガニスタンに戻り、そこにとどまっている。

● タリバン政権

10. タリバンは1990年代初めに、パキスタンのアフガン難民キャンプから台頭した。1996年までに、彼らはカブールの支配権を握った。彼らはいまなお、アフガニスタン全域を制御するための血みどろの内戦を行っている。彼らの指導者は、ムラー・オマール(オマール師)である。

11. 1996年に、オサマ・ビンラディンはアフガニスタンに戻った。彼はオマール師と緊密な関係を構築し、タリバンへの支援を展開した。オサマ・ビンラディンとタリバン政権は、お互いの存在をお互いに依存している緊密な同盟関係にある。また両者は、同じ宗教的価値とビジョンを共有している。

12. オサマ・ビンラディンはタリバン政権に対し、北部同盟と闘うための軍隊、武器、および資金を提供してきた。彼はタリバン軍の訓練、計画策定および作戦に緊密に関与している。彼は、タリバン軍の命令系統に代表を有している。また、彼は社会基盤整備と人道上の援助を与えてきた。オサマ・ビンラディンのコントロールする勢力はアフガン内戦において、タリバンといっしょに戦ってきた。

13. オマールは、ビンラディンに対し、行動するための安全な聖域を提供し、アフガニスタンにテロリスト訓練キャンプを築くことを許してきた。彼らは共同で、アフガニスタンの麻薬貿易を搾取している。積極的なアルカイダの支援の見返りとして、タリバンはアルカイダに、テロ行動の計画策定や訓練、準備を含め、自由に行動することを許している。さらに、タリバンは麻薬の貯蔵の防護を提供している。

14. タリバンがカブールを制圧した1996年以来、米国政府は彼らとの話し合いの場で一貫して、人道的援助やテロリズムを含め、ありとあらゆる課題を持ち出していた。2001年9月11日よりかなりまえに、彼らはタリバンに対し、東アフリカでのテロ攻撃はアルカイダの責任であるという証拠を提示していた。この証拠は、タリバンの上級指導者に対し、彼らの求めに応じて提示されたものである。

15. 米国政府はタリバン政権に対し、アルカイダが米国市民を殺害し、さらなる殺害を計画していることを明らかにした。米国はアフガニスタンからテロリストを追放するために、タリバンと協力するという申し出をした。これらの話し合いは1996年以来継続されてきたが、何らかの結果を生み出すことはできていない。

16. 2001年6月、アルカイダの脅威を示す証拠が増す中で、米国はタリバンに対し、米国には自らを防衛する権利があり、アフガニスタンが庇護しているテロリストによる米国民への攻撃は同政権の責任となるだろうと警告した。

17. ここにおいて、米国は国連の支持を有していた。安全保障理事会は、第1267号決議において、国際的なテロリズムを後援し、テロリストキャンプのネットワークを運営していることに対してオサマ・ビンラディンを非難し、タリバンに対し、オサマ・ビンラディンを法に照らして処断することができるよう、さらなる遅れなしに引き渡すよう、求めた。

18. 1998年の東アフリカ爆撃はオサマ・ビンラディンとアルカイダの責任であるとする米国が提示した証拠にも関わらず、さらなる残虐行為の脅威が明確に認識されるにも関わらず、また、国連の要求にも関わらず、タリバン政権は、オサマ・ビンラディンに対する証拠はひとつもない、彼もそのネットワークも追放されることはない、と反応した。

19.アフガニスタンの元政府役人は、タリバンとオサマ・ビンラディンは「ひとつの硬貨の両面である。オサマはタリバンなしにはアフガニスタンに存在することができないし、タリバンはオサマなしには存在し得ない」と述べている。

● アルカイダ

20. アルカイダは、武力と暴力でイスラム諸国の「非イスラム」政府に対抗することに熱意を燃やしている。

21. アルカイダは、憎しみを持って米国に対抗している。オサマ・ビンラディンは、これ以上ないほど明白な言葉で、米国市民を殺害するよう、自分の部下たちを促し、扇動してきた。

22. 1996年10月12日、彼は以下のようなジハード宣言を出した。
“イスラムの民は、ユダヤ人と十字軍の同盟やその協力者の押しつける侵略や不正行為、不法行為に苦しんできた. . .

