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非営利セクターの新しい役割
福祉政策による労働支援とジェンダー平等
ワーカーズ・コレクティブの意義
北海道大学法学部教授 宮本 太郎
今、これまでになく「福祉」が政治の争点として浮上しています。と同時に政治家がいかにこの問題について能力がないかということが次々に露呈してきており、地域を支える福祉政策は市民の力で作らざるを得ないということが明らかになってきています。生活クラブ生協を初めとして、多くの市民的イニシアティブが、地域で、介護福祉等の無償労働を束ねて事業としていく活動を展開してきました。同時にその事を通して既存の労働市場のあり方を変えていくことが目指されてきたと思います。今日の話は、こうした市民的イニシアティブの意味を、世界の福祉をめぐる動向のなかで位置づけて、その意義を考えていきたいと思います。とくにその場合、こうした市民的イニシアティブにおいては女性のコミットメントが決定的な役割を果たしてきたことから、ジェンダー平等を一つの切り口にして考えていきたいと思います。
1.ジェンダー平等と多様な福祉政策
福祉政策のあり方で、ジェンダー平等のあり方が大きく変わってくる、このことがよく知られるようになってきました。その事実の確認に留まらず、いかなる福祉政策を展開してどのようなジェンダー平等のあり方がめざされるべきなのかということを含めて考えていきたいと思います。
その場合、ナンシー・フレイザーというアメリカの政治学者の議論が一番説得的ではないかと思うのですが、彼女は3つのジェンダー平等のあり方をあげています。1つは「両性稼得者モデル」、つまり女性が男性並みに働いて平等になっていくというあり方です。2番目には「ケア労働同等評価モデル」、すなわち主には女性が担うことを余儀なくされてきた介護や育児などのケア労働の評価を行ってその価値を上げるという形で、これまでは男の仕事、女の仕事ということでつけられていた格差を是正していこうという方向です。.フレイザーはこのどちらもが限界があり、最終的には「両性ケア労働提供者モデル」が目指されるべきであるという主張します。それは、男性も女性も就労し、その一方でこれまでのアンペイドワークを見下すのではなく、無償労働にも共に関わっていくという平等観になります。いかにこの第3のモデルに到達していくのかというフレイザーの問題意識を一つ念頭に置いておきたいと思います。そして後から、この第3のジェンダー平等にたどりつくルートとしては、今のところワーカーズ・コレクティブはもっとも有効な手段の一つなのではないかと論じていきたいと考えています。
さて、議論を展開していく前提として、福祉政策の変容とジェンダー平等の連関を考える枠組みを示しておきたいと思います。一般に「進んだ福祉、遅れた福祉」という区別をしてしまうのですが、世界の福祉国家、福祉政策のあり方は実に多様であって、特に無償労働と有償労働を、国や自治体の政策がどのように支えるかということでは、非常に多くのバリエーションがあったということに注意を促したいと思います。
いかなる福祉政策がどのようなジェンダー平等と連関するかという考察は、おそらくワーカーズ・コレクティブのような運動が国や自治体にどのような福祉政策を求めていくかということを考える材料を与えるでしょう。そのような材料を、世界の様々な経験から抽出したいと思います。と同時に、福祉国家、福祉政策というのは日本に限らず、どんどん大きな変化を遂げています。単に多様な福祉政策と多様なジェンダー平等の関係を考えるだけではなく、変化の中でどのようなオプションが浮上しているのかを考えていくつもりです。
2.有償労働支援、無償労働支援と福祉政策
まず、これまで世界の国々は有償労働と無償労働のそれぞれの支援について、どういう福祉政策を展開してきたのか、その大きな類型を考えたいと思います。有償労働支援への支援といってもいくつかの次元が区別できます、まずは「形式的支援」、直接差別、賃金や昇進に男女にどれくらいフェアな制度が実現されているか、就労への動機付けがどれくらいなされているかということです。2番目に「実質的支援」、単に労働市場に参入していく形式的なチャンスだけではなく、女性の側に難度の高いレベルの仕事をこなしていけるだけのトレーニングを積む機会がどれだけ保障されているかということ、さらには雇用創出がどのくらいすすんでいるか、ということまで含んでいます。
