第1回死刑廃止世界大会&欧州キャンペーンツアー報告集



地球が決めた死刑廃止

第1回死刑廃止世界大会&欧州キャンペーンツアー報告集

2001年6月、フランスのストラスブールで「第一回死刑廃止世界会議」と「欧州評議会議員会議」が開催された。この会議に日本から代表団を送りこみ、世界に向けて日本の死刑制度を訴えよう、という声があがったのは今年2月。フォーラム90はアムネスティ日本と協力して欧州への死刑廃止ツアーを企画。全国から参加者を募集し、6月17日に「歴史的欧州ツアー」がスタートした。


死刑廃止記念式典で
免田栄さんがスピーチ
(6月19日・ローマ)

「世界は日本の死刑を知らなかった」

〜日本の死刑を訴える欧州の旅〜
欧州キャンペーンツアー・コーディネーター
石川顕/鈴木智美

◆ 欧州企画とは。
今年2月、欧州評議会のヤンソン人権委員会委員長が日本の死刑制度調査のために来日した。その際、欧州評議会の場で日本の死刑の実情を訴える企画が生まれた。日本から送り込む代表団は、免田栄(冤罪の元死刑囚)、原田正治(犯罪被害者遺族)、菊田幸一(明大教授)、田鎖麻衣子(弁護士)、童銅啓純(いのちの絵画展主催)の各氏をはじめ、各地のフォーラム90関係者によって結成された。

◆第一回死刑廃止世界会議とは。
この会議の主催者は、アムネスティなどの市民団体などで構成され、後援者として、ヨーロッパ議会議長、ヨーロッパ評議会総会議長などが参加した。今回の会議規模は、参加者800名、スピーカー120名、ジャーナリスト150名。

◆ 日程概要
6月16日(土) 出発前記者会見、参加者打合せ(アムネスティ東京事務所)
6月17日(日) 最初の訪問地ローマに向け成田出発
6月18日(月) アムネスティ・イタリア支部訪問。日本の死刑囚を担当するグループと交流。国会会議室において市民講演会。
6月19日(火) カトリック正義と平和協議会において枢機卿(ベトナム共産党下で死刑囚だった方)と面会。聖エジディオ共同体訪問。野外の式典=コロッセオのライトアップに参加。
6月20日(水) ストラスブールへ移動
6月21日(木) 第一回死刑廃止世界会議の初日。会場は欧州評議会会議場。
6月22日(金) 世界会議二日目。欧州議会会議場にて評議会議長らが宣言文に調印。
6月23日(土) 世界会議三日目。「サイレントマーチ」に5千人が参加。
6月24日(日) 休日
6月25日(月) 欧州評議会法律関係・人権委員会会議で免田さんスピーチ。欧州評議会議員会議で、福島瑞穂議員スピーチ。オブザーバー国における死刑廃止勧告決議文採択。
6月26日(火) アムネスティ・フランス支部訪問。パリ市内で記者会見。
6月27日(水) ボンへ移動。ボン大学日本学研究所にて講演。
6月28日(木) アムネスティ・ドイツ支部訪問。ボン大学法学部にて講演会。
6月29日(金) 帰国(30日成田着)


街中にあふれたデモ参加者

■死刑をめぐる風土の違い
 欧州はもはや死刑が無い社会である。欧州では、死刑は生存権を侵害する極悪非道な制度として認識されている。ボン大学の学生70人に残虐な犯罪の加害者を死刑にしたいかと聞くと、誰もが「NO」と答えた。イタリアで起きた少女暴行殺害事件で、加害者を死刑にという書いたマスコミに抗議が殺到、死刑復活論にその事件が利用するさることを市民が拒否したと言う。日本で体験する死刑支持者との議論に慣れてしまった私たちは、そのギャップに戸惑いながらの欧州ツアーであった。
 ストラスブールで開催された会議の前後、私たちはローマ、パリ、ボンの各都市を訪問した。各地のアムネスティ支部が中心に準備してくれた企画に参加した。ローマでは日本の確定死刑囚I氏を支援しているアムネスティ・グループと交流、カトリック正義と平和協議会では元死刑囚でベトナム人の枢機卿と面会、パリではアムネスティ拷問禁止キャンペーンの企画で免田さんが獄中に受けた拷問について語ったりと、盛りだくさんの毎日であった。
 私たちが驚いたのは、「日本では今も死刑を行っているのか?」という言葉だった。「民主主義の先進工業国」日本で、死刑が今も行われているとは多くの人は考えていないようだ。日本の死刑は、中国とアメリカという死刑大国の陰に隠れ、日本政府も死刑の情報を世界の目に触れないようにしているから、誰も日本に野蛮な制度があるとは考えないのだろう。この点に関しても日本政府の情報操作=秘密主義が功を奏している。

■第一回死刑廃止世界会議
 二つの会議のうち第一回死刑廃止世界会議(6月21日〜23日)には、欧州を中心に世界各国から死刑廃止を願う政府閣僚、NGO、宗教団体、活動家、法律家、メディアが集まり、死刑廃止に向けての議論が交わされた。開会式から、死刑大国アメリカや中国とならび、日本も批判された。続いて免田さんは、アメリカ、テキサス州の元死刑囚ケリー・クックと並んで記者会見に参加。数名の報道陣は、記者会見後も残って熱心に免田さんの取材にあたった。記者会見と平行して行われた「欧州国家と欧州評議会オブザーバー国」の分科会では、菊田さんが日本で死刑制度が廃止されない理由を説明。会場から質問もでて、日本の死刑制度に対する興味がうかがえた。そして初日最後の「元死刑囚と被害者遺族の証言」分科会で、免田さんと原田さんがそれぞれ発言すると、会場は一斉に立ち上がり拍手をした。中には涙を流している者もいた。  会議2日目、田鎖さんは法律専門家の分科会で、死刑囚の交通権の問題や弁護士の死刑に対する認識の薄さなどを流暢な英語で述べた。端的明瞭な説明は、制度自体の問題性を指摘し、会場を納得させたようだった。また、菊田さんは最終セッションでアジアの死刑について説明した。午前中で欧州評議会での会議を終え、会場は隣接する欧州議会の会議場へと移動した。そこには、欧州議会議員のほかに、最近死刑を廃止したチリ、遠方からコートジボワール、そしてアジアからはカンボジア代表の姿もあった。欧州の議員らが人権侵害としての死刑廃止を訴える中、コートジボワール代表は、貧困は死刑廃止への妨害にはならないと主張。カンボジア代表は、内戦によってすでに大量に失った人命をさらに死刑によって奪う必要はないと主張し、強いインパクトを与えた。各国議員や代表はスピーチを行った後、存置国に宛てて世界における死刑廃止を要請するアピール文に署名した。歴史的瞬間であった。

