9・11に関するこれらの質問に対して、私たちはなぜ答えを得ることができないのか?
「WHY DON'T WE HAVE ANSWERS TO THESE 9/11 QUESTIONS?」
THE PHILADELPHIA INQUIRER By WILLIAM BUNCH Thu, Sep. 11, 2003

■ここに紹介する翻訳は、フィリー・コムという米フィラデルフィアの地方有力紙(電子版)に掲載された9・11同時多発テロに関する数々の疑問を列挙したウィリアム・バンチ氏の論説である。
 私たちは、「9・11陰謀説」はとらないが、あまりにも多くの不可解な事柄が関係していることに注意を喚起してきた。その意味で、ここに列挙された疑問点は、私たちも共有するものである。

■とにかく一読してもらえば、「9・11」はどれだけ不可解なものなのかが分かるだろう。筆者の言うように多数の疑惑の中からようやく20個の疑問にまとめたのだが、これだけまとまれば空恐ろしささえ感じられるのではないだろうか。ぜひ最初から最後まで“通し”で読んでいただきたい。

 私たちは、「検証と批判:テロ特措法2年間に一体何が起こったのか。」という論評において、「9・11事件の全容解明は一体どうなったのか。アルカイダ、ビンラディン犯人の証拠は結局どうなったのか。−−9・11被害者家族の疑問にさえ一切答えようとしないブッシュ政権のいかがわしさ」と題する1章を設け、9・11そのものに疑問を呈した。ブッシュ政権は2年が経過した現在も9・11について「何かを隠しており、ドロドロとしたものが浮かび上がってくる・・・。それはイラク侵略をウソとでっち上げで強行した疑惑に通じるものである。イラクの疑惑にはようやくメディアや世論の目が向き始めたが、この9・11に関しては完全に隠蔽状態なのである。」

 日本の大手商業メディア、それらが依拠する米の大手メディアには、9・11そのものを追及する姿勢は全くと言っていいほどない。だが、実際にはこの9・11こそがブッシュの言う「テロとの戦争」の出発点、表向きには“大義名分”(国際法上も人道上もそんなことはないのだが)になったはずだ。9・11が揺らげば、彼らの言う「テロとの戦い」全てに疑問符が付くのである。
 “9・11はすでに解決済み”と決めてかかる姿勢は、まさに「報道の死」「報道の堕落・腐敗」を意味する。9・11をめぐる真実の追及は、その全容解明まで決してやめてはならない。

2003年10月22日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局



9・11に関するこれらの質問に対して、私たちはなぜ答えを得ることができないのか?
「WHY DON'T WE HAVE ANSWERS TO THESE 9/11 QUESTIONS?」
THE PHILADELPHIA INQUIRER By WILLIAM BUNCH Thu, Sep. 11, 2003

2003年9月11日
フィリー・コム
ウィリアム・バンチ著
http://www.philly.com/mld/philly/news/local/6742902.htm


最近の歴史で、2年前の今日――2001年9月11日のテロ攻撃ほど、それについて書かれ、語られ、見つめられ、見つめなおされた事件はなかった。

それはアメリカ内部への最も致命的なテロ攻撃であっただけでなく、ハイジャックとニューヨークの世界貿易センターやワシントンのペンタゴンへの攻撃はまた、インターネットや24時間のニュースといった情報漬けのメディア世代にとって、将来的に大きな影響力を持つ事件だった。

では、どうして、730日たっても私たちはその日実際に起こったことに関してほとんど知らないのだろう?

黒幕と断定される人物がどこにいるのか誰も知らないし、共犯者の誰もがいかなる罪でも有罪とされてこなかった。私たちはアメリカ政府が自殺ハイジャッカーと認定した19人の人物が本当に犯人なのかどうかさえ確信を持てずにいる。

誰が致命的な炭疽菌を郵便に入れたのか?アメリカの空を守ることになっていた戦闘機はその朝どこにいたのか?そして同盟国と考えられていたサウジ・アラビアとパキスタンの役割は何だったのか?

