命の値段の落差[2億4000万円と13万円]の真相
−13万円の「補償金」は米特殊部隊の残虐行為の隠蔽工作−
アメリカは、アフガニスタンのすべての犠牲者とその遺族、
すべての被害者に対して謝罪し、補償を行え!




「命の値段に落差」

 3/10(日)の朝日新聞は「命の値段に格差」の見出しで、アメリカのテロ犠牲者への補償額と誤爆死したアフガン人への補償額を比較した特集を大きく掲載しました。それによれば、米のテロ犠牲者の補償額の平均は破格の2億4000万円で一生暮らしてもお釣りがくる額です。一方、米は、一月の深夜に米軍によって誤って殺された犠牲者の遺族に13万円を払ったことが発覚しました。13万円は半年の生活費に匹敵します。2億4000万円と13万円。アフガン人の命はアメリカ人の命の実に2000分の1しか価値がないと伝えています。この事実だけでも新たな怒りをかき立てるのに十分です。この戦争には徹底した人種差別があります。
 実は私たちが海外メディアの「CIAがアフガン人の犠牲者に補償金を払っている」との報道に疑問を持ち真相を明らかにしたいと考えていた矢先に、冒頭の朝日新聞の記事が掲載されました。簡単ですが、この記事に対して以下の3つの事実を付け加えたいと思います。

CIAが補償金を払ったのは、暫定政権側の反タリバンの米協力者

 13万円の補償金を支払われたのは、犠牲者一般ではなく、暫定政権への協力者、アメリカへの情報提供者です。米特殊部隊が、現地の勢力対立の偽情報に惑わされ、暫定政権側の重要人物、CIAへの情報提供者を誤って殺害してしまいました。その調査にCIAが直接出向き犠牲者を確認した上で補償金を支払ったということです。いわば、飼い主が飼い犬を殺し補償金を支払っていたのです。米政府でも国防総省・軍でもなく、CIAが補償交渉を先導したところに本質が現れています。
 4000人とも、一万人ともいわれるアフガンの空爆犠牲者に対する補償はいっさいありません。アメリカはこれらの犠牲者を、殺しても一銭の補償もいらない虫けらとして扱っています。2億4000万円とタダ−−これがアフガニスタン戦争で明らかになった命の格差です。

拷問の末の処刑。これは氷山の一角。

 殺されたうちの二人は、後ろ手に縛られ、拷問されたあげくに射殺されていました。あるいは、黒こげの遺体で見つかった人々もありました、米は「反対勢力がやったのだ」と主張しました。しかし、物証がありました。後ろ手に縛っていたテープは、軍用のプラスチックテープで、米特殊部隊が使用しているものでした。米特殊部隊は、その同じテープで女性たちを縛り上げ、ビンラディンの親族かどうかを確認するためにDNAサンプルとして髪の毛を切り取っていました。米特殊部隊はテープを使って縛り、拷問し、射殺し、家に火をつけるという残虐行為を行っていたのです。
 アメリカの空爆の背後に罪なき人々のおびただしい死があるように、「テロ掃討作戦」の背後には無数の「拷問と処刑」が行われています。
CIAによる補償金支払いは、よく言えば協力者への見舞金、実際にはこれらの残虐行為を明るみに出さないための、口封じ金、隠蔽工作でした。

米によるアフガン空爆犠牲者への補償要求が始まった

 アメリカでは、米軍によるアフガニスタンの犠牲者への補償を要求する運動が始まっています。米国の人権団体「グローバル・エクスチェンジ」はアフガニスタンの被害者約10人とともに2月13日、カブールの米大使館に補償を求める要望書を提出しました。同団体は空爆が行われた地域で「誤爆」の実態調査を進め、補償要求を拡大していこうとしています。
 犠牲者の掘り起こしと確定、米政府への補償要求は、人道的見地からだけでなく、物質的な点からも、アメリカの軍事行動をやめさせ、新たな戦争を阻止するための重要な闘いになります。米軍が殺戮した一人一人に対して膨大な賠償金を支払わなければならないとしたら、米政府に対して大きな財政的制約を課していくからです。
 このような点からも、アメリカがアフガニスタンでやった戦争犯罪を記録し、犠牲者の数を数えていくという仕事はきわめて重要です。