■第一回死刑廃止世界会議 最終宣言
(6月22日、抜粋、仮訳)
 2001年6月21日〜23日、ストラスブールにおける死刑廃止協力体(Ensemble contre la peine de mort= ECPM)によって組織された第一回死刑廃止世界会議のために集まった我々、市民および死刑廃止活動家は宣言する。 死刑は、司法に対する復讐の勝利を意味し、人間の第一の権利である生命権を侵すものである。極刑が、犯罪を防止したことはない。それは、拷問行為であり、究極の残虐、非人道的、そして品位を傷つける取り扱いである。死刑を行使する社会は、象徴的に暴力を奨励している。人間の尊厳を尊重する社会は、極刑を廃止する努力をするべきである。  我々は、6月22日、欧州議会において多くの議会発言者が、「世界の死刑廃止に向けた手段として死刑囚の国際的死刑執行停止を求める厳粛な訴願」の起草を決定したことに歓喜している。 【後略】
    2001年6月22日 ストラスブール


■二コル・フォンテーン欧州議会議長のスピーチ(6月22日、抜粋、仮訳)
 死刑に反対する第一回世界会議の正式会合が、欧州連合の15の加盟国の3億7500万市民の意見が届き、議論されているこの議場において行われることを、欧州議会を代表して歓迎もうしあげます。【中略】
 死刑は重大犯罪を抑止する力がない、という共通の認識が、ヨーロッパ中に浸透しています。人間の生命が貴いものだという原則を侵害することなく重大犯罪から身を守る効果的な方法が、現代社会には存在します。死刑は、「目には目を、歯には歯を」という古い復讐法の遺物です。処刑は、品のあるやり方ではなく、生贄にする権利、合法的殺人であります。たとえ法律に基づいた安定した社会であっても、その国が死刑以外に自衛の手段をもっているいないにかかわらず、死刑を適用するかぎり、生命の聖なる本質を汚すものであり、世界中のどこであろうと、生命尊厳の原則がおびやかされたときにそれを守るための道徳的根拠を崩壊させるものでありま す。【後略】

■ラッセル・ジョンストン欧州評議会議長のスピーチ(6月22日、抜粋、仮訳)
【前略】未だに国民を処刑し続けている2つの顕著な民主主義国家は、我々の友人であり同盟国の米国と日本である。我々は、平和と安定の促進と、世界のあらゆる地域が経済的に繁栄するよう、ともに努力をしている。しかし、もうこれ以上、この2国において死刑が行われ、こうした努力の深刻な障害になっているという事実を無視しているわけにはいかない。【中略】
 だからこそ、来る月曜日の議員会議では、欧州評議会のオブザーバー国で未だ廃止していない2つの国、米国および日本の死刑について議論するのである。我々は、政府がこの問題に確固たる姿勢で臨むことを期待している。この議論の目的は、我々のパートナーに敵対することではなく、逆に、対話と説得を通して、姿勢の変更に影響を与え、溝を埋める試みようとするものである。
 我々は、成功すると信じている。自らの間違いが見えた時には、その間違いを訂正しよう、真実が見えるや否や新しい見解を受け入れよう、と言ったのはアブラハム・リンカーンではなかったか? 親愛なる米国と日本の友人よ、死刑廃止については、その時はまさに来ているのだ。

 世界会議の3日目、最後を飾ったのが5千人による「サイレント・マーチ」。死刑廃止を訴える個人、団体そしてストラスブールの一般市民が、ストラスブールの街の中を2時間にわたって歩いた。死刑廃止に向けて大きな力が動いているのを感じた。

■日本に突きつけられた死刑廃止
 6月25日、欧州評議会の人権委員会会議および議員本会議で日本とアメリカの死刑制度について議論が行われた。欧州評議会では、1994年より死刑廃止が加盟条件のひとつに加えられ、オブザーバー国で死刑を廃止していない日米両国(共に1996年にオブザーバー資格取得)についても同様の条件を課す動きが出てきた。人権委員会会議では、免田さんが自分の経験を語った。ヤンソン委員長による日本の死刑制度報告書に、生の声を加えることができた。そして、議員本会議では、報告書に付随する決議案について議論が交わされた。決議案は、日本とアメリカに対し2003年1月までにオブザーバー資格をかけて死刑執行停止あるいは廃止を要請する文書である。日本からは死刑廃止議員連盟のメンバーである福島瑞穂議員が参加。日本の死刑制度の問題点を訴え、そして廃止に向けて欧州の協力を求めた。最終的に決議は採択され、いよいよ欧州から日本に対する「圧力」がかかり始めることになる。
 これに対して、日本政府は英文で10行ほどの簡単な意見書を会議場で配布した。それによれば、死刑は国内問題であり世論と国内犯罪状況によって判断されるべきというこれまでの姿勢を変えない方針を示した。死刑はもはや国際社会の共通問題であるとする世界の考え方、そしてこの会議の方針に対して日本政府は真っ向から対立、敵対する立場を選択したことになる。

■欧州評議会議員会議で採択された決議
(6月25日、抜粋、仮訳)
ヨーロッパ評議会のオブザーバー国における死刑廃止
1 ヨーロッパ評議会議員会議は、いかなる死刑制度にも反対することをここに再確認する。議員会議は、死刑は、近代市民社会の刑罰システムにおいて何ら合法的な位置づけはできないものと考え、また、その適用は、ヨーロッパ人権条約第3条に言う拷問および非人道的または品位を傷つける刑罰を構成すると考える。
5 議員会議は、それがどこで行われようともすべての死刑執行を非難している。しかし、とくに人権尊重の義務を負っているオブザーバー国での執行に対して憂慮を感じている。議員会議は未成年者、精神的な病気や障害を負った人々に対する執行、さらに、死刑事件の必要的上訴のシステムが不十分な点を問題であると考えている。また、日本とアメリカ合衆国の死刑囚監房の状況にも大きな関心を寄せている。
6 両オブザーバー国において死刑廃止を遠く遅らせているさまざまな障害、たとえば、世論の高い支持などがあることを議員会議は把握している。ヨーロッパでの経験が示しているように、こうした障害は乗り越えることができ、また乗り越えなければならない。
8 よって、議員会議は、日本とアメリカ合衆国に対して、以下のように要求するものである。
 i.  遅滞なく、死刑執行を停止を実施し、死刑廃止に必要な段階的措置をとること
 ii. 「死刑の順番待ち」現象を緩和するという観点から(これには死刑執行をめぐる秘密性や権利や自由の不必要な制限をすべて止めること、刑の確定後、再審請求後の外部交通の拡大を含む)、直ちに死刑囚監房の状況を改善すること。
10 議員会議は、欧州評議会と日本・合衆国との間に死刑廃止に関する価値観の根本的な違いが存在することについて非常に遺憾に思っている。これらオブザーバー資格をもつ国々に対して、この広く開いた両者の溝に橋を架ける真剣な努力をすることを要求する。
 また、2003年1月1日までに議員会議の要求の実現において著しい進歩が見られなかった場合には、議員会議は、両国の評議会に対する包括的なオブザーバー資格の維持について、異議を唱えることを決定するべきである。