2001年の攻撃について答えられていない疑問が多数あるが、私たちはそれを20個あるいは9+11個に絞り込んだ。

1.2001年8月6日の今なお秘密のブリーフィングで、米国に対するアル・カイダの脅威について、国家安全保障担当補佐官コンドリーザ・ライスはブッシュ大統領に何を語ったのか?

ライスは、CIAによって毎日準備される大統領のブリーフィング文書が、ハイジャックを含むオサマ・ビン・ラディンの作戦方法に関する情報をその朝含んでいたことをあいまいな言葉で示唆した。しかし、9月11日を調査する議会委員会がその報告の閲覧を要請した時、ブッシュは行政特権を主張し、その公開を拒否した。

2.司法長官ジョン・アシュクロフトと幾人かのペンタゴンの高官は、9月11日以前にどうして民間航空での旅行をキャンセルしたのか?

9月11日の攻撃の47日前、2001年7月26日に、FBIによる「脅威予想(アセスメント)」により、アシュクロフトは民間機によるフライトでなく高価なチャーター便を利用したとCBSニュースは報じた。CBSは「アシュクロフトは、残りの期日を個人用ジェット機でのみ旅行するよう忠告されていた」と述べた。後にニューズウウィークは、2001年9月10日、「一群のペンタゴンの高官が、明らかに安全上の懸念から、翌朝の旅行計画を突然キャンセルした」と報じた。

アシュクロフトあるいはペンタゴンは、9/11スタイルの攻撃に関する事前情報を得ていたのだろうか、もしそうならこれがアメリカの大衆にどうして伝えられなかったのか?

3.9月11日の前に、航空会社銘柄と保険銘柄の「ショーティング(空売り)」で、誰が一財産を手にしたか?

2001年9月10日に、ユナイテッド航空の取引率は、パシフィック・エクスチェンジで通常の25倍であった。その取引所では、トレーダーが「プット(=株式のオプション取引で、売る権利)」、すなわち、ある会社の株価が急激に落ちることへのハイリスクの賭けを買うことができた。翌日、2機のハイジャックされたユナイテッド機が墜落し、その会社株の急落の原因となり、結局航空会社は破産した。後に、CBSニュースは、情報部では、攻撃の前日に「米国のストック・オプション市場での異常な取引に非常ベルが鳴っていた」と報じた。

異常な株取引は、金融に精通した知識を持つ誰かもまた、今にも起こる攻撃に関する情報を前もって知っていたことを意味している。しかし2年後、誰もこのことで告発されなかったし、当局はその調査がなお未解決であるかどうかさえ言わなかった。

4.政府によって9月11日の攻撃の参加者と認定された19人すべてが本当にハイジャッカーであるのか?

恐らく違う。攻撃のわずか10日後、英国BBCのレポートは、FBIによりハイジャッカーであろうと認定されたうちの何人かは生きており、健康であると思われると伝えた。BBCの話では、世界貿易センター北タワーにジェット機を衝突させたパイロットとして名前をあげられているアブドルアジズ・アル・オマリは、サウジ当局者の伝えるところによると電気エンジニアとして働いている。彼は、彼のパスポートが1995年にデンバーで盗まれたと報告した。サウジ当局者は、FBIのリストに名前が見られる別の三人もまた生きている可能性があると述べた。

答えられない質問(Unanswered Questions)」で読むことのできる記事は、ペンシルバニア州シャンクスビルで墜落したハイジャックされたユナイテッド航空93便のパイロットとされたジアド・ジャラヒに、別の男がなりすましていたという説得力ある主張を伝えている。だがこの話の筋がどうして跡形もなく消えてしまったのか?

5.11便と93便からの電話で語られたように、ハイジャッカーの誰かが搭乗時に銃をこっそり持ち込んだのか?

確かにひょっとするとそうだ。攻撃の日の午後5時30分に書かれた国内の連邦航空局(FAA)メモは、アメリカン航空11便に搭乗した一乗客――イスラエル系アメリカ人ダニエル・ルイン―が、世界貿易センターの北タワーにジェット機が激突する前に、一発の弾丸で射殺されたと書いてあった。FAAはそのメモを間違った「最初の草案」だったと主張している。とはいえ、推定されている射撃が非常に細かい所まで描写されているのであるが。

93便に搭乗した乗客、トーマス・ブルネットは彼の妻ディーナに、午前9時27分携帯電話で次のように話している。「ハイジャッカーたちはすでに一人の男性をナイフで刺した。彼らの一人は銃を持っており、機内には爆弾があると彼らは私たちに話している」と。

9月11日のこの側面はどうしてさらに詳しく調査されなかったのだろうか?