 以下に、参考資料としてガーディアンの翻訳を掲載します。
原文はhttp://www.guardian.co.uk/afghanistan/story/0,1284,648784,00.html
 なお、補償金額を書いた*注のカ所について原文はmillions of dollarsで数百万ドルになっていますが、日本円にして数億円をCIAのエージェントがポケットに入れて(ではないにしても)持ち歩いているというのは不自然であるため、多額のと訳しました。一方「Global Exchange」の「US Commandos Kill Innocents,CIA Pays Off Kin--A Model Program?」(http://www.globalexchange.org/september11/2002/nation020702.html
によれば、1000ドル、日本円にして13万円を支払ったとされており、「数千ドルはアフガン人には大変な額だが、ペンタゴンにははした金」として、1000ドルという少額の補償金に対する評価も加えています。おそらく朝日新聞の記事は、この記事を参考にしていると思われます。このように補償金額や補償のいきさつなども含めいくつか不確定な部分もありますが、アメリカの対アフガン戦争の卑劣さを物語る重要な事実と考え、掲載します。新しい情報や訂正意見等是非お寄せください。



[ガーディアン2/12号翻訳]
攻撃は続き、アフガニスタン人はまだ殺され続けている。
しかし、誰も数えていない。

 

 誤爆と、現地でのゆがめられた情報が、アフガンでの民間人犠牲者を増大させている。3部からなる調査の第1部で、ガーディアンの記者は問う:どれだけの罪のない人々が死んでいっているのか。

                      イアン・トレイナー[カブール]

 ファルディンの世界は、昨10月の晴れた日曜の朝に、彼が眠っていた部屋の屋根を米国の爆弾が突き破った時に、崩れ落ちた。彼は肉体的には助かった。しかし、その6歳児はそれから、一言もしゃべらず、1歩も歩いていない。
 10月21日の朝8時15分前、タリバンを降伏に、アルカイダを敗走に追い込むための爆撃を始める中央の命令が、フロリダで出されてからちょうど2週間後、上空を旋回していたF−18戦闘機が、ファルディンと他の3組の家族が一緒に住んでいたカブール北部のあばら家に、その爆弾を落とした。
 隣にいた小さな少女は、両目を失った。サルダル・ムハンマド(22)は、庭の底の彼の部屋のベッドから飛び起き、航空ショーを見るために外へ走った。頭に当たった1個の榴散弾によって、彼は即死した。
 隣人ムハンマド・サルワル(50)は彼の妻アジザと他の家族7人を失った。「恐らく、彼はそれほど上手なパイロットではなかった」彼はつぶやく。「我々はアメリカ人が好きだ。」
 首都の北端の、貧しく、人口の密集した地区に落ちた爆弾は、被害を受けた2軒の家を、瓦礫とクレーター、そして家庭のがらくたがまき散らされた、小型の地震地帯に変えた―ここに細切れにされたパッチワーク・キルト、そこに赤と黒のカーペットの切れ端、粉々になった陶器と古い料理なべの山。正確な攻撃により、壁に囲まれた限られた範囲だけが被害にあった。
 屋根は、ファルディンが眠っていた一階に崩れて落ちた。彼は、ショックで口をきけなくなり、恐れで非常に身がすくんだため、その後歩いていない。
 ここでアメリカ人がアフガニスタンの9人の民間人を殺したのと同じ秋の日に、南部では9人の子供が、乗っていたトラクターとトレーラーがウルズガン州で爆撃された際に死んだ。そして、西部のヘラートでは、1000ポンドのクラスター・ポッドが、モスクと病院の共同棟の至る所に、202の黄色のエンドウ小型爆弾を投げ落とした時、多数の民間人が死んだ。
 彼らは全て、ワシントンのテロとの戦いの罪のない犠牲者であり、タリバンの崩壊とオサマ・ビン・ラディンの国際的なイスラム教徒の四散にもかかわらず、アフガニスタンにいまだ押し付けられている、着実に増大する民間の犠牲者の一部である。それらは、「付随的損害」として知られるようになったものであり、過去10年のぞっとするような常套句の婉曲表現である「民族浄化」と似ている。アフガニスタン人は、死にあきあきし、慣れている−ロシア人との10年にわたる戦争、1990年代初めのムジャヒディンの間の内戦、タリバンの血なまぐさい武力による征服と支配。
 死がそこら中にあり、殺人が習慣になり、戦争が全世代にわたって続いている国では、わざわざ4か月以上の米国の行為によって増大する死傷者を、数える人はほとんどいない。ペンタゴンにとっては、アフガン戦争は勝利であり、10年前の湾岸戦争中に実行され、1999年のコソボ攻略作戦で磨かれた、ハイテク戦闘技術の完成だった。アメリカ人の生命の犠牲が最小で、迅速に勝利したことは、ベトナムの亡霊を振り払うことに役立った。