■これからの活動
 しかし、日本政府はいつまで背を向け続けるのだろう。今回の派遣団によって、日本の死刑はかなりの注目を浴びた。「隠されている日本の死刑」の状況は壊されつつある。政府間交渉の場でも、日本の死刑制度が指弾されることが予想される。また、欧州で出会った死刑廃止活動団体、活動家とのネットワークを利用して、政府レベル、市民レベルの両面の「外圧」を作り出すこともできる。例えば、四国フォーラムの「いのちの絵画展」を海外で展示しアピールする、米国の死刑廃止団体と連携した日米企画の推進など、日本の死刑に対する国際的な理解と運動が活発化する可能性が出てきた。
 私たちも国内の活動に弾みをつけるチャンスだ。死刑廃止活動への国内環境は、相変わらず厳しいが、世界的視野で見れば完全に順風の流れにある。こうした国際的潮流を、国内の活動において効果的に利用することが今後の課題のひとつとなるだろう。今年は死刑廃止国際条約発効10周年、死刑廃止に向けて新たなステップを踏み出そう。

カンパのお願い

暑い中、恐縮ですが、遠征費用のカンパをお願いします。 300万円を目標にしたものの、時間がなかったこともあり、集まったのは100万円でした。節約して総費用を抑えましたが、結局100万円の赤字が出てしまいました。ご支援をよろしくお願いします。

 郵便振替口座 00180−9−572012
 口座名義   欧州参加基金

17人の旅人たち、欧州見聞記


◆チリ法務大臣と握手
免田 栄(冤罪元死刑囚)

 私のような社会一般の方と同じ資格のない者を、フォーラム及びアムネスティの皆さんの強い支援で、欧州における死刑廃止世界大会及び欧州評議会に参加する機会を与えていただいたことに心から感謝します。
 私は死刑囚で、獄中34年、この鎖を解く再審を繰り返し行い、やっと解けて社会に帰り、私の例が二度と起きないよう恥も外聞もかなぐり捨て運動を続けて参りました。
 実のところこの度の欧州行には二の足で決意がつかずいる時に、東京の某先生から激励されまして家内と共に参加しました。
 この度の大会に参加し、特に学びたい問題が二つありました。それは前述した通り、再審無罪判決における人権の復活です。私は確かに無罪判決は受けました。けれど「確定判決の取り消しもない」「年金の支給がない」「司法界は責任をとらない」。これと死刑を廃止して代替の刑をいかに定めているか、これを知りたかったのです。
 この度の行事は6月17日12時成田発の飛行機でした。初めての外国旅行。安田先生、江頭氏、高田さんその他多くの方々に見送られ、ミラノ経由でローマに着いたのは13時間後、時差の関係で日が高いところにありました。
 6月18日、この日から毎日早く起きて食事もそこそこに行事に参加です。私は死刑囚で、獄中に34年もいたという奇怪な人物と放送関係が扱っていて、毎日記者会見で寸時の間もない状態でした。
 イタリアの行事はバチカン訪問が主題で、法皇に会えなかったのが残念でした。  フランスのストラスブールに行って21日、第1回死刑廃止世界会議の時、私は通訳の方と玄関で雑談していました。そこに紳士が来て笑顔で私の手を取り握手されるから、通訳の方を見ると、紳士の方と笑顔で言葉を交わし、「おめでとうと言っておられる。チリの法務大臣です」と聞かされ、握手の手はもとより身体中が震えた。それでもなんとか落ち着きを取り戻し丁寧に頭を下げて「ありがとうございます。御多忙のところ、よくおいで下さいました」といって握手に力をこめ握り返し別れた。
 私はしばらく法務大臣が入って行かれた廊下を見て立ちすくみ信じられなかった。私が再審中、国会の法務委員会に証拠提出を社会党の代議士を通して問うた時に、某大臣は「書類が多く捜しているが見当たらぬ。もうしばらく待ってほしい」といって出さなかった。
 この時通訳の方に、欧州における刑事裁判で無罪判決後の身分回復について聞いた。日本と違い人権の回復は十分に尽くされていることを教わり、日本の官僚主義を改めて教わった。
 今、東京都で砂川事件といい、一人の女性が東京拘置所に拘束され、その間に病状が発し医者に診てもらい、この医者が怠慢で結果は悪くなり、執行停止で社会に出て医者に診てもらい、悪化していて手術が必要となり、これが治るまで歳月が必要となり、拘置所の医者の手落ちは歴然で国家賠償請求はもちろん、集めた署名を持って法務省に行って交渉した。待たされること1時間、署名を受け取りに来たのは側近も小遣いみたいな男で、法務大臣など耳先も向けない。
 これが天皇のこととなるとこうはいかぬ。鼻をかむからチリ紙をといわれたら側近ではなく、天皇のもっとも重き守護者がクツを脱ぎ捨てて飛んでいくだろう。これが天皇から公職を拝命されている国家公務員だ。
 チリの法務大臣のように、軽々しく私のような男に握手を求めることは夢のまた夢というのが、この国の実情である。「百害あって一理なし」。一日も早く国民が欧州の民主主義を自覚し、天皇制を廃して政治を国民の手にすることを、人生の短い私、心から願うものです。
 米国のテキサスで無実で死刑判決を受け21年も人生を費やし、やっと無罪になりこの大会に来ておられる方に会って、米国の司法実態を聞いておどろく。日本と同じく、再審で無罪になっても、確定判決の取り消しも、年金も支給されなく、司法界も詫びの一言もいわないと聞いて、米国も冤罪者作りは同じことをする。改めて米国を見つめ直した。
 欧州に来て初めての日曜を迎え、菊田先生に「明日は日曜です。どこか車で連れていって下さい」と頼み、先生は各自の希望をとられ、結果は遊覧船に乗りにいく者と二分した。
 ホテルから車で行くこと数十分。町が切れ雑木林が切れて、広々とした小丘が青々とした色を浮かせて無限にひろがる。その中に人家もある。なんだろうと集中している間に、小麦が、トウモロコシ、そしてブドウが見え、ここのブドウは一本一本孤立しているのは珍しかった。
 まもなく町があり車から降りた。町の入口には古い門があって、そこを通ると各家の窓には花がおかれ、窓から花がこぼれ落ちそうに咲き誇り、ブドウを中心にした観光の町と聞いてなるほどと思う。
 6月25日、欧州評議会。人権委員会で私がスピーチし、議員会議で福島参院議員がスピーチされて、翌日は市民集会で記者会見してフランスでの日程は終わり、パリからドイツのボンに向かい、アムネスティ支部の人に会って交流してから帰路についた。
 この欧州旅行で私が学んだものが一つある。それはフランスのテレビ塔は下から上まで芸術が入れてあるが、日本のタワーは高いばかりで美術がなく、明治政府が行った西洋に追いつけ追い越せの島国根性でしかない。私は欧州と日本の民主主義の歴史を見せられた感がした。

◆欧州の死刑廃止について
原田正治(被害者遺族)

