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生活協同組合 エル・コープ 協同組合運動研究会 《2004年6月例会報告》の記録
生活世界とアソシエーション−地域社会と生協運動−をめぐって
報告者 柏井 宏之(市民セクター政策機構)
《もくじ》
1) 本日のテーマについて
2) 参加者の一言
3) 発言を受けて
4) 日本社会の停滞と生協運動の問題点
5) 〈生活世界〉の目的の変容
6) ヨーロッパでの「新しい協同組合」
7) 主体としてのワーカーズ・コレクティブ
8) 「市民労働」をめぐって
9) 地域社会づくり
感想から
(カットは公共広告機構のポスターから)
1)本日のテーマについて
司会(境 毅)
それでは後若干遅れて来られる方もいらっしゃるようですが、始めさせていただきます。今日は市民セクター政策機構の柏井さんをお呼びしました。そしてお手元に先にお渡ししました資料ですね、これは季報『唯物論研究』という田畑稔さんが編集している雑誌ですが、そこに「生活世界とアソシエーション」ということで(上)(下)で論文が出たもののコピーです。これは非常に素晴らしい論文で是非お話しを聴きたいという事で今日は来ていただきました。それで簡単な自己紹介も含めてお願いできますでしょうか。では宜しくお願いします。
講師(柏井 宏之)
こんにちは。生活クラブ生協とワーカーズ、生活者ネット、生産者の関連グループが母体になっている研究所の市民セクター政策機構にいます。1979年に、生活クラブの創始者であった岩根邦雄さんらが、前身の社会運動研究センターをつくられ、『社会運動』という月刊雑誌を出して今年で25年、まもなく300号になりますが、実は十数年前に京都でこの協同組合運動研究会と、岩根さんが交流したことがあります。岩根さんは京都のご出身ですね、境さんが『社会運動』に投稿されたこともありますし、黒岩さんが話されたのも載りました。94年1月の166号にはエル・コープの「わたしたちのめざすもの」も載っていて「協同、生活協同組合、産直運動、地域、自治、働く場」の6項目の基本方針は今読んでも新鮮ですね。西と東の都市型の生協という点でこれからも色々とお付き合い出来ればと思い、今日参りました。
私は関西の出身で大阪の育ちなんですが、60年代、当時の灘神戸生協芦屋店の店舗で働いたことがあり、そして80年代、生活クラブの店舗の無い班別予約共同購入の生協へ行きましたので、随分と協同組合の中での生協の活動や形態が違うなあと感じましたし、皆さんも京都生協がある中でエル・コープという全く違ったタイプの生協をやっておられるので、是非色々と感想を聞かせて戴いて持って帰れれば有り難いと思っています。
今日お手元の資料は『唯物論研究』に載ったものですけれど、そのために書いたのではなくて実はさまざまな論客を含めたある研究会がありまして、今の生協のかなり考え方が違った中では、悪口にはならない範囲内で慎重に書いた文章なんです。それでもこの文章は食料自給のナショナリスト論だということで、そういう見方をされた文章でもありました。私はナショナリストとして食料自給を言っているつもりはないんですが(笑)…。去年7月に田畑稔さんをお呼びして「アソシエーション・フォーラム」というのを市民セクター政策機構が開き、その集まりの資料として出した経過で、田畑さんが主宰しておられる雑誌に載りました。
ここで私が書いたことは、一つは日本の生協は60年以降急速に発展を遂げて、一定の成熟段階に達しているという認識の元に、一般には「再帰的近代」の課題といわれているわけですが、それを「自己反省的な近代」の課題とわかりやすく言い直して、生協に多くの課題があるんではないか、というのが基調になっています。
二つ目が生活世界、私たちが依拠している生活世界もこの20〜30年で大きく変わってしまったんではないか。従って最初の生協の理念や考え方というものが非常に大きく変わってきているという事を展開しています。
三つ目には生協を担う主体ですね。主婦層を基盤として生まれたわけですし、また中心に団塊の世代がいた。その二つがモメントになって大きな推進力になったけれども、主婦層が既に社会的に解体状況で働きに出るとか、あるいはかつての様に班で集うという事柄が余り好きではないという世代が主婦であっても多いわけで、主体という意味ではかつての様に呼びかければパッと集まってという風にはなかなかならないし、団塊の世代がいよいよ定年間近になっている。そういう意味では団塊ジュニアに向けて色々と流通業界が仕掛けてきたんですけれど、このジュニアに対してそう上手くは団塊の世代ほど生協活動には引き込めなかった、という主体解体の問題をどう見るかということです。
最後に、労働を巡る状況も非常に変わったんではないか。専従職員が軸であった第一期の生協職員の時期であった頃とは今は違う。店舗を軸に広がった生協ではパート労働というのが極端に増えて、多くの店舗生協でパートの比率が非常に高い。生活クラブの場合は店舗が無かったというのが一番大きい要因ですが、パートはつくらなかった。あまり労働のダブル・スタンダードを作りたく無いという事もあって、1980年のレイドロウ報告の影響の下、ワーカーズ・コレクティブが意識的に誕生しました。地域で通える範囲内で、自分たちで出資して労働して運営するという雇用労働ではないワーカーズ・コレクティブの運動が起こったわけですけれど、そこが非常に広がりを見せました。立命大の川口清史さんは私に「あんな理屈っぽいのは関西ではつくれないよ」と、90年前だったと思いますが、日生協のビジョン研究会で言われましたが、境さんは関西でもっともワーカーズ・コレクティブに熱心ですね(笑)。そして今ワーカーズ・コレクティブは、ワーカーズ・コレクティブ・ネットワークジャパン(WNJ)という全国組織をつくって、法制化運動をしながら大体600団体、1万6000人が働き、127億円規模の供給事業高を持つような団体になっています。
最初は生協の業務委託から始まりましたが、今は家事・介護・移動サービスの生活支援、子育て・託児などで地域でなくてはならない存在になった。この社会福祉分野に350団体、9000人の多くが働いています。あるいは弁当・食事サービス、パン・焼き菓子などの暮らしの中に色々な加工事業と販売で、コンビニとは違うもう一つの特色ある身近な市民事業として広がりました。リサイクル・リフォーム・石けん製造などの生活循環事業や編集・企画・調査、健康指導・鍼灸など、今では地域社会からその非営利・協同、とりわけ自律性に期待が高まっています。当初、生活クラブは中期計画で10万人の街で、26業種くらいのワーカーズ・コレクティブが生まれると仮説展開しましたが、20年以上たって、ほぼそれに近い業種に広がってきています。これらの仕事は、性別役割分業の女性のアンペイドワークのなかにあった無償労働が、労働の社会化を通して、雇用労働ではない非営利の有償労働を、カニの横ばいのように拡げてきた歴史でもあります。今、産業の空洞化と農業も野菜を含めて海外生産に依存するなかで、新しい形の社会的な労働を就労という最も大事な分野で創り出してきている、そうしたプラスの労働の変容という辺りを書いています。
従ってかなり多方面にわたっていますので、皆さんどの方面にご興味がおありなのか、最初に伺った方が良いのではないかと思っています。皆さん生協の労働なり、ワーカーズなりされながら、今一番こういう辺りが私にとって関心があるという事を、出来ましたらお名前と一言発言を2分間くらいで少し意見を戴いてから話しを進めたいと思いますので、こちらから回って戴きたいと思います。
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2)参加者の一言
藤井(ワーカーズ)
今エル・コープで「Bee 」というワーカーズを4月から始めました。今配送のワーカーズをしています。私は個人的にはエル・コープでワーカーズを始める以前に、年齢的にもう若くないので今更勉強してというのは無理だなと思っていたんですけれど、障害者や介護施設の様な所で何か出来ないかなと思っていた時期がありました。それでそういう方面の何かと考えていたときに、ワーカーズと出会いました。
佐々木(理事)
26種類のワーカーズが地域の中で出来てきたことによって、どういう風に地域ができるのかに大変興味を持っています。
奥田(職員)
エル・コープで非常勤の職員をしている奥田です。今は個別訪問をしています。以前は研究会の方に参加していましたけれど最近は来ていなかったので、なかなか文章を読むということが不慣れになってきていたので、この資料もやっと読めたという感じですが、興味としてはワーカーズに興味があります。
藤井(職員)
エル・コープの常勤職員の藤井です。仕事は経理をしていまして、生協の事はエル・コープに入るまでは本当に何も知らなかったんですが、こうして研究会に出させて戴いて少しずつ勉強してきました。ワーカーズという事も全然知らなくて、こうして主婦が社会に出ようとするとなかなか難しい事があるんですけれども、凄く良いことだと思いながらこうして勉強させて戴いていますので宜しくお願いします。
村上(職員)
アルファコープの村上です。今の時代はこういう厳しい時代ですね。本当に情報が一杯ある中で判断するのが難しいなあという中で、生協に勤め出して10年になるんですが、色々と考えています。柏井さんの文章の中にも"地球に優しい"というフレーズの繰り返しだけでは問題だと書いていますが、僕らの中でそのように考えずにやってきた事に反省があり、こんな時代でどうすれば良いか考えたいなと思います。
向井(職員)
エル・コープの向井です。ワーカーズの研修で東京の配送ワーカーズ轍の話を聞きました。その印象では如何にもワーカーズという感じで、凄く猛烈にやるというか職員に近い形になっていっていると思うんです。これは単に生協の違いなのかそれ以外でも理由はあるのか。
生田(アルファコープ専務理事)
アルファコープの生田です。最近の興味はですね、先ほど言われた労働の変化はこのグローバリゼーションの中でどう変わっていくか。興味にしているのは職員の仕事で、ワーカーズ的な働き方に関連がありまして、雇用労働の中でやっぱり雇われていて面白くなさそうなので、納得できる仕事が出来るかどうか。私の頭を30年前に返って、もう一度若い職員と一緒に働くという事を見直すようにしていけないかと思っています。
河崎(職員)
エル・コープの河崎です。今お話にあったのと大分重なるのですが、自分としてエル・コープと最初からずっと関わってきていて、職員というのはやはりなんでも時間を取って話し合いをしてきたという事があるんですけれども、それまで全然考えたことがなかったんですけれど今度は自分がいざ管理をする立場になった時に、生協で働くという事を面白がるという部分と賃労働で終わるのかと見ていますけれど、そういう中で職員と労働がワーカーズとどういう風に関わっていくのかに興味があります。
白塚(職員)
エル・コープから来ました白塚です。社会の状況で漠然とした不安感に駆られつつ非常に警戒しながら関係を結ぶ人々という感じですけれど、それの延長線上の日常で行われるやりとりというのがあるわけなんですけれども。配送の現場から離れて折りに触れて積極的にこちらから現状を見聞きさせてもらえる場に動かないと分からなくなってしまう不安感に駆られています。もう一つは形態という風に言いますと、確かに年齢的な問題を含めて変わってきているというのがあるんですが、実際に生協の組織自体も変わってきていると思うので、そんな働く場も変わってきていると思いますし、近い将来に世代交代というのが組織の中であるでしょうし、心意気同じくした人々が同じく世代交代を迎えてきている中で、不安感がありまして、その中で分からないなりにも自分の引き出しの中に一つでも二つでも重ねられるものが欲しいと思っています。
堀本(理事)
エル・コープの堀本です。配送ワーカーズの方もしています。やはり女性が働きたいと思っていますので、年代を超えて配送以外の事も何か出来ればいいなと思っています。
黒岩(専務理事)
エル・コープの黒岩です。僕が興味を持つのは柏井さんの文章で地域の関連についてです。僕自身が政治課題に出会う一番最初に、同和地区での子供会の活動に参加していた高校教師がおりまして、公立の進学校でしたから僕らと接点持つような教師と出会ったという事が一つあります。そのような事をやっていて団塊の世代の、全共闘世代の一番最後です。その中で自分らの中で地域という事をキーワードとして持っていたんですが、実は左翼の側と言うか共産党も含めて地域についての総括文章が何一つ無かった。そんな風な形でずっとそれが残っているというか、その中で岩根さんが生活クラブをつくっていかれた過程というか、最近は飽きてしまった部分があるのですが(笑)、18歳で読んだ時には非常に感動を受けた部分として、近しい部分や存在意識があったという事です。そういう子供会の部分もありましたし、グリーン・コープを作られた武田桂二郎さんの所謂内化の思想ですね、そこから生協をつくっていかれる部分とか、その中でもう少し自分の中で納得できる言葉というかそういう風に思って期待して今日は参加しました。
中本(理事)
エル・コープの中本です。的外れかも知れませんが自分達の中での生協をやっている事と自分の意味というか、どういう風に繋げていくのかをとてもしんどいと思っているんです。特に教育の事に関して、地域で子供を育てていくかというよりも個別の親が自分の子供どうするか、本当に分断されたような関係とその地域の雰囲気というのは大体?がっていますし、何を働きかければいいのか、本当にもう少しそういう視点を持てればなあと思っています。
立石(職員)
去年の4月から奈良の準備会を仰せつかっています。生協に戻る前に5年ほど職人の世界に憧れて生協から離れた経験があります。地域を職人町として、今も所帯をそこに置いて通っています。そういう根っこの生えた地域で、自分の足元も固めながらという思いもあります。そういう経験をどう生かしていけるのかという思いが一つあるのと、もちろん今日のテーマが政治・文化ですので、地域が奈良ということなので奈良の地域、風土、文化、歴史ですか、そういう物も踏まえてどういう地域の提案をできるのか、そう考える機会として今日参りました。
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3)発言を受けて
講師
今日呼ばれた経緯から話したいと思いますが、境さんの方から本日の研究会の内容についての提案がありました。エル・コープのヴィジョンは2000名の小さな生協の連合という事で、4000名になれば分割するという独特な方針があると。是非この考え方を含めて皆さんと、その2000名というのは何処からどういう風に割り出してそういう風になっているのか、そうする事によって何が出来そうかと一番思っているのかを是非聴かせてもらいたいと思っています。
私の文章は4章の章立てになっていますが、中でも一つはヨーロッパの新しい協同組合の中で何かヒントになるものを紹介して欲しいというお話しでした。もう一つは労働を巡る変容です。先ほどワーカーズの話しをしましたが、社会はどんどんそういう風に変わってきつつあって、性別役割分業型社会がもう本当に解体してきている中で、協同組合がそこに新しい展望をどの様に組み立てるかという事は非常に大事なことだと思います。その二点を中心に進めて欲しいという事でした。
私は、それの返答としてこの様に言いました。協同組合は新たな危機にあります。もう一度個々の自立を踏まえたアソシエーションに戻して再アソシエーションをする必要がある。つまりは今までの班だけでは無く、また既存の仕組やシステムだけじゃなく新しくアソシエーションをつくる情熱と覚悟無しには次の世代には見捨てられるでしょうと。私も大変危機感を持っていますと。そういう意味でヨーロッパの最近の動き、社会協同組合や公益のための協同組合、連帯経済、あるいは「社会的企業」という新しい事象に注目したい。ヨーロッパは今度のイラクでの戦争でもアメリカのブッシュとは違ったように、けっして市場一辺倒ではない、そこに育ってきている新しい試みと日本の法制化運動の停滞を紹介したいという事です。
同時に、近畿の京都というこの場所で、どういう事柄にキャッチ・アップの姿勢を、主体として取ろうとしているのかも是非、聞かしてほしい。この場を設けて戴いて今日は、交流という事でよろしくお願いしたいと思います。
それでそういう意味では冒頭に藤井さんが言われた障害者の課題というか、社会的にハンディキャップを持った人々についてヨーロッパで、特にイタリアで広がっている社会協同組合B型については少し詳しく触れたいと思います。
それから佐々木さんから出ましたワーカーズの26業種の中身が、どういう風に首都圏を軸に進めてきて、地域で何が生まれたのか、かつてそういう事が出来ると思われなかった中で可能性が見えてきている話しをしたい。奥田さんも藤井さんもワーカーズのお話が入っていたと思いますけれど、その辺はワーカーズの内容をきちんとお伝えできればなあと思っています。また神奈川のワーカーズと東京の大泉の轍とでは、同じワーカーズでも随分違うなあという話しも、私なりに触れてみたいと思います。