ジハードを戦い、この地をこれら十字軍占領者から清めることは、いまや、アラビア半島のあらゆる部族に課せられた義務である。彼らの富は、彼らを殺す者への戦利品である。

我がイスラム教徒の兄弟よ。パレスチナと、二つの聖地をもつ地(サウジアラビア)のあなたの兄弟たちは、あなたの助けを求め、敵――米国人とイスラエル人――との戦いに参加するよう、あなたに求めている。彼らは、聖なるイスラムの地から敵を追放するために、あなたにできることを何でも行うよう、求めている”

同年後半に、彼はこのように述べた。

“(イスラムの聖地の)米国人占領者をテロの恐怖に陥れることは、宗教的また論理的な義務である。”

1998年2月、彼は、すべてのイスラム教徒に対する命令を含む 「ファトワ」を出し、署名した。

“. . . 米国人及びその非軍事・軍事同盟者の殺害は、Al Aqsa モスクが彼らの掌握から解放され、彼らの軍がイスラムの地を離れるまで、あらゆるイスラム教徒にとって、どの国にいても、実行しなくてはならない宗教的義務である。”

同じ「ファトワ」の中で、彼は、イスラム教の学者やその指導者、その若手に対して、以下のことを求めた。

“サタン(大悪魔)の米国兵士に攻撃を仕掛ける.”

そして、以下のように結んでいる。

“我々は −神の助けを得て− 、神を信じ、神の秩序に従って報いられることを望むあらゆるイスラム教徒に、いつどこであっても見つけ次第、米国人を殺し、その金を略奪することを求める。我々はイスラム教徒に対して・・・サタンの米軍と悪魔の彼らの味方を襲い、彼らの背後にいる者を追い払うよう、求める。”

1998年に、化学兵器または核兵器の入手に関して質問を受けた際、彼は以下のように答えた。

“イスラム教徒の防衛のために、そのような武器を入手することは、宗教的な義務である。”

アルジャジーラ(カタールのドーハ)テレビで放映されたインタビューで、彼はこのように述べた。

“我々の敵は、直接戦っていようと、税金を払っていようと、ありとあらゆる米国人男性である。”

1997年と98年に米国のテレビで放映された2回のインタビューの中で、彼は、以前に1993年の世界貿易センターへの攻撃を行ったテロリストを「お手本」であると述べた。彼はさらに、自分の部下に対し、“戦いを米国へ持っていくこと”を熱心に説いた。

23.1990年代はじめより、オサマ・ビンラディンは、テロの武器として用いるため、核物質および化学物質の入手を画策してきた。

24.米国の標的がアルカイダの優先事項であるが、明白に米国の同盟国をも威嚇している。“ユダヤ人−十字軍同盟とその協力者”、また、“サタンの米国軍と彼らの悪魔の味方”と言及しているところには、間違いなく英国も含まれている。

25.継続的な脅威が存在している。このネットワークの過去の動きに関する我々の経験によると、9月11日のテロ攻撃を行ったグループと同じような他のグループが存在すると考えなければならない。

26. アルカイダは、独自で、また他のテロ組織のネットワークを通じて機能している。そこには、エジプト・イスラム・ジハードや、その他の北アフリカのイスラム過激派テログループ、スーダンやイエメン、ソマリア、パキスタン、インドなどのその他の国にある数多くのジハードグループが含まれる。アルカイダは、その活動を促進するためにその他の多くの国々にもグループや要員を保持している。

27. オサマ・ビンラディンは、アルカイダのネットワークを率いている。彼の下には、シューラShuraという組織があり、ここには、エジプト・イスラム・ジハードのリーダー、アヤマン・アルザワヒリや、Abu Hafs Al-Masriなどのビンラディンの右腕など、他のテログループの代表が含まれる。エジプト・イスラム・ジハードは実際には、アルカイダと合併している。