 しかし、国際的な焦点が、戦争から脆い平和とタリバン後のアフガニスタンの再建に移るとともに、戦争はまだパックス・アメリカーナの代償についての、いくつかの未解決の疑問を投げかける。このまだ終わっていない戦争についての、第一のそして最も明白な疑問は、何人の民間人が死んだのかである。答えは容易には出ない。米国によるハイテクの、月10億ドルの爆撃の猛吹雪の真ん中で、どういう訳か、民間の死傷者の計算を続けるという単純な問題が見落とされていた。

「尋ねないでください」

 米国の公式の数字はなく、また今その国で活動しているたくさんの非政府慈善団体も同じで、独立した調査はいっさい行っていない。「民間の死傷者がいたのは確実だ」と、主に米国政府の資金を受けているNGOで働くアフガンに詳しい専門家は言う。
 「誰も、その実際の評価を行っていない。それは非常に政治的になる。それに関して、私に尋ねないでください。」
 「あらゆる戦いに付随的損害があるが、私は、それに関して語ることは気分が良くない。」カブールの国連の職員は繰り返した。
 戦争支持の弁解者と反戦活動家の両方による宣伝目的の死傷者数の操作にもかかわらず、爆撃によって死んだ民間人の数は、78日間のコソボ戦争の間に米国の空襲によって殺された約500人をはるかに上回り、湾岸戦争の間に殺されたと考えられる3200人のイラクの民間人より、さらに多いかもしれない、ということは既に明らかである。
 「多くの民間人が死んだり負傷したりしているのは明らかだ。それは、4つの数字に明確にあらわされている」と国連の情報筋が言う。
 慈善団体の国境なき医師団は言う:「MSFは、軍事作戦によるアフガンの民間人の死傷者が承諾しがたいほど多いことを示す証拠を、ますます多く見ている。」
 5年間アフガニスタンにいる、古参のMSFの職員は、国中の病院とフィールドワーカーからの報告に基づいて、民間の死者数を2000人から3000人と推測している。
 何人かのアナリストは、爆撃が10月7日に始まってから、平均60人以上のアフガンの民間人が毎日死んでいると言っている。ペンタゴンと緊密に仕事をするカブールにいるヨーロッパの地雷除去専門家は、最大8000人の民間人が死んだと考えている。
 米国の9月11日の犠牲者は、今ではちょうど3,000人未満の死者と見積もられている。最近の研究では公共福祉研究所(the Commonwealth Institute)のカール・コネッタが、最大1300人の民間人が米国の爆弾によって殺されており、米国の攻略作戦が人道主義的な救援活動を悪化させたので、他の少なくとも3000人のアフガン人が死んでいる、と推測する。
 ニューハンプシャー大学のマーク・ヘロルド教授は、少なくとも4,000人と民間人の死傷者数を見積もっている。ヘロルド教授は、左翼反戦活動家であり、死者数を確定するために、メディアの報告からそれを毎日表にして探求している、わずかな人のうちの1人である。彼の言葉では、彼は「記録をただし」たいのであり、たとえそれが、アフガニスタンの内部の実地の報告からではなく、米国のコンピュータ端末から導かれているとしても、彼のものが「包括的な計算」であると主張している。