6.どうしてNORAD防空網はハイジャックされた4機のジェット機を阻止することができなかったのか?

冷戦のまっただ中、アメリカ人は米国に対して先制攻撃を加える誰をもジェット戦闘機が迎撃するだろうという幾分安心させる信念をもって眠りについた。その神話は9/11に打ち砕かれた。その日、4機の「致命的なミサイルに転換したハイジャックされたジェット旅客機」が、ほぼ2時間何の損害も受けることなく米国の空を飛行したのだ。

北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)が、ハイジャックされたジェット旅客機が武器として使用されるかもしれないという文字通り数十もの警告に気付かなかったように見えたのはなぜなのか? なぜNORADは、午前8時45分頃に世界貿易センターに衝突した最初のジェット機である11便がハイジャックされたことを、8時40分まで知らなかったと主張するのか? それは自動応答機が止められて約25分後、そして航空管制官がハイジャッカーが「我々は数機手に入れた・・・」と言うのを聞いてから驚くことに15分後である。

最終的にマサチューセッツのオーティス空軍基地とバージニアのラングレー空軍基地を緊急発進した戦闘機はなぜ最高速度の超音速で飛行しなかったのか? ワシントンD.C.近郊のアンドルーズ空軍基地を戦闘機はなぜ直ちに離陸しなかったのか? およそ47分前にハイジャックされたことを職員が知っていたのに、ペンタゴンを攻撃したアメリカン航空47便を阻止するために何もなされなかったのはなぜか?

さらに真珠湾以来最悪の国防機能停止のかどで誰も懲戒されなかったのはなぜか?

7.なぜ、アメリカへの史上最悪の攻撃の間、ほぼ30分間、ブッシュ大統領はフロリダの小学生たちのために物語を読み続けたのか?

ブッシュは2002年1月のカリフォルニアのタウン・ホール・ミーティングで、米国史上おそらく最も控えめな表現で、9/11は「興味深い日だ」と質問者に語った。確かに興味深い。攻撃以来2年間、その朝の大統領の奇怪な行動について疑問は膨らむ一方だった。その朝、彼はサラソタの教室でアメリカが攻撃下にあることを知らされたのである。

「私は大統領がそこにすわり、小学2年生の話に耳を傾けるのをじっと見つめないではいられなかった、私の夫は建物の中で炎に包まれていたのに」と、攻撃に関する疑問を提起した9月11日犠牲者の家族のリーダー、世界貿易センター未亡人ロリー・バン・オーケンは、ニューヨーク・オブザーバー紙のゲイル・シーヒーに語った。

最初の飛行機が世界貿易センターに衝突した後30分以上の間、そして大統領首席補佐官アンドリュー・カードが、それは計画的な攻撃だったと彼に伝えた後ざっと15分間、どうしてブッシュはペットの山羊という子どもの話を読み、教室に留まっていたのか?なぜ彼はより決然とした行動を取らず、また攻撃が明らかに進行中に、彼はなぜ安全な地域に急き立てられなかったのか?

陰謀説主唱者はこれらの奇妙な過失を、ブッシュがあらかじめ攻撃について知っていた証拠として引用してきたが、しかしよく知っている人物がどうしてこんなにとんまに見えるのだろう?

この主題に関する魅力ある読み物としては、「興味ある日(An Interesting Day)」がある。

8.どのようにして93便は西ペンシルバニアに墜落したか?