28. シューラのほかにもアルカイダは、軍事、メディア、金融、イスラム問題を扱うグループをいくつか有している。

29. Mohamed Atef は、軍事およびテロ作戦を扱うグループのメンバーである。彼の任務には、アルカイダのメンバーの訓練の主な責任者であることも含まれる。

30. アルカイダのメンバーは、オサマ・ビンラディンの命に従うという忠誠を誓わなくてはならない。

31. オサマ・ビンラディンとアルカイダに関する大量の証拠は、過去の犯罪の米国での起訴状により入手可能となっている。

32. 1989年以来、オサマ・ビンラディンは、アルカイダのために、またその目標追求のために、かなりの金融取引および商取引を行ってきた。その中には、訓練キャンプ用の土地の購入、爆薬を含む物資を保管するための倉庫の購入、通信設備や電子機器の購入、アルカイダや世界中の国々にいる関連テロリストグループのメンバーへの資金や武器の輸送などが含まれる。

33. 1989年以来、オサマ・ビンラディンは、アルカイダや関連するテロリストグループが使うために、アフガニスタン、パキスタン、スーダン、ソマリア、ケニアに訓練キャンプとゲストハウスを提供してきた。諜報機関から、現在少なくとも12ヶ所のキャンプがアフガニスタンにあり、そのうち少なくとも4ヶ所はテロリストの訓練に使われていることがわかっている。

33. 1989年以来、オサマ・ビンラディンは、アルカイダへの収入を提供し、爆薬、武器、化学物質を調達する費用およびアルカイダのスパイの旅行費用を提供するために、一連の会社を設立してきた。そのビジネスには、「Wadi Al Aqiq」という持ち株会社、「Al Hijra」という建設ビジネス、「Al Themar Al Mubaraka」という農業ビジネス、「Ladin International」と「Taba Investments」という投資会社などがある。

● オサマ・ビンラディンと過去の攻撃

35. 1992年と1993年に、Mohamed Atef は、当時ソマリアに駐屯していた米軍および国連軍に対する暴力を組織する目的で、何度かソマリアへ出かけた。毎回、彼はハルトゥームのリヤード地区にある基地で、オサマ・ビンラディンに報告した。

36. 1993年の春、Atefと、アルカイダのもうひとりの幹部メンバーであるSaifal Adel、そしてその他のメンバーは、国連軍と戦う目的で、ソマリア部族に軍事訓練を提供しはじめた。

37. 1993年10月3日、4日、アルカイダのメンバーは、「希望回復」作戦の一環としてソマリアで任務に就いていた米国軍人への攻撃に参加した。この攻撃で、18人の米国軍人が死亡した。

38. 1993年から、アルカイダのメンバーは、ナイロビに住み始め、そこでAsmaLtdやTanzanite Kingなどの会社を設立した。彼らのところには定期的に、アルカイダの幹部、特にAtef と Abu Ubadiah al Banshiriが訪れた。

39. 1993年後半から、ケニアのアルカイダのメンバーは、ソマリアでの希望回復作戦に米国が参加したことへの報復として、ナイロビの米国大使館を攻撃する可能性についての話し合いをはじめた。米国市民であり、アルカイダのメンバーであると認められるAli Mohamedは、テロ攻撃の可能な標的として、米国大使館を調べた。彼は写真を撮り、スケッチをして、ビンラディンがスーダンにいる間に、それらをオサマ・ビンラディンに提示した。彼はまた、1990年代はじめに、アフガニスタンで、アルカイダのためにテロリストの訓練をしたこと、自分の訓練したテロリストには、1998年8月の東アフリカ爆撃に関与した者が多数いたことを認めている。

40. 1998年6月または7月に、2人のアルカイダのスパイ、Fahid Mohammed Ali Msalam とSheik Ahmed Salim Swedanは、トヨタのトラックを購入し、そのトラックの後席に様々な改変を加えた。

41. 1998年8月はじめに、アルカイダのスパイのスパイは、ナイロビの米国大使館爆撃を実行するために、ナイロビのNew Runda Estates の 43番地に集結した。