 彼は、3742人の民間人が、12月3日までに死んだと推定している。さらに多数がその後死んだ。懐疑論者は、彼の数字が誇張されていると主張する。彼は、それが控えめであると主張する。
 「それはよい一歩である。」犠牲者の写真を撮るために、11週間パキスタンとアフガン国境に2人の研究者を派遣していた、ニューヨークのヒューマン・ライツ・ウォッチ(Human Rights Watch)のサム・ザリフィは言う。その団体は、民間の死傷者調査のための300の攻撃のデータベースを持っている。
 確かなことは、ヘロルド教授の仕事が不完全だということである。彼が記録する攻撃のうちのいくつかは二重になっており、別のいくつかは虚構である。例えば、彼は、10月8日頃カブールで、爆弾がワジル・アクバル・カーン病院やその近くを襲った時、産科病棟で死ぬ最大19人の女性を挙げている。
 その病院の救急部の看護師長イサトゥラーは、爆撃による死者のリストを持つ、カブールで数少ない人のうちの1人である。彼は、爆撃の被害者の男性115人の名前を記載する、A4・6ページのリストを示す。彼らのうちの40人が死んだ。37人の女性の別のリストがあり、そのうちの10人が死んだ。
 「タリバンは、米国に対抗する宣伝のために、リストを作ることを私に命じた。私はリストを作らなければならなかった。彼らは上司だった」と彼は説明する。「しかし暴力はなく、リストには嘘はない。」
 しかし、爆弾は病院を直撃しなかったし、産科病棟での死傷者はいない。しかし、米国の教授が存在しない死傷者を記録しているとしても、彼のデータが依存する国際的なメディアで非常に多くの死が報告されていないので、逆もまた当てはまる。
 「非常に多くがここで報告されなくなるので、恐らくヘロルドの数字を2倍にすることができる」と地雷除去専門家が言う。「ほとんどのイスラム教徒は死後6時間以内に埋葬されている。ここでは誕生や死を報告する必要はなく、病院は死者に関するものを何も持っていない。」
 例えば、今まで報告されていないために教授の統計に含まれていなかった、パクティカ州南東部のモシュキルの村に対する攻撃である。12月5日と6日の、12時間以内の3度の空襲は、16人を死なせた。村民は、タリバンは近くにおらず、軍事目標もなかったと主張している。
 12月5日の午後、ラシードと名乗る村人は、米軍機が2台の自動車を爆撃し、2人の兄弟姉妹を殺した様子を、詳しく話す。1時間後に、バイクに乗った武装した見知らぬ人が、「ゲスト」[タリバンかアルカイダを意味する]がどこにいるかと尋ねながら、モシュキルを急いで通り過ぎた。ゲストはいないと、彼は聞いた。1時間以内に、別の米軍機が無人の自動車を爆撃した。その後翌朝3時半に飛行機が戻ってきて、モスクを爆撃し、近隣の7軒の家とともにそれを破壊した。眠っていたために、13人の人々が死んだ。
 「なぜ彼らは私の村を爆撃したのか。」2人の親類を失ったラシードは問う。「彼らは3回爆撃したのだから、爆弾がそれたということはありえない。それは間違いだったに違いない。」