コックピットをまんまと攻略したハイジャッカーたちと闘った英雄的な乗客たち――という最もポピュラーな見解が広く受け入れられてきたので、先月共同通信のレポートがそれを否定するように思えた時、人々は不快なショックを受けた。APの記事は議会報告の一行を引用し、FBIは今やハイジャッカーたちはわざと飛行機を破壊したと考えていると書いたのである。

多くの人はFBIが話を変えることに失望させられたが、政府は公式な話を決して発表しなかった。幾人かの名前を伏せた政府高官が、「ハイジャッカーは故意に飛行機を破壊した」という説を2001年末に初めて持ち出した。

乗客によるいくつかの携帯電話からの状況証拠によってのみ、大概の大衆とメディアの主流は飛行機がハイジャッカーと乗客との争いが原因で墜落したと信ずるようになった。

一方、伝えられる所によると、FBIは93便で実際に起こったことに関して、フライト・シミュレーション・ビデオを作るのに十分確かな情報を持っている。しかしそのビデオ、コックピットの音声記録、別の「ブラックボックス」であるフライト・データ・レコーダーのハード・データは未だトップ・シークレットである。

この件は9月11日に何が起こったかに関しての情報公開を政府が拒否し続けていることの象徴である。93便の家族たちでさえ、より多くの情報が公開されていないことに不満を募らせている。

9.ザカリアス・ムサウイは本当に「20番目のハイジャッカー」か?

メディアで何百回とその主張が繰り返されてはいるが、ほぼ確実に違う。ミネアポリスの飛行訓練学校に参加した後、2001年8月の移民罪による逮捕以来拘留されていたモロッコ人は、自分がアル・カイダの一メンバーであり、アメリカでテロ行為を行うことを望んでいたと認めた。しかし、彼は9月11日のハイジャッカーたちよりはるかに遅くアメリカに到着し、伝えられるところによると彼らとの接触はなかった。

この問題は重要だ。というのは、その日何が起こったのかに関して情報公開を要求している何人かの9月11日犠牲者の家族は、ムサウイの訴訟が継続中であることを理由に公開を拒絶されたからである。

10.飛行機の「ブラックボックス」はどこにあるのか?

航空機事故について知るのに、いわゆる「ブラックボックス」よりも決定的なものはない。それはコックピットでの会話の30分間の音声記録と、飛行機のスピード、方向、操縦状況のフライト・データ入力であり、高速での衝突に耐えるよう設計された素材に覆われている。しかし、政府はペンタゴンに衝突した77便と、93便のブラックボックスに関して秘密にし続けている。

FBI長官ロバート・ミュラーは、77便のデータ・レコーダーは、高度、スピード、飛行方向、その他の情報を提供したが、ボイス・レコーダーには役立つものは何もないと述べている。どうしてないのか?どうして大衆に情報を公開しないのか?従順な主流メディアはどうしてこの情報を要求してこなかったのか?

そして、調査官たちが、タワー崩壊の一週間後、瓦礫の中でハイジャッカーの一人のパスポートが無傷で見つかったと言っている時でさえ、4つの「壊れるはずのない」ブラックボックスのどれ一つ世界貿易センターから回収されていないというのはどうしてなのか?

11.ドナルド・ラムズフェルドや他の米政府高官は、どうしてそんなに早く、9.11テロ攻撃とサダム・フセインを結びつけたのか?

CBSニュースは、国防総省が、77便による火災が消火される前に既に、ペンタゴンの反対側でイラク侵攻についてのノートを作成していたと報じた。ラムズフェルドは、「速やかに最良の情報」を望むと書いた。「S.H.(サダム・フセイン)を同時に叩く【のに】十分都合がいいかどうか判断せよ。UBL(オサマ・ビン・ラディン)だけでなく」、と。彼は付け加えた。「どんどん行け(Go massive)。すべて一掃しろ。関係あろうとなかろうと。」

ラムズフェルドと他の幾人かのブッシュ政権の高官は、「アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)」と呼ばれる、かつては存在がはっきりしなかった政策グループと関係を持っている。2000年の白書で、PNACは、―― 彼らは長い間アメリカのイラク侵攻を主張してきたのだが、 ―― 米国が自らを世界唯一の超大国ときちんと主張するためには、「何か破滅的なそして触媒となる事件 ―― 新たな真珠湾のような」―― が要求されるだろうと述べた。

その新たな真珠湾がやってきた――2年前の今日。

12.第7世界貿易センターはどうして崩壊したのか?