もうひとつは無償労働への支援ですけれども、一つは「無償労働代替」、これは無償労働、ケアや育児を公共セクターあるいは民間の営利・非営利組織が提供してくれることによって、女性は働く条件を獲得することができるということです。その場合、公共セクターによるサービス提供なのか、アメリカのように民間営利企業(からのサービス購入に所得控除等をおこなうというやり方)なのかということを分けて考えることが必要と思います。
それから、もう一つ大きな柱として、「無償労働の評価」という支援のあり方があります。これはどういう事かといいますと、国の政策が介護や育児をそれなりに評価し、それに何らかの報償をあたえるというやり方です。無償労働の評価には、ジェンダー拘束的評価、ジェンダー中立的評価、ジェンダー是正的評価が区別されると思います。
ジェンダー拘束的評価というのは、たとえば年金でいうなら、第3号被保険者という枠済みを設置して、専業主婦としての立場を評価することで保険料を払わなくても給付の条件を適用しようとしたり、あるいは年金分割は、いわゆる内助の功を評価し離婚時に年金をきちんと分割しようとします。この場合、同じ無償労働の評価でも、ジェンダーに対してどのような位置づけを与えた評価なのかということが重要になってきます。第3号被保険者制度や年金分割というのは、女性が果たすべき「内助の功」についてこれを評価するという趣旨があり、これはあまりありがたくない話です。なぜなら、ここには明らかに既存のジェンダー関係を固定化させるという効果があり、またそれが意図されているからです。
他方でジェンダーとは無関係にアンペイドワークに携わったことを評価しようという動きがあります。たとえば、イギリスのアトキンソンなどが提唱している参加所得やドイツのベックが主張しているシヴィック・マネーという制度があり、これは男も女も関係なく、労働市場以外の多様なボランティア活動やケア活動にかかわることを前提に、最低限所得を保障しようという考え方です。これは「ジェンダー中立的評価」です。
さらに「ジェンダー是正的評価」というものがあります。たとえばスウェーデンの両親保険は、日本で言うなら育児期間中の所得保障制度で、子どもが生まれてから490日間の所得保障があります。そのうち360日間は従前の所得の80%を保障する制度です。ここで驚くのは、スウェーデン男性の育休の取得率は40%近いという事実ですが、その背景には、スウェーデンの男性に無償労働についての意識が高いというだけではなく、それを促す制度があるのです。ほっておけば既存のジェンダー概念に拘束されてしまって女性しか育休をとれないだろうということを見越した上でジェンダー関係を是正していくため、男がアンペイドワークに携われるインセンティブを制度が自ら作っていくという形で制度設計が図られている。これが「パパの月」の制度です。360日の育児保障のうち1ヶ月は男性しかとれません。だから少なからぬパパは育休をとるわけです。無償労働評価をひとくくりにしますが、3つのパターンがあるというわけです。
3.各国の福祉政策と有償労働、無償労働支援
(1)有償労働、無償労働支援の相乗的展開、スウェーデン
まず、有償労働の支援も無償労働の支援も高度なスウェーデンということになりますが、有償労働、無償労働の支援のバリエーションはいろいろあります。どのようなものが組み合わされているのかということがポイントです。スウェーデンではまず「無償労働代替」、国や自治体が介護や育児のサービスを提供して女性が働ける条件を作る、これが基本です。その中でも公共セクターによる代替が中心になります。有償労働に関しては形式的支援はもちろん、実質的支援もすすんでいます。しかし、スウェーデンにもいくつか問題があって、一つはアメリカと並んでスウェーデンもジェンダー平等のあり方としては「両性稼得者モデル」、男も女もフルに働いて平等にというモデルです。これはおそらく、生活の論理を重視して労働市場のありかたを変えていこう、あるいは無償労働の価値を高めていこうとする立場からすると、はたしてそれでいいのかというところがでてくると思います。