生田さんの話しで言うならば、生協の労働論ですね。私は逆に言えば、2000人の規模で、地域をもう一つつくるんだという、エル・コープから言えば、その時が一つの転換のチャンスだと思っています。雇用労働から離陸する事が出来るかもしれない。つまり今の生協とは違うタイプがつくれるかもしれない。生協は専従労働といった時代もあったけれど、今は株式会社とよく似たような労使関係になったわけですよ。そこにワーカーズが業務委託で入ってきたけれど、ワーカーズも生協の雇用関係に似せている面があるわけですね。そうではなくて、ワーカーズ・コレクティブの仕組みで生協を地域2000人のかなり小単位でやるならば、最初から自治の仕組みとして出資し労働し運営するというモンドラゴン方式を提起されればどうかというのが、私が後で結論的に言いたいことなんですが…。
それから河崎さんから出ました職員の労働、雇用労働の停滞感というのは非常に深いです。もう生協陣営の中でこれ位重いテーマは無い。そこにリストラがかかろうとしています。コープさっぽろの再建の中で公然とそう宣言して実行されたし、コープこうべも大量の希望退職を行ったわけです。これからは今年の春の協同組合学会で、コープかながわの役員が労使関係に聖域はなく経営責任からリストラを行うという発言をしていました。まあそういう事柄についてどうみるかという事もありますが、そこは新しい労働のイメージを考える意味で、「市民労働」という概念についてのウルリッヒ・ベックを中心とした定義に感心しましたので少し述べさせてもらおうかと思います。
それからもう一つは白塚さんが仰いました世代交代という点で言うと、アソシエーションの再組織化が非常に重要なわけです。そこに向かってシステムで運営する面と自発性で育てる面の両面からどういう風に投げかけの必要があるかを話してみたいと思います。
黒岩さんから配送業務のほか、生協の中でどういう機能を新しく持たせていくかという分野で、これから待たれている分野はどうなるかという点が地域の接点と子供会の活動として出ました。地域というものの中で生協が主人公でなくて、人々が生協を道具として活用する仕組みをもう一度考え直す。生協が何か全部用意しますよ、という傲慢な態度ではなくて、地域が生きる仕組みを生協が具体的に一つずつ丁寧に果たす。もっと言えば、生協は地域を必要としているけれど、今の様な縦型が残る生協の仕組みでは地域は必ずしも生協を必要とはしていない、そういう危機が現在あるんではないかという辺りもお話し出来ればと思っています。
中本さんから出ました「しんどい」という教育なんかも含めて出ている事については、これは社会協同組合と関係しますけれど、ヨーロッパに広がっている社会的排除という風潮に対して社会的に包摂する、包み込んでいくという新しい社会運動、市民事業というものが先ほどの市民労働と重ねて出てきている事に注目したい。それは日本的にどう創り出すのかという事で、これは立石さんの言われた根っこの生えた地域、歴史を取り入れた生活文化とも関連することだと思いますので、そういう辺りを議論できたらなあという事で進めて行きたいと思います。
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4)日本社会の停滞と生協運動の問題点
書いてあることはお読みになって大体お分かりだろうと思いますので、書いていないことを付け足して進めて行きます。
日本社会の停滞という中で、その中で生協の果たす役割は何かということで書いています。
戦後日本の人々を繋いできた産業社会の中では、家庭・企業・学校というのは一直線に並ぶ形で、男女の性別役割分業社会をつくってきたわけですけれども、それが揺らいで剥き出しの個人として投げ出されているという状況があって、その中で人々は、若い人々も含めて仕事がなかなか無い。人と人との関係も必ずしも濃密ではなくて、もう少しある意味では隙間があった新しい人間の関係というものも求められていると思いますし、班の様な関係では息苦しいという人達が個配にうつることも増えてきています。そこに高齢社会に直面して介護の問題が、介護保険制度ができて、社会が明らかに変化した。従来家族が担っていた領域がある意味では、そこは家族が楽になる側面もありますし、ある意味では家族の下で逆に隷属的にシンドイ思いをしてきた高齢者が社会に触れるきっかけにもなって開放感を持つことも出来る、そういう仕組みがはじまりました。
日本社会の特色を集約的に言うならば、脱工業化とサービス経済化というものが、21世紀の磁場となっている。もう一つは、私の領域、つまり個人の私の領域と思われていたものがヴォランタリー・ワークというものを通して、市民化・地域化・社会化という形で開かれて、市民がになう公共の領域へと移動・転換し始めてきているのが、一つの時代の特色ではないでしょうか。ここに協同組合の働きの新しい発見の位置づけを置く必要があると思います。停滞の中でも情報公開法、NPO法、地域分権一括法、男女共同参画法など、政治改革は停滞している中でも社会改革につながる幾つかの法案は通ってきているわけです。
これは全部内容は不十分ですけれども、時代の流れは市民の手による国家の領域の蚕食がゆっくりではあるけれど進んできている。国家の領域に市民が入って社会の領域に組み直す領域が広がってきている。今までお役所仕事であった領域、官の公益法人だけが担ってきた分野が市民化・社会化し始めた。役所が特権的に押さえてきた「公」の領域を市民が民主的に自治的にリベラルに担っていく動きが、この市場万能主義とグローバリゼーションが圧倒的な中で少しずつ、隙間の中に水が少しずつ染みわたるように広がっていくという形になってきている。これは男にはあまり見えないかもしれませんが、女たちはその日常生活の中で、社会が変わりはじめていることをしっかり自覚的につかんでいます。ジェンダー視点がないと社会は停滞していますが、ジェンダー視点で見ると社会は大きく変わりつつあるわけです。
しかし一般的には、依然として小泉改革を含めて市場万能主義に伴う非常に息苦しい雰囲気があります。政権交代も進みませんし、国家主義と結んだ道徳主義や排外主義が様々な事件のおこる度にマスコミではテーマとしてネオコン的に繰り返されている状態が続いています。その中で生協は果たしてこの時代の押し開きかけているものをグッと開いて前に進めていくことが出来るのか、という力量の程が問われているのですけれど、私は実は非常に悲観的で、大きな問題点があるという現状認識をしています。
生協は、日本の数多くの法律がある中で、「自発的」という言葉が法律用語として書き込まれた唯一の組織ですね。生協法の第一条、目的の項の中に、自発的という言葉が書き込まれている点で、また二条@―1では「人と人との結合であること」をうたう、正にその意味ではアソシエーションを基礎した法人です。法的には一歩も二歩も進んでいるわけですね。これは戦前から生協が唯一、分裂せず運動としての統一を保った事や、戦後の民主改革に、官ではなく生協法の原案をつくってアクションを起す人々がいたという背景があるわけです。国家からの自立と市民活動や社会運動を、人々の日常生活の目線の高さからつくってきた歴史が反映している条項だと思います。
特に大事なことは、戦前から神戸消費組合の家庭会、これはイギリスの婦人ギルドの影響を受けたアソシエーションですが、個人の自発的参画と無名性に基礎をおいて組織活動を展開してきた歴史をもっています。日本の婦人団体、消費者団体は著名な人が活躍している場合が多いけれども、生協運動は多くの無名の、普通の人々が担ったアソシエーションを基礎に、生活空間の中につくった歴史があり、その意義というものを再確認したいという事が一つです。
1960年以降、生協は新たに産み直された。それは〈戦後〉が終わって〈高度成長〉という新しい時代のもとに新住民の多い都市が全国各地につくられたことと関係します。そこに「60年安保・三池」という広汎な社会運動の余熱が触媒の役割を果たします。それまでの町内会生協や工場内の勤労者生協という古い形が脱構築されて、スーパーマーケットと共同購入の市民型地域生協に転換した。それによって町内会・米屋・酒屋など古い地域ボスの権威主義的なつながりのなかにいた消費者・新住民を基盤として、出入り自由な無名なひとびとの班を生み出し多様なアソシエーションをつくるという時代を切り拓きました。戦後民主主義の〈個と集団〉のよい面を体現した班や委員会活動によって人間関係資源を培って、食の安全や水問題、学校給食や廃棄物のあり方を生産者見学や講演会などを通して、生命の論理、今日でいう環境倫理に根ざしたものの考え方や発想をはぐくみました。そういう意味では、今までの政治的で反日常的な、男性中心な社会運動を日常的で生活世界に生起する多様な、女性が自発的に担う社会運動を産むインキュベータ、孵卵器の役割を果たしてきたわけです。
しかし80年代に入って生協が大きくなるにつれて、自発性よりもシステムで運営する風潮が広がります。つまりウォーラステインが言う「反システム運動からシステムへの転換」が生協経営の好調という中でおこります。それは組合員のお客さん化で、そのキーワードは「簡単・便利」という消費特徴と組織特徴です。申込用紙の班での集計をしなくてよいOCRの開発、わずらわしい委員にならなくてすむ組織運営、つまり運営しなくても利用することが参加という流れです。
この2つが合わさって非常に大きな広がりをつくったわけですけれども、消費社会が高度消費社会というその後の消費バブルの中での浪費的行動様式は、生協の中にも深く浸透することになりました。作っては捨てる、あるいは形が古いということで廃棄にさせるという、つまり欲望と流行をつくりだす企業の側の、飽くなき廃棄戦略に店舗生協のマケーティングが巻き込まれていく。共同購入のアイテム数もどんどんふくれあがっていくわけです。
協石連をつくられた日消連出身で生活クラブ栃木実践農場の鈴木了一さんがよく引用されたことですが、ヴァンス・パッカードという人は、50年代に『浪費を創り出す人々』のなかでアメリカン・ライフを批判しました。バブルにむかう日本では広告企業・電通がモノを買わすための「戦略10訓」等といって、いかに捨てさせるか、いかにムダ使いさせるか、季節を忘れさせるか、いかに時代遅れのものにするかということをあおったわけです。それが現代の消費社会での利潤追及の普通の行動様式になったわけです。
生協も渥美俊一のペガサスクラブの影響で、チェーンストア経営から始まって何でもありの大型店舗SSM開発にジャンプしていくわけです。またボスシステムと直結した「死に筋・生き筋」を追って、供給政策は一般市場と変わらぬ世界大にまで拡大していきます。それを後押しした生協理論が実は、京都生協を基盤として野村秀和・川口清史さんらがまとめた『生協 21世紀への挑戦』(大月書店)でした。それは一言で言うなら「多数者革命」の考えです。この考えはみかけが好調なときほど陥る一種の主観的幻想です。多数者を引き寄せているという思いこみの中で引き寄せられていく。結局は多数者の声を聞くと言うことで、組合員のニーズ(必要)の名のもとに市場やコマーシャルが誘導するウォンツ(欲望)がまかり通る。それが市場の開発した「死に筋・生き筋」に重なっていきます。「大きいことはいいことだ」となって供給高の高さが評価になって、小さい生協が地域社会の中で果たす役割はほとんど無視されていくわけです。労働運動でも多数者の労戦統一が「安保・原発容認」を踏み絵にしてできあがります。「簡単・便利・欲望」と合わさってここに、現代の日本人社会の生活と労働における多数者の常識ができ上がっていったといえます。このことによって生協運動と労働運動は産業社会に対する異議申し立てとしての対抗概念が失われ、取引団体化していきました。
食の問題にもどすと、この常識の元で、いわゆるプランテーションで作られる、肥料と農薬を大量に撒いて仕入れるモノに象徴されるように、結局第三世界の人々のいわゆる食料自給の大事なところを先進諸国用の食料輸出基地に転化させて、先進国では安い価格のモノが手に入るという構造をつくった。市民生協は地域経済の生産と流通、消費に基礎を置く構造から国際物流の消費システムの一端に転じていくわけです。そこにはやったのが「日本は貿易立国、工業製品で稼ぎ、消費者は食品輸入で高い物価を下げる」という大前健一のいう「生活者」論です。ある政党は「生活者の政治」を叫びダイエーは価格破壊を言い立てました。日生協の政策討論集会では日生協物流に価格破壊の商品をという声が殺到したのに出たことがあります。その結果、アジアの多くの人々には公害をはじめ多くの問題が山積みされていった。けれども、今日私たちにはなかなかそこまで見えない。そういう"豊かさ"をここ30年で日本が食の世界でつくってしまったわけです。
他方で途上国では、飢餓がますます広がる。国連開発計画(UNDP)はその深刻な実態を人権そのものとして報告していますが、私たちを含めて鈍感です。先進国では"豊かさ"という名で飽食の世界が生み出され、日本は食品で買うものの40%くらいは食べ残しで台所から捨てられるという時代になった。オーバーな表現にきこえますが、京都市清掃局の平成4年のデータを使って公共広告機構が「輸入までして食べ残す、不思議な国ニッポン」として訴えたことがあります。私はこのポスターにショックを受けましたね。賞味期限の強化もあって、今果たして食品廃棄は減少しているんでしょうか。むしろ堆肥用や飼料用に転嫁して循環型だなんていっているのが実態ではないでしょうか。ハーバーマスがいう、そういう「生活世界の植民地化」というものが20世紀の後半に起っていて、この食の南北問題を生協はきちんと捉えることが出来ない、特に大型生協の場合は出来ない、という状態があると思います。
レイドロウ報告の最優先順位にあげられた「飢えとたたかう協同組合」の提起は先進国の生協の頭の片隅にもない、食の不平等と簒奪が「蒼い地球」でおこってしまったわけです。そのことに抵抗したのはアジアでは、国際消費者機構(IOCU)アジア太平洋地域事務所長のアンワー・ファザールです。彼はIOCUの運動が食の安全に限定しようとするのに対し、アジアの食の問題は飢えであるといって辞任されました。先進国の消費者団体はこぞってそれは政治的な問題であるとしたのです。もう一人はアメリカのラルフ・ネーダーです。アメリカが一時、消費者運動で世界をリードしますが、彼の役割を苦々しく思った大手企業がラウンド・テーブルを立ち上げて反撃にでます。ネーダーの社会的排除を決め、その中からコーデックス委員会というサロンを立ち上げ、今ではそれがWTOの軸の一つになって世界支配しています。このことは京都西陣出身の野村かつ子さんがいつも強調されていることです。まだお元気ですよ。そのあたりを勉強すると消費者運動がどんなに変質したかよくわかります。60年代のアメリカは世界をリードした消費者運動のメッカでしたが、90年代以降は多国籍企業の世界支配の発信地に劇的に変わりました。つまりその影響の元に消費世界ができあがっています。その意味で生協は、ドイツの社会学者ベックがいう再起的近代、私はそれを自己反省的近代といっているわけですが、そういう問題に数十年前からぶちあたっているわけです。つまり生協の発想転換が問われているわけです。
現実はグロバリーゼーションの影響が生協を直撃しています。右肩上がりの経済の時代は終わっているんですけれども、今、それにも拘らずここに来て生協の主流は、スケールメリットを求めてジャンプしようとしています。何故か。ここにきて日本に消費分野の多国籍企業の進出がおこりつつあるからです。大阪と千葉に出たフランスのカルフール、これは失敗しつつありますけれども、世界最大40兆円規模のウォールマートが進出する寸前です。すでに東京で赤字の西友を傘下において日本人の消費傾向をつかんで出てこようとしています。ダイエーの解体・売却・再編がその引き金を引くでしょう。
多国籍企業のビッグスーパーはアメリカ、ヨーロッパでは成功しましたが、日本では進出が遅れていた。しかし消費大国の日本は魅力的です。日本の食生活、日本の商いをしっかり押さえないとダメだということで、というのは韓国でウォールマートは成功していない。そういうこともあって東京都内で非常に人気が高かった西友が、ウォールマートに事実上買収された。これで西友は職員を解雇しなくて済んだということで労組が喜んだんですけれども、2年経った今年六千人くらいのリストラが吹き荒れた。これから首都圏が消費戦争の台風の目になってくる。
40兆円という世界規模のウォールマートに対して、日本の生協全部合わせても3兆円くらいの規模ですから、日本の大手市民生協はどうするのか、です。それに備える戦略としてリージョナルな事業的連帯という名において合併・統合が起こっています。結論は各地域での年間の事業規模を3千億から4千億の規模を持たないことには、対抗できない。コープこうべは3800億円までいきましたが今は降下して2900億円くらいです。コープこうべくらいの規模を持ったものを7地域くらい作るためにということで、県域を超えたリージョナル連帯というのが今進められています。生協は合併や統合を連帯というのですから不思議ですね。組合員主権の単協運営は後退し、二次組織のマネージメントに事実上、運営主体は移ります。10数年前、コモジャパンということでビッグスーパーに対応するため、高村さんの時代に試みられたことの形を変えた登場です。関西で言えば、あの頃大型店舗を批判していたいずみ市民はコモジャパンに入るのかどうかと言われて11番目の生協として慌てて入りましたね。今はコープこうべが日生協の中ではリーダーシップを失い、コープとうきょうが握った格好になっています。コープとうきょうがコープかながわと連携を進めた時代もありましたが、これが挫折、今さいたまコープと事業合同して、ちば・ぐんま・とちぎ・いばらきの単協もコープネットに加わり、ここに一つの時代の構造をつくって、そのリーダーシップのもとで7つのリージョナル統合を形成して一緒にやろうと試みています。別にやりたくないところはやらなくていいという格好で、進めようとしています。それはイギリス、フランス、ドイツと多国籍企業に敗れた生協が、今の北イタリアで多国籍企業に対抗するためにとられている統合戦略をヒントにして打ち出されています。
