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●バイテク特別部会に参加した印象
倉形 まず、コーデックスバイテク特別部会の印象をざっくばらんにお聞かせ下さい。
山浦 今回バイテク特別部会は第三回目で、私も三回目の参加です。私は今回、テクニカルアドバイザーというたいそうな肩書きで、日本政府の枠で参加しました。今回は、傍聴を申し込んだ一般の方が同じフロアーで会議の様子を目にすることができて、去年より少しはオープンな感じがしました。ところが、実際傍聴していた人がどれだけ議事進行、書類など、会議の内容を理解できたかというと、これは疑問です。やはり、事前に政府代表なり、NGOがいろいろ準備して初めて、内容にふれることができたのではないかと思います。
今回参加して、NGOの参加という意味ではWTOなどよりは進んでいる感じがしました。しかし、議事進行を含めて考えますと、特に今回は、遺伝子組み換え推進側の国々や、NGOとして入っていた推進側の企業が、積極的に議事を進めている印象を受けました。
倉形 今回初めて傍聴しました。これまでコーデックスバイテク特別部会の中身は、いくら報告を聞いてもよくわからないなという印象をもっていましたが、傍聴してみてもやはりわからなかったですね。決して、英語とか、専門用語の理解云々といった問題ではないんだ、という印象を持ちました。
近藤 私も、一・二回目は抽選で傍聴券が当たったのですが、びっくりしたのは、会場すら別で、テレビのモニターで会議を見ることです。あれなら誰が傍聴してもいいのに、わざわざ抽選をすること自体がとても不思議でした。今回、オープンになったのは、働きかけをされた結果だと思いますが、良かったと思いました。やはりモニターを通して見るのと会議場で見るのとでは、見える範囲が全然違います。モニターだとほとんど議長の顔が映っているものですから、会議全体の様子は、よくわかりませんでした。
今回はICA(国際協同組合同盟)の枠でオブザーバー参加させていただきました。では、中身はどうであったかというと、大変なことを決める場で、いろんな賛成反対の意見があるわりには、あら、合意しちゃったの? さっき反対の意見を言った国は今の説明で納得したの? というような感じでどんどん進んでいく。「ああ、そうね、私も疑問だわ」と思っていると、もう次に行っている。合意の水準というのでしょうか、それがどうなっているのか、率直なところ疑問です。もしあれで合意しているのであれば、よっぽど裏で何かしているんだろうなという感じですね。当初、例えばEUが求めている、ある程度厳しいものに決まらないのなら決裂すればいいのに、と素人判断で考えていましたが、会全体の雰囲気は、どちらの考えを持っている国も、なんとかゴールに行くんだ、結論を出すんだというところで一致していたのが、とても不思議でした。
真下 今回急遽、日消連(日本消費者連盟)から、CI(国際消費者機構)としての参加要請を受けて、1カ月ほどしか時間がなかったのですが、にわか勉強で参加しました。資料の量が膨大で、すべて英文だったものですから、相当大変で、かなり苦労しました。
充分に理解したうえでオブザーバー参加できたわけではなかったのですが、第一印象としては、むしろポジティブな感じを持ちました。地球温暖化会議などよりは、はるかにNGOの参加の機会が開かれている。NGOの発言も、各国の代表の発言と同じレベルで扱ってくれる点は、非常に民主的だなという印象を持ちました。これは議長の采配によるのか、あるいは制度的に確立されているのか、よくわからないですけども。
もう一つは、こんなふうに決まっていいの、というくらい重要な案件がどんどん決められていく。それが各国に降りていって、その国の国内法として施行されていくわけです。我われの生活に直接影響のあることが、国際会議の場でどんどん決められていく。国際会議で決められることがいかに重要か、それを非常に強く感じました。
日本の国内で、コーデックス委員会のような市民参加を達成するのは、ほとんど無理です。そういう意味では、NGOの参加が許されているのは良いことだと思います。ただ、NGOも参加したうえで決めたんですよ、とお墨付を与えることになってしまう、逆の危険性もある。今回決められたものも、今後順次見直されていくはずですから、その点で不充分な面を変えていくことができるかなと、全体としてはかなりポジティブな印象を持ちました。
温暖化会議は、ビデオに撮ってインターネットで誰でもが見られる状況です。それに比べると、同じ部屋であれ、参加者を抽選して厳選したのは、ちょっと矛盾かなという感じがします。
倉形 前回まで一般傍聴は別室でモニターでしたが、これをインターネット上に流せば、誰でも見られる。
近藤 そうそう。わざわざ出向くまでもなかったという感じでした。
倉形 現に、国会などはそういうサービスを委員会ごとにやっていますよね。清水さんはどうですか?