もう一つは、スウェーデンはジェンダー平等がすすんだ国としばしば言われるわけですが、どうやって女性の社会進出をすすめてきたかというと、あるトリックがあるのです。スウェーデンでも、今世紀初頭女性が社会進出を始めたとき、それは男性労働者にとっては脅威になってきたわけです。つまり自分の妻が働き始めると、労働市場のなかではライバルが自分の家庭から現れてくるということになります。また、家庭の中では自分の妻が自分の財布を持つことで、なんだか妙に態度が大きくなるのではないかというので、こうした反応については各国で似たところがあります。そういう事態に直面した当時の労働組合が追求したのは「家族賃金」です。「妻が働かなくてもいいように家族を養うだけの賃金をよこせ」ということを主張していったわけです。ヨーロッパの方では家族賃金というロジックはどんどん衰退していったのですが、これがはっきりした形で残ってしまったのが日本です。
スウェーデンでも男たちは決して女性の社会進出を最初から歓迎したわけではなかった。でも、そこで当時の社会民主党のリーダーたちは、「女もこれからは働かなければいけない。でも女には女にふさわしい仕事があるのだから、競争にはならない。女性は家庭における主婦をしてきたけれど、これからは社会の主婦になっていかなければならない。たとえば学校の先生とか保母さんとか、介護のような仕事だとか、女性の資質なるものにふさわしい領域というものがある」と説いたわけです。これと平行して、女性の労働市場進出を支える福祉政策、福祉国家づくりが進行していって、今日に至るわけです。これを「社会の主婦」論といいます。
スウェーデンでは有償労働も無償労働も支援されていて、優等生的という位置づけをしばしば受けるわけですが、スウェーデンのフェミニストたちはこういう評価に対して非常に不満をもっています。それは、「社会の主婦」論の効果もあって、スウェーデンでは男と女の職域分離がきわめて顕著になっている、ということです。地方自治体の福祉サービス現業労働者はほとんど女性で、その中で男女の賃金格差がないのはあたりまえのことなのですが、他方において大企業の管理職に女性がどのくらい就いているかというと、女性の管理職の割合はアメリカ、フィリピンが高いのですが、それに比べてスウェーデンは30.5%で非常に低いのです。
(2)アメリカにおける有償労働の形式的平等化
アメリカは有償労働の支援は高いのですが、どちらかというと実質的な支援、再訓練などによって女性が高度な仕事につける条件を提供するというよりは、男も女も実力さえあれば差別することなく大事なポジションに就けていくという、そういう意味での有償労働の開放度の高さがあります。しかし、無償労働への支援は弱く、公共セクターのだれでも利用できる普遍的なサービスとして提供されているというわけではなく、圧倒的に民間の介護・育児ビジネスという形で提供されているわけです。そういう意味で、パートナーがバリバリ働いているということはある種の豊かさの象徴です。つまり、賃金の高いナニーを雇って子どもを預けて働いているというのは、中間階級の特権のようなところがあります。最近でこそ低所得者も親戚を動員して赤ちゃんを預けて働き始めていますけれど、どちらかというとお金のある中間層の女性が働けるという条件が長い間アメリカではあったわけです。無償労働代替としては民間セクターによる代替で、有償労働としては形式的支援、これがアメリカのポジションだと思います。
各国の女性労働力率

(3)ジェンダー拘束的評価のドイツ
ドイツは日本と似ていて、有償労働への形式的・実質的支援は弱く、賃金格差も大きいし、実質的あるいは直接の差別もはっきりしています。そのかわり無償労働の評価は高く、なかでもジェンダー拘束的評価が強いのです。たとえば離婚時の年金分割制度のモデルはドイツです。その他、妻が働いていないといろいろ得になるという福祉制度もドイツの特徴でした。こうした無償労働、有償労働の組み合わせで女の人生は全く違ってくるのですが、それは労働力率曲線をご覧いただければいいと思います。縦軸に女性の労働力率を、横軸に女性の年齢の層、10代、20代、30代‥をとります。スウェーデンは大きな台形型になります。アメリカはスウェーデンほど有償労働支援、無償労働支援が徹底していないということもあって小さな台形になるわけです。日本がM字型雇用になるのは皆さんご存知のとおりです。ある程度働くのですが、介護や育児の仕事をアンペイドワークとしてこなさなければならなくなってくると、リタイアを余儀なくされるのです。しかし、家のローンもあるし子どもの教育費もかさむということでパートとして戻ってくることをになってM字型曲線になるわけです。