それはグロバリーゼーションの市場とのオープンな競争にさらされる大型生協にとっては必要で必然的な対応なのかもしれません。しかし少子高齢化、さらには2006年から人口縮小社会に向かう日本社会にとって、これしか生協の生き残る道はないのか、やがて時代が審判を下すでしょう。そして今何が起こっているかというと、生協の経営規模が3千億円となりますと、今まで単協に納入していた小さな生産者は、それに見合った生産が出来るのかと、問われます。出来ないという返事ならば、それじゃあ外れてくださいということで、中小の生産者が困っているという話が聞こえてきます。結果的にはますますナショナルブランドか、それに近い規模を持っている大手の企業に生産が集中化せざるを得ません。
もう一つのグロバリーゼーションの影響は、その多国籍企業が得意とする分野での情報開示、トレーサビリティの制度の普及です。それはグローバルに工業製品化する材料の履歴開示であって、結局は大企業優位の制度です。中小の生産者にはそのような設備投資ができない場合も多い。一番打撃を受けたのが実は生協が得意とした「産直」です。言ってみれば生協は「産直」でトレーサビリティの先端を切ったはずです。しかし「産直」を標榜した一部の生協の偽装表示まで出てコンプライアンス、つまり法令遵守が生協の社会的責任としてテーマにのぼって追い込まれました。協同組合はそもそも「正直・誠実」をモットーに企業の不正表示に異議申し立てをして生まれたのに、何でそんなことが今、課題なのか。それは組合員主権、その実態をなす情報開示が生産者と生活者である組合員の間でスローガンの空回りだけで具体的に実務的につくれなかったことからきています。規模の経済をめざす日生協の大手生協は、そういう意味では、多国籍企業や大手メーカーが先行している専門性の高いトレーサビリティの仕組みやコンプライアンスをやらなければ流通戦争に勝てないということになる。
しかしそれが時代から言うとミスマッチになっているんですね。ビッグはグローバル化ですがスモールは手作りや「地産・地消」「フローフード・スローライフ」へ向かっている。人口でいうと団塊の世代は抜けていくわけだし、次の世代では出生率が1.29という状況で規模の大きなところほどリスクが高まるわけです。またニーズはモノの世界から違ったものへと広がっている。だから食を中心とした消費は過剰競争の中で、プライスリーダーをめざさざるをえないというのは矛盾なわけです。そういう意味で、時代の「地産・地消」や「スローフード」と逆行する矛盾に大手生協は遭遇していくとおもいます。どんなに材料履歴の開示ができても生産地から食卓までの輸送距離を示すフードマイレージは世界一との批判は残るでしょう。今や世界的に都市の消費はビッグスーパータイプと食の職人タイプのスモールに二極分解が見られるわけです。なぜ地域生協は「地産・地消」の組み替えで地域社会で人と人との関係を高めて対抗する道が構想されないのか、です。
今、日本での生協の組合員は2100万人です。それから大学生協、職域生協、医療生協を除いた地域生協の数は1400万人です。ただし首都圏では若干ダブル加盟があるんですけれど、日本の労働組合よりはるかに大きい規模です。一人当たり利用高全国平均を見ると、資料は少し古いですが月13850円(01年)です。ちなみにエル・コープはいくらですか。一方「制限性・限界性」を明確化して少ないアイテム数でやってきている生活クラブの一人当たり月利用高を見ると、生活クラブ神奈川は31400円、生活クラブ東京は30700円でした。今はもう少し下がっていますが、群を抜いています。コープあいずとか生協水光社とかが高い。一人当たり出資金もそうです。つまり規模とは違うところで購買力を結集する道はこだわりをもった小さい生協で実現している。ここには主要な材に対する自発的で、生産過程の問題点や改善目標を明示して利用結集する意識的な運動があるからです。
グロバリーゼーションの3つめの影響は、国際会計基準の問題が起ってきて協同組合の出資金は、勘定でいくと負債の部類に入れる動きが出ています。今までは資産の部類に入っていたんですけれど。これまで生協は出資金によって安定しているように見えますね。しかし借金に数えられると大変なことになります。こういう問題が市場万能主義の経済の中で動いています。出資金というのは何も利益を目的としているのではなくて、事業を継続、安定するために組合員自らが少しずつ出し合って資本を形成して協同組合が借金しないようにし、そのことが供給価格を低く抑えて自己実現を果たすしくみです。世界の協同組合は今の動きに反対していますけれども、会計専門家の見解は違うようです。協同組合の会社化などと重なって、出資金の建前と実際運用が問われていることは確かです。経営危機が起れば組合員の出資金取り崩し騒動があることもあって、この項目をどちらに入れるかで、これからの生協経営は大きな試練に見まわれることになってきています。
これらは協同組合のこの間の戦略、非営利・協同事業のもう一つの事業への道が薄らいで、類似化戦略を採ったために、グロバリーゼーションの会計面からの影響がでてきたのだと思います。
生協は日本におけるさまざまな市民活動を切り拓きました。皆さん方が行われた「ストップ!遺伝子組み換えイネ」の署名運動や活動はなかでも特筆すべき成果をあげました。ここでは大手市民生協を中心に行った「食品衛生法改正」の運動と比較しています。日生協中心に進めた食品安全法改正の署名は1380万人という日本の署名運動の中で最大の数が集まったわけですが、一方でそのことの報道が新聞・テレビであんまり見たことがないと思います。自民党から共産党まで542人の賛同議員が出て衆参両院で、全会派一致で請願採択を実現しても大きな報道として記憶している方はほとんどないと思うんです。なぜでしょうか。皆が一致するものは結果的にはどこか曖昧な妥協と合意になるわけです。結局、何を食品の安全上大事にしなければいけないのか?前進させるために今まで既得権でやってきた、手放さないものがあるからそこを変えるわけですけれど、全部が賛成することは全部が損をすることだから、結果的にはあんまり世の中の仕組みを変えたことにならない法案で、全会一致、満場一致の形になってきていると思うんですね。私はそれを成熟した妥協、コーポラティズム型の運動だと言っています。大きな団体間の妥協というスタイルです。しかし現代は、篠原一さんが言う「二階建ての民主主義」の時代、つまりラジカル・デモクラシーの活動によって、質を求めて争点化する社会運動でないと時代は変化しないわけです。「ストップ!遺伝子組み換えイネ」はそうした意味をもつ運動で私たちの胸を揺さぶった運動だったと思います。
次に今生協の総代会の中で異議申し立てや緊急動議が結構あちこちで出ています。その典型例が、大分前ですが、コープかながわで理事長が退任に追い込まれた事件です。そのため組織がガタガタしたんですけれども、これを巡ってCRIという生協から独立した協同組合総合研究所はその社会的意味、つまり組合員の緊急動議を「ムカツキ型民主主義」として評価し、それを工業化段階の「同質者の協同」からポスト工業化段階での「異質者の協同」を象徴するものとする見解を出しました。総代会が大揺れするような事柄をヨシとしたわけですね、理論上は。これは生協としては大混乱に陥って、組織運営がなかなか出来ないような、専従もどう説明していいか分からないというなかにあって研究所が理論的解明の役割を果たしたわけです。これも一種のラジカル・デモクラシーの評価ということができます。しかし私はこの総括には敬意をはらいつつも疑問があります。生協のシステムへのチェックはこのような一点突破型も時にはあるでしょうが、やはり日常的・連続的な組合員主権の発揮で生協の分権・自治を推し進めるという形で行かないと、「ムカツキ型民主主義」では本当の意味での自主的な民主主義は育たないと思うんです。異論が豊穣な契機となるように、会議とは会して議する場であって異なる意見が出るのは当たり前です。ところが生協の場合、議論が少なく満場一致が多い。つまり生協で民主主義は建前になっていて参加型民主主義の立ち遅れがあるし、あったわけです。その参加型をどう実質化するのか、そこには二階建ての討議民主主義の工夫が必要ではあってもムカツキ型民主主義の、キリもみ状の議論では組合員自治はすすまないと思うのです。生協が民主的で、自治的であれば、こんな冷たいまなざしにはならない。
近畿の市民生協はどこへいっても事業連合会の話がもちきりですね。しかしそれは画期的なことなのでしょうか。単協主権を活かして連合がうたわれているようですが、平易に組合員から見れば、主権は単協から近畿事業連合へ移るという希薄化に向かっていないでしょうか。パルコープ中心に京都生協が提携軸をコープこうべから乗り換えて、近畿における統合の再編劇かと思います。私はここにはかってのコープこうべが主導したKネット失敗の教訓が生かされているようには思えません。一方、こだわり型生協を束ねた関西事業連もあったが解散し二つに分かれました。既存の事業連合がなぜ立ちゆかなくなったのかが外からはよくみえません。
関西は地方ごとに京都と神戸と大阪は食文化が違っています。それぞれに食べ方も産地も違う。京都の錦市場には千三百年前からの伝統食もあれば、大阪にはたこ焼きやお好み焼きだけでなく韓国料理や沖縄料理が、神戸には中華料理や洋風料理が生活食としてあるわけです。漬け物のぶぶ漬けではじまる京都・奈良の生活食文化と一本100円の串カツとドテやきにこだわるジャンジャン横丁の地域的階層文化もあっけらかんとある。NHKの『わかば』の神戸山手族だけが神戸人じゃない。下町の長田町の在日や被差別文化のなかでつくられた協働からNPO法を生んだ多彩な地です。多文化とそこでしか味わえない食文化がきら星のようにあり、生活の質とはその異質さの同居・混在にバイタリティーにあるわけです。しかも大事なことは職人の技の食文化です。関西の美味いどころにはイタリアやフランスに似た街に根づいた顔の見える食があるところです。街にチエーン店はありますが少ないです。だから地域生協のつくり方も違った。それが規模の経済を追ったKネット主導化でパンは四国や奈良まで運ばれた。コープこうべの品揃えとOCRに統合されて京都生協の「地産地消」的特色が失われたし湖南生協は解体してなくなってしまった。物流統合を優先しすぎてそれぞれの地域文化の中で大味になったことが生協の魅力を失った原因と私は思っています。そんな品揃えのスーパーならいっぱいあるわけです。そのことがじっくり総括されてでてきているとは思えません。近畿は関東と違う地方特色を出してこそ事業連合は活かされる。つまりウォールマートへの対案は、地域に根ざした「地産・池消」「スローフード・スローライフ」「職人技」の新しい提案を近畿からすることではと思いますし、ぜひそうしてほしい。この日本の二大都市圏の異質的協同はもっとじっくり議論をしてほしい。食文化にジャイアンツとタイガースほどの差があるからです。キーワードは地域の時代だと思います。同時に、こだわり型の生協が二つに分かれた事業連合の速やかで、緩やかなネットワークを私は期待します。組合員交流にとって違ったタイプこそ刺激的な時代なのだと思っていますから。ここに紹介しました、コープとやまは、事業連合が進むに連れて結局商品供給は上から行われることになるので、地元の生産者、業者と一緒に歩むことが出来なくなるんではないかと考え、結局北陸事業連合から脱退しました。一つの見識です。どちらに進めるにしてもシンドイ選択です。
同じシンドサならと言うことで、エル・コープは分割による新しい生協づくりの議論をはじめている。生活クラブの場合は今年、神奈川が5つに分かれて組織運営が行われています。東京が94年の段階で行っている同じ方式で並ぶということになりました。千葉では別法人で3つの機能に別れました。つまりこれから生協は規模で対抗するのか、分権自治で対抗するのかということがはっきりしてきた。それは協同組合とは何か、人と人との関係に据え直して、資本と市場が万能となってしまった今の社会で、「もう一つの社会」を描いて非営利の市民事業をしたいという夢だと思います。象とアリにも似て比較になりませんが、それが今の生協の状況ではないかと。
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5)<生活世界>の目的の変容
生協の一番大きな問題は、基幹食料の自給論の後退だと私は思っています。規模の大きさ、広がりに連れてこのテーマが後ろに下がっていった。そこのところが日生協主流と私たちのこだわり型生協との間の分岐点だったはずです。問題は食料自給論や市場外流通の産直論が苦戦を強いられている。その理由は先にも触れたように、理念が空回りして生産を持続的に維持する時間と空間を見定めたリアルな情勢分析と長期的対策、そのための協働という具体的な面で立ち遅れているからと、口はばったいですがそこまではみんな感じていることです。
生活クラブでは、「産直」論というより「生産する消費者」論と呼んでいます。東京では、「土づくり」「産直」という事を大変強調して伸びたのが東都生協でした。ここの目玉の豚肉が、実は長い間、一般市場での豚肉と変わらないということが分かって、総代会で大揉めになりました。それは「産直」に共感して組合員が伸びたのに生産が追いつかず市場から入れて間に合わしてきたのが10数年も続いた。西のいずみ市民生協のトップ腐敗による失敗、東の産直の生協の失敗ということで、生協全体は打撃をうけました。生協への産直不信論が起って日生協は、この前記者会見をおこなって、産直は一時の3分の1になっているという話しです。
ではこだわり型生協も農業・畜産・飼料政策について、あるいはフェアートレードについて、どれほど長期で具体的な政策を持ち得ているかというと課題は山積しています。10年前、インドのヴァンダナ・シバさんが、ニームの木をとりあげて多国籍企業の特許権を告発、生物多様性の大切さと種子支配に対し民衆の力で種子銀行の必要性を訴えられましたが、いまでは遺伝子操作を含めて多国籍企業のこの分野の支配は世界のすみずみに及ぼうとしています。種子は農民の手から種子会社や製薬会社の独占するところとなり、とても小さな生協の対応できる範囲を超えていますが、このことを今日の食にこだわる生協だけでなく、生命系の危機として、農協や生産者組織、専門家や研究者をふくめた社会運動のテーマとして協働が絶対に必要になっています。この課題は今の生協現役と若い世代が組み立て発信しなければ誰もしてくれません。
今年、実は運動も起っていないのに「食品安全条例」が石原都知事から突然、提案されました。生活クラブが、15年程前に東京都で取り組んだ「食品安全条例」は、都議会で自民党と公明党が反対し成立しませんでした。けれども55万筆を越える多くの署名を集め、結果として都知事も食品安全予算を増額、生活者の食の安全に対する生活者の厳しい眼を気にせざるをえませんでした。とするとこの提案は私たちの成果なのでしょうか。そうではないでしょう。見ておかなければならないのは、グロバリーゼーションの下、大消費地・東京の国際消費システムの食料管理を全国に先んじて進めることが最大の背景でしょう。また食管法の解体の中で、公務員の多くを食品安全の側に回すということもある。けして消費する生活者のための条例ではない。ここでの食品管理をモデルとして地方に波及するでしょう。その結果、食品安全分野は役所の管理で規則だらけになって、中小の生産者はいじめられるということになってしまう。身近な地域社会で頑張ってやってきた人たちが一番立ち行かなくなっていきます。その事をどうやって支えるかということがなかなか方法論的に見出せない状態です。それに対し、多国籍企業はトレーサビリティが全部出来て透明性はありますよと、食の海外輸入品が増えてくるのではないかと思います。
この分野では大変難しい問題があるのですが、しかし現在の簡単・便利でなんでも欲しいという風潮に慣らされた子どもたちの間からは、単に溢れた飽食から食が崩れるという崩食、あるいは呆食という段階になって、ライフハザードの問題がはっきりいろんな意味で出てきています。