清水 私は前回、今回とICAの一員として参加しました。前回は初めてだったので、運営のあり方などに驚いたのと、せっかくNGOの代表として中に入れるのだから、きちんと意見を言えれば、と痛感しました。にもかかわからず、1年間ほとんど準備できないまま今回会議に臨んだのが一番の反省点です。この一年間、きちんと内容を検討していれば良かったのにと、すごく反省しています。
一方、コーデックスの会議に乗っかってしまうことで、遺伝子組み換え食品のグローバルな貿易を後押しすることつながるのかと思うと、これでいいのかという気持ちもあります。自分がこの会議にどのように関われば一番いいのか、未だに見えないところです。
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●各国の思惑と発言力の差
倉形 外から会議を見ているときには、会議ではさぞかし中身の論議がされていると思っていましたが、今回傍聴してみて、中に入っても見えないというのが正直なところです。みなさんの印象もそのようですが。
真下 私はちょっと印象が違っていて、よく勉強していればかなりわかると思います。ただ、内容そのものが複雑で専門化しているものだから、我われのようなNGOが対応しようと思ったら、ものすごいエネルギーを割かなければいけない。我われのようにお金の無いなかで、専門的なところまで突っ込んでいかないと対等な議論ができないというのは、事象そのものが複雑だから、しかたないと言えばしかたない。
だけど、先ほど対等な扱いをされていると言ったけれども、それは会場だけの話で、各国の代表団はそれ専門に一年中コーデックスばかりやっている。給料もらって、そればかりやっている。そういう人たちが原案を作って、同じような立場の他の国の人がコメントする。それに我われが同じだけコミットしようとすれば、力の差がありすぎる。毎回、世界のあちこちで開かれるコーデックスの委員会に参加するといったら、ものすごく旅費がかかる。これをNGOが出来るかと言ったら、それは出来ないわけですよね。そういうレベル、基本的なキャパシティビルディングの部分では、はるかに格差がある。政府代表団にしても、途上国には不利ですよね。
倉形 そうですね、一回ごとの参加国が30数カ国、40いっていない。全体は165カ国ですが。
山浦 ええ。絶対数から見ると発展途上国の参加は非常に少ないですよね。代表団の人数にしても、大国は二桁ですが、小さい国は一人とか二人しか来られませんので、会議における発言力も相当違ってきます。
倉形 今まで、米国はしゃかりきになって自国の利益確保を発言しているのだろうと思っていたら、今回、発言の回数は多いけれども、非常に悠然としていて、節目節目で「それも、よろしいんじゃございませんか」のような、おおような態度、コメントで進めていく。
真下 たぶんアメリカは、コーデックス基準をできるだけ早く作りたいというのが前提にある。そのためには多少の譲歩はしかたないと思っている。
倉形 一方で、日本政府が無言でしたね。
山浦 私は日本政府代表団のグループのテーブルに居りましたので、その点が非常に印象深かったのですが、日本政府代表団は、重要な議論についていっさい参加しない。それは初めから決めていたようで、トレーサビリティをめぐる議論においても、一言も発言はありませんでした。その点について政府の人に質問したり、注文をつけたりしましたが、言い訳ばかりで、議長国という立場から、積極的にどちらかの側に味方するのではなく中立的な立場をとるんだ、というふうな主張でした。
ところが、事前に各国から出されたコメントペーパーには、日本政府も積極的に書いています。トレーサビリティをめぐっては、フランスのペーパーに全面的に賛成というわけではありませんが、ある程度理解を示すような、コメントを示しているわけです。
それから、事前に国内で開かれた意見交換会におきましても、消費者団体からの意見として、トレーサビリティはフランス提案を尊重すべきではないかなど、私もコメントしましたが、それが会議にはまったく反映されていないことに非常に憤りを覚えました。
倉形 そもそも「日本の意見」というのが誰の意見なのか、大変疑問なわけですが。
天笠 去年はテクニカル・アドバイザーとして参加していた京都大学の宮城島一明助教授の発言が非常に問題になりました。日本政府が表に出て悪い方に引っ張っていくという流れがありましたが、それが批判されたので、今年は引っ込んだと考えていいのですか。
山浦 そうですね。宮城島氏の発言は、形式的なものが一回か二回あっただけです。
真下 全体としてはNGOのオブサーバー参加があって、一応市民の声が反映されるようになっている。でも、各国政府の代表団は国民の代表ですから、国民の声を反映しなければいけないわけですよね。正式には、どういう経路で国民の声を反映するシステムになっているんですか?