 6月17日から6月27日にわたって欧州3ヶ国、イタリア、フランス、ドイツを訪れ、各地で催された死刑廃止に向けての市民集会、世界会議に我々日本各地から集まった17名が参加した。最初の訪問国であるイタリア・ローマ市内では、サッカーで湧く熱狂的なファンによる歓迎を受けた。
 議会議場での発言、そしてカトリック枢機卿との懇談、アムネスティ訪問など、夜にはコロセウムにて市民集会、特に日本の死刑制度について関心が強かったのが印象的であった。とりわけ、o免田栄さんの発言については欧州の有力マスメディアに対して、またそれぞれに対し日本の死刑制度の現状をアピールできたものと確信をしている。
 ローマをあとにして死刑廃止世界会議、欧州評議会の開催されるフランスのストラスブールへミラノ経由で入国。滞在ホテルから車で十数分間のところに会議場はある。フランスとドイツの国境ライン川にほど近い場所である。
 欧州各国において全ての国が死刑制度を持たないという。死刑制度を存置しているアメリカ、日本はこの欧州評議会のオブザーバー国でもあるという。この死刑廃止世界会議でも、菊田教授、免田栄さん、田鎖弁護士、私に発言の場が与えられ、日本の死刑制度の現状をそれぞれの立場から発言し世界に向け訴えてみた。欧州評議会では途中参加の参議院・福島瑞穂議員のスピーチもあり、議場のロビーにおいては日本の死刑囚の人達が精を込め描いた作品展『いのちの絵画展』が催され、多くの人達の足を止めさせていた。もちろんこのストラスブールでも我々のアピールを真剣に受け止めてくれたが、世界でも有数な経済大国・日本において今死刑制度を維持しているという現実をあまりにも知らない人達が多すぎると思う。そういった点からも、今回の会議はかなり有意義に思えてならない。
 沢山の人達の発言は悲しいかな、残念ながらその殆どが私には分からない。何故かというと、それは外国語がさっぱりなのである。
 ストラスブールで5泊の滞在、その後パリへ。パリといっても寝るだけの宿泊ホテルの感じである。僅かな時間で、パリ在留期間はメディアの人達の取材が殆どの予定であった。
 国際都市パリから鉄道でドイツ・ボン入り。ボンの大学で学生たちの前での発言。ドイツ・ボンは我々第一陣の最終予定地である。
 今回の欧州での死刑廃止への旅は、日本の死刑制度を欧州各国、世界各国の人々に知って貰うためにも、凄く大きな意義を持った第一歩と考えたい。そして今回訪れた国々で、我々が訴え続けてきたことが早い時期に実を結ぶことに期待したいものである。2003年1月までに死刑を事実上廃止しなければ欧州議会での日本のオブザーバー国も剥奪されるという。欧州各国では、死刑が無くて当たり前の社会、我が国日本は死刑があって当たり前の社会。この考え方は何処から来るものなのか。民衆の中から生まれた人権思想の中からなのか、それとも国家政治主導なのか。欧州各国の人々は日本に死刑制度があるという事に驚きを覚える。そして、何故あるのか、とまで問う。今回の欧州参加で文化国家の一片を見て来たような気がする。


◆恥さらしに終わらせるな欧州ツアー
菊田幸一(欧州ツアー団長)

「日本の死刑を訴える欧州ツアー」は、文字どおり「隠されている日本の死刑」という恥を、いかに効率的にさらすかのツアーであった。その矛先に立たされのが、元死刑囚という立場で欧州のマスコミに振り回された免田氏である。無辜の罪で34年余も毎日を死に直面し、青春のすべてを犠牲にしたうえ、今また欧州にまで出かけた、その恥さらしのツアーが、彼の最初の海外旅行であったことは、まことに皮肉であるとともに、お気の毒であった。
 そのことは必ずしも、われわれが最初から意識したものではなかった。しかし結果的に、ある意味では惨めな思いにさせられた。それなりの目的は達したのであるが、われわれを待っていた欧州のマスコミをはじめとする、死刑廃止団体のみなさんは、その主たる意識は日本の死刑廃止に協力することにあったのではない。死刑のないことが当り前となっている国の優越感を満足させるための材料とされた。
 出発前にネパールの王室で殺傷事件が起きた。そのネパール王国は、アジアで有数の死刑廃止國なのだが、カースト制が残っていることを知った友人は、「ネパールという国はね」と軽蔑の言葉をはいた。日本はどうか。天皇制が死刑廃止を阻害している。欧州からみれば死刑のある日本は「経済大国の、あの日本がね」と軽蔑の言葉以外にない。
 今回のツアーは、まさに「日本の恥さらし」の歴史的記録をつくった。しかし、このツアーは誰かが経験しなければならない国際化への踏絵でもあった。問題は、このままで済ますわけにいかない。私は、「第2回死刑廃止世界会議」を日本がホスト国となる用意のあることを総括の場で、派遣団の総意として表明した。それは欧州評議会が6月25日の宣言において、2003年1月1日までに日本とアメリカに最小限死刑のモラトリアム実現を要請したことに照応するものである。日本の死刑廃止運動にとって、2003年に向かって世界会議の準備をすることは、そのモラトリアムをどう実現するかであり、願ってもないチャンスである。やっと巡りあった死刑廃止への芽を、ここで見落とすことがあってはならない。目標が定まれば、後の問題は解決する。後の問題を恐れてこの機会を逸したなら後世の笑いものになる。
 私個人の感触では、今回の大会委員長ミシェル・トーブ氏は日本での開催を決めていると判断するが、さらに急いで確認の連絡をすべきである。むしろ日本開催をわれわれの意志で確実なものとする必要がある。そうでなければ今回のツアーが「恥さらし」だけに終わる危険性がある。欧州評議会も死刑廃止を真に人道上からの世界戦略として考えるのであれば、まず日本から死刑モラトリアム実現するため、次の大会には総力を尽くし日本に協力する義務がある。われわれは、次の日本での大会において、欧州評議会の人権意識が日本の死刑廃止のための踏絵となることが、今回のツアーの見返りであると位置付けたい。

◆法律家セッションで話したこと
田鎖麻衣子(弁護士)