生協総研は、特集して個室化、個食化、個電化がすすみ、家庭内シングルス・ライフが強まって、遅寝・遅起、コンビニ・スーパーの多用で、間食が過ぎて子供の体がおかしい、と分析しました。市民セクター政策機構では坂下栄さんにお願いして中・高校性の環境ホルモンなどの科学物質の影響をしらべた2800人の調査がありますが、ここにきて男の子も性の悩みが非常に増えてきていると報告されている。環境ホルモンによる雄の生殖器の異様という問題ですね。そういう風にいろんな面でライフハザードの兆しが出ている。生協は子どもたちを直撃している問題を上手く組み込めない。私は協石連の役員だったのでよく覚えているのですが、シーア・コルボーンの『奪われし未来』がでたさなかに、そして多摩川のフナの精巣が異常に小さいという調査結果が社会問題になっているときに、東京の大手市民生協は、「石けんは不栄養化の問題がある」と、まるで合成洗剤メーカーのような主張で化学物質の受容に寛大な論陣を張ったほどです。石けんが売れないから合成洗剤をおきますと正直に言えばよいものを、科学論争に名を借りて石けん運動を否定しました。遺伝子組み換えへの対処だって大変にトーンが低いように思います。循環型社会が言われて長いのですが、生協の経営者には、モダニズム信奉者が学者をふくめとても多い。これではこれからの生協の見取り図は描けません。
生協はどういう歴史段階にあるのかということで、名古屋のめいきん生協を母体としたNPO地域とくらしの研究センターの橋本吉広さんの図表があります。これは「社会的経済」促進プロジェクトで話されたものです。現在、日本の生協は3つ目の段階に入りつつあると指摘されています。60年代に多くの生協がスタートしていますけれども、その「日本型市民生協」は"組合員に依拠した""組合員自身の"原則的な性格が強かったわけですが、新自由主義の台頭の中で80年代後半から「市場主義的生協」に変わったんじゃないか、"組合員の顧客化"ということが起ったんではないか。そしてバブル崩壊後の90年代の中盤以降、現代は「模索期の生協」段階、市場主義の「修正」型生協のタイプと、もう一つは「第三の道」型生協のタイプがおこってきているのではと指摘されている。橋本さんは前者を組合員の「個」密化、後者を組合員の市民化といわれました。こだわり型生協は、後者の「第三の道」型生協の市民化をめざして自覚的に自己改革しないと、非常に閉鎖的で自己満足型になる危険性は高いと私は思うわけです。
同じ様なことをコープさっぽろにおられて今は広島大学におられる田中秀樹さんは、『消費者の生協からの転換』という本で大胆に言われました。田中さんは生協運動が飽食の構造に無自覚、無批判になりつつあると非常に厳しく批判された方です。日本協同組合学会でも同じような批判が相次いでいます。けれども、協同組合は世界的に会社化に向かっていて、経営実務のトップと研究者の乖離は埋まりません。
他方で、レイドロウ報告やICAの95年原則のなかに入った2つの新しい原則「自治と自立」や「地域社会との関わり」を体現した新しいタイプの協同組合の動き、ワーカーズ・コレクティブや女性信用協同組合について、既存の協同組合からその法制化運動を支援するような発言がみられないのも残念ながら事実です。ヨーロッパではそこが大きな規模の社会的経済と地域社会に生まれた連帯経済が連携していますし、そこに社会的ミッションをもったコミュニティビジネスを含めた非営利の「社会的企業」という多様な組織形態をつないだもう一つの経済が見えています。若い研究者のなかに、新しい協同組合、公益の分野に身銭を切ってチャレンジする協同組合の組み替えに注目する人もでてきていますし、研究所間には日本的な「社会的企業」をさまざまな面から考えようという気運もでてきていて悲観はしていません。
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6)ヨーロッパでの「新しい協同組合」
そういう流れの中で生活の変化ということに伴ってお話したいと思っているのが、別の資料にありますヨーロッパでの新しい協同組合の流れです。
『西暦2000年の協同組合』というレイドロウの報告が80年に出たわけですけれど、西暦2000年の時に、生活クラブ連合会では「レイドロウ報告の検証とこれから」をテーマにカナダからマクファーソン教授を招きシンポジウムを開きました。その翌年には、モンドラゴンとフランスの労働者生産協同組合、イタリアの社会協同組合を見てきました。モンドラゴンについては先ほど紹介されたように、今や世界の多国籍企業の一つになる程の大きな規模です。労働者数が資料にあります様に5万3千人ということですから凄い規模ですね。これがバスクという地域を中心に、これだけ働く場の形態をつくり、98年から2000年にかけても労働者数が増えてますよね。世界的に不況の中にありながら前進していてなお且つ世界的に活躍しています。海外生産基地を持っていたりして批判もありますが、労働者の仕事の場を創り続けている点、若者の協同組合教育に力を入れていること、労働者自らの出資金が労働者の年金、退職金のように戻ってくる退職後の仕組みを独自に創り出していて、凄いなあと思います。
次に紹介したいのはバルベリーニICA会長を出しているレーガ、しかも彼は生協の出身ですが、その最も成功しているボローニアでは、州の経済の15%を協同組合経済が占めている。これも凄いですね。トレントに行きますとカソリック系の人たちが頑張ってやっている協同組合地域社会は過疎地にあってとても適合したシステムで元気でした。
次にフランスを見てきたわけですが、労働者生産組合は数的にはそんなに大きなものではないのですが、地域社会に根を張っていて良く頑張っています。彼らの連合会はフランスにおける社会的経済と連帯経済を結んでいるわけです。1970年から80年にかけてヨーロッパでは社会党政権の時代があって、協同組合、共済とアソシエーション等でつくる社会的経済が政府の公益的事業を代替えする事業が展開したわけです。地域の中で立場の弱い人たちの権利や生活を保護する色んなものを作りました。もちろん資本主義の中での活動ですが、出来るだけ公正で非営利な仕組みを社会の中に埋めこんでいったわけです。しかしこれはフランス経済がそれなりに活況の時には良かったのですが、逆に経済が上手くいかなくなると、しかもこれは大きな段階の社会政策のために、地域にとっては味の無い、中身の大雑把という事が目立ってきて、地域の人たちにとっては余り役に立たなくなっていく。不況は社会的に排除される新たな人たちを生み出しました。それに対して市民型の運動が生まれてきた。その自立を支える社会的包摂の市民事業をネットワークしたのが連帯経済という概念です。NPO型もあれば新しい公益のための協同組合も生まれてきた。最初は既成の協同組織と新しい非営利の協同組織で関係はギスギスしていたのですが値調整しあって今では応援しているわけです。だから社会的連帯経済と呼ばれています。そこがとても新鮮でしたし、社会的連帯を感じました。
私たちは食の安全のため、遺伝子組み換えの反対は社会運動としては公益を代表しているわけですが、しかし生協は組合員の共益を共通項として社会運動を展開しているので共益型と言われます。だから組合員のメンバーシップのなかで行う事業は、そういう意味では公益型とは違うとされています。サラモンのNPO分析では、協同組合は非営利組織にはカウントされない。なぜなら非営利組織というのは公益を目的にするんだ。生協は自分たちで出資金を出し、ワーキングシェアして、利益分配しているじゃないか。NPOは不特定多数の人に働き掛けて利益分配しない、というのが理屈になっていて、協同組合は非営利組織じゃないと言われているわけです。ここには剰余金の利用分量割り戻しを利益と見なす問題があります。剰余金とは、組合員から預かった経費が余分にとりすぎたので、利用高に応じて組合員に戻す仕組みです。だから外からえた利益ではなく多く預かったのをもどす仕組みです。
フランスの話に戻しますと、フランスでは公益のための協同組合法が2001年に成立しているのです。これを生み出したのがフランス労働者生産協同組合、SCOPです。私たちが行ったとき、その法律をつくるためにデモや集会、ロビー活動をしている最中でした。
SCOPが事業を展開し、得た剰余金の一部を還元し公益の活動としてやっている例を見てきました。外国人移民の就業のために教育・訓練をしているファンム・アクティブ、非営利の組織です。フランスではおおぜいの移民労働者が来ます。しかし移民労働者はフランスの生活習慣が分かりませんから、仕事をするにも上手く出来ない。ファンム・アクティブは、フランスでは朝はこういう風に挨拶をしますよ、食事のルールはこうフランスではなっているんですよ、という風に、生活習慣や労働習慣をきちんと身に着ける自立支援の活動をしていました。仕事で家庭の中で行う家事介護についてもその習慣や作法がわからないと辞めさせられるというので、そういうものを教える、日本で言えばNPO的な組織なんですね。
SCOPはそうした社会的に排除にあう人々の自立支援活動を積極的に資金提供して応援しています。そういう風にNPOの側、協同組合の側と両面からやっていけるというのがフランスです。外国人移民が大勢いる町で、この背の高い女性ジャミラさんとその周りにいる一緒に教える人、教えられる人と一緒に交流してきました。モロッコやアルジェリア、東欧から働きに来て言葉がわからない、そのうえ技術がない。最低限、労働をどうすれば良いかが分からなければ結局就労が出来ないわけですね。その就労するための準備段階のような事をこの人たちはやっているんです。モロッコやアルジェリア、東欧からやってきた人たちの手作りのきれいに盛りつけされた食事を味わったとき、これはワーカーズ・コレクティブがすぐにでもできる非営利事業だと思いました。
次に、イタリアの社会協同組合B型という新しい協同組合を紹介したいと思います。トリーノの町の例です。ここに女性の理事長の顔が写っています。ここはエータベータといい、事業としては主にコンピューター・ITの仕事を行っている大変スマートなところです。
社会協同組合B型というのは何かというと、これがまた凄いんです。次のような人たちが事業を担う主人公として少なくとも30%がいる協同組合です。
・身体、精神、感覚に障害を持つ、つまり身体障害者、精神障害者、感覚障害者。過去に精神障害で通院歴のある人、または通院障害者。
・薬物依存症者。またはアルコール依存症者。
・家庭内の状況から児童労働をしている少年、少女。または少年院に入っている人。
・政治犯。刑務所で服務中だが釈放後のために訓練しなければいけない人で、労働許可書による対象者。
法律ではそれが明記されていますが、それ以外にも
・シングルマザー。
・移民労働者
の人たちがいる協同組合が実際にありました。
いわゆる「社会的に不利な立場の人たち」が対象です。こういう人たちはなかなか仕事が無いですね。こういう人たちが協同組合の構成員として30%以上組織されていて、それに地域のボランティアの人たちが参加して共に働く。この組織を社会協同組合B型といいます。ですから主人公はあくまでもこの人たちです。
日本ではこんな協同組合はありません。今、介護保険制度、それを担っているワーカーズ・コレクティブやNPO、企業組合のメンバーは健常者中心です。元気のある健常者が、高齢者、精神または身体障害者を自立、支援をする仕組みが今の社会運動の現状だと思います。日本ではこうした健常者が構成メンバーになった非営利市民事業がやっと始まったばかりですが、イタリアでは山ほどあるんです。健常者がハンディキャップのある人を自立支援するのは当たり前なんです。この協同組合はA型といって4500あります。それとは違う2000がB型です。日本の広さや人口の約2分の1がイタリアです。日本には福祉的就労という名の作業所が6000あると言われていますが、これは全部、健常者がハンディキャップのある人の自立支援タイプのA型にちかい。それもありますが、イタリアでは社会的に不利な立場の人々が主体になって一般就労、つまり労働権が保障されて共に働くB型の協同組合がどこの地域にも生み出されているということです。
イタリア社会は、日本より早く財政危機になり構造改革をせまられた国です。この構造改革をリードしたのが市民です。つまり市民が国家の領域にあった官の仕組みを市民が担う社会の領域に組み込む運動を創りました。1978年に精神病院を解体するという決議が国会で合意されます。トリエステの精神病院長だったバザーリアという人が、患者を隔離・管理するのではなく地域に帰し、地域の中で就労することが最も良いとする運動が国民的合意になりました。財政破綻で国が行っていた施策が州や基礎自治体、その地域の人たちが担う仕組みです。何より市民がそうした地方分権と彼らの人権と労働を認め、一緒に地域社会に共生しようというという市民運動があって、その結果、市民事業として社会協同組合がつくられていくわけです。もちろん最初は法人格なしの社会運動として展開されます。
2002年にはイタリアでは、ついに全ての精神病院は全廃されました。どういう所に彼らを迎えているかを見ました。重度のひとびとの場合、A型です。専門家とボランティアが協力して公園の一部を使っていました。仕事は自治体、学校などから出ていました。B型では彼らが主役で公共施設の一部を改造したり民間の空き部屋を使う、また居住できるグループホームの仕組みを応援したりしていました。つまり個人の状況に見合った自立支援から共に働く段階まできめ細かく市民力の企画によって地域での共生が創り出されているのです。システムでもありますが、自主運営・自主管理という創る面がとても要素として大きいわけです。単発の自治体で完結しているのではなく、基礎自治体、州、国家、EUと4段階から積極的労働市場政策の社会政策として合意されていてお金がでる仕組みになっているわけです。例えもしもどこかの自治体が財政危機になっても4段階の仕組みが働く中で、B型は市民にも支えられて、1万4千人のハンディキャップのある人たちが働いています。そういう社会的包摂の仕組みが国によって少しずつ違いますがヨーロッパ市民社会にはいっぱいあるんですね。
訪れたミラノの元精神病院などは昔の死体解剖室が今は町のレストランです。霊安室は華やかなバールです。発想の逆転にびっくりしますよ。建物の中はどうなっているかというと、かつての面影は見られず、静かな森のなかに木工所や美術印刷工場がB型社会協同組合として事業しています。かつての患者の部屋を今は低料金のホテルにしようという企画で盛り上がっていました。
この資料の後ろにある、松浦さんの書かれた文章に載っています。この写っている女性は、刑務所にいる人たちを対象としたB型の組織で活動されています。私が「刑務所に入っていた人たちはどんな犯罪が多いんですか」と尋ねると、「それは政治犯ですよ」と言われました。その人たちの事業は大成功したんです。何故かというと皆大卒くらいの所謂エリートが多い。法律はこなせる、コンピューター技術はなんでもござれなので、B型エータベータは大成功していました。未だインターネットは出来ない、会計処理が出来ないという地域の中小企業の人たちにエータベータは安価な料金設定で利用してもらい、また次の世代の職業訓練としてのコンピューターの指導など、ここは印刷工場も持っているので部屋もモダンで活気がありました。その後、殆どの人が社会復帰をはたし、150人位の人がここに来て働いたけれど、再度受刑した人は一人しかいないとのことでした。
いろんな運動をしている、アベーレ労働連合というのがあります。デイサービスセンター、夜の宿泊施設などがあり、2002年度では薬物依存症の男性133人、女性61人、家族148人など391人が来たと。そのうち25人は宿泊できる共同体に入り、食事を一緒に食べたりという共同生活をしているんですね。
今、家庭の中で子供たちや家族が暴行を受ける、ドメスティック・バイオレンスも多くあるわけですが、その課題にも取り組んでいました。個人面談、夫婦相談、住宅訪問、センター、駆け込みセンターというのがあって、「紛争のためのセンター」とよんでいました。ほとんどが家族の人間関係の中で起っている紛争です。家族、親子、年寄りと息子の関係などそこで虐待があると、社会協同組合はこうした人の課題に取り組んでいます。仮にそういう人たちが3人いると、3人に組合員になってもらい運営を任して、被害にあった経験の人たちは被害にあっている人たちの気持ちや立場が良く分かりますから、その人たちを運営主体にしているわけです。日本ではそういう事を相談できる地域の仕組みがない中で家庭内事件が多発していますね。また、これは聞いた話ですが、ホームレスの人たちに対してお風呂、シャワーが使え、下着や古着が置いてある公園を社会協同組合で行っていることがとても印象的でした。日本で野宿労働者が今一番困っていることは何かというと、あの格好になると風呂に行けない、断られることです。そういう立場の人たちの人間的尊厳を、その人の身になって日常性のレベルを支える仕組みが市民の手で行われているわけです。
例えば学歴のない人たち、とりわけ外国人移民などに対しても活動が組まれています。そういう人たちに学力、能力をつけて社会に適応する機会と訓練をいろんな意味で、それも命令形ではなく、対話型でその人自身がそう思い、そうして欲しいと思うような雰囲気をつくりながら運営するという仕組みがいっぱい出来てきているということですね。