42. 1998年8月7日、サウジアラビア人のAssamと、アルカイダのスパイのスパイは、トヨタのトラックを米国大使館に向かって運転した。トラックの後席には大型爆弾があった。

43. トラックには、別のサウジアラビア人、Mohamed Rashed Daoud Al ‘Owaliも乗っていた。自身の告白によれば、彼はアルカイダのメンバーであり、1996年頃からアフガニスタンのアルカイダメンバーのキャンプで爆発物、ハイジャック、誘拐、暗殺、諜報のテクニックの訓練を受けた。オサマ・ビンラディンの明白な許可を得て、彼は、アフガニスタンでタリバンと並んで戦った。彼は1996年にオサマ・ビンラディンと個人的に会い、別の「任務」を求めた。オサマ・ビンラディンは、アフガニスタンのキャンプでの広範な特別訓練の後、彼を東アフリカに送った。

44. トラックが大使館に近づくと、Al ’Owali が下りて、警備員に向かってスタン榴弾を投げつけた。Assamはトラックを大使館の後方に向かった運転した。彼が下り、それから爆弾を爆発させた。それによって複数階からなる事務舎が破壊され、米国大使館と協同組合銀行ビルはひどい損傷を受けた。この爆弾で213人が死亡し、4500人が負傷した。Assam はこの爆発で死亡した。

45. Al ‘Owali は自分が死んではじめてこの任務は終わると考えていた。彼はアルカイダのメンバーのために喜んで死ぬつもりだった。しかし、最後の瞬間に、彼は爆弾トラックから逃げ出し、生き延びた。彼は、この任務の後に逃げるための金もパスポートも計画もなかった。なぜなら、彼は死ぬことになっていたからだ。

46. 数日後、彼は、ケニアにいる自分に送金してもらうために、イエメンの電話番号をかけた。Al ‘Owaliが送金を求めていたその同じ日、彼が電話をかけたイエメンの電話番号にオサマ・ビンラディンがコンタクトしていた。

47. ナイロビ爆撃に関して逮捕されたもうひとりは、Mohamed Sadeek Odehであった。彼は自分の関与を認めた。彼は爆発に参加した主要メンバーを明らかにした。彼は3人の名を挙げたが、その全員が、アルカイダまたはエジプト・イスラミック・ジハードのメンバーであった。

48. ダルエスサラームで、同日、ほぼ同時刻に、アルカイダのメンバーが米国大使館で爆弾を爆発させ、11人を殺害した。関与したアルカイダのメンバーには、Mustafa Mohamed Fadhil と Khaflan Khamis がいた。爆弾は日産のトラックで運ばれた。これは、Ahmed Khfaklan Ghailani と Sheikh Ahmed Salim Swedanという2人のアルカイダのスパイがダルエスサラームで1998年7月に購入したものである。

49. Khaflan Khamis Mohamed はこの爆撃の件で逮捕された。彼はアルカイダのメンバーであったことを認め、この爆撃へのアルカイダの他メンバーの関与を示唆した。

50. 1998年8月7日、8日に、アルカイダのふたりの他のメンバーが、パリ、カタールのドーハ、アラブ首長国連邦のドバイのメディアにFAXを送り、この2つの爆撃は自分たちの責任であるという主張を流布した。

51. 東アフリカ爆撃にアルカイダが関与していたという別の証拠は、アルカイダとエジプト・イスラム・ジハードのメンバーのいくつかの住居および会社をロンドンで調べた結果、出てきた。これらの調査では、「聖地解放のためのイスラム軍」という架空のグループ名で東アフリカ爆撃の責任を主張する文書など、数多くの文書が見つかった。