それに対してドイツですが、介護や育児が必要なときに仕事をやめてしまうという点では日本と同じなのです。けれども、日本と違ってまず無償労働支援、特に児童手当などの育児支援が徹底しているので教育費のコストがさほどかからない、それから日本に比べれば家のローンに縛られることもないので、労働市場にほとんど戻ってこないで、そのままリタイアするかたちになっていました。つまりドイツの雇用曲線は、M字型ではなく「ヘの字」型でした。ところがドイツではだんだん介護や育児のサービスの支援が整備するにしたがってアメリカ型に近づいてきています。つまり台形型に近づいています。
4.福祉政策再編の動向と現状
社会の変化と「退避空間確保型」福祉政策の限界
いくつかの福祉政策のあり方をみてきましたが、大きな変化がいずれの国にも起きてきているわけです。どういう変化が生じているかというと、私はそれを「退避空間確保としての福祉」から「活動空間形成としての福祉」へと言っています。例えば、ドイツあるいは日本のような福祉のあり方は、家族への依存が高い。日本ではそれに加えて家族賃金的な制度となっていて、ヨーロッパであるならば児童手当あるいは廉価な公共住宅のような社会的賃金や福祉国家のサービスとして提供・給付されているものが父親の賃金に組み込まれており、国の福祉政策よりも父親の賃金への依存度が高くなっていたわけです。
しかし、家族や企業への依存度が高い福祉のあり方はだんだん限界に達してきているわけです。たとえばドイツなどではこれまで女性が早くリタイアして逃げ込んでいた退避空間としての家族ですが、結婚は人生で1回きりのものという安定したものではなくなってきているわけです。そういう意味で家族というものが退避空間として機能しなくなってきているのです。あるいは、早期退職制度などを活用して男性が早くリタイアして年金生活に入ってしまうことも大変コストがかかってなかなか維持できなくなってきたわけです。少子高齢化や家族が揺らぎ、雇用の柔軟性が高くなっていく、あるいはグローバルな市場競争のなかで福祉のコストが制約されていく。こうした社会の変化と相まって、退避空間確保型の福祉というのがうまくいかなくなってきています。
「活動空間形成型」の新しい福祉理念
それに対して新しい福祉の理念を「活動空間形成型の福祉」という言い方をしています。これはどういうことかというと、福祉の目的を社会的保護そのものから、人々の自立を支援する方向へ転換していく、ということです。この自立支援ということの意味を少し角度を変えて考えてみると、家族、教育、退職などの人生の諸ステージと労働市場に橋を架けて、家族のなかでの無償の介護や育児労働に拘束されて就労を制約されている市民、あるいは、就きたい仕事があるのに、技能や教育の不足からその職に就けない市民などに介護、育児サービス、生涯教育サービスなどを提供して、労働市場と家族、教育などの間での出入りを活性化させていくことでもあります。
家族における様々なアンペイドワーク従事と労働市場における就業というのを行き来したり、失業してもまた新しいチャレンジをしたり、退職しても長い間培った能力を生かしてまた仕事に戻ってくる、これを可能にしていくというものです。福祉というのはパワーが下がった人を退避させるということではなくて、こういう橋を架けることで、人々の活動空間を大幅に拡大していく、パワーを高めていく、これが「活動空間形成型」の福祉の考え方です。
具体的にいうとこの橋というのは介護や育児のサービス、リカレント教育(生涯教育)、高齢者雇用政策、職業訓練等ということになります。スウェーデンではこの4つの橋を公共セクターが中心になって架けてきたわけです。スウェーデンが大きな福祉国家と経済活力を両立させてきた背景は、このような活動空間形成型の福祉にあったと考えられます。
ただし、こうした橋を架ける役割を、これまでのスウェーデンのように、自治体などの公共セクターのみに委ね続けてよいかについては議論の余地があります。今の日本で、このようなシステムを実現しようとしても、公共セクターがこの4つの橋をきちっと責任もって架けてくれることは見通しとしては大変厳しいものがあります。だからこそ、ここは非営利協同の組織が担わざるを得なくなってくると思います。