イタリアに対して、日本の場合はすべてが対象別にスライスされています。高齢者は高齢者、障害者は障害者、子供は子供だけとそれらを横断的につなぐものは無くて、役所も縦割りにしか対応していませんね。そうではなくて、市民社会がどんな不利な立場の人たちにも地域社会にまず受け容れて、そしてこの人たちはここと繋いだら良いんではないか、ああすれば良いのではないかとか、コミュニティの中でのネットワークを活用して、そして非営利に事業展開しているわけです。行政はその市民の自主性を受け入れてバックアップするという関係です。ですから共同とは同質ではなく個別異質なコミュニケーションのある連なりになっています。社会的協同組合はヨーロッパにおける出資型の協同組合ということで、アメーバ状にリゾーム風に広がって、人々に参加の機会をつくっていました。そこにあるのは社会的排除に対して社会的包摂という市民実践のうえにたつ概念です。
日本の場合は、少年・少女が事件を起せば親の責任だとか、とにかくやっつける事だけです。マスコミはそういう立場におかれた人たちが一番しんどい、孤立して破局した原因を見ようとはしない。つめたいまなざしです。社会協同組合はその人たちを非難することではなく、その人たちを包摂し自立する仕組みを考えているわけです。しかもそれは市民が単に援助するだけではないのです。この人たちを主人公にして、この人たちがこうしたい、こうして欲しいと提案する事を、出来るだけ周りが受け容れて、働く仕組みとして成り立つ、そういう協同組合を創り出したわけです。全部国家財政の援助ではなく、事業をやっていますから事業からと自らの出資金からとで、先ほどのITの話のように自前で立ち上がっていくわけです。
そして決して公的な資金がドッと入るような仕組みではないんです。逆なんです。それだけ市民に力があるんです。日本の社会ではみんなカネが無ければ動かないように思っているけれど、そうでは無くて市民の知恵、工夫とネットワークがあれば柔らかい関係の中で人間はもっと癒されて生きられるわけです。日本ではつくれないと思っているのは、長い政権交代のない保守独裁政治の中で市民が観客民主主義にどっぷりつかり、実践民主主義が極端に低いからです。ヨーロッパでは、財政危機の中で動かなくなった公的機能を、市民力によって社会を担おうと事業的なアソシエーションを張り巡らしてきているわけです。つまり蜂の巣のように市民が地域社会に自律した小さな空間を創り出し連帯しあって市民事業を築いてきて、最近は「社会的企業」といっているわけです。つまり営利企業とは違う「もう一つの仕事」です。
ヨーロッパでは、中道左派、中道右派の連合が対抗的にやって、政権を取ったり取られたりする関係をずっと続けているわけですね。政権交代が起ると、新しい仕組みを重視する場合があるし、痛めつけられる場合もありますが、しかし、痛めつけられると這いつくばってネットワークを広げながら潰されずに、そして又政権交代させる方向に働いています。イタリアでは首相のべルルスコーニは、メディアを押さえているミラノ出身の大金持ちです。移民排斥の北部同盟と南部のファッシストの流れをくむ国民同盟と連合しています。イラク派兵もしました。国家は中道右派が政権を取っているけれど、ミラノ市は中道左派で、基礎自治体に行くと又違う。その状態はオセロゲームのようにモザイク模様です。つまり政治決戦というより政治が多層化していて、政治が全一支配しない。つまり市民社会の独自な空間がさまざまに埋め込まれていて、国家に期待するという形ではない。基礎自治体や州での分権がずっと進んでいます。
そしてイタリアの凄い所は地方に行くほど財政の権限があります。国家が徴税権を持っているのですが、日本で言う沖縄や北海道のような単独では経済的自立が困難な地域5州には、資料の例でいえば、トレントでは税金の実に90%が還元されます。日本は3割自治のレベルで、そして僻地や地方の財政難が極端に強まっています。トレントという地域はそういう地域の一つです。民族構成でゲルマン系も多く、イタリア語とドイツ語が話されていて州都も2つある。イタリア政府が上から細かく指図はしません。そこに90%の税金が還元されます。トレントいう地域が自分たちのことは自分たちで決めるという方式です。地方に行くと市場経済はなりたたない。過疎の地域では企業が来ても利潤が上がりません。それを協同組合の運営方式で、協同組合が地域社会に必要な事業をやって、行政はしっかり頑張りなさいよ、そしてある程度は補助しますよという仕組みが発達しているわけです。日本でも農協はもともとそういう性格をもって生み出されています。違うのはイタリアでは分権が徹底している。同じ財政難でも国は財政危機でも地方と社会はとても元気があるということです。
一方今の日本の場合、関東圏、なかでも東京一極集中になっていて、過疎の地域はますます惨めな状態になるのを放任していて、将来おこる危機には借金づけというのが今の税制ですね。
ですからイタリアのように左・右というよりは、自分たちで自己決定できる、規模が身近な所への社会的なシステムへのアクセスが沢山ある方がゆたかです。日本でも国家に集中する仕組みから地域に還元できる仕組みが必要ですね。このようにヨーロッパは分権自治型で頑張っているのが国家のレベルで見えます。そして地域を越えたリージョナルな統合がEUで、東ヨーロッパからの加盟もあり、大きな連帯と小さな連帯の間に矛盾はいっぱいあるんですけれど、違った組み合わせで色々見える例だと思います。これで新しい協同組合の話しは一応終わりです。
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司会
私は今日のB型のお話は凄く面白くて、私は個人的に高槻でひきこもりの若者をサポートするNPOと関係して、ワーカーズ・コレクティブづくりをやっているんですが、最初生活クラブのワーカーズ・コレクティブ・ネットワークジャパンに入ろうだとか、日本労働者生産協同組合連合会に入ろうかと思ったんですが、ちょっと違うなという事でどこにも入らずに単独でやろうと決めたんですが、よく考えたらB型でした。私たちが今ひきこもり支援をやっていて、ひきこもりの人たちの就労支援と彼らが働ける場を作ろうという事でやっているんですが、その隣に障害者の施設があるんですよ。そこは光愛病院という高槻の精神病院があって、そこのケースワーカーによると、やはり日本の動きも全部患者を外に出して、外でケアをしようという事になっていて、そして幾つかの箱物もあるので、自主運営にしようということで、レストランの様な形を当事者同士で経営する形でやっていて、そこはまだワーカーズ・コレクティブみたいな形ではないんですけれど、とにかく働いている人が障害者で障害者自身が働くという形を今始めているんですよ。今のお話を聴いていて、ああそうかと思って、B型だからどちらにも入れなかったんだなと思いました。
日本でも結構そういう形はありますね。出来ています。 北海道の「べてるの家」が有名ですが、これは知的障害者、精神障害者が事業をやっていて2億くらいの事業高です。昆布や特産物を作って売っていて、そこはどうして出来ているかというと、認定された障害者だから一応補助金が給付されるわけですよ。ですから自給300円くらいで良いわけですね。ゆっくり働いてやっています。
高槻の障害者の施設もそうです。やっぱり自給300円くらい。それで生活できるわけですね。 働こうという場所自体が無かったんですね。だからそういう店で手伝ってお金を貰って物凄く元気でやっているわけですね。だから今の話を聴いて、日本も段々そうなっていく。ただそれに付けて日本の自治体、国はちょっとどうしようもないなという感じを受けました。
(休憩)
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7)主体としてのワーカーズ・コレクティブ
講師
長い話で恐縮ですが後30分くらいに留めて、皆さんと大いに交流したいと思います。
3番目は主体の問題です。先ほど話したように主婦層の解体というのがあって、そのジェンダー分業の転換が問われています。またモノの溢れる世の中で果たして生協はモノ供給で生き残っていけるのかというのが非常に問われてきているのだと思います。
消費生活協同組合法という協同組合だけでは難しいわけで、新しい公共を担う諸運動団体を形成していく課題もあります。現に取り組みも始まっています。問題はその見取り図を描くときの視点です。日本ほど男女性差のある社会も珍しいわけで、マイホーム主義というのは正に高度成長のなかに育った幻想ですね。核家族形態というのは世界的に見ると一つの時代が終わってきて、今だんだん個人がバラバラにされている中で社会がどういう機能を持つのかという所に、私たちの新しい協同組合の視点をどうすえるのかが大事なのではないかと思います。
今までは60年安保の世代の創立者がいたり、団塊の世代がおおぜいいたりで、そういう主体でかなりの裏支えをしてきましたけれど、一方で閉塞集団、つまりリーダーの指導性の時代は終わりつつあって、様々な形の様々な人々と、様々な形のネットワークをつくり民主主義的な運営をする仕組みが問われています。
生協は、企業やNPOよりも構成メンバーの一人一票を基礎とした民主的組織なはずです。にもかかわらずそれがなかなか実感できない。かなりワンパターンな総代会があって、後は組織運営で理事会があるという様に形式化した会議形式が多いわけですけれど、この形式では次の世代はうまく行かないと思います。だから会議の形、システムの形などを全部見直す必要があります。それを解体するということではなくて組み替えていく、そういうやわらかな自由が大事です。ニュータイプを作ればいいわけですよ。エル・コープはそれが目に見える形で実験しやすいと思います。先ほども言いました様にAタイプに雇用労働があるのなら、次の所は雇用労働無しのワーカーズ・コレクティブ方式の生協の労働が賄えるようなタイプを作れば、案外それはヒットするかもしれない。もはや性別役割分業で成立する社会は終わりつつあります。日本の場合はまだまだ課題を引きずりますけれど。日本の社会は、高度成長期にできあがったマイホーム社会、男女性別役割分業の、しかも賃労働の、男社会の正規雇用があった。その裏側に女性たちの支払われない労働、食事・掃除・洗濯・子育て・介護のアンペイドワークがあったわけです。21世紀とはこの2つの労働間の支配・従属関係の解体と再編が地域社会の日常的な生活世界から組み変わる時代だと思います。その媒体として、道具として労働する協同組合の役割があるように思います。
これは古田睦美さんが『〈主婦〉の向こうに』(発行・市民セクター政策機構)で話された本ですが、ここで、ジェンダーからみた女性の日常、主婦とは何か、サブシステンス社会に向かって、の3つの柱から生協運動にとって大変大切な未来にむけての基本提起をされています。主婦のアンペイドワークの問題だけではなく、今おこっているのは、労働市場に持ち込まれる主婦化、ひいては国際分業の末端労働者としての主婦が世界システムとして分析されています。そしてその転換の視点は、20世紀的な労働、自然破壊と搾取のあり方を問い直したマリア・ミースのいうサブシステンス・パースペクティブ(生命維持の視点)の方向だと。つまり21世紀は20世紀の労働のあり方への自己反省的な根本的転換が必要だというわけです。
そんなことができるのかというと、日本がそうであるように、産業社会から高度消費社会へ変わって労働の対象がモノからコトへ、つまり物質から対人関係へ、工場の中から地域の中へ変わってきていることが転換の基礎になってきています。市場万能主義が押し寄せてきているだけでなくて、ポスト工業化時代の今どういう仕事が社会的有用になっているかです。この世界は早くに営利企業が先回りして非正規雇用、パートタイムや派遣社員という使い捨てシステムをつくり、サービス労働は産業労働公務労働のように終身雇用でなく時間給中心の切り捨て労働です。その外側に今ではフリーターという待機まちの人だけでなくニートという無業者が出てきました。つまりポスト工業化社会にあっては非正規雇用があたりまえです。若者が年金を払えないのは今日の暮らしが不安定なのに未来への支払いなどできなくなっているからです。
非正規雇用であっても、殆ど一日中職場に括り付けられる状態は変わりませんから、男性/女性の市民は生きていく上で最低限の稼ぎを持つことが出来れば、日本が先進国では一番遅れていますが、子育てや介護を男性がやる時代も、特に20代の世代にきているわけです。そういう期間は、週3日働くのでもいいじゃないか、という時代に入りました。
ですから労働をめぐっては当然、非正規雇用の労働条件の改善が課題ですが、中国農村部、東欧、中南米、アフリカの膨大な労働予備軍があってすすみません。先進国から見るとこう言えますけれど、63億の世界の人口から見ると、正規雇用というのは恵まれた先進国中心の労働階層なわけです。この労働条件は外国人労働者、農民、家事労働、南の労働によって、先進国の富として蓄えられており、超過利潤は先進国に集まるようになって、日本の高度消費社会はそのおこぼれを得ているといえるわけです。
しかし超過利潤の集まった先進国も今までの基幹産業の賃労働は海外に逃げ出して、国内は空洞化し、残されたのは少子高齢化社会に対応する社会全体のサービス化という領域でしか雇用はなかなか作り出せない仕組みになってきました。その時に市場原理だけでいいのかということで、非営利・公共を担うもう一つの経済での仕組みがこの間、日本でも高まってNPOが15000生まれ、その多くは介護保険を活用した市民事業が活発です。日本も自ら市民事業をこういう分野につくって社会的に自立援助を必要とする人々の所に非営利事業を張り巡らしていくことが大事だ、そう社会になってきたことです。
その時大事なことは、ペイドワークとアンペイドワークの関係です。主婦労働というのはずっとアンペイドワークでやってきて、長い間、子育て・介護を担うのは無償労働とされてきたわけですね。しかし、もはやそれは家庭の仕組みから社会の仕組みに変わってくる時代になって有償労働に変わります。かつての正規労働に照らせばうまく行かないけれど、かつての無償労働に比べれば一定の対価が得られるということですから、この労働での水準を一方では上げ他方では下げる、政府や行政の積極策をくわえたのがオランダモデルのワークシェアリングですね。
今、日本では市場主義一辺倒ですが、市場セクター、国家セクターの領域に対して非営利公共の領域での市民セクターの領域が必要になり、市民セクター経済圏の形成がこれからの社会のキーワードになってきます。この中で大事なのがやはり女性の労働のあり方だと思うんです。今の女性の労働の多くは、仕事は安くパートタイム位しかなく指示命令で自分たちの意思では決められない労働です。この仕組みでは、女性は「家庭の主婦」から「社会の主婦」という従属的労働になるだけで、古田さんのいう「労働市場に持ち込まれる主婦化」となるだけです。
だから社会的にはジェンダー平等を求めるワーカーズ・コレクティブという主体的に働く協同組合の形成が決定的に重要になります。ワーカーズ・コレクティブは、自分たちで仕事の内容、何をやりたいか、労働の配分をどうするかという事を、自分たちで決められるという方式で行い、一方設立や運営の資金をどうするかというと、今の生協と同じように1万や2万円単位を最初の出資金として集め、例えば50万円集めて店舗を借りることから始まるわけです。社会のなかでお金のやりとりをするには法人格が必要です。出資し労働し運営するという三原則に基づく協同組合法はどの先進国にはありますが、日本にはありません。そのため、私たちはワーカーズ・コレクティブ法制化運動を長年やってきているんですが、そんな横文字の法律なんかつくれるかと言われたりしましたが、実態形成が着実に地域社会の中で進んで、3年前には坂口厚生労働大臣は国会でワーカーズ・コレクティブの名を二度もあげて「多様な働き方を前提とした就業関係の整備は重要で…実現にむけて真剣に取り組んでまいりたい」というまでになった。しかしその後、遅々として進みません。それは市場主義に役人が完全になびいたからです。そこで実際に出資によって成功しているさまざまな市民事業が集まって、「出資型非営利法人法」に絞って、公益法人改革をにらみながら運動をしています。なぜかというと寄付型で非営利法人制度はNPOとしてあるわけですが、寄付の風土のない日本ではNPOの事業が拡大しない、従って当初政府が期待した就労も進まない、そのため国や自治体にぶら下りのNPOがとても多い。すると官の下請けのようになっていく。それに企業もNPOを作っています。しかもNPOは事務局長権限がやたらに強いです。事業経営がその人の能力にかかるということにもなるわけで、その分権限が強すぎてどちらかというと組織が縦型になる。あまり民主的組織運営とはいえない。それに対してワーカーズ・コレクティブがそれなりに伸びてきたのは、全員が知恵を絞りあって対話型であることの活性化です。何をしたいか話し合い、違う意見があればなぜ違うのか言い合うことが出来ますし、工夫も深まる。自分たちで得た利益は自分たちで分け合いどうするかという事が、共同討議の中で解決される仕組みですよね。経営の苦労が情報として共有されますから、逆境の中でも連帯感でがんばれるわけです。