山浦 コーデックス委員会のルールがありまして、各国で国内コーデックス委員会を開いて、そこでそれぞれの政府の意見をまとめてくるべきだ、という考え方があります。多くの先進国におきましては、国内コーデックス委員会という、一種のコミュニケーションの場が設けられている。例えば北欧諸国ですと、こういったテーマについてどう思うかと関係団体に聞き、そこからの意見をまとめてさらに議論をして、最終的に政府の見解をまとめる、となっています。
日本においては、国内コーデックス委員会自体存在しない。形だけの意見交換会、懇談会がありますが、これはたんに政府の側から経過報告をする形式だけの場です。例えば、消費者団体がこういうふうにしてほしいと注文しても、それが政府の意見に反映される保障はまったくない。
真下 一般的に、市民の意見がどう反映されるのか、その経路はまったく不明ですね。向こうの胸先三寸で取捨選択が勝手にできてしまう。それは非常にまずい。コーデックス委員会は、市民の意見が多少入っていますが、意見を切り捨てるのなら何故切り捨てるのかをきちんと言わないといけないだろうし、できるだけそれを取り入れる努力をすべきなんですけどね。そこのところが聞きっぱなし、あとは向こうの好き勝手というのはおかしいと思います。
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●議論にはめられた「枠」
倉形 市民がどう関わるのかについては、あとで集中的にご意見をお伺いしたいと思いますが、まずは合意形成の仕方について。
GMをめぐる諸事件が世界で起きていて、プシュタイさんの発表だとか、オオカバマダラ蝶が死んでしまったとか、そういうことが会議でさぞかし話されているんだろうなと思っていたのですが、その種の話はなく、条文を一字一句推敲している。私の素朴な実感としては、そこに最大の違和感がありました。コーデックスは一応科学的ということがその基盤とされています。しかし論議の中身が科学的であるかどうか、私には疑問です。
山浦 議論の素材がFAO/WHO合同専門家会議で作ったペーパーで、それを条文化してガイドラインにする作業が、主要な中身になっています。今、倉形さんがおっしゃったような、世界で実際に科学者が問題提起している事柄が、少数意見であるとなかなか盛り込まれない。
真下 言ってみれば、専門家会議のペーパーが日本の官僚が作る法案みたいな物で、コーデックス会議は審議会、という感じですよね。本当のところを決めているのは、FAO/WHO合同専門家会議で、その中にはNGO側の学者は参加を拒否されている。そこが原案、全体の枠組みを作って、その枠の中でコーデックス会議は議論している。枠からはみ出るような議論はそもそも議論の対象になっていない。そこがコーデックス会議の一番大きな問題ですよね。
オブザーバ参加しているNGOのひとつ「49thパラレル」(49th
Parallel Biotechnology Consortium)など非常によく勉強していて、あそこが出す意見は採り入れられていましたが、コミットしているNGOは、全体の枠をはみ出すような議論はしないところが多い。そもそも、コーデックス委員会が依って立つ原理を問い直すことはやってこなかったのではないか。会議に参加しているかぎり、そういう枠からはずれるようなことをブチあげても、当然それは採り入れられないことがわかりきっているから、誰もそれをやらない。
山浦 第1回の会議のときには、予防原則(precautionary
principle)とか、トレーサビリティとか、いろいろ多様なキーワードがありましたが、会議を経るにしたがって、だんだんとGM推進派の要望が重要視されるようになって、今回のペーパーを見ますと、そういう流れが明らかになっています。
真下 何なんだろう、それは。議長の采配なのかな。