それは決して北欧のように公共セクターが面倒を見てくれないからしかたなくということだけではありません、この活動空間形成型の福祉、生き生きした地域社会を構築していく福祉のためには、非営利協同セクターの固有の役割があり、その強みを発揮する必要も出てきているのです。
と言うのは、たとえば介護・育児のサービスひとつ取ってみても、だんだんこのような橋が不可欠なものになるにつれて、スウェーデン社会の中でも、自治体が画一的なやり方で介護や育児のサービスを提供し続けるということに関しては批判的な声が多くあがってきており、協同組合型の保育所、あるいは高齢者介護組織がしだいに拡大してきているのです。つまり、活動空間形成という福祉の新しい役割を果たすためには、人々が活動空間に加わっていくことを妨げている多様な問題に応えていく必要がある。そのためにも、ワーカーズ・コレクティブ等、新しいニーズに柔軟に対応できる非営利セクターが、公共セクターと協力しながら活躍する機会が拡がっていくように思うのです。
欧州福祉政策の転換
欧州、なかんずくEUはもう90年代の初めからこうした方向での社会政策福祉政策という方向に転じていて、そのひとつのステップとして、「失業率」ではなく「就業率」というものさしを使う場合が増えています。どう違うかといいますと、日本でも最近景気が回復してきて失業率が減ってきているというようにいうわけですが、実態としては日本の失業率といっているのは、調査された週に仕事を求めて何らかの活動をした人しか失業者としてカウントしないわけで、もうあきらめてしまった人は失業者にはならないのです。だから、今、失業率が低下してきている、景気が回復してきているという政府の説明には、就業をあきらめてしまった人の問題がカウントされていません。
これに対して欧州では、就業率、つまり労働可能な人口の何割が現実に働いているのかということをものさしにしていこうという方向に転じているわけです。これはあきらかに「退避空間確保型」からの決別であります。同時に「ソーシャル・インクルージョン」という言葉を使うようになってきています。ソーシャル・インクルージョンというのは、人々を単に保護するのではなく、その自立と活動の条件を保障して、困難を抱えている人々にはその困難を除去する支援を強め、社会の活動舞台に引き上げていくという考え方です。
各福祉国家の対応とそのジェンダー効果
まずそのドイツ型の福祉国家というのは、家族や早期退職という退避空間確保を重視してきたわけですが、これは社会の変化の流れの中で制度を維持できなくなって、一番根本的な転換を迫られています。それに対して、アメリカやスウェーデンですが、この2つの国は労働市場でフル雇用として働くことを重視するという姿勢で一貫しているわけです。
ただし、大きくいえばソーシャル・インクルージョンという方向で活動空間形成型に転じているのですけれど、それをどうやって実現していくかに関してはいくつか方法、アプローチの違いがあります。4ページの下の図、ここでは活動空間を形成していく支援について、まず垂直軸ではどれくらいコストをかけているかをみています。他方で水平軸では、活動空間として、労働市場を中心に考えているか、あるいはその外部で、ケアやボランティアワークなどの無償労働を含めて活動空間と考えているか、の違いを見ています。この二つの軸を交叉させることで、ソーシャル・インクルージョンへのアプローチを3つに区分することができます。
ワークフェアというのはアメリカを中心に追求されているアプローチです。これはどういうことかといいますと、あまりお金をかけないでともかく人々を仕事に就かせるアプローチです。具体的には、96年のアメリカの福祉改革がワークフェアの理念に基づいていました。アメリカの福祉政策のなかでは、長い間、AFDC(Aid
to Family with Dependent Children)というプログラム、つまり母子家庭に対する生活保護、これが福祉支出の中で大きな比重を占めていたわけです。そうした母子家庭で福祉の恩恵にあずかる女性たちを差別的なニュアンスを含んでWelfare
Mother と呼んでいたわけです。

96年に従来の制度に代えて新しい制度TANF(Temporary