そのワーカーズ・コレクティブはそれなりに強くなって、全国でワーカーズ・コレクティブ・ネットワーク ジャパンに登録している数は600で1万6千人ほどの人数がいます。しかし制度的には全然、陽の目を当たっていないわけですね。ところが去年2003年5月21日に、今の雇用対策のミスマッチが問題になった時に、雇用創出企画会議の第一次企画案の第一次報告書が出ました。どういう内容かといいますと、今日本の非営利・協同を行う事業がどの程度あるかをまず分析しています。「コミュニティ・ビジネスを担う組織の形態としては、NPO、協同組合、会社」。ミッションをもった会社もあるわけです。そうして企業組合は中小企業等協同組合法があり、NPO法人もある。法制度がないのはワーカーズ・コレクティブ法、同じような運動をしているのが協同労働の協同組合法です。この二つの出資型は法律がないために、法制化の運動をやっているわけです。法人格を持たない団体は事業運営の上で行政の公募からも外され、金融機関の融資からも不利です。
それでもこういう風に書いています。「コミュニティ・ビジネスの雇用規模については現状で約6万人程度」とあります。その内訳はNPOで約3万人、それ以外の協同組合、企業等で3万人です。また協同組合とは、労働者協同組合、ワーカーズ・コレクティブ、企業組合と3分類されています。
今、ワーカーズ・コレクティブは600団体、1万6千人ほどの人数ですから、全体の4分の1を占めているわけです。ですから生活クラブ生協から発生したワーカーズ・コレクティブは、独自の社会的勢力にはなったわけです。けれども法人格を持たないままです。法人格を与えられないので、労協(労働者生産協同組合)と共同で法制化をやろうと思うんですけれど、いろいろな違いがある。率直にいえば、労協の考えは出資・労働・運営の3原則が曖昧で複雑な構造になっているんです。なぜかというと資料の中での、任意組織の事業団という、単位組織に運営権限があるんではなくて、二次組織の事業団が指導組織になっています。指導組織が行政と交渉してそこから契約を取って、取れたから人を集め、この職場は労働者協同組合という形ですから出資が必要ですよ、賃金の一部を出資していただきますよという形にする場合が多いようですけれど、働く側からの立場ではやはり雇われる意識になるんじゃないか。自分がこのようにやりたいからやるという組織にほんとうになっているのか。自治は存在するのか、そこがよく見えません。いろいろ聞いてもワン・ツー・スリーという一斉型の指導や○○に学ぶという画一型が聞こえてきてびっくりします。ですから日本の労働運動の指導組織のように、現場権限が上部機関に吸い上げられていて、現場に余り権限がないのではないか。もう一つは運動の進め方です。労協は自民党の実力者と話を付ける、また不況対策の一つとして就労機会をつくることに力点を置きました。WNJは、小泉の市場一辺倒の政策に対する野党の対案戦略、その経済政策に入れるために、野党第一党の民主党のなかにワーキングチームをつくり、また雇用労働とは異なる多様な働き方としての仕事起こしを強調しました。両者はロビー活動のため国会周辺で何度も顔を合わせました。ある意味で理解の幅を広げる相乗的運動をしていたともいえますし、意見交換もよくしています。しかし理念で多くが共通していても組織運営や運動の体質が違うわけで、本当は当事者間の正式な協議が必要なのだと思います。協同組合学会からもそういわれています。
そして違いはある意味で当然です。戦後、労働のメインストリートから外された人々からおこった運動として、被差別解放運動や障害者運動があり、その次に失業者の運動とそこから発展した労協があります。ワーカーズはアンペイドワークのサブシステンスな分野からおこりました。だから労協は、連合と協同してディーセントワークの確立で奮闘していますし、ワーカーズはリカレント社会づくりとジェンダー平等にむけて新しい労働のあり方をつくりだしているわけです。これらが本当に連合できるには、今の若者の中からの運動というニュータイプが出てきて連合のあり方がつくられていくのかもしれません。
ワーカーズ・コレクティブの良い点は、一つ一つのワーカーズ・コレクティブと代表者と出資金の額と、何人でやっていて幾らの年度事業高があったかということを600全部の事業団体が見える形になっていることですね。まず単位組織があって、ネットワークとしてのWNJがあってここは指導組織ではなく、連絡調整の協議体です。このことは市民社会の自治と民主制という点で大変大事なことです。大体、指導組織は男が押さえてしまう。そして実務を担うのは女性ということになる場合が多い。官がつくる社会福祉法人では官の天下りが管理職になります。官だけではない、日本のシステムはそうなっていて、私たちを含めて60年安保世代は男たちでやってしまうわけです。男女性別分業というのが体の中に染み付いているわけです。複雑労働は男たちがやって、簡単・実務労働は女たちがやるという仕組みです。そこをひっくり返すという新しい21世紀型の社会に方向転換するためには、そこに自治権がなければ駄目だと思います。当事者主権という自治権というものを内在した新しい協同組合法をつくりたいんです。
そのためには何が必要かというと、簡便な準則主義に基づく届け出制の法律です。協同組合として求められる要件の最低の条文をこの「出資型非営利協同法」に盛り込む。私たちは働く協同組合にこだわっているけれど、コミュニティビジネスでやりたい人もいるでしょう。だから出資を認める非営利事業の最低限の内容が整っていれば自分たちのやりたいことは定款の中に入れるようにします。あるいは総会の方針の場で決められるわけです。会社やNPOのように、自由に簡便に出資型の法人がまず創れるようにする。そのことが今大事なのです。協同組合に魅力のないのはいまのままでは協同組合方式で事実上事業が起こせなくなっているからです。その中でワーカーズ・コレクティブという新しい協同組合が600もできたということは時代のニーズとマッチしたということです。地域社会に準則主義に基づいて法人格をとり出資金を2万円、3万円と集めた法人が簡便に創れるようになると、寄付型のNPOよりこれからはずっと上手くできるだろうと、私は思います。
先ほど境さんが「なるほど、私がやっているのはB型だ」と感激してもらったんですけれど、今日本で必要なのはまずA型の土台を広汎に拡げることです。なぜなら自前で自律することは一番大事な市民事業の基本です。他者をあてにすると、ほかの経済セクターである行政か企業などに引き寄せられてしまいますから。今までの社会運動や市民運動が根無し草なのは逆に経済的自立を視野に入れなかったからです。今おこっているのは事業を通した社会問題の解決です。これは一つのパラダイム転換です。だから、まず自立の気風が大事でそれがA型です。その中にハンディキャップのある人を働く場に迎えて自立支援しようというのも当然生まれてきます。イタリアでもA型の数は6500の内4500と多いですよね。B型の方が少ない。
B型の方が困難で、社会的な関係をつくる複雑なステイクホルダー(利害関係者)間の合意、行政と交渉してタイアップするような交渉能力がいるわけです。B型の場合では、このレベルが出来た専門的経験のある人たちがつくった場合は割合と成功しているんです。その意味で私は、多くのワーカーズが地域社会で根づき実績を積んだ場合、生協や生活者ネットの市民の政治と連携すると、地域の行政とコラボレーションしてB型のような市民が担う公共的な市民事業をすることは今後大いにあり得ることだと思います。
エル・コープから生まれるワーカーズ・コレクティブもおそらく業務委託から始まって、地域が必要とする事業でしょう。中でも郊外が一つのポイントになります。乙訓郡で生協設立を準備されているそうですが、今郊外はクルマ社会で便利に見えますが、閉ざされた面も多いわけです。例えば、エル・コープが扱っている素材を使って惣菜のある弁当屋を、コンビニに対抗してやりたい、という声をワーカーズ・コレクティブの設立発起人の主体者にして同時につくっていく。そうした地域に拓かれたたまり場づくりを手がけることも有効です。ワーカーズ・コレクティブを創りたいとなった時に、社会的にハンディキャップのある人を含めたい、さらに共に働く場を同一労働原則でつくりたいという場合もあるでしょう。その形は当事者が決めることです。自立支援型でいくのか、共に働く形でいくか、事業計画づくりで知恵を絞る。今すぐできなくても時間軸をもってすすめば夢は実現可能性に変わります。
今ワーカーズ・コレクティブはどういう事を拠り所にしてきたか、つまり何が非営利かという事を真剣に問うています。どういうことかと言いますと、この資料での見出しだけ述べます。まちづくりに役立つ。まちづくりでも色々とあります。商店街がさびれてきている中で、そこで活性化の糸口にしようというワーカーズもあります。参加型福祉というのもあります。短時間の家事援助サービスを行う。素材にこだわる、環境に配慮した、高齢者や小さい子供用の食の提供。使い捨てをしないような仕組み、または自分たちが提供するものは使い捨てをするものは入っていない仕組みを地域に提案。地域の農家と共同して緑を保存していくような分野、等です。
そういったものに携わるワーカーズ一人一人が自発的に働く内容を、事業の日常労働過程の中でめざすわけです。これは内山節がいう〈仕事〉です。そのミッションを失うと単なる〈稼ぎ〉の労働になっていく。ワーカーズ・コレクティブのなかにいつも営利の思想が孕まれてくるわけです。それも事業が困難になったときほどそうなる可能性がある。それを克服する力は〈仲間〉です。一人一票の自治とネットワークした連合会の知恵です。ワーカーズは小さい単位ですから必要な専門知識に困ることが多い。それが県レベルで連合することによってそうした専門家のいるワーカーズメンバーに会えるわけです。その全国連合によって法制化運動のロビー活動がされているわけです。こうして非営利で事業する知恵を集めると、「市民がつくる公共」という分野が見えてきます。日本の社会のどこにこれから社会的に有用な仕事の分野があるかが見えてきます。例えば高齢者用の弁当の宅配サービスをする事で介護と関わりが深まってきて、そして次にもっと大きな意味で社会的に不利な人々をどうするかとなってくる。このように私は、社会改革は普通の人々が市民事業の自立の上に、高い公益性をになうものを2階建てですすめる必要があると思っています。
まずはA型で市民事業を起こす。非営利・公共性をもつ分野は、どうしたらおこるのか。それは剰余について個人的所有にしないで社会的に再投資をする資本にして、これらの事業を横につなげる、仲間が違った事業を起こすという形で、私たちが得た剰余を社会に再投資して出資金にする。もちろん必要な労働対価は有償でとった上でのことです。企業の様に儲かるところは個人資産にプラスされていくのではなくて、社会的基盤づくりに再投資していく。事実フランスの労働者生産協同組合はそうしているわけで、そうしたことのできるワーカーズ・コレクティブ法が必要だと思うんです。いまは、出資一点に絞ってあえて労働・運営の三位一体を法のなかに求めず他の市民事業と連合することを大事にして、「出資型非営利協同法人法」と呼んでいます。5月15日にこの法制度制定要求のシンポジウムを明治大学でやりましたが、若者や学生たちが会場いっぱいになるほど集まり、当てにならない雇用ではなく自ら自分の仕事を発見して市民事業を立ち上げたいという気持ちがかえって主宰者の方が受け取ったぐらいです。
ワーカーズ・コレクティブ法は、地域社会に市民事業が出資型で誰でもが出来るという簡便な準則主義の届け出で設立できることをめざしています。B型には行政との協働という別の、つまり社会協同組合法が必要です。それは社会的に不利な立場の人々の中から生まれてくる当事者の声がもっとも大事です。障害者運動の側からでてきた、福祉就労ではなく共に働くことに力点を置いた共同連の協働作業所、最近提唱されている社会的事業所というものに注目しています。その場合でも彼らも社会協同組合に刺激を受けながら、協同組合という方式よりも日本の社会の中から積み上げたところから発言をしています。そうして共に働く社会的事業所が各地に生み出されるようになると、B型の現実的可能性も高まるでしょう。それぞれからB型をめざし実践的模索をつづける段階がはじまっていると思うんです。
いま必要なことは、どんな形であれ、行政マンやスペシャリストが関与して、ここはこうしなさいああしなさいと言われて、やはりそうしなければいけないのかなという風に雇用労働と同じような縦型の運営方法にならずに、自分で納得できれば頑張れるという自立と自治の原則に立つ法制化が必要だと思います。
司会
僕自身はA型B型関係無しに、ひきこもりをサポートするNPOというのがありまして、千葉は事業高が凄くて3億くらいいっているんですよ。一方関西では事業高は少なくて2千万くらいの事業体なんですけれども、その働く場をワーカーズでやろうという話が起りまして、ですからある種仕方なく始めたんですが、そこから出発しているんです。地域では、千里山生協に関わっていた人がNPO法人で配食サービスを始めたり、そして先程も言いました精神障害者を地域でサポートするNPO法人などもありまして、そういう意味では結構資源はあったということですね。
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8)「市民労働」をめぐって
講師
ワーカーズ・コレクティブは、いまでは企業組合、NPO法人、それから有限会社などの法人格をとって、公益的領域に事業参入するために工夫しているわけですが、その根本精神は自分たちで事業を運営したい、自分たちで自己決定したい、そういう新しい働きだという点ですね。
最後に「市民労働」の話しをして終わりたいと思います。市民労働というのは、『危険社会』を書いたウルリヒ・ベックが言っている新しい働き方で、これはドイツの実験の例です。伊藤美登利さんのお話しに刺激を受けて紹介します。私の役割はいろんな論をつないで共通項を高めることです。
簡単に言いますと、一つは、雇用労働ではない労働。もう一つは家事労働ではない。つまりペイドワークでもアンペイドワークでもない、市民が創り出す公共的な働き方、第三の労働ということです。第三の労働、つまり市民労働の内容とは何かと言うと、一つは公的な労働です。つまり日本の場合はお上が認めたものが公的と呼んでいますがそうじゃない。市民が自分たちでつくって自己認識した公的な労働。社会的な公共性を持った労働で、その内実は民主主義を実行すること。それは、職業労働、家庭内労働、余暇活動や不法労働と区別されるといっています。
二つ目は公共とも関係するんですが、政治的行為と親和性があり、公共の財産を生産し、公共の福祉に役立つ労働だといっています。つまり私的な労働ではないんですね。社会的、政治的な性格を持っている。
三つ目は自発的な、自己組織された労働だと。外部による操作や統制を受けず、主導権は実際に従事している人々の手中にあることが強調されています。つまり創造的不服従。誰かに言われてするような、指示・命令に従って行うような労働ではない。そういう労働を通した自発的社会参加だと。
そういうような新しい労働の形。それが私の言葉で言うと「市民がつくる公共」という新しい労働です。大事なことは市民活動から生まれた事業と協同組合運動から生まれた事業がドッキングして「市民・協同セクター」という第三の経済セクターを構成する労働の流れを創りたいというのと同じ事だと思うんです。
ではこうした市民労働への参加に対する報酬はどうして得るのかについて3つの考えとやり方を提案しています。
一つは、賃金とは考えずに、市民給付金、能力付与、あるいは年金請求権や福祉時間の承認、福祉クーポン等を与えると。賃金とは違う概念を作ろうとしているわけですね。
二つは、市民給付金の最低限度額は地方自治体の資金、市民労働自体が実際の事業で獲得した資金、そして企業、財団などの私的な基金などから出す。つまり賃金とは違う。しかし有償の対価であることは確かで無償ボランティアではない。その値段は正規雇用に比べれば低いわけです、もちろん。
だから第三にその労働の状態を生活保護や失業保険とは異なって、社会的に失業者とは見ない、就労者としてカウントするということでしょう。立派な働き手であるという社会認識をするということです。
午前中の話しですけれど、フリーターは自分の生き方や社会的にやりたいことはやっている。あまりお金とは関係ない活動的な仕事をしても失業者だと言われるわけです。そうではなく、こういう市民労働で働く者は年金の制度にも裏付けられるようにカウントするとか、そして失業者ではなくもう一つの第三の働き手として認知するという考え方ですね。こういう考え方でバイエルン州とザクセン州でモデルプロジェクトをやっているそうです。ですからそのうちドイツから新しい市民労働の経験が色々と発表されてくると思いますね。
これは先ほど述べたように賃労働ではありません。そしてアンペイドの家事労働でもありません。それらとは違った第三の労働といった概念をはっきりさせた働き方社会をつくろうという提案です。こういう社会が今までは夢物語、ユートピアと言われかねなかったわけですが、これだけ企業の正規雇用という領域が縮まって、しかも行政の財政破綻の中で、新しい働き方と考え方が求められているということです。ドイツと日本の違いもありますが、これからの労働の方向としては大変参考になるんだと思います。
中本
さっきおっしゃったイタリアの労働とはまた違うんですか?
