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『社会運動』 300号

2005年3月15日

目次

生産者群像/組合員群像―『社会運動』創刊の前夜1979 桑原史成…… 1
この一枚―『社会運動』第1号の創刊号とフォーラム ……18
300号記念対談 生活者運動の昨日・今日・明日
 労働と生活の創り変えを 岩根邦雄/古田睦美……20
<特別インタビュー> 自治体基本条例と北海道(下) 神原 勝/伊藤牧子……54
どうなる介護保険(下) 新介護保険制度の評価 長谷憲明……63
<食の焦点>E 大豆と日本農業 今野 聰……70
健康を食から考える 「食の共育力」の復権を 岸田 仁……71
国際会議に参加して
 井の中のワーカーズ、大海を知る…2つの会議に参加して 藤木千草……79
 ICAアジア太平洋地域大会に参加して―アジアの女性たちと交流 中村久子……83
京都議定書発効 グローバル化と地球温暖化 エドワード・ゴールドスミス……84
色で読み解く『戦後詩』の風景C かくも澄みわたる“苦海”石牟礼道子の詩 添田 馨……86
現代フランス事例から 「落書き」をめぐる統合と排除 公共空間における「落書き」 森 香代子……92
<書 評> 『デモクラシーの冒険』姜尚中/テッサ・モーリス-スズキ 高野恵亮……96
<状況風景論> 韓国信協訪問と交流の今後&日韓社会運動の起点1960 柏井宏之……99
雑記帖 細谷正子…100

 

表紙からのメッセージ 写真家・桑原 史成
 生活クラブ生活協同組合は、1968年10月18日に設立総会を世田谷の三軒茶屋駅から近い商工会館でひらいた。掲載の写真は、その日の議事の進行を撮影した1コマの記録である。20世紀後半で、新しい時代の到来に対応しようとする女性たちの自立の姿勢は未来を先取りするかのように、私には映ったものだ。
 『社会運動』創刊の時代に焦点をあてたグラビアの「生産者群像/組合員群像―1979」のことだが、ほぼ1年間をかけて組合員活動や全国の生産者たちの栽培と加工作業の現場までおしかけて撮影を行っている。翌1980年に、それらの写真を編集した『生活者群像』(三一書房)を上梓したが、表紙の写真は、いわばこの企画の発端であったとも言える。(呼称は当時の名称)

『社会運動』300号《特別対談》

生活者運動の昨日・今日・明日
サブシステンスの視点で労働と生活の創り変えを

岩根 邦雄氏(生活クラブ創設者)

古田 睦美氏(長野大学助教授)

 『社会運動』は今号で300号を迎えた。1965年に生活クラブが、それまでの非日常性のなかにあった「政治」変革を日常性のなかでの「社会」変革へまなざしを向けて、商品世界への批判・対抗を開始し、生協としての成長をとげていくなかで、1980年、その枠を越えて発言する知識人と運動者の実践の記録を刻むものとして創刊された。今回、その創立者である岩根邦雄氏と、ジェンダー平等の視点で、マリア・ミースの「サブシステンス・パースペクティブ」の立場から日本の社会と労働への発言を続ける古田睦美氏に生活者運動の鳥瞰図を、時間がゆっくりと流れる信州・上田で語り合っていただいた。(編集部)

 

◆68年の世界的波動と重なる出発
―― お二人は初対面とのことですが、それぞれから自分史と関連付けてお話を…。

 

岩根 ぼくの立場から考えていくつかの問題を設定してみますと、65年に生活クラブが始まりまして、生協になったのが68年です。私が生活クラブを辞めたのが80年です。生活クラブに直接自分が最高責任者としてやってきたのは80年までですから、それからすでに25年経つわけです。その間に生活クラブを側面から見てきて、その変化と、もう一つ、89年から90年にかけて世界的な大きな変動があったわけです。つまり、社会主義の崩壊があったと思うのです。
 ぼくの立場からすると、一つは、自分の運動の基点になっているのは68年の世界的な闘争で、そこのなかで日本の既成左翼というものがある意味で全面的に崩れていった。そういう経過のなかで、偶然か必然か、わかりませんけれども、生活クラブ生協が68年に発足しているわけです。ですから、そういう思想的な世界の状況の激動をもろに受けて生活クラブというのは動いてきたと言える。
◆「世帯」の中の「主婦」
 そして、生活クラブの主体である当時の主婦たち、私は途中から二つに使い分けをしているのですが、主婦たちでまず運動を始めた。これは、主婦という社会的な状況に置かれた人たちの立場ということを意識してそういうふうに言ってきたのですが、その人たちが主婦であるということの枠組みから抜け出して何かをやっていく。そういうことを生活クラブという組織はやろうとしてきたわけです。そのことも含めて考えていくときに、68年という世界的な大闘争の時代から同じように来て、そういう思想的な洗礼を受けながら進んできた。