Aid to Needy Families)が導入されました。これはどういう改革であったかというと、Welfare
Motherを働かせるために、給付期間を最長5年とし、また2年以内に就労し、週30時間以上働き始めることを義務づけ、この条件を満たさなければ援助は打ち切られることになりました。もはやアメリカでは、最後のよりどころとしての公的扶助も保障されないことになってしまった。
その結果確かに生活保護の受給者は500万人位いたのですが99年には半分くらいに減ったのです。けれども生活保護を受けなくなっても4割ぐらいは働いていないわけです。そうした人たちは生活保護も受けられないまま、本当にギリギリのところで生きていくことを余儀なくされるわけです。
マイケル・ムーア監督の『華氏911』が話題になっていますが、前作の『ボウリング・フォー・コロンバイン』という映画では、アメリカの銃社会の病理がとりあげられています。そこで、6歳の少年が銃でクラスメートの少女を撃ち殺してしまうという衝撃的な事件がとりあげられる。ムーアがいろいろ調べていくと、その子の母親は、このTANFのプログラムによって隣町まで数時間もかけて通勤させられていて、子供とはほとんど顔を会わすことができない状態が続いていたことが明らかになる。
退避空間確保から決別したのはいいのだけれど、こうしたまず就労を義務づけるタイプのワークフェア改革では、ジェンダー平等の両性稼得者モデルに近づくよりは、実態は女性の貧困を高めているということが見えてきているわけなのです。
これに対して、就労支援にもっとコストをかけて女性を労働市場に導くというのがアクティベーションの考え方です。スウェーデンやデンマークが典型ですが、たとえばスウェーデンでは育児休暇中の所得保障を就労所得の水準と強く連携させることで、逆に働いていないと子供を育てにくい環境を作っていくとか、その他、年金でも医療保険でも、同様に従前所得との連携を強める。こうして女性にとっての就労のインセンティブを高めていくわけです。それに加えて様々な職業教育で女性の就労支援をおこなっていく。こうした政策展開は、女性にとってライフチャンスを拡大することにつながる可能性も大きいわけです。
しかし、ここであえて強調したいのは、アメリカのような強制型であれ、スウェーデンのような支援型であれ、とにかく労働市場に人々を動員していくことがこれからの社会福祉市場にとってベストなのかということなのです。これまで男だけがフルタイムの稼得者であった社会のルールが変わって、男も女も働く社会に変わっていく、他方で労働生産性は上がっていくとなると、仕事に就ける人の数は相対的に少なくなってくる。そうした中で少ない椅子を争う椅子取りゲームみたいになってくるわけで、こういう椅子取りゲームにみんなを動員していくことが果たして将来を見据えた福祉政策なのかということが問われています。
そこで登場しているもう一つの考え方がベーシック・インカムという考え方です。スウェーデンでは社会民主党がアクティベーション型福祉政策を追求してきたわけですが、それに対して同じ左派連合政権でパートナーを組んでいる緑の党が主張しているのがこのベーシック・インカムです。もちろんスウェーデンの緑の党だけではなく、ヨーロッパでは非常に幅広い勢力がこのベーシック・インカムという考え方を提唱しています。特に環境保護に関心を持つ勢力がこのベーシック・インカムを提唱しているバターンが多いのですが、その理由は、アクティベーション、ワークフェアがとにかく人々を就労に導くことを目指しており、その限りで産業主義的な性格が強いのに対して、ベーシック・インカムは市民権と就労を切り離そうとする点で、脱産業主義的な性格が濃厚であるからです。ベーシック・インカムは働いていてもいなくても、かつ所得の如何を問わず、すべての人に最低限の所得保障をしてしまおうという考え方です。これまで提唱されてきた条件依存型の福祉、例えば年をとったら年金、子どもができたら育児休暇中の所得保障や育児手当、失業したら失業手当、こうしたかたちの所得保障をすべてやめてしまって、すべての人に最低限の給付をするものです。