第7世界貿易センター、47階建てビルは、9月11日飛行機に攻撃されなかったのに、不思議なことにこのビルは午後5時20分に崩壊した。見たところ、隣接したツインタワーへのジェット旅客機の攻撃からの残骸が、第7での火災を発生させた。しかしニューヨーク・タイムズが言及したように、「そのような近代的な鉄筋の高層ビルが、制御できない火災で崩壊したことはかつてなかった。」調査官たちは緊急発電用の過剰なディーゼル燃料が事態を悪化させたと推測したが、しかし、十分な経緯は決して知られないかもしれない。

2つの110階建てのタワーがどうして崩壊したのかについても、いくつかの疑問が消えないでいる。しかし調査官たちは、火のついたジェット燃料が ―― 紙と電子機器を満載した小部屋と、あるいは断熱材によって強められて ―― 構造用鋼を弱らせるのに十分長時間、1000度を超える温度で燃焼したと考えている。

13.世界貿易センター崩壊後の危険な高レベルの毒素と有害な微粒子について、ブッシュ政権はどうしてうそをついたのか?

なぜなら、明らかに幾人かのホワイト・ハウス高官は、米経済とウォール・ストリートの健康の方が、近隣に住むニューヨーク市の住民の健康より重要だと考えたからだ。例えば2001年9月16日の環境保護局(EPA)からのプレス・リリースの草稿は次のように述べている。「ウォーター・ストリートでOSHA(労働安全衛生局)によって最近集められた塵のサンプルは、EPAの試験で高レベルのアスベストを示した。」 それは削除され、こう書き換えられた。「新たなサンプルは、大気環境がOSHAの基準に合致しており、それゆえに公衆への影響の原因とはならないという、以前のレポートを確証する」。

その書き換えの鍵となった人物は、ホワイトハウスの環境問題諮問委員会の長だった人物であり、―― あなた方にはこんな真似はできない――、以前にアスベスト産業の代理をつとめた法律家である。

実際、EPAは、いくつかの試験結果がまだ分析されておらず、他の主要な試験が実施されてさえいない時に、南部マンハッタンに戻っても安全であると労働者や住民に言った。結果は? 主要な医療専門家たちは幾千人ものニューヨーカーたちが、この塵に晒されたことに関係して呼吸関連の病気になったという。症状には、周期性の喘ぎ、窒息感、空気中の刺激物に対する過敏が含まれており、明らかにRADS(Reactive Airways Disease Syndrome)と呼ばれる一種の「職業性喘息」に由来するものである。

14.ディック・チェイニーの明かされていない所在はどこにあるのか?

私たちには決してわからないだろうが、広く報じられた噂は、キーストーン州のまさにここだというものだった。推測は、副大統領は攻撃後何日間かを「サイトR」、冷戦時代の秘密サイト、代替統合通信センターとしても知られている、レイブン・ロック・マウンテンの内側深くの場所で過ごしたということである。その山は西ペンシルバニア、ウェーンズバラ近くにある。

15.攻撃後アメリカ人が寄付した10億ドル以上に何が起こったのか?

最大の受け取り先である米赤十字は、愛する人の死、重傷、身体的・肉体的問題、財産喪失、ホームレス、その他攻撃の諸結果と闘う55,000以上の家族を援助するために、「自由基金(Liberty Fund)」からすでに7億4100万米ドルが使われたと述べている。

そのうち、5億9600万ドルは、死亡あるいは重傷を負った人々の家族にも、深刻な影響を受けた職を失った労働者、住民、緊急救援隊の人々と同様に直接的な資金援助の形で行われたものだった。個々の必要に応じて、この財政援助は丸一年の生活費、土地、そして特別な事情の現金の補助金などまで含んでいた。

16.9月11日におけるパキスタンのスパイ機関の役割と、次いで起こった米国ジャーナリスト、ダニエル・パールの殺害は何だったのか?