講師
内容的には社会協同組合の労働と市民労働とはハーモニーしあっていると思います。今までお上が全部そういうものを仕切っていたのが、市民の中に戻される、つまり市民社会の中に戻される。いや市民自身が積極的に代替え提案して担っていくという風に変わってくるということですね。だから少なくとも公務員の仕事の領域が蚕食されるわけです。何のための税金かという納税者主権の考え方ともつながってわかりやすい。キーワードは企業の民営化ではなく市民事業化なのです。確かに社会の公僕としての公務員はいると思うんですけれど、もっとその公共的領域を市民が担ってもいいじゃないか。あれこれと指図されなくても私たちの現場で創造的不服従の精神でこれが良いと判断したものは市民労働でやっていこうという事ですね。
そういう労働形式はB型も同じですよ。私らが行った所ではセラピーをやっていました。どんなセラピーかというと、10代の子供を持つ外国人の若いお母さんは言葉が通じないと凄く孤独になってノイローゼになる。いろんな癒し方があると思いますが、そこは子どもと一緒に馬と遊ぶ空間を作って乗ったり触ったりして過ごす。そういう動物との接点を非常に大事にするような仕事に従事しているブーツを履いたかっこいいカーボーイ風の若者がいるわけです。そこで子供がニコニコしているのを見ると、「ああそうか、こういうやり方もあるのか」と。そしてこの若者の仕事が市民労働だと実感します。彼は動物、つまり馬の専門家であり、それを治療に活かす医師でもあり、コミュニケーションのきっかけをつくる心理士でもあるわけです。日本の場合だとどこかに閉じ込める恰好だけど、そうじゃなくて自然と触れ合う、連れて行く、動物と触れ合うとかそういう形も含めて彼が社会協同組合の提案としてやる。それが行政のOKが出れば一定の援助が来る。費用の全部ではなく市民からも集めてやっている。その場所は公共の空き地に馬の厩舎がつくられていました。そういう形の中で外国人の共同体がうまれ親密園がつくられていくわけです。私たちが行った所は三家族が一緒になって部屋は別々だけど食事をするところは一緒のような空間がありました。
このように社会的協同組合B型、市民労働、公益型協同組合、NPO、コミュニティ・ビジネスと、どう呼ぼうがミッションは変わらないです。協同組合もNPOもそういう非営利・公共性の社会性を持ったものを「社会的企業」と呼ぶという風に今なりつつあります。ただイタリアくらい協同組合が発展すると凄いと思うんですけれど、フランスに行くとNPOもあります。フランスでは非営利公共の事業を連帯経済と呼んでいます。ですから呼び方は違うんですけれど、そこにヨーロッパの個性的な文化の良さがあって響きあっているということです。
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9)地域社会づくり
黒岩
こういう形が生活クラブの組織の中にあると、どういう反応があるんですか?
講師
生活クラブは単協主権をとっていて少しずつ運営が違います。つまり自治の原則ははっきりしていて、多軸重層型です。そして生協組織の中にあるのとは違います。ワーカーズ・コレクティブは独立した主体で運営されていて、協同組合地域協議会などで生活クラブと協議して地域政策を合意しあう関係です。
そのワーカーズ・コレクティブで福祉・介護に参加している数は350、およそ9000人が働いています。その多くは介護保険に参入していますが、介護保険適用外の自主福祉の労働も随分あるわけです。それが東京と神奈川は非常に多いんですね。一方千葉は生協内に福祉部門を置いて介護保険の領域に特化していたために、日生協の福祉事業統計ではトップなんです。そのように生活クラブの中でもやり方が様々なんです。しかし千葉は今年の総代会で福祉を生協の外へ独立させましたから、組織の中ではなくなりました。
生活クラブ運動は、制度の枠を越えて社会的に必要なものはチャレンジするという精神が高いと思います。どんどん組織は多頭化していきます。同時に地域でいえば、高齢者もいれば障害者もおられて相談が持ち込まれるわけです。痴呆性の老人が介護保険の対象で対応していると、障害者の状態とあまり変わらないという面もあって家族からSOSが発信されてきたらどうするのか。もちろんある種の専門性の対応は必要ですし、基本として障害者の対応を身につければここは高齢者だけに限っていますからという狭い対応をしなくてもいいわけです。
実際に仕事を持っていて子どもを預かって欲しいという若いお母さんが高齢者の介護施設に来るといけないのかというと、むしろ高齢者は子どもと遊んだほうが元気になります。そういう意味ではそういう組み合わせはこれから幾らでも考えられます。ですから縦割りの法律になっているけれども、人の横の?がりでコミュニティという形にして、人々のアソシエーションした知恵を働かして組み合わせれば、子どもたちは昔のように、母親が家にいなければ可哀想という状態にならず、楽しい空間はいっぱいつくれるわけですよ。ですから今ワーカーズ・コレクティブの一番の特色は、システムの硬い制約を人の〈関係知〉によって柔らかく能動的なものにする、その領域に踏み込みはじているんじゃないですか。
黒岩
生活クラブという組織体ではなくてやはりワーカーズ・コレクティブという形の方が地域へのコミットはしやすいということですか。
講師
しやすいというより機能的な役割分担でネットワークする。それが現代的な組織体と考えているからでしょうね。連合会会長の河野さんは、分権は主権者の主体的な登場だと強調します。多軸重層型の機能別の独立と自治、その連合の形成こそが組合員が地域社会の主権者として登場する仕組みだと。生活クラブ生協の役割は、食を中心とした事業でおおぜいの参加を求めて活動しています。参加とコミュニケーション、利用結集が活動の中心です。地域社会のさまざまなまちづくり、コミュニティづくりが議論されます。中でも中期計画が大事です。5ヵ年計画を描いて、ここにデイケアセンターを作る必要があるだとか、子育て支援の何が必要だとか、障害者団体の協働作業所があそこにあるじゃないか。ではそれらを活かしてどうしようかと。5年先の地域事業を考えるには生協の方が上手いですよ。生協はそうして共通課題を描くわけです。多くの市民生協はそれを全部抱え込んでやりたがります。確かに全体的な事業はシステムでやれますから生協でやれることが多いですね。共済がその例です。しかし分権自治の時代は、地域社会の当事者が個々の課題で担い手になる時代で、ワーカーズは地域社会の課題を協同組合の手法で市民事業として行える点で適しているわけです。60年代の半世紀前に市民型生協はつくられ、多くの事業が生協として推進されましたが、一人の専務理事に現代社会の多様な課題の事業執行がすべて集中する仕組みは、次第に時代に合わなくなってきているという風に考えられませんか。だから子会社化やアウトソーシングがおこってきているわけですが、そこには主権者の登場はないわけです。
同じように、自覚的なもう一つの機能集団として、地域社会に生活者の視点から市民政治を進める生活者ネットワークという政治集団をつくってきたことです。独立した団体としてローカル・パーティをつくって代理人(地方自治体の議員)が東京で65人ぐらい生まれています。この誕生も組合員と市民の関係から生まれたものです。組合員としては安全なものを確保していても一般の市民は違う。循環型社会をつくるために、生協としてはグリーンシステムや自主監査管理基準で質の高いレベルをつくってきていますが、その外にいる市民には基礎自治体に根ざした具体的政策転換が必要になっているわけです。そうした政治活動をしているのが生活者ネットワークです。議員としての代理人は地方議会の中で政策提案し審議ができるわけです。ネットもおおぜいの生協に比べれば自覚的な意思の高い人たちで、しかし地域に住んで組合員活動の先輩や石けん運動やNON−GMOの活動経験者も多いわけですから、地域のことを知っているし、議会での運営にも組織活動を経験しているので対応する能力があるわけです。
ワーカーズ・コレクティブやネットには、地域社会を踏まえて提案できる自治する民主主義が蓄積されているわけです。このように、三者が生活クラブ関連グループをつくって連携するあり方は機能別の自治と連合という関係であり、響きあう相互関係をめざしています。それは意識されているとはいえませんが、生活クラブが社会的経済、ワーカーズ、ネットが連帯経済のような関係にあるように思います。つまり機能別にいろんな展開をするということはその数だけ多くのリーダーが生まれますね。さまざまな人による専門機能を育てることの方が〈知〉を、それも〈市民知〉を育てることができるという考えです。つまり資本のない「市民・協同セクター」にとって人材のネットワークが根源的な財産なのです。ここにある東京生活クラブ運動グループ福祉協議会というのは、福祉の分野に特化してつくられた協議会です。生協とワーカーズとNPOアクトと社会福祉法人悠遊が加わって地域策定プランを作っているところです。ですから3年先のために今年は何を準備しようかと考え、そして組合員の論議におろしていくことができるんですね。現代と未来が同時に描けてこそ、地域の中でこういうものをつくろうという風になってくるわけです。
それが環境のためのアンテナショップであったり、北海道では風力発電であったり色々です。地域の中でそういう面白そうな未来的なものを考えるのは、専従が考えるより地域の人が考える方が強いわけですから、その人たちの提案が生きてくるわけですね。専従はそれを引き出すサポート能力が問われているのだと思います。
食の問題だけで論議しても世代間の対立ばかりになりかねませんが、地域性や社会性を持った論議や機能別の提起により、世代間で抱えている様々な問題の違いと共通性が浮かび上がってくるわけです。そうして自分の地域での創り替えの課題を、生協の立場から、ワーカーズの市民事業の立場から、地域政治の社会運動や条例制定運動などの立場から整理できてきます。もちろん生産者の課題もあります。その議論過程が実は結果的に意思統一にもつながります。そうでないと建前だけが並べられて何をどうするかが見えない結果になる点で、生協集中型の運営では立ち後れてしまうのではないでしょうか。
黒岩
例えば具体的な話しでいうと、エル・コープの地域の中でもB型のハンディキャップ又は精神障害を持った人の、精神病院があるわけです。その中で介護医療やっています。そことエル・コープの組合員はドッキングできるかというと、私はエルコープの組合員に精神障害も持っている人とのドッキングを阻む差別感というのは未だにあると思うんです。そういう層がまだあると思うんです。その中で何人かの人がそういう人と地域との接点を作れる人が出てくる、これがいることも確かだと思うんですよ。その時に必ず出てくるのは、エルコープから外に出て作りなさいと確認事項として出てくると思うんですよ。そうするとNPOにその部分は戻ってしまうのか。
NPOそのものは市民団体という形で地域団体ではない。その行動の中で今解決しなければならない精神障害を持った人の何が一番解決できるかというと、私はやはり地域だとおもうんですね。そうしたときにエル・コープの中で出来ないのかという風に感じてしまうわけですよ。地域密度はもう点ですよね。そうすると生活クラブの25万人なり、3%なりの地域密度の組合員なら出来るのかなと思っていたんですが、実体はワーカーズといった形でしかそういう課題は拾えないのかなと。
講師
う−ん。とても大事な提起ですね。確かに一見、外のように見えますが、私たちの経験ではかえって内的な関係は高まったのも確かなんです。機械論的な区別ではないからです。それにワーカーズのメンバーは多くが組合員です。ネットも多くがそうです。それは生活クラブが10年前に、その頃は生活総合事業と言ってたんですが、食の専門生協と言い始める動きもあって、どうすればさまざまなことが縦型ではなく横の有機的連携でできるのかを考えて、多軸重層型という組織論になっていきました。おっしゃるように、生協はおおぜいの組織ですから障害者のことに、あるいは平和や人権運動に関心のある人もない人もいるわけです。古くはそうした関心のある人がその課題で委員会や部会を設けて活動が盛んな時期もありました。これは期限と目標を限って行う行動委員会の論理でした。理事会や支部・班という基本組織ではありません。しかし一度できてしまうと形式化しシステム化してみんなの共感を得られなくなってしまうケースも多くなりました。そういう活動は生協の外にでて広く市民活動として行われるようにもなったし、NPO法は生協の中と外とをつないでいた運動に自立の機会を与えたわけですね。じゃ生協の中にはもう運動はなくなるのかといえば、そんなことはないと思います。おおぜいの組合員の住み暮らし生きていくことの見取り図や未来図を参加して議論することができるわけです。生活クラブは何も25万人で動くわけではない。県で区切られ、経済的に自立できる範囲を自らきめた組合員主権の生協なんです。地域3%というのは生協に参加を誘える層が客観的にそれぐらいだというリアルな認識です。市民生協のお客さんとしての多数者獲得論ではないし、そのうえ、自覚的に責任もって自治できる層はそのなかのさらに3%ぐらいと抑えているわけです。エル・コープではどうですか。2000人組合員がいて60人ぐらいの意識的な人が理事や地域支部を担っているというのが3%論の仮説ですね。その忙しい人の所へもちこむとマイナーな課題は外でやってくれということになっているのではありませんか。この問題を解決する方法が多軸重層論でもあったんです。新しい担い手をつくる5%論だと、私は思っています、もっとも誰もいっていませんが(笑)。
具体的にいいます。生協はおおぜいの同意を必要とする組織です。10数年前、東京で福祉をやるには社会福祉法人設立に1億円かかる。そのカンパと寄付の議論に数年かかっているわけです。そしてできた法人は生協の外です。しかしその法人経営も新しくできる介護ワーカーズも食事ワーカーズも社会的に有用な就労機会を生むわけです。パートとは違う新しい働き方が生み出され組合員のなかからも外からもその働き方に参加する人が生まれました。こうして企画した生協と実際の実務を担う小さな自覚的な事業集団がそれぞれの良さの特徴をもって連携しあえることができるようになったわけです。こうして機能を分けることで沢山の運動も事業もリーダーもできるんですよ。
つまり人というのはある意味で役があって自己決定が出来る場があれば、それはそれなりに「え、あの人でもやれるのかな」という人であっても意外とつくることができるものです。自分がやれる範囲をキャッチアップして、京都中を見てきなさいと言っても出来ませんけれども、自分の地域なら自分で考える人は必ずいるわけですよ。そういう風に分権化というのは人から人を育てる仕組みです。逆に一カ所しか決めるところがないと、結局それぞれの思いは通じなくなるんです。今までの専務理事は様々な事をしなければいけない役だから、物事をやれたらいいなと思うだけであって良い意見とわかっていても少数意見はなかなか採用しにくい。まして生協経営が好調なら別ですが、シビアな時には保守的になるわけです。
それに対してやりたい人がその地域で一人では駄目ですが、3人おり、5人おりという形で覚悟をつくることができたら物事は動きます。そこで5人で離陸できれば、というより5人で出来ることからやればいいわけです。それがワーカーズであってもいいじゃないですか。
司会
でもまだ発見してないよね。配送ワーカーズっていうのはあるけれど、それ以外のワーカーズで何をやるかは発見できてないよね。業態として介護をするとか、子育て支援をするとか幾つかのテーマはあるけれど、これだというのがまだ見えてないよね。
講師
生協の側が組合員の提案を無視したりして不十分だからみんな外に出てやるんですよ。言ってもやってくれない、取り上げてもくれないんだったら、自分らでやりたいように外に出てやった方が面白いから生協を辞めてやるということになる。
生協には、どうも全体を押えてかかるという悪い癖がありすぎます。そこはもう個別分散型で自由で結構だと。自由な雰囲気ですよ。自由な形でネットワークが出来てそれで寄れれば楽しいんだけど、言ったら又何か言ってくるぞという雰囲気ではシンドイという所があると思うんですね。生協内ではセンターに持っていけば次に本部に持っていかなければいけないというような仕組みが多すぎて、そこで決定出来ない。専従の人に直接相談して専従が良かったよと言ってくれても決定できる裁量権がなくて、本部に持っていって、「専務、実はこんな事になってますよ。」という話になってしまう。「ちょっと待て、優先事項はこれ」と言われれば、「はいはい」という風にしかならないような形だから組合員は余り言ってこない事になってしまう。やはり自己決定が出来る領域が小さくなっている。指示命令で動くという仕組みに慣れてしまっているという面がやはり大きい。これが変わらない限りはアソシエーションは出来ないし、再アソシエーションは出来ないですね。