そんなことが財政的に可能なのかということですが、ベーシック・インカム論者が強調する一つの問題は、今、国が福祉の予算として使っているお金のかなりの部分が行政経費である、ということです。つまり、生活保護を受けたいと言っている人に生活指導するために福祉事務所の職員が活動したり、あるいは年金の複雑膨大な計算を遂行し管理したりする組織を維持することにたいへんなお金がかかっている。ベーシック・インカムのようなシンプルきわまりない給付制度に転換すれば、このような経費がいっさい必要なくなる。イギリスのフィッツパトリックの計算によれば、現在のイギリスの社会保障支出にこの行政経費の削減分を加えれば、赤ちゃんからお年寄りまで、すべてのイギリス国民に週53ポンドのベーシック・インカムが提供できるという。
また、現行の生活保護制度などが、ある水準以上の所得を得ると給付が得られなくなることから、人々の就労インセンティブを削いだり失業状態に留め置いたりする傾向があり、失業の罠とか貧困の罠とか呼ばれているのに対して、ベーシック・インカムは、少しでも働いた分がそのままベーシック・インカムで保障された分に積み上がる収入増として反映されるために、むしろ就労インセンティブを高めるともいわれています。さらには、それからもうひとつ、世の中には確信犯的に働きたくないといっている人たちがいるわけで、それに対してベーシック・インカムは、そういう人たちをアメを使ってであれ、ムチを使ってであれ、就労を強制することはあまり意味がない、と考えるところがあります。
このベーシック・インカムには、いくつかのバリエーションがありますが、そのうちの参加所得といわれるものは、ケアワークやボランティアなど、無償労働として提供されてきた労働を評価して、有償労働を含めてなんらかのかたちで社会的貢献をしていることを条件に給付されるものです。ドイツのベックやイギリスのアトキンソンなどが、こうしたタイプのベーシック・インカムを提案しています。その限りではベーシック・インカムは、フレイザーのモデルでいえばケア労働同等評価モデルを強化することになります。しかし、ベーシック・インカムには、それだけに限定されるならば、ジェンダー間の役割分業を固定化させてしまう危険も指摘されています。つまり、ジェンダー平等が、両性ケア労働提供者モデルのような水準に発展していくことを必ずしも保障しない、という面があります。
5.日本の現状
では、日本については福祉国家のタイプはどのようであり、いまどのような変化が生じているか、という点についても若干触れておきたいと思います。
日本は述べてきた事例のなかでは、ドイツに近く、企業と家族への依存の強いしくみでした。というよりも、福祉が職域や家族を補完したドイツに比べて、企業と家族による生活保障が福祉に代替してしまった、というほうが正確です。つまり、まがりなりにも(ジェンダー拘束的な方法であれ)福祉が無償労働を支援したドイツに対して、日本では家族の無償労働や企業の家族賃金、福利厚生などが、福祉になりかわってしまったわけです。
男は自分の賃金に妻や子どもを支える分も全部含まれていて、会社をやめたら一家離散ということで降りるに降りられない有償労働に就き続け、女は無償労働からなかなか抜けられないという、相互補完の関係がこれまで長く続いてきました。その限りでは、ジェンダーバイアスはドイツ以上にはっきりと表れていたといえると思います。
ところが、これ自体に限界が露呈してきたわけです。男ががんばってきた企業は終身雇用を保証してくれなくなりました。それから家族も一生一パートナーという時代ではなくなってきて、ここでも揺らぎが始まってきたわけです。そして、このような揺らぎに対して繰り出されている改革プログラムは、基本的にはアメリカ型のワークフェアに近いといってよいと思います。例えば児童扶養手当の改革、これは受給者の自立を求める自立条項を導入し、あるいは給付の年限を区切るような、アメリカの福祉改革にインスパイアーされたような改革です。雇用保険の改革も就業促進手当てのように退避空間としてではなく、とにかく就労させることを目的に制度改革をすすめてきています。
女性の就労を支援する施策も現れてはきていますが、その内容は、保育の民営化など、ケア労働の評価を高めていくというよりは、これをなるべく安上がりな営利サービスに代替させ、男も女もバリバリ働くワークフェア的な体制を支えていく、という志向が見え隠れしているように思えます。経済財政諮問会議・骨太の方針第四弾では、ケア労働に外国人労働者の導入を考えるということを言い出し議論をされています。もちろん他方では、女性の有償労働と無償労働の二役遂行を求める圧力もそう簡単に解消されずに続くでしょう。