アル・カイダやビン・ラディンと関係がありそうなのと同様に、パキスタンの諜報機関、悪名高いISIとタリバンとの間に折り紙付きのつながりがあることを考えると、パキスタンがテロとの戦争においてアメリカの筆頭の協力者と見なされるという考えは皮肉であり、少し混乱をきたすものである。

2001年10月、ウォール・ストリート・ジャーナルと南アジアの多くの信頼できるニュース機関が、ISIの首領、マフムード・アフマド中将が、9月11日の攻撃の報酬を支払うよう、米国内にいるアル・カイダのハイジャッカー、モハメド・アタに打電された10万ドルに関連づけられた後、銃撃されたと報じた。ニューヨーク・タイムズは、その諜報機関が、秘密工作員をインドに対するテロ戦争で使うために訓練するのにアフガニスタンのアル・カイダキャンプを使いさえしたと伝えた。

最近何週間か、二つのやっかいな報告が出現した。高く評価されるフランス人ジャーナリスト、ベルナール・アンリ・レビはこう書いた。ウォール・ストリート・ジャーナルの記者パールは、アル・カイダが「パキスタンの秘密機関に大いにコントロールされている」こと、さらにイスラム過激派が国家の核兵器をコントロールしていることを知ったのでISIの構成員に殺された、と。さらに独自調査を行う記者ジェラルド・ポスナーはこう書いている。ビン・ラディンの代理アブ・ズバイダはサウジの高官との関連だけでなく、パキスタン空軍高官ムシャフ・アリ・ミルとの関連も示している、と。ビン・ラディンとの秘密会合で保護取引を打ち切ったと伝えられるミルは、今年早くに妻およびごく近い腹心と共に飛行機事故で死んだ。

17.誰が五人のアメリカ人炭疽菌で殺したのか?

実際のところ、この問いをこのリストに入れるべきかどうかは明快ではない。二年後(の今)、コネチカットからフロリダまで五人のアメリカ人を殺し、幾人かの指導的な民主党議員やテレビのニュースキャスターを標的とした炭疽菌入りの手紙が、9月11日の攻撃と何か関係があったのかどうかはよくわからない。実際、容疑者のリスト ― アル・カイダのテロリスト、サダム、頭のおかしな米国の科学者 ― は、しぼられていない。2001年の秋に全国を騒がせ新聞の見出しを占めたテロの支配についての、我が政府の全くあきれたばかさ加減は、並外れた調査の失敗である。

ある人物、スティーブン・J・ハットフィルという名の前陸軍生物医学研究者が、FBIに「該当人物」とレッテルを貼られたが、ハットフィルと犯罪を結びつける決定的なものは何もなかった。ちょうどこの夏、連邦調査官たちは、メリーランド州フレデリックの、彼らが炭疽菌入りの手紙が作られたかもしれないと見当をつけた池[訳注:森林火災防火用の人造池]の水を排出した、しかし排水後に取られた土壌サンプルの検査は生物兵器に関する何の証拠ももたらさなかった。そして現在、ハットフィルは、政府をプライバシー侵害で訴えているが、決して解決されないかもしれない状況にある。

18.2001年秋、フィラデルフィアのバス・ターミナルで発見されたC―4爆弾の調査に何が起こったのか?

2001年10月20日の本紙一面の見出しを覚えているだろうか?「フィラデルフィアのロッカーで致死的な発見:バス発着所を『恐らく破壊したであろう』爆発物」。覚えていなくともあなたは許される。フィラデルフィアと国内のテロリズムとが最も直接的な関係がありそうではあるが、2001年末以来、センターシティのグレイハウンド・バスターミナルのロッカー内にあった三分の一ポンドの致死的なC−4と、1000フィートの軍事用起爆コードの驚くべき発見への言及は地方メディアにはない。

調査官たちは手がかりがまったく消えた調査に二ケ月を許された。彼らは、その爆発物が陸軍基地から盗まれた、そして2001年9月29日にロッカーを借りた容疑者は、その爆発物が9月11日の攻撃後に扱うには危険すぎると決めたのだと見当をつけた。真実は決して知られることがないかもしれない。

19.議会の9月11日レポートの抹消された28ページに何があるのか?