大失敗

 必然的に多数の「大失敗」――目標をはずした爆弾、ミスや、質が悪いか故意にゆがめられた情報に起因する、赤十字社の倉庫から反タリバン勢力の殺害といったものまで――が発生している。ペンタゴンは12月5日までに投下した11,315発の爆弾の内、失敗した割合は10%と計算している。そして論争の的となっているクラスター爆弾については、わずか6%が失敗したとしているが、地雷除去の専門家らは現在、クラスター爆弾の副産物の失敗の割合について、22%に達するとしている。
 大多数の民間人が、戦闘と爆撃のもっとも激しく行われた場所で死んでいる――11月に行われたクンドゥツにあるタリバンの最後の北部拠点での戦闘、12月初旬に行われた東部の都市ジャララバードの南にあるトラボラの洞穴群に対する猛攻撃、タリバンの発祥地である南部のカンダハル攻略作戦によって。
 カブールを巡る戦闘はわずかであった。北部連合は首都攻略で4人しか失わなかった。しかし、都市の中や周辺に軍事目標が集中していることから、爆撃により約100人の民間人が死んだと見積もられる。
 これら殺された者の大半は、高々度からの爆撃における「ミス」のせいで死んだのであるが、この高々度からの爆撃は、最新のアメリカの戦争遂行手法の中心的な特徴である。これは地上に荒廃をもたらすが、アメリカの軍人を比較的リスクの少ない空中にとどめておくことができるのである。
 しかし過去数週間で、アメリカ人が現地において、現地での反発を誘発するような過ちを犯している、ということを示す証拠が増加している。
 最近、CIAのエージェントが南部の村を訪れ、1月24日の夜間にアメリカの特殊部隊がオルーズガーンの村を強襲し銃を連射して殺した人々の親族らへ、多額の補償をしている。(*注)アメリカ人は人違いをしていた。
 2名の死体はプラスチックテープで腕を背後で縛られ射殺された状態で発見されており、拘束されてから処刑されたことを示している。米統合参謀本部大将のジョン・スタッフレベームはワシントンの記者達に、2人は現地のアフガン人らに手錠をかけられたのだと語った。
 「彼らが拘束されて死体で発見されたことに関しては、これで説明される」と、彼は言った。