いずれにせよ、こうした方向での改革が続くならば、労働市場に生活世界の論理が浸透するというよりは、逆に生活世界が廉価な営利的社会サービスに浸透され、労働市場ではむしろその搾取的な性格が強められていくということになりかねません。
図2 無償労働支援、有償労働支援の3つの次元

6.ジェンダー平等の第三次元とワーカーズ・コレクティブの可能性
さて、ワーカーズ・コレクティブの意義とサブタイトルに銘打ちながら、それに触れないまま議論をしてきてしまいました。けれども、決して看板を偽ったわけではないのです。これまでお話ししてきたのは、ジェンダー平等と一口に言っても、これまでの福祉国家がどのようにジェンダー関係を形成していくかは一様ではなかったこと、そして、福祉国家が転換するなかで登場してきた新しい戦略もまた、ジェンダー平等の異なったモデルを志向している、ということでした。ワークフェアやアクティベーションは両性稼得者モデルに、ベーシック・インカムは、ケア労働同等評価モデルにむすびついています。狭い意味での福祉国家、すなわち政府のイニシアティブによる福祉国家を念頭に置く限り、ジェンダー平等の第三の次元、つまり男も女も従来の意味での有償労働と無償労働を同じように分担していくという、両性ケア労働提供者モデルの展望はなかなか切りひらかれないわけです。
こうしたなかでは、労働市場のありかたを、とくにこれまでの有償労働と無償労働の境界を、いわばその内部からを組み替えていくことが求められていきます。従来、無償労働であったものに対して、単に社会的評価を与えるだけならば、無償労働のジェンダー拘束的評価に終わります。一方では無償労働を有償労働の領域に組み入れながら、他方では有償労働の世界そのものを、もっと生活世界の論理が組み込まれたものに再編していくという展開が求められているように思うのです。
少しまとめると、1)無償労働、ケア労働の社会的評価を高めながら、2)女性の労働市場での活躍を保障する非営利の無償労働代替サービス(介護や育児サービス)を提供し同時にそこに新たな就労の機会を創出しつつ、3)労働市場の制度を生活世界の論理に沿って改革して、4)両性ケア労働提供者モデルの提起するような、有償労働、無償労働を両性が共に担う関係を実現していく、このような展開が期待されるのです。
そして、一つ間違いなく言えるのは、今日の日本社会の中で、このような展開の牽引役になっていくものとして、非営利協同の運動、なかんずく女性が深くかかわるワーカーズ・コレクティブがまず挙げられるであろうということです。これは何もこういうところに伺ったから申し上げているのではなく、同じことを社会政策学会などでも言いました。図2は、ワーカーズ・コレクティブの活動が、無償労働、有償労働のそれぞれの領域にまたがり、かつそのなかで市民の自律的な活動を支援していく、あるいは活動空間を形成していく、そのような軸心にあるものであることを示しています。ワーカーズ・コレクティブの部分は、より広く「社会的企業」に置き換えてもよいわけですが、これが戦略的に経営重視の路線をとるか、あるいは参加重視の路線をとるかで、その機能は変わってきます。私は、全体の展望が共有されているかぎり、これはどちらでもよい、選択の問題であると思っています。
もちろん現状をみるかぎり、今日のワーカーズ・コレクティブが、単独で、あるいは公的セクターとの連携で、無償労働代替を保障するまでの規模には達していません。また、労働市場の中で一定の競争力を発揮しているといっていいと思いますが、労働市場のルールに変更をもたらすような影響力とアドボカシーを実現しているとはまだいえないのではと思います。その意味では、福祉国家変容のなかで、ジェンダー平等の新しい次元を切りひらくワーカーズ・コレクティブの潜在的可能性は、まだ十分に発揮されているとはいえないでしょう。
政府や自治体の福祉政策がこれからどのような方向で展開していくかを考えると、少なくとも日本ではワークフェア的な方向がまず目立つようになってくると思いますが、そのあたりも見通しながら、ワーカーズ・コレクティブを初めとする非営利協同の可能性を追求していく必要があるように思います。
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