それは全くのミステリーではない。誰もがそれらのページには、9月11日のハイジャッカーたちと、中東でのアメリカの同盟国と思われ、世界最大の石油埋蔵量があるサウジアラビアの政府との関係に関するきわめて厄介な情報を含まれていることを認めている。それらの高官のうちの一人がサウジ大使、バンダル王子であると言われているが、彼の夫人ハイファ王女は、サン・ディエゴ時代、9月11日のテロリストの少なくとも二人に間接的な資金援助をしていた。王子はブッシュ・ファミリーときわめて親密なので、信じられないくらいであるが、「バンダル・ブッシュ」として知られている。今週、タイム誌は、米国の商業航空路がなお市民に閉ざされていた9月11日直後に、ブッシュは、一機のジェット機が米国の10の都市に立ち寄り、ビン・ラディンの親族を含む140人の著名なサウジ人を乗せ、空路帰国することを許した、と報じている。

独自調査報道記者、ポスナーによる新しい必読文献「どうしてアメリカは眠ったか」は、サウジ政府の最高レベルへの陰謀を取り上げている。彼が言うには、2002年3月に捕らわれた、ビン・ラディンのトップの副官アブ・ズべイダは、―― 伝えられるところによると「自白剤」ペントタールナトリウムを投与された ―― 三人のサウジのトップを指名して調査官たちをびっくりさせた。その3人とは、2002年ケンタッキー・ダービーの勝者ウォー・エンブレムの西洋風オーナー、アフメド・ビン・サルマン・ビン・アブドゥル・アジズ王子、サウジ王国の長年の諜報部長、トゥルキ・アル−ファイサル・ビン・アブドゥル・アジズ王子、そしてファフド・ビン・トゥルキ・ビン・サウド・アル−カビル王子であった。

その話の最も信じられない部分は次に起こったことだった。2002年8月末の8日間で、アフメッド王子は43歳で心臓病で死に、トゥルキ王子は交通事故で亡くなり、そしてファフド王子は「脱水状態で亡くなった」。偶然の一致なのか?あなたはどう思う?

20.オサマ・ビン・ラディンはどこにいるのか?

2001年9月17日、ブッシュ大統領が何と誓ったかを思い出そう。ビン・ラディンを「生死を問わず?」捕まえることを決意した、と誓ったのだ。さて、よい知らせは、彼が、ビン・ラディンが「生きている」のを望むなら、なお起こり得るチャンスがあるということである。諜報専門家は今や、ビン・ラディンが2001年12月、 ― 米国が、追跡に十分な人力を送り込むのに失敗した時 ― アフガニスタンのトラボラの隠れ家を脱出するのに成功したこと、アル・カイダのリーダーは生きていて元気であり、新たな攻撃を計画していることを認めている。

「我々は彼がどこにいるのか知らない」と、アフガニスタンの米軍スポークスマン、ロドニー・デービス陸軍大佐は最近述べた。しかし、ニューズウィーク誌はどこでビン・ラディンを見つけ出せるか知っているように思える。すなわち、遠く離れた山岳地の―しかも無法な―アフガニスタンのクナール州である。その雑誌は、わずか五ヶ月足らず前、ビン・ラディンがそこの山岳拠点で9月11日以来最大のテロ・サミットを招集したと、ぞっとするような報告をした。報告によると参加者には、タリバンから三人のトップ・ランクの代表、何人かの古参のタリバン工作員、さらにチェチェンとウズベキスタンのイスラム過激集団のリーダーを含んでいた。議題はイラク内部の米国の利害に対する攻撃を遂行することだった。

ニューズウィークのレポートの最もぞっとする面は、ビン・ラディンが生物兵器を入手できるようになっており、米国に対しそれらを使用する方法を見つけ出す決心をしているというものである。タリバンからの情報源は、雑誌にこう語っている。「オサマの次のステップは信じられないものになるだろう。」

しかし今週、ABCニュースは、ビン・ラディンの捜索が異なった地域 ―― パキスタンのワジリスタン地域の40マイル四方の地域 ―― に狭められてきたと報じた。その報道は、ビン・ラディンの所在をアメリカ人に知らせようとしたとの疑いをかけられた地方住民が白昼公然と処刑されたと伝えた。