◆「日常性」と「個」を起点に
 しかし、生活クラブの運動というものの基本にあることは日常性なんですね。ぼくがこの運動を始めるときに一番のきっかけになったのは安保闘争なんです。日本の運動は政党と労働組合という、典型的な男の運動のスタイルであった。しかも、そこには「個」というものは一切否定されていた。男であっても「個」は否定されているわけです。大義の前には、大状況の前では、男だって一つの歯車でしかなかった。
 そういう運動のスタイルのなかから、それが行き詰まって市民運動というものがそこで生まれた。「市民」という言葉も保守の側からは攻撃をされていた時代であり、そういう意味では、60年というのは「市民」という言葉自体がある意味で新鮮さを持っていたような時代です。そこのなかで運動というものが起こってくる。そこで、ぼくが意図したことは、ごく当たり前の、もっと言ってみれば問題意識も持っていない、しかし、基本的には夫も本質的な自分の生活を持っている人たち、日常性のなかで毎日を生きていかなければならない人たち、その人たちに運動というものをとらえてもらうということをやりたかったわけで、それが生活クラブだったわけです。
 生活クラブはさまざまな矛盾を抱えていましたが、まず、生協に入るということがあった。そして、いまでもそうですが、生活協同組合法では加入の単位が個人ではなく世帯なんです。ですから、今ではどう書いているか知りませんが、当時は「組合員何世帯」となっているわけです。個人ではないんですね。
 そういう諸々の矛盾をそこここに噴き出しながら、しかし、そこで民主的な運動をどう続けていくのか、そのなかで一人一人の人間として女性が運動に参加をし、自分の置かれている状況から脱却していく闘争がやれるのかどうか、ぼくは自分の運動のいろいろな意味での行き詰まりからそういうことを企ててやろうとしてきたんですね。理屈はともあれ、あるリアリティを基礎にしてやっていく。そのことの発展の過程で理屈は付いてくるだろう。いろいろな問題点が出てきますから、その都度、議論していけばいいんじゃないかということで生活クラブというのは、やってきたわけです。
 ですから、今でも、生活クラブの強さというのは、日常性に深く食い込んで、そこの流れの本質的な問題をとらえることができるという要素がある反面、生活クラブというのは女性を本当に表面に出しているのかどうかわからないという批判をしょっちゅう受けています。そういう過程でいつも矛盾を抱えながら、個人でなく世帯という生協法で表されたものを受け入れながらやってきている。これは今も付きまとっているわけですが、そういう本質的な問題を問題にしないで、それはそれとしてやっていこうじゃないか、というような曖昧さをいつも含みながらやっているのが、生活クラブだろうと思うんです。
 しかし、そのなかで、私流に言えば「この指止まれ」で、見て、感じて、そしてやっていくということを基本にして何かをやっていけるような人たちを集めていきたいと思いました。自分の自主性でものを始め、そのなかで何かを発見していく。そういう人たちが増えていけばいいんじゃないかというのが、私の生活クラブに対する一つの考え方だったわけなんです。
 そういうなかで自分は自分なりの立場があります。自分の願望、あるいは野心と言ってもいいだろうけど、いろんなことがありますが、それとの間の落差というものはいつもある程度意識しながら、そういうことを掘り下げていけばそれが露出してくるという程度には、問題意識を持ってやっていかなければならないだろうというのが私の考え方なのです。
◆少数のアクティブな人たちから
 当時、組合員の人たちによく言ったことは、生活クラブという組織は一握りのアクティブな人たちがいるんだということ。これは自分で考えて、自分で何かやらなきゃ気が済まない人たち。その周りに2割かそこら、そういうふうに一生懸命やっている人たちを見て、何かを感じて「私たちもやらなきゃいけないかな」と思いながらやっていく人たちがある。あとの8割というのは、生活クラブは何か自分にとって利益がありそうだから入っている。これが生活クラブの全体の構造の実態だろう。そして、これは今も何も変わっていないと思っているんです。
 しかし、それにもかかわらず一つの集団として持っている存在理由というものをどう理解していくのか。生活クラブという枠に問題意識も何もなくても、そこに入っているということのなかで、何かそこに思想の転換というものが起きてくるような組織であったらいいのではないかと思ってやってきたわけです。
 そういうことを基本にしながら、しかし、89年から90年の世界の大きな歴史的転換というもののなかで、言ってみれば、私たちのような運動をやっている