天笠 予防原則について言えば、コーデックスのなかで原則的に否定されたと言われています。会議の文書を読んでいて一番印象的なのは、「科学的」という表現がよく使われていることです。遺伝子組み換えの問題は、不明というか予期せぬことが起きていることが科学的に問題なわけです。そうした意味なのに、科学的という言葉を他の論理を排除するために使っている。遺伝子組み換えのような予期せぬ問題を、議論しないような態勢ができてしまっているのがやはり問題だな、という気がします。
倉形 吉倉 廣
議長は高い評価を受けているようですが、今回の運営では、ちょっと投げやりだったような気がします。「これはみなさんが決めることです」みたいな表現で放り投げる。そもそも科学的、論理的に決めるのだったら、「みなさんが決めること」ではいけない。争点はここです、ではこれを明らかにしよう、という積極運営こそが科学的、論理的議事運営だと思いますが、とてもそういうものではなかった。その点、吉倉さんも科学者でありますから、ここで決まるわけではないからというのが、あの議事運営に表れていたと穿った見方を個人的にはしていました。
天笠 先ほど、お膳立てがあったみたいだと近藤さんが言われましたが、お膳立てがあるというのは、論理的科学的ではなくて政治的ですよね。ですから初めに前提があって、それに、ややみなさんの意見を聞いたような形で修正を加えていくというのが、全体的な流れという感じですね。
倉形 とにかくゴールに行かなくてはならないという話が先ほど出ましたが、やはりそんな感じでしたよね。
清水 昨年の会合なんか「これをステップ5に進めるんですか、進めないと今やっていることが全部ムダになります」って、おどすんですよ、議長が。
真下 それは裏表、二面性があると思うんです。推進したい側は、今後晴れてきちんとしたルールの下で遺伝子組み換え食品を取引したい、という強い願望がある。もう一つ、規制する側から見ると、これまできちんとしたルールがなくて各国バラバラにやってきたけれど、規制の網をかけなくてはいけない。だから、合意できるところで現実的な規制を、という考え方は当然あるわけですよね。
どちらも既存のGM食品が流通できなくなるような規則は作らない、という暗黙の前提がある。それから遺伝子組み換え、バイオビジネスが成り立たなくなるような、これから成長できなくなるような規則を作ることもなしにしようね、という暗黙の前提がある。
倉形 市民運動の側でも、とにかく成果がある、何か文書が決まることを評価するきらいがある。
ともかく何か決めなくてはいけないという傾向が強くて、大枠として進むものは何かということに対する評価が希薄になっている、そんなことを思いました。そもそも食品規格とは何か、国際的に一つのスタンダードを決めるのはどういうことを意味しているのか。まさにコーデックスの存立基盤の話ですが‥‥。
真下 結局、コマーシャリズムのうえに乗っかった議論で食品の安全性を考えるのか、それとも人間、環境への影響・被害をくい止めるために何をしなければいけないのかというレベルで考えるのか、その違いだと思います。要するにコーデックスの議論は、いわゆる近代経済学でいう均衡理論ですよね。安全性の追究と遺伝子組み換え食品の流通によって得られる便益。その釣り合いを計ってこれをやりましょう、そういう発想ですよ。実際にそれで被害が出るかもしれないけれど、それは最適レベルの被害だということになる。
天笠 食品規格を決める必要があるのかないのか、という議論がありますよね。食品規格を世界で、グローバルに決めようという発想自体が必要なのかどうかが最初に問われなくてはいけない。例えば有機農産物の食品規格などにしても、各国によって状況が全然違うわけですから、それを一律に国際規格として決める意味があるのか。遺伝子組み換え食品規格の場合、国際統一規格を作って一番喜ぶのはどこかって話ですよね。一番利益を上げるのは、モンサント社に決まっている。
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●安全性審査のまやかし