 しかしカブール駐在の西側の役人の話では、先月にガルデーズ市街近郊の別の南部の村において夜間強襲が行われた際、アメリカの特殊部隊が地元の女性を拘束するためにテープを使用している。どちらのケースでも、家々や建物が放火されている。どちらの場合も、現地や西側の情報筋が主張するところでは、アルカイダおよびタリバン残存者の必死の捜索が一層エスカレートしたことで、カルザイの暫定政権に忠誠を示す反タリバン勢力をも標的にしてしまった、ということだ。
 オルーズガーンの村では、少なくとも21名の死者があり、そのうちの1ダースばかりは黒こげの死体で発見された。ガルデーズ近郊の村では、西側の情報筋によれば、アメリカ人らは女性を縛り頭髪のサンプルを集めている。それは明らかに、彼らがビン・ラディンの近親の者であるかどうかを突き止めるためのDNA鑑定を目的にしたものである。
 情報筋の話では、「この種の事柄は、今や、全くあちこちで見受けられる。現在、南部から東部で、大変多くの憤激が呼び起こされている」。
アメリカ人らが探していたのは現地の反タリバン会議のメンバーで、カブールの新政権に協力していた人物である。「しかし彼はアメリカの耳となっていた人物と言い争っていた」と、情報筋は語っている。
 襲撃は、特殊部隊が射殺することを優先し、尋問は二の次であったことを示している。どちらの村でもアメリカ人は、1人が足を負傷しただけで死者はださなかった。
 失敗した軍事行動は、アメリカの情報の貧弱さから説明できるかもしれない。その一部はまた、「遺体袋症候群」に起因するものとして説明できるかもしれない――アメリカの死傷者に対する恐れがあり、それが現地において、彼らに対するアフガン現地の人々の反感と無理矢理戦わされているアメリカ人の部隊に、不快な特徴を持たせることを強いているのである。 
 そこでの「過失」がなされる前に、いくつかの他の攻撃が先行して行われている。アフガンのタリバン以外の軍司令官らが、彼らのライバルを敵軍の目標であると申し立てて、アメリカ人らを言いくるめて爆撃させているのである。赤十字国際委員会は、12月29日にカブールの南東にあるカライ・ニアジにて少なくとも52人の民間人が死んだことについて調査している。彼らはB-52爆撃機1機とB-1B爆撃機2機による攻撃の際の死者で、ある地方の軍司令官がアメリカ人らにそこがタリバンの拠点であると断言した後に攻撃されている。しかしそれはタリバンの拠点などではなかった。国連によれば、少なくとも25人の子供達が殺された。
 同じ地域で似たような攻撃が何回も行われている。モスキル村民らは、反タリバンであった前村長が自分の以前の職に返り咲こうとして悪意のある情報を流し、それに基づいて残されていた16人が殺されたことをアメリカの「大失敗」と見なしている。
 カブール北部の前は前線であったイスターギッチの丘にある瓦礫と化した村の中にたたずんで、ザクリヤー(38歳)は、アメリカに指図して自分の生まれた村であるここを攻撃させたことを自慢した。その攻撃では取り残された4人の女性が死んでいた。そこはタリバンを支援していた村であった。ザクリヤーは対立する勢力の側に回っていた。「私はすべての情報を流しました。アメリカ人らは爆撃しました。彼らはタリバンを外して隣に攻撃してしまった」
 タリバンは去った。ザクリヤーは今では村長として帰ってきている。4人の女性は彼の野心の祭壇に生け贄として捧げられたということになる。
 同じ様な傾向が、幅広い政治的各レベルにおいて起こっているのが見られる。北部同盟の幹部らが、カブールを管理し、暫定政権を支配し、現在の状況下でアドバンテージをとりアメリカ人らに彼らの敵対者を南部から一掃させているのである。
 戦争はタリバン後の局面に入り、先月はタリバンへの支援が強固なパキスタン国境に近い南部および南東部に対して爆撃が集中された。
 バシル・サランジ将軍(前北部同盟司令官で現在はカブール警護局長)は、アメリカ人らはパシュトゥーン人らのいる南部を爆撃し続けなければならない、と言います:「彼らは、アルカイダでなければ、アルカイダの支援者だ。彼らを恐怖させるためだけでも爆撃されるべきだ」
 アフガニスタンでの戦争においてアメリカ人が勝利したであろうことについては、疑う余地はまずないであろう。しかし、見えないところや気がつかないところで、日々、少しずつ、大量の一般人が戦争で死んでいる。この戦争では、これまで作られた中でも最先端の戦闘マシーンが、世の中でもっとも経済発展の遅れた社会の一つにおいて殺戮を繰り広げているのである。
 その帰結:わずか2名のアメリカ人が敵軍の砲火によって死んだのに対し、アフガンの非戦闘要員が何千人も死んだ。これほどの民間人死者という犠牲は、正当なものなのか?
 ペンタゴンは、戦争において不可避で不運な付随物、という使い古された公理を持ち出して答える。「この戦争は我が国の歴史の中でも最も精密なものであった」と攻略作戦の司令官、トミー・フランク将軍は先週ワシントンにて主張した。
 その断定について、公共福祉研究所のカールコネッタが反論している。彼はスマート爆弾および高精度攻撃と呼ばれているものが、2年前のユーゴスラビアで用いられたよりもアフガニスタンで用いられた数の方が少ない、という計算をしている。
 「不朽の自由作戦を「精密に照準された」とか「的の中心を射抜いた」戦争であるとへつらう声があるが、それにも関わらず、この作戦は命中の精度に関して、ある重要なひとつの点で新たな標準を作り出すことに失敗している:それは投下された爆弾に対して民間人が殺された割合についてである」と、彼は言う。
 「実際、この割合はアフガニスタンでの戦いにおいて1999年のバルカン戦争の場合を遙かに凌駕するもので――おそらく4倍にも達しているだろう」



アメリカの「報復戦争」と日本の参戦に反対する署名運動 事務局