52. 自爆するはずだったAl ‘Owaliは、同じ架空グループの名前を使って自分自身のビデオテープを作成するように指示されたことを認めた。

53. FAXで送られた犯行責任の主張から追跡した結果、電話番号が得られた。その番号は、オサマ・ビンラディンの携帯電話とのコンタクトがあった。報道機関に広められた主張は、明らかにこの陰謀をよく知っているだれかが書いたものである。彼らは、爆撃はケニアの2人のサウジアラビア人、ダルエスサラームのひとりのエジプト人が実行したと述べている。彼らはおそらく、爆撃がまだ行われるまえに送信したのだろう。彼らはナイロビの攻撃で死んだ2人のサウジアラビア人に言及している。実際には、Al ‘Owaliは最後の瞬間に逃げたので、死んだサウジアラビア人はひとりだけだった。

54. 1998年12月22日、オサマ・ビンラディンは、タイム誌から、1998年8月の攻撃の責任者かと質問された。彼はこのように答えた。

“米国とイスラエルに対抗するジハードのための国際イスラムジハード戦線(The International Islamic Jihad Front for the jihad against the US and Israel)は、神の恩寵により、聖地を解放するためのジハードを行うように、イスラム国家に呼びかける極めて明確なファトワを出している。モハメッドの国は、この訴えに反応している。もし、ユダヤ人と米国人に対するジハードの煽動が・・・犯罪であると考えられるのであれば、歴史は私が犯罪者であることを立証するだろう。我々の仕事は、煽動することであり、神の恩寵により、我々はそれを行い、ある人々はこの煽動に応えた。”

彼は攻撃した者たちを知っているかを尋ねられた。

“. . . 神の悦びを得るために命を賭けた人々は、本当の男たちだ。彼らは、イスラムの国から不名誉を駆逐することができたのだ。我々は彼らを最高に尊敬する。”

そして、米国は何を彼から何を予期できるか、と尋ねられた。

“. . .盗みを働くために他の国に入る盗人や犯罪者は、いつであっても殺害の危険に曝されることを予期すべきである・・・。米国は、私が神の恩寵により、今では10年以上も米国を攻撃してきたことを知っている・・・。神は、私たちが(1993年ソマリアでの)米国兵士の殺害に喜んでいることを知っている。これは神の恩寵と、ムジャヒディンの努力のおかげで成し遂げたものである・・・。米国に対する敵意は宗教的な義務であり、我々は神がこれに報いてくれることを望んでいる。イスラム教徒は、いわゆる超大国という米国の伝説に終止符を打つことができると、私は確信している。”

55. 1999年12月、アルカイダにつながりのあるテロリスト・グループが、米国内で攻撃を遂行しようとしているのが発見された。アルジェリア人のAhmed Ressamが米国とカナダの国境で抑えられ、100ポンドの爆弾製造用原材料が彼の車の中から見つかった。Ressamは、元旦にロサンゼルス国際空港で大型爆弾を爆発させる計画であったことを認めた。彼はフガニスタンのアルカイダのキャンプでテロリスト訓練を受けたのち海外に出て、米国の民間人と軍人を殺害するよう指示を受けたと述べた。

56. 2000年1月3日、アルカイダのメンバーのグループと、アフガニスタンのアルカイダのキャンプで訓練を受けたその他のテロリストが、爆発物を載せた小舟で米艦を攻撃しようとした。彼らの舟が沈んだので、その攻撃は成らなかった。

57. しかし、2000年10月12日、USS Cole号がアデン港で燃料補給をしている間に、爆発物を積んだ舟に攻撃された。17人乗組員が死亡し、40人が負傷した。

58. Cole号攻撃の犯人の何人か(ほとんどはイエメン人とサウジアラビア人)は、アフガニスタンのオサマ・ビンラディンのキャンプで訓練を受けていた。Al‘Owaliは、USS Coleの攻撃のふたりの指令者が、東アフリカの大使館爆撃の計画策定と準備に参加していたことを明らかにした。

59. 9月11日の攻撃以前に、アルカイダによって宣伝ビデオが中東とイスラム世界に広められた。その中で、オサマ・ビンラディンやその他の人間が、イスラム教徒に対し、米国とユダヤの標的を攻撃するよう奨励している様子が示されてい
る。