 6月22日、私はパリ弁護士会主催の法律家によるセッションに参加しました。フランス及び近郊の弁護士会の代表者のほか、アジアからはインドと日本から、死刑廃止運動への取り組みの動機、死刑廃止に関して法律家が果たしている役割、死刑廃止に向けた戦略などをテーマに、発言の機会が与えられました。以下に私のスピーチの概要を紹介します。
 1994年の12月、2人の死刑が執行されました。その一人が安島幸雄さんでした。天涯孤独の身であった彼は、熱心な刑務所改革および死刑廃止運動の活動家である安島敏一・イツ子夫妻の養子となりました。しかし、死刑確定後、拘置所は幸雄さんと養親との間の一切の交流を禁じました。彼と養親は、この処分の違法性を訴え、東京地裁に訴訟を起こし、5年間にわたる審理の後、判決を待つばかりの状態が、1年間続きました。その最中、彼は処刑され、わずか12日後には訴えを棄却する判決が下されました。死刑執行後、安島夫妻は息子の遺体を引き取るかどうか、拘置所から尋ねられました。「執行されて初めて、親として取り扱われた」と彼らは言います。遺体を引き取った彼らは、クリスチャンであった息子のために教会で葬儀を行いました。その4ヶ月後に弁護士となった私は、彼らの控訴審を担当することになり、同時に弁護人として、具体的な刑事事件に携わるようになりました。
 1993年3月、日本で3年4ヶ月にわたり行われていなかった死刑執行が再開されました。以後、ほぼ年に2回のペースで、死刑が執行され続け、執行された人の数は39名にも及んでいます。その中には70歳の老人、精神障害者、犯行時19歳の少年であった人などが含まれます。また1995年に起きた地下鉄サリン事件により、厳罰化を求める世論が高まり、死刑判決の数もここ数年非常な勢いで増え、現時点での55名という死刑確定者の数は、過去数10年間でもっとも多い水準です。
 これを背景に弁護士の死刑存置論も根強いのが現状で、昨年、日本弁護士連合会の刑事司法に関するある専門委員会は、世論が深刻に分かれている死刑問題について、弁護士会は一定の方向性を示すべきではないとの意見を表明しました。
 死刑事件が増加する一方で、死刑事件と真剣に取り組む弁護士は依然として極めて少なく、刑事裁判での有罪率がほぼ100パーセントという現状にあって、死刑が予想される事案では極力事実関係を争わず、情状面のみを主張するという弁護手法が多くみられます。
 また、世間を騒がせ、大々的に報道される深刻な事件も、第一審の判決が出れば、ほとんど注目されることはなく、弁護活動は低調になりがちです。その主な理由は、第二審では、新たな証拠の取り調べは訴訟法上厳しく制限されており、第一審判決が覆されることは殆どないからです。さらに、最高裁は書面審理しか行わず、被告人は出法の権利すらありません。書面審理である以上、「弁護人が被告人と会う必要はない」というのが最高裁の立場です。こうして、過去において、少なからぬ数の死刑判決が、意欲的でない弁護活動によって、確定していきました。
 死刑が確定すると、死刑囚は原則的に「心情の安定」を理由として、一定の親族以外との交流を禁止されます。親族でも、拘置所が死刑囚の心情の安定に資さないと判断すれば、安島さんのように交流を禁じられます。再審弁護人との接見すら、30分以内に制限され、すべて看守に監視されます。このような状況下では、実質的な弁護活動は不可能です。
 死刑執行が事前に知らされないことも大きな問題です。当日の朝、執行の30〜40分前に、突然本人に告げられるのです。事前に執行の適法性を争う法的な手段はありません。以前は、再審請求中であることが、事実上執行を回避する手段となっていました。もともと訴訟法は、再審請求を死刑執行の障害としていません。しかし事実上半世紀の間、再審請求中の人が死刑を執行されることはありませんでした。このため、死刑確定者による再審請求は徐々に増え、現在では約半数が再審請求中です。ところが1999年11月、再審請求中の小野照男さんが執行されました。彼は過去に何度か自力で再審請求を行い、その度に請求を棄却されていました。ところがはじめて弁護人がみつかり、弁護人が裁判所に書面を提出したその矢先、彼は執行されました。執行後、弁護人がついたことを喜ぶ彼からの手紙が、弁護人のもとに届きました。
 この件に関して法務省は、たとえ再審請求中であっても、何度も同じ理由で請求を繰り返すなど、明らかに再審請求の理由がない場合には死刑を執行する、と述べたのです。法務省の見解によれば、今、私たちと共に欧州を訪れている免田栄さん―自力で何度も再審を請求し、6度目の請求で無罪を勝ち取った―が、今日私たちと共にいることはなかったでしょう。
 現在、日本の死刑確定囚は、毎朝執行の恐怖に脅えて日々を送っています。しかし、このような実態を、多くの日本の法律家が知らずにいるか、知っていても、裁判所の保守的な実態の前に、改革を諦めている傾向があります。1998年、日本弁護士連合会は、現状の死刑執行は、国際人権自由権規約に反し違法であり、停止されるべきとの要望書を首相宛に提出しましたが、政府のリアクションは何もありません。
 現状に於いて、これ以上の死刑執行をなんとかして回避するべく、再審請求を担っているのは、ごく限られた弁護士です。しかし、再審開始の要件はほとんど不可能に近いほど厳しく「新規かつ明白な証拠」を提出しなければならず、再審事件を担おうとする弁護士は殆どいません。完全な冤罪を主張している著名な事件には、一定の世論の支持もあり弁護士もつく可能性がありますが、多くの死刑確定者は、相談に乗ってくれる弁護士を探すのだけでも、非常な困難を強いられています。再審事件には国選弁護人制度はなく、その結果、少数の弁護士が、一人で何件もの死刑再審事件をまったくの無報酬で抱えるという事態が起きているのです。
 今、私たちが抱える深刻な問題は、日本の法律家は、日本の死刑の残酷かつ非人道的な実態を認識していない、ということです。ですから私たちは、裁判官、検察官を含む日本の法律家たちに、隔離された独房での深刻な人権侵害の事実を知らせるため、ヨーロッパの皆さんたちの協力を必要としているのです。私たち自身の取組が、さらなる努力を要することはもちろんです。
 しかし、敢えて言いたいのですが、ある制度が間違っている、あるいは改善を要するという認識は、往々にして、他の制度との比較の中から生まれてくるものです。そしてこのような認識が広まり、国境を越え、改革を成し遂げていくのです。残念ながら日本では、「人権」という考え方じたい、定着していませんが、このような現状から私たちは直ちに、死刑廃止に向けて動き出さなければなりません。私は、昨日議場に於いて、多くの発言者がアメリカ、そして日本の状況に焦点を当てているのを聞き、とても勇気づけられました。欧州の皆さんと協力し、私たちが死刑廃止の第一線に参加できる日を、心待ちにしています。

◆ 欧州企画に参加して
童銅啓純(四国フォーラム)

(1)「いのちの絵画展」を展示して
 いのちの絵画展とは「死刑囚」の獄中制作の絵画展です。1997年9月に始まり、「死刑囚」22名の参加、作品総数は140点あまりです(新参加、新作出品は今でもあります)。現在まで国内で36ヶ所の開催、総来場数は約5万人で各地で大反響の展覧会となっています。今回は国内での開催と重なり、複数出品の出品者17名、30点を2つのトランクに詰め各国で展示しました。展覧会場は2ヶ所で、その他市民集会、記者会見場など7ヶ所で数点ずつ展示しました。
 1枚1枚の絵の存在は彼らにとっては数少ない外とのつながりと生への証になっています。そして、絵の裏では殺人があり、冤罪、部分冤罪があり、劣悪残虐極まる死刑獄中生活があり、処刑があるのです。その上、獄中での制作表現は数々の制約があり、近年になるほどきびしくなっているのです。これらのことを内在した上で作者は作者の「今」を絵で語っています。花におきかえ、神仏になぞらえ、空想の中で……。
 欧州での感想は少ない点数、短時間、不備な展示にもかかわらず、非常に手応えがありました。日本と同じく、絵画的表現でつたわるものが、欧州の人々にも確実につたわりとても有意義でした。そしてイタリアA.I、ドイツA.Iから開催の打診があったことはなによりもの成果でした。
 この打診を活かし、世界中に発信してゆくことが彼らの命の絵を引き受けたことの当為だと思ってます。