司会
だから地域の課題を拾うというのは物凄く難しいだろうね。もちろん専従の方もやらないといけないだろうけど。理事、運営委員のチェック機能、発見する能力、その人たちと一緒にやれるという事が今問われている気がしますけどもね。
奥田
ワーカーズでやるというのは簡単そうに見えて簡単ではないんですけれど、簡単そうに見えてやるとやっぱり止めたといか
講師
それはありますよ。簡単ではないけれど、やりたいメンバーで企画をつくった段階で先輩のワーカーズに見てもらうことです。そんなワーカーズがなければWNJの全国交流に行っていろんなヒントをもらうことですね。そして二次案を作って上手に作れるようにする事がやはり大事です。思いこみで無理してつくって誰も責任を負うてくれないというんならば、もう見通しないという事で止めてもいい。お金がつきまといますから。また名前変えて別の人と組んでやっている人たちはいっぱいいますよ。それはそれでいいかもしれません。人間合わない場合もありますし。合わない人とずっとやり続けるなんてシンドイじゃないですか。それは動いて良いと思うんですよ。
奥田
ワーカーズというのは出資して責任能力が問われるのでは・・・
講師
いや、日本社会はそっちの側から押えすぎて、やりたい事をやってみようという発想を潰してしまうんです。真面目に捉えすぎて凄く責任を感じてですね、一生懸命にやりすぎて疲れ果てるという発想を変えないと、やる人がいかにもしんどそうというのを、私はマジクラ、真面目で暗いと呼ぶんですよ(笑)。私はそういう意味では関西の風土は良いなと思うんです。関西の風土はニコニコしてラテン系なんですよ。やはり笑いがないような組織運営は駄目ですね。根が真面目すぎると先読みしちゃうわけです。
だから企画が大事です。企画は調査から始まります。お弁当ワーカーズを5人でやるとすると、一日何食、それを毎日受け入れてくれる所がどこか、それでは足りないので地域の中で頼めそうなところを地図落としする、そして事前にチラシなどをつくって開店お知らせの準備をする。いつも具体的な中にしか責任は果たせないんです。それをしないで想いだけではじめると失敗する。この地道な準備企画ができれば、それについては「良かったね」と生協事務局はいつも応援する立場、情報を地域に知らせることだと思うんです。文句をいうのはこの企画案の段階で、実行し始めてから「これはああだこうだ」という風になると、責任感じて、止めておこうかなとなってしまう。
例えば配送ワーカーズの後藤さん(轍代表)というのは、一流企業にいた人なんですよ。企業が嫌になってワーカーズに参加した。けれど生協に来たらマネージメントが無いから、社会性のある最低限のマネージメントをやる、それは目的と目標を常に議論して数字に出す事だというんですよ。目標なしでただダラダラしてたんでは疲れて夜遅くまでやっているだけなんだと。それで目標を達成すれば、自由時間もつくっても構わないと。そういうワーカーズがディスカッションできる空間や目標設定をきちんとつくる職場づくりをした。だから若い男性ワーカーズもでてきた。これが能力主義だという人はいっぱいいるんですけれど、共同経営という特色を引き出してメンバーは元気ですね。
司会
業態が違うのもあります。ワーカーズ轍は個別配送で、もう一方のにんじんは店舗ですね。
奥田
ワーカーズはその人の資質が大きいのでは。
講師
そう思いますよ。ステレオタイプ化した運動は大企業の中のラインを設けたりする所から画一化して、命令の指揮が同じようになっていってしまう。もう一つは雇用労働の性格でどうしても労働が受け身になってしまう。しかし生協の専従労働は活動労働であってけして雇用労働と同じじゃなかったはずなんです。しかも生協労働は対人サービスだからけして画一化ではなく工夫がいるのです。画一なのは物流システムでそのことはきちんと説明することは大事です。サービス社会というのは、工場のラインの労働と違ってパーソナリティというのが活かされてやる仕事になっているわけです。専門性、創造性が活かされる時代になった。「ええ、ああいうこともやれるの」となってそこにいる人が納得していれば素質を活かした仕事ができる。そういう意味での自主性は様々にあって良いんじゃないかと。
だから経験交流をすると面白いですよ。同じ介護をやっていてもこっちでやっているのとあっちでやっているのと違うというのがありますからね。ケアマネージャーの交流会やっても大分違いますよ。だけれど先ほどの社会協同組合でのイタリア型とドイツ型がある様に、どちらが良いのか悪いのか始めても仕方が無いわけで、それぞれのパーソナリティはそれぞれが良しとするしか無いと思うんですね。
ですから経験交流では自分のヒントになる物を持って帰ればいいんです。絶対こうでなければいけないというのならばシンドイけれどそうではなくて、自分が使えるものを上手に学んでいけば良いわけですから。ですから余り難しい論議をしなくても良い意味での実践の良い報告を出し合ってね。本音を出し合わないと駄目ですけれど。
そういう事も出来るからワーカーズは楽しいという人は多い。生活クラブは他の生協からよく金持ちクラブといわれることも多いのですが、確かにそういう人たちもいます。けれど、つまりなにがしかの有償のお金が欲しい人たちも沢山いるわけですね。なぜワーカーズ・コレクティブがこれ程伸びてきたのかというとそういう普通の暮らしの中で家計のたしを得たい人がとても多いということを裏付けているわけです。生活クラブはまだ生協でなかった時代から世田谷で内職斡旋の活動をしています。と同時に企業の様な働き方はいやだ。いわれるが儘にやりたくなくてやはり自分の夢がちょっと出せる働き方であれば、誰かと組んでみたいというのが出てこんなに沢山生まれたわけです。それは関西でもどこへ行っても同じ事だと思います。
エルコープには配送ワーカーズ以外に何か無いんですか? 何かやってみようかなと。地域の何か提案など無いんですか。そういうのは必ず出てくると思います。そこが専従や事務局の代表者の知恵の働かせ方もあるんですね。普通の組合員には情報が少ないんです。単独では知らないわけだから、ポツン、ポツンといるやってみたい人同士で会う機会を作ってみて、出来るかどうかは本人の都合次第だけれどそういう機会を事務局側は幾らでもつなげるんじゃないかと思います。そういうニューズでも届くと届かないでは大分違うと思います。
最後に、感想を一言ずつ聞かせて戴ければと思います。
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感想から
立石
長いこと掛けてどのようなものを掲げて組合員と歩めばいいかを探しているような状態でして、1990年代を境に大きく変わってきた、もちろん高度経済成長を通して問題が蓄積されてきているわけですけれど、ここ数年くらいにですね、時間的空間的に圧縮されたような形を元に戻すために、その為に協同組合があるというか新しい働き方があるというか、そういう考え方もあるかなあというそういう印象を持ちました。そういう発想を持っていきたいという事で参考になりました。
藤井(ワーカーズ)
実際行動すると難しいという面があるんですけれど、今日お話を聴いてホッとする部分と勉強不足で難しいと思う部分もあったんですけれど、励ましになる部分がありこれからも頑張っていきたいと思います。
講師 藤井さんにこの本を差し上げます(WNJ発行のブックレット類)。
佐々木
自己決定するという事で、ワーカーズの中で自己決定する場、新しく働く場をなんとか作り出したいと思います。
講師
今日、朝に境さんらといろんな話をしました。個と共同についての議論ですが、主体形成と運動推進の中で、20世紀は産業社会の論理と同じで組織決定というものに非常に大きな力点を置いてきたんですね。その事によって確かに社会は動いたし、一人の力では出来ない協同の力を引き出した事も事実なんだけれど、今度はそれがシステム化した時に逆に今度は個人はヒキウスのように自分は見えなくなってしまうということがおこった。国家社会主義はこうしてつぶれました。今、個人個人の自己決定にもどすという事で、自由を基調とした主体形成が大事なテーマになってきました。マルクスとプルドーン再読の話しになったのですね。ポスト工業化社会、ポスト産業化社会に入った21世紀の段階では、自己決定の場、つまりあらゆる場に自立と自治が出来る仕組みを目指す時代というのが今日の午前中の論議でした。
司会
私はそういう理論を持ちながら、他方ではB型をやっておりますので。
奥田
自己決定では、自分が何をしたいのかが未だによく分からないので、一番難しいと思うんですけれども、楽しくやっていると人は集まってきて、自分一人で出来ないことも自分はこれが得意だけれど他の人はあれが得意という事で一緒に動いていくというのが凄く楽しいなあと思うんです。そういうような事を楽しく出来る場所を作っていけるのがワーカーズなのかなあと、ちょっと今までと違うイメージが出来て良かったと思っているんです。
藤井
B型のお話しを聴かせて戴いて凄く感動しましたし、エルコープの中に沢山のワーカーズが出来たら良いなという感じです。
村上
4つに分けてテーマ毎にお話し戴いて、これは合わせると非常に多岐に渡っているので、ややもすると独りよがりに陥りがちな思考に刺激を与えて貰ったと思います。身近な地域、自分に近いことをもっと職場やワーカーズの仲間たちと考えたいと思います。
中本
普段エル・コープやワーカーズと関わっていて、こうすれば良いというだけじゃ無くて、こういう風にやっていきたいという事から始めるのが大切だと今日お話を聴いて感じました。
向井
自己決定というのは普通社会と切断されたものと考えてしまうのですが、それが社会と?がっているという観点から、今日ヨーロッパの公的労働のお話を聴いて、自己決定と社会との関わりを考える事ができました。
生田
方針の議論などでシンドイなあと思うことがあるんですけれど、楽しくやっていきたいなあという事と、その為に理論を身につけるにもやはりもう少し勉強しないといけないと思いました。
河崎
日々試行錯誤でやりながらエルコープで働いて十何年になりました。久しぶりにヨーロッパのお話しをうかがって設立準備の初心に戻ったような気になりました。そして今後の活動についても色々学習しながらやらないといけないのかなと思いました。
白塚
自己決定というものが最後にキーワードになっているんで、私の時もやりたい事はやっていくんだと、事業も含めて。せめて5人を纏めることは要求されるだろうけれど。もっと大きな組織でそれをやれと言われてもそれは人がそんなにいないでしょうけれど、その辺りの話をするとなんかホッとするような、それだと色々と可能性があるんだろうなと。仕組みというのは仲間と一緒に提案していける様な、そういうイメージを自分達の中に持てば良いんだなと。道が開ける様なそんな思いがあります。
あと以前にもワーカーズは何故そんなに面白がってやるんだろうと。分かったような気になりながら何でだろうとずっと思っていたんですけれど、今のその自己決定の所で言いますと、私は職員という立場で仕事をしているので、自己決定という自己というのは組織と離れた自己というわけではないんですけれど、常に判断をしたり決定をする。こういう風に決める、決めた事に関して責任を問われるわけですが、それも含めて決める、判断をする事の繰り返しが仕事の様になっているのですが、改めてパート職の姿を見たりすると、決められない、判断できない。判断する事が自分の仕事だとどうも全く認識されていない。だから割と大きい企業なんかのパート職を経て、パッと私たちの職場に遭遇した時に昔から常にそういう場面を経てきたわけですけれども、改めてハッと気付くことがありまして、結局、特に女性なんかは普通に仕事に行くと例えばそれが職員、社員だという決断があったとしても、自分で判断をしたり決めたり責任を問われるという重責もないという事でもあるんですけれども、そういう立場にまず置かれない。そういう責任判断、決定を追っていく場面が必ずあるわけです。女性はそこに配置されるという時には往々にして男の人に対して過大なそれを要求されていくという構造があるんです。これはある意味そういう場に晒されるというのが可哀想という形で、「やさしさ」の中で外されていくという構造が一般社会の中であるんです。
この中で決定する事、判断する事、迷う事、考える事というのを仕事の場面でやっても良いんだという事を分からない。それに気が付かないと、考える、迷う、悩む、そして決める。ダメだったと反省して又考える、迷う、決める。それの繰り返しが実はどんなに面白い事なのかという事を多分無意識の内に多分発見されているんだろうなと思うんですね。それが今キーワードなんだよという事で自分の中で?がる様な思いがあったという事を道が開けるような気持ちが持てたという事があります。
堀本
判断を間違ったり迷ったりしながら色々しながら、(一同笑い 誰か「楽しんでいる?」との声)エル・コープという母体がきちんとありますので、間違えても良いという忠告も戴いたので思いっきりやれるというのをつくづく感じたんですが、その中でやりたいとか、こんな事はあるだろうと、思っている人は一杯いるでしょうし、色んな世代の仲間がいるわけですから、そこを上手く引き出していけるような、今それこそ人と?がり深くない人達がどんどん多くなってきている中ででもそれを引き出していける様な地域になっていければ良いなと思っています。有難うございました。
黒岩
柏井さんに今年の総代会の議案書を渡してしまったので、いつか読まれてしまうだろうと思っているんですが、今年については組織の決定という事について5つの細則を決めてきました。これは全然僕の中で矛盾していなくて、多分そういう事が無いと自己決定する楽しさとか意味が分からないだろうという、そういう部分がエル・コープの中で元々市民運動から始まってきたという経過もありましてね、組織というものになじまなかった。だから余計にそれが必要なんだなということがこの中で出てきて、地区とはなんぞや理事とはなんぞやという所から始めています。これはエルコープの組織の中でもらせん状に組織がまたぐ組織決定ではなくて、個人が発揮する場が出て、或はもっと組織として力を発揮する場面が出てくる様な、そういう様な事だと思っています。そういう意味で今日の話については、そういう方向性として私は理解してやっております。有難うございました。
司会
はい。それでは僕は今日自分がエル・コープとは別の所でやっているワーカーズが実はB型だという事が分かって非常に面白かったんですけれども、そしてそこは千里山生協のエリアでして、生協が地域の5ヵ年計画をやっていて、モデルを設計してこうだろうと言われたら非常に嬉しいんですが今のところ全然そういう事はやってくれません。こちらから逆に生協支援という形でどう活用するかというプランを出してですね、生協も損をしないんだという事を説得しないといけないという感じが今の状態です。
やはり考えてみれば生協がそういう地域でのある種の見取図と描いて、コミュニティ作りの計画を立てられるという事は、生活クラブが代理人運動をやっているからではないでしょうかね。だから、僕も今やっていることについては別の考えもあります。生協というのは大体創業者が造って、そして創業者の影響というのは凄いですよね。そしてその創業者というのは自分が社会運動やっていた頃の問題意識をそのまま引きずるんですよね。そういう面は怖いと思っていて、まあ僕も創業者の部類に入るんですけれども、あの時の問題意識だけでは非常にまずいというのがいつもありまして、出来るだけ外へ行こうと考えています。今行われている運動に注目して、その運動と同調しながら、よその問題意識を何とか生協の中に入れていこうという発想があって、色んな事をやっているんですけれども。そのようにしていると、少なくとも関西の生協はやはり今の地域社会が下からウワッと地盤が崩れる様に変わっていっているという事に対して対応出来ていないという感じを物凄く持つんですよ。それで逆に言えば、B型を先に作って、A型がやっと出来て、やっと生協本体を何とか直していくという様な事を、僕は高槻でやろうかなと思っているんですけれど。
そういう事をずっと考えていたときに、寄せ場の全国交流会というのがありましてね、そこでひきこもりの話しをして欲しいと言われまして行って話したんですけれど、何で寄せ場が引きこもりなんかが最初よく分からなかったんですけれど、寄せ場がガラッと変わっているんですね。昔は労働問題で日雇い労働者の組合を作ってそれを革命運動の拠点にしようと思ってね、色んな党派が行ってやっていたんですよ。今は全部そんなのがなくなってきて、第一雇用が無いですからね。殆ど溢れてみんな野宿している中で今何が起っているかと言えば、野宿者をサポートする自立支援の活動というのがNPO法人の形を取って国がカネを落としてやっているわけですよ。ですから逆に言えばNPO先進地域か |