60. 米国やその他の標的への暴力を賞揚する同様のビデオが、1998年8月の東アフリカ大使館攻撃のまえに広められていた。

● オサマ・ビンラディンと9月11日の攻撃

61. 2001年9月11日にハイジャックされた4機の飛行機の乗客名簿から、19人の男がハイジャッカーであると割り出された。そのうち少なくとも3人はすでに、アルカイダのメンバーであることが明確に確認されている。ひとりは、東アフリカ大使館爆撃とUSS Cole 号攻撃の両方において重要な役割を果たしたことが明らかになっている。これらハイジャッカー全員の背景を探る取り調べが続いている。

62. 9月11日以降、諜報筋から以下の事実が確証されている。そのメンバーの名前はわかっているが、諜報上の理由によりここでは明かされていない。

・9月11日の準備段階で、ビンラディンは目的を同じくする人々のグループに、協調宣伝キャンペーンを活発に行っていった。それにはビデオや文書が含まれ、ユダヤと米国の標的への攻撃を正当化し、そのような攻撃の最中に死んだ者は神の仕事を実践していたのだと主張するものであった。

・9月11日のあと、ビンラディン本人が9月11日の少し前に、米国への大規模攻撃を準備していると主張していたことがわかった。

・8月から9月はじめにかけて、ビンラディンの側近が、9月10日までに世界の他の場所からアフガニスタンに戻るように警告を受けていた。

・9月11日の直前、判明しているビンラディンの部下の数人が、行動の日を9月11日頃と述べていた。

・9月11日以降、ビンラディンの側近でもっとも上位の幹部メンバーが、この攻撃の詳細な計画策定の責任者であることがわかった。

・ビンラディンとその部下の犯罪行為に関する極めて具体的な証拠があるが、これはあまりにも微妙なので発表することができない。

63. オサマ・ビンラディンはいまでも、アルカイダの責任者であり、その首謀者である。アルカイダでは、9月11日の攻撃ほどの規模の作戦であれば、オサマ・ビンラディン本人に承認されることになっているだろう。

64. 9月11日の手口は、以前の攻撃とまったく一致していた。これまでのアルカイダの残虐行為の特徴は、細部にわたる長期的な計画策定、大量の犠牲者を生じさせたいという願望、自爆テロリスト、そして、複数地点での同時攻撃である。

65. 2001年9月11日の攻撃は、東アフリカ大使館とUSS Cole号の攻撃に用いられた計画策定の規模と緻密さとまったく一致している。9月11日に関しても警告がなかったように、これら3つの攻撃に対しては、警告はまったく発せられなかった。

66. アルカイダのメンバーは、東アフリカ大使館の爆撃に関する裁判で出された証拠の中で、同グループがどのように何年間も攻撃の準備をするかを説明している。彼らは繰り返し監視を行い、忍耐強く資料を集め、攻撃に参加できるスキルを有し彼らの大義のために喜んで命を投げ出すメンバーを見出し、厳しく吟味する。

67. 9月11日の残虐行為に関与したメンバーは、飛行学校に参加し、より大型の飛行機を研究するためにフライト・シミュレータを使い、可能性のある空港とルートを監視下に置いていた。

68. アルカイダの攻撃の特徴は、イスラム教徒を含む罪のない人々の命をまったく尊重しないことである。東アフリカ大使館爆撃後のインタビューで、オサマ・ビンラディンは、米国を攻撃する必要性から、イスラム教徒であろうとなかろうと同様に、その他の罪のない民間人を殺しても許されると主張していた。

69. 9月11日のような攻撃を実行する動機と能力の両方を有している組織はほかにはない。オサマ・ビンラディン配下のアルカイダのネットワークだけである。

<結論>

70. 2001年9月11日の攻撃は、オサマ・ビンラディンが率いる組織、アルカイダが計画し、実行した。この組織は、同様の規模のさらなる攻撃を実行する意志と資源を有している。米国とその近しい同盟国はともに、そのような攻撃の対象である。その攻撃は、タリバンとオサマ・ビンラディンの連携なしには起こらなかった。タリバンは、ビンラディンがアフガニスタンで自由に行動し、テロ活動を促進し、計画し、実行することを許したのである。



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