(2)デモに参加して
 6月23日、死刑を廃止した国の中で死刑反対のデモがありました。中東らしき人々の悲痛な横断幕など様々なスタイルの人々が、ストラスブールの町を約2時間行進しました。私は沿道の壁に登り、全体を見たのですが、前頭も後頭も見えませんでした(主催者発表5千人。私はそれ以上と確信あり)。高見から眺めると、沿道の人々、警官、足留めになった長い車の列、参加者、みながみな、これでいいのだといわんばかりにデモを眺め、見守り、途切れさせずに、途切れなく進むのでした。デモはデモ以外を威嚇、示威することなく、デモ以外はデモをうろんじることもなく、その境界は分からなかったのです。
 これは、この地の人々の死刑に対しての意思の表れなのでしょうか。時にはけたたましいクラクションが鳴っていましたが、それさえ私の耳にはエールの様に聞こえました。大げさにいえば、町全体が死刑反対、死刑復活阻止をアピールしているかのように見えたのです。日々の生活の中に根づいているなにかが、死刑を相容れない精神となり、死刑制度がいかに愚かで残虐で野蛮な行為なのか見抜いている自信がこのデモとなり、この大会となっているのではないのでしょうか。
 民主主義、宗教といったはんちゅうの中に答はあるかもしれませんが、母国語しかわからぬ私には確かめることはできませんでした。しかし、宗教、民主主義を根底からささえている人々の営み、その中で人と人との豊かな関係性、いつでも個にたちかえれる力量を旅の中で接し、垣間見た私は、これらが、この地の風土、国の成り立ちとあいまぜあってこの姿となっているのではないかと肌で感じたのです。
 いいたらぬことが山ほどありますが、最後にこの企画にたずさわった内外の方に御礼を、そして団長菊田先生、石川さん、鈴木さん、みな様お疲れさまでした。ありがとうございました。いつか必ず死刑復活阻止行動を共にしたいと願ってます。

◆闘って、よかった
免田玉枝

 成田から飛ぶこと14時間、ローマ着陸。ここまで来るには、不安や心配複雑な毎日からの決断でした(二人一緒ということも含んでます)。
 乗り物酔いもなく、元気に第一歩を踏み出し、出口ではなんのチェックもなく出ることができた。これにもビックリ。
 迎えのバスに乗り、市内へと走り出すとガイドさんが、今日はサッカーでナカタのチームが勝ったので普通は30分ぐらいのところ時間もかかりますよ、と。「なぜ」と不思議に思っているうち事情判明、歓声とクラクション、旗の波、ラッパの音にびっくり仰天。私までがナカタ・ナカタと叫んでいた。バイクはほとんど二人乗りで集団を作り、その様は暴走族に似ているが、スピードではなく一緒に勝利を喜び合ってブーカ、ブーカと鳴らしながら走りまくる。イタリア人の陽気な出迎えにみんなで大喜びした。
 いろんな行事に毎日参加しながら、どんな感動に出会うのかと、未知の世界に踏み出す喜びと、不安。世界大会に参加する自分は、今までにどんな事をやってきたかと問えば、「わかりません」しか返らない。
 自分の生活と結びつかないものがありましたが、帰ってからいろいろ振り返るうち、取り残しをしていたのがわかった。
 結びつけるのではなく、私にだけしかやれない行動が見つかった。一人だけだったり、二人一緒にだったりするが、これを機会に結婚17年目、これからは何となくではなく、目的がはっきりしたので、一歩踏み出せると思う。もう踏み出しているかも?  よその国に行って、自分たちの生活を振り返り、一緒に生きて行く意味と価値の深さをあらためて知らされた思いです。どれだけの時間が残されているかわかりませんが、目標は見えてますので進みながら、また感じながら喜び元気を忘れずにです。
 参加の感想と思いながらも、はっきりかけるような報告が出来ず、ゴメン。ただただ、日本語のみしかわからないので、傍聴席で聞いてもわからないし、通訳の説明も十分に理解不足。一番わかる場所は夜、夕食の交流での話題は、会議のことや、日本での活動など、ゆっくりした気分で交流とまた初めての学習でした。
 フランスは散歩する犬も一緒に歩く人も、ゆっくりした時間の流れで生活している。建物や彫刻なども歴史的なものばかり並んでいる。深みのある風景の中を次の会場へと急ぐ一団はどんなに映ったことでしょう。
 そして多くの人々に出会い、感動的な実践や報告は自分の中にしっかり受け止めることが出来ました。私の持論は「闘いは生きもの、やってみないとわからないし、必ず思いもつかない成果が生まれる」。今度のこともまさに「闘ってみて、よかった」と報告しておきます。
 多くの皆さまの助けで参加できました。不足だらけの報告ですが、こんな私も行けたし、行動すれば何かが身体に感じて残ることです。

◆「第一回死刑廃止世界大会」に参加して
安川日那子

 すでに死刑が廃止されているヨーロッパ・フランスに於いて、何故、第一回の世界会議が開かれるのだろうと、疑問に思い、自分の目と耳で確かめたいと思い、今回の旅行に参加した。私にとって、ヨーロッパは初めての地であったが、ストラスブールの古いお城の家々と、ぬけるような青空は、すばらしい環境であった。街の樹木は、札幌に似ていて、そんなに都会でもなく、田舎でもない。一日は、おだやかに流れているように見えた。これがパリで開かれていたならば、気持に余裕が持てなかったように思われる。
 20年前、フランスで死刑が廃止された時には、何人かの政治家の強いリーダーシップと決断で、廃止されたように聞いているが、日本の廃止運動は、国民の多くの同意を求め、高なりを求めて、廃止に持っていこうとしているように見えるが、もちろん、国会議員の活動も聞いているが、これは、今までの歳月をみても容易ではない。大変無謀な考えとは思うが、今までの運動を続けると共に、一方で、強いリーダーシップを持った廃止論者の政治家を育成すべきではないだろうか。公明党が、今の政党のなかでは、一番熱心に思われるので、他の政策も考えなければならないが、我々廃止論者が、この熱心な政党が、政権をにぎるべく応援してはどうだろうか。私は、決して、この党のまわし者ではないが。
 今回の世界会議で、ヨーロッパ諸国は、先進国としてのアメリカと日本を非難し、日本に圧力をかけることを述べていたが、又、日本のスピーカーも、日本に圧力を期待するスピーチが多いように思えたが、日本国は、ヨーロッパの圧力で、廃止にむかうだろうか。それは、京都議定書の件でもわかると思うが、反対に、アメリカの圧力には屈するようにも思うが。
 この会議に参加して、多くのフランス人が、死刑廃止に関心を持っているような錯覚を憶えたが、ストラスブールの一市民の家を訪問する機会を得て、話しをした折、彼等は日本に死刑がないと思って居り、今回の会議には、あまり関心がないようであった。廃止運動に関して、よく知らない私が、このような意見を述べるのは、問題かもしれないが、あえて述べさせてもらった。
 今回の旅行で、私の得たものは、廃止にむけて、いろいろな意見と経験を持った人と知り合えたことと、自分の国のことでもないことを、熱心に議論をする人がいることを知り、自分自身の狭い世界が、少し広がったように、思っている。一緒に会議に参加された皆様には、大変お世話になり、ありがとうございました。また今回の旅行を、まわりから応援して下さった安田先生を始め、多くの皆様には、心より感謝を致します。