倉形 いわゆる実質的同等性は、従来食品は安全だから、その上に差異が生じたところだけ審査する構図ですが、その差異ということも問題ですが、従来食品がすでに安全である/安全でないと明確に線を引く認識のしかたが、まず疑問です。食生活の中身は各国で、あるいは一つの国の中でも各地方でまるっきり違う。日本人は大豆をたくさん食べるので、大豆の女性ホルモン作用を考えると外国人から不思議がられるほどですが、そんな違いがあるのを、一律にこれは安全性が確立されている分野/されていない分野とする、その線引きそのものが非科学的な感じを受けるんですけどね。
山浦 しかも、コーデックスではヨーロッパの食生活が議論の所在になっていて、日本の食生活における大豆やお米についての関心はあまりないのではないか。ヨーロッパ規格が世界基準となってしまう、そういう感じも受けますね。実際に参加した政府、NGOもヨーロッパ・アメリカが中心で、アジアの発言力は非常に少ない。そういう意味で、グローバリズムの中身はヨーロッパ・アメリカ、特に多国籍企業に代表されるような声がこの場にも反映されている。
真下 アレルギー性では小麦についてばかり議論されて、その他の食品についての言及は一行くらい。
山浦 日本政府はそばとか大豆とか、いろいろな日本食のことを積極的に提案すべきなんですが、一言もありませんでしたね。
真下 非常に限定されたリスク分析ですね。リスク分析というのは、言葉の概念そのものはリスク全体を解析してその対策をとることです。今回合意された文章の中で述べられているリスク分析の中身は、どんどんせばめられて、結局は、今できることをリスク分析にしようというやり方です。
先ほどの実質的同等性の議論にしても、もともと合同専門家会議の報告書からきているのですが、そのなかで言っているのは、例えば、食品添加物や残留農薬の動物実験は、食品全体の場合には不可能である。なぜかというと、食品全体を実際に摂る量の数十倍、数百倍を実験マウスに与えて実験することはできない。だから従来やってきたような安全性の試験はできない。だから実質的同等性という概念でやるしか仕方ない、という言い方をしている。だけど、それで安全が守られるかといったら、全然そうではない。わからないことがたくさんあって、実質的同等性でカバーできない部分がたくさんある。そのことについては何の言及もなく、実際には実質的同等性を基盤にした安全対策しか取られていない。
最後にフォローとして、リスク管理のところで、もし何かあった場合にはトレーサビリティで元をたどって原因を究明しようという。実際に何か起きたら元をたどることぐらいはやっておきましょう、と。
ここで扱われたリスク分析以外の部分で何か必要だという人がいたら、その必要を科学的に証明しなければ取り入れられません。つまり、実際にわからないことがいっぱいある遺伝子組換え食品を市場に出して、まったく何も知らない人が食べて、それでいい、というのがコーデックスの基本的な立場です。
山浦 コーデックス委員会のペーパーでは、組換えDNA植物由来の食品の安全性評価のためのガイドラインの第3章に「実質的同等性の考え方は出発点で最終目的ではない」と書かれているものの、今真下さんが言われたように、その中にいろいろな制約をどんどん入れて、実際には実質的同等でいくとある。例えば、「9 品種改良」では、動物実験は行なわれてこなかったではないか、「11」では動物実験は技術的にふさわしくない、といった言い方で、だんだんせばめていって、安全性評価のやり方を限定していく。ですから、実質的同等性が出発点だというものの、それしかないという論理構成が各所、出てくる。
真下 出発点と言っても、結局はエンドポイント。
山浦 そういう論理矛盾がありまして、見た目には何か科学的に精緻化されているようですが、実質的にはまったく科学的ではない。
倉形 日本政府に対して、安全性に関するコーデックス内の論議の決めつけについて、具体的な反論をこちらはすべきだと思うんです。例えばプシュタイさんの研究で言えば、動物実験はできるということですよね。
天笠 プシュタイさんが何度も主張していたのは、遺伝子組み換え食品そのものを食べさ
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