◆正確厳密な死刑廃止論の確立を
後 義輝(フォーラム90)

 欧州会議は6月末、日本と米国に死刑廃止を求める勧告を採択した。
 同勧告は、欧州会議にオブザーバー参加している日本と米国に、(1)死刑執行の即時停止、(2)長期的には死刑廃止を求め、2003年1月1日までに改善なき場合、オブザーバー資格の停止を検討すると最後通告している。
 在フランスの外交筋は、「日本が外交的に最重視する米中ともども『欧州の敵』と認定されることは避けたい」と苦しい立場を打ち明けたという(共同 信夫聡記者。京都新聞01・7・1)。
  勧告は、直前の第1回死刑廃止「世界大会」を踏まえているのであり、「欧州に働きかけ、欧州から援護を」という私達の目的の、まずの第一歩、重要なそれが、まさに発動されたのである。
 これを大切に活用して、死刑廃止に向けて、今こそ運動を飛躍的に前進させるべきである。
「第2回死刑廃止世界大会を日本で開催」の濃厚な可能性をも、たぐり寄せて帰ってきた。それの実現は、日本の死刑廃止に極めて重要な意義をもつであろう。それゆえに是非とも、それを実現しなければならない。
「殺すなかれ」と「残虐をするなかれ」、且つ、それらの無条件性、絶対性という真実、この人間倫理の根幹は不滅であり、その真実、倫理の浸透をめざす人類の意志、宿願は健在にして、高まっている。
 それを切実に肌で実感して帰ってきた。
 ストラスブールにおける公表5千人、実感1万人になんなんとするデモは、人類のその意志、宿願を静粛、荘厳に全世界に示した。
 前記勧告は「誤判の危険性を伴い、防犯効果も認められない死刑を『反人道的』と認定」している。まさにそうであるが、死刑の非人道性の中枢は「生命を奪うこと自体の残虐及びそれと不可分一体の残虐な恐怖(毎日及び執行の直前、寸前、瞬間の恐怖)」にある。
 死刑の体験者というべきドストエフスキーや免田栄氏などは、そう証言している。  正確厳密な死刑廃止論の確立が、一日も早い死刑廃止の実現、且つ廃止後の死刑復活阻止の運動上、極めて重要である。右の証言、真実は、それの根幹となるべきものである。
 前記大会の「基調報告」や「宣言」などにも私は、私達はいまだ正確厳密な死刑廃止論の確立に至っていないことを感ずる。
 正確厳密な死刑廃止論に立つ時、死刑の存廃は、世論を超えていること、且つ、これもそれ自体無限に重大である被害者・遺族問題をも超越していることが、歴然としてくる。しかし、現実問題としては、世論は重要であり、被害者・遺族問題は、特にそうである。
 国家が死刑とその執行でごまかしている被害者・遺族問題が、もっと重視されるべきである。第2回死刑廃止世界大会においても。
 罪因・防犯問題についても、私は、そう願っている。ちなみに学童8人殺害等のT容疑者の罪因には、罪因として偏狭にしぼり込まれている「精神障害」よりも、「学」力、「学」歴偏重の現社会の病理と「孤独」、その中枢をしめる「性における孤独」という事実、問題が深甚に横たわっている。
 そして、この事件の場合、まさに、死刑制度があるからこそ発生した重大事件であるとも言い得るのである。「死刑になりたかったから」云々と供述しているではないか。

◆死刑廃止欧州企画ドイツ報告
志村 恵(アムネスティ)

<パンフレット翻訳> 連休をメドに着手。後、ネーティヴ・チェックをした上で、入稿・校正。ドイツ語版を作ったことは、特に、アムネスティのコーディネーター(ボイツェヴィッチ:以後サーシャと略)に大変評価された。今後の活動につながる基本資料になると思う。
<ドイツ企画のコーディネート> 4月中旬にアムネスティ・ドイツ支部に死刑廃止のための特別企画の照会をする。その後、事務局から死刑廃止担当のコーディネーターのサーシャに橋渡ししたとの連絡。しかし、担当事務がその後休暇に入ったり、イースターの休みが入ったりで、サーシャと連絡がついたのは、5月5日であった。  最初打診した記者会見は、6月26日が「拷問廃止キャンペーン」の全国記者会見があるため無理とのこと。免田さんは、日本の死刑の象徴的存在であるからぜひ歓迎したい、大学で何かできないか考えると提案があった。しかし、イタリア・フランスでの日程調整のため、ドイツでの滞在が最終決定するのが遅れ、また派遣団のボン滞在が4時間程度になってしまい、相手側にも無理を言うことになった。大学企画は、法学の専門家とのセッションを考えていたが、報酬の問題等で行き詰まる。ぎりぎりまで、調整するということで、渡独後、さらにすり合わせることにする。
<渡独後の調整> 6月23日にドイツ入り。サーシャと連絡。免田企画は固まる。25日まで、コブレンツにて免田、菊田、原田、田鎖各氏のスピーチのネーティヴ・チェック。25日、ボン入り。26日、サーシャと最終打ち合わせ。28日の菊田教授の講演会固まる。
 27日、派遣団を迎え、すぐにボン大学日本学科での免田さん講演会。免田さん、原田さんスピーチ。質疑応答の中で、菊田教授補足説明。科長のクライナー教授も参加。教授は司会と通訳の補助もされる。研究対象である日本への死刑廃止の期待感じる。
 28日午後、まずサーシャと菊田、石川、志村で今後の活動について面談。具体的な協力活動について詰める。4時からボン大学法学部にて、菊田教授講演会(学生組合共催)。学部長も出席。よい質疑の応酬があった。志村も個別支援の経験から補足した。その後、慰労・食事会。
<今後の課題および反省点>
(1)企画段階から、企画および現地でのコーディネートをする人へ十分な情報伝達を随時行う。全体のコーディネーターのほかに、連絡担当、広報担当が必要。
(2)企画段階から明確な役割分担をし、各参加者が全体を見ながら対応できるようにする。
(3)外国に出かける場合には、会議の調整・通訳のスタッフ以外に、十分な外国語能力(できれば英語と現地語の二ヶ国語)を持つ、ツアー・コーディネーターを複数名用意したい。特に、今回のように広く参加を呼びかける場合。
(4)外国の習慣(休日、休暇、雇用形態、ボランティアの有り方)も考慮して、十分な準備期間を備える。今回は日程上無理だったが。

◆第一回死刑廃止世界会議に参加して
藤田真利子(フランス語通訳)

●会場の外で
 大会そのものを語るのは他の参加者の方々におまかせするとして、会場の外での経験から感じたことを書いてみたい。
 免田さんご夫妻と会場からホテルまでタクシーに乗ったときのこと、運転手さんが、「後ろの人はあなたのお父さんか?」と言う。ちがうと答えると、「テレビで見た、死刑囚で30年以上も刑務所にいて、無実がわかって出てきた人だろ?」というので、メディアでかなり大きく取り上げられたことがわかった。ところが、その運転手さんは、免田さんがアメリカ人だと思っていたようなのだ。日本だと言うと、日本には死刑はないと思っていたという。
 次に、原田さんがお知り合いの家を訪問した時同行して、死刑廃止大会の話になったら、「日本は死刑はないんでしょう?」と言われ、「ある」と答えると、あんなすばらしい文化のある国でと言われたこと。
 さらに、帰るとき空港に向かうタクシーでは、運転手さんが「わたしは死刑に賛成だ」と言い、議論をふっかけてきた。なんでも、子どもを殺して刑務所に入り、出てきた後でまた子どもを殺したという事件があったそうで、最初のときに死刑にしておけば、二人目の子どもは殺されずにすんだという主張である。いろいろ反論しても、その子は殺されずにすんだの一本槍。結局、フランス人の友達の、「中国ではな、税金ごまかしただけで死刑になるんだ。連中に好きなようにやらせておけばそうなるんだぞ」というかなり強引な議論で決着がついた。同国人だけあって、弱点をよく知っている。
 この三つのできごとでわかったのは、a.死刑は野蛮だという共通認識があること、b.日本は野蛮じゃないから死刑はないと思っているらしいこと、c.メディアで、かなりアメリカが攻撃されているらしいこと、である。そして思ったのは、死刑廃止に果たすメディアの役割である。最後の運転手さんにしても、確かに議論好きのようすではあったが、このトピックに慣れているという印象を持った。死刑制度の是非が社会の表面で「問題」になっているのだ。日本では、見たくないものは無いことにするという風潮をメディアが支持している。
 これから、バダンテール氏の『死刑廃止(仮題)』の翻訳に取りかかる。自分の依頼人がギロチンで処刑されるのを見た朝から、死刑廃止法案が議会を通過した日までの闘いを書いた感動的な本である。強い信念と献身があれば物事は成就するということを教えてくれる本でもある。当面は、自分の仕事を通じて、死刑制度の是非が社会の「問題」となるように、努力を続けるつもりだ。


◆意義深い日本からの参加
郷原佳以(フランス語通訳)

 ストラスブールで第一回死刑廃止世界会議が開催されることを知ったのは、今年の二月あたりだった。死刑廃止メーリングリストかフォーラム90のホームページを見て知ったのだと思う。ちょうどフランス滞在中であるし、死刑廃止を願う世界中の人々の集まりに参加し、死刑をめぐる各国の状況を知り、また、日本の現状を他国の人々に伝える現場に加わることができればどんなにいいだろうと思った。死刑廃止は自分にとってかなりのウェイトを占める関心事でありながら、留学中の自分の専門とはあまり関係がないという理由で、ほとんど何の行動もできていないことが気にかかっていた。しかし結局、六月は日程的に参加が難しそうだったので断念していた。ところが六月になって鵜飼先生にお誘いをいただき、学校の方も何とかなりそうだったので、お手伝いとして参加させていただくことにした。参加してみると、死刑廃止という一点に向けて確固とした信念をもち、一人一人様々な角度から活動しておられる個性豊かな日本派遣団の皆さんに出会うことができ、お手伝いというよりも、むしろ皆さんの姿勢に教えられることばかりだった気がする。
 ところで私は、渡仏前には、フランスはすでに死刑が廃止されているのだから死刑論議はもう行われていないのではないかと漠然と考えていたが、実際には、大型書店に「死刑」テーマの特集コーナーが作られていて、人々の関心の高さが伺われた。死刑が存置されていながら議論が少ない日本とは雲泥の差である。しかし、これまでのフランスにおける死刑廃止推進運動は、もっぱらアメリカ合衆国を標的としていたといってよい。大量の死刑執行を行ったテキサス州知事が大統領となるにおよんで一層危機感が高まり、カトリーヌ・ドヌーヴなどの著名人も登場して様々な抗議行動が行われた。
 そのような中で、テロリスト、ティモシー・マクベイの処刑、そして、被害者遺族に向けたそのテレビ中継という異常な事態が報道された。この処刑は死刑廃止会議の直前だったこともあり、アメリカの現状を思い起こさせるために会議中何度も言及された。このように、フランスでは、アメリカの現状に対する危機意識は一般にもかなり高いものと思われるが、今回の会議でオブザーバー国待遇が問題となったもう一つの国、日本については情報が少なく、日本に死刑があることを知らない人も多かったようである。このことは、「いのちの絵画展」を見たフランス人の言葉から、また、会議主催団体「みんなで死刑に反対しよう」会長ミシェル・トーブ氏の言葉からも伺われた。この点からも、日本派遣団が会議で果たした役割は非常に大きなものだったと思う。これもトーブ氏がおっしゃっていたことだが、一つの目的のために、元冤罪死刑囚、被害者遺族、弁護士、法学者等、多様な立場の方々が集まって行動したということが、よい形で作用したのではないかと思う。派遣団の働きはきっと、ヨーロッパが今後日本に圧力をかけるための芽を植えつけたはずである。各国との連絡を密にして、第二回会議につなげていけますように。

★17人の旅人たちと現地でサポートして下さったスタッフを紹介しよう。みなさんの協力がなければ、歴史的な旅も叶わなかった。ありがとう。
 旅人たち(敬称・肩書略、順不同)
免田栄/免田玉枝/原田正治/菊田幸一/福島瑞穂/鎌田慧/田鎖麻衣子/益永陽子/安川日那子/松本慶恒/後義輝/童銅啓純/島谷直子/川村理/新津久美子/石川顕/鈴木智美
 現地協力者
イタリア:斉藤ゆかり(翻訳家)/リッカルド(アムネスティ伊支部)/ステファニア(聖エジディオ共同体)
フランス:ファブリース(アムネスティ仏支部)/コリン・コバヤシ(作家)/鵜飼哲/森千佳子/郷原佳以/藤田真利子(以上通訳)
ドイツ:志村恵(アムネスティ金沢)/サーシャ(アムネスティ独支部)

●報告集会だワン●

■東京■
 世界は知らなかった! 日本の死刑
 欧州死刑廃止の旅ビデオ上映と参加者からの報告(免田栄、原田正治、菊田幸一、福島瑞穂、田鎖麻衣子)
 日時 8月24日(金)午後6時
 会場 明治大学新研究棟4F第1会議室
 参加費 300円


■大阪■
 世界があきれた日本の死刑
    ――まだ執行をしているの?
主催:死刑廃止フォーラムinおおさか
  (連絡先:中道法律事務所 06-6364-5411)
日時:9月8日(土)午後1時30分
場所:エルおおさか 5階視聴覚室
ゲスト:田鎖麻衣子(弁護士)
    原田正治(犯罪被害者遺族)
参加費:1000円

大阪でビデオ上映の予定はありません。この案内を見て追加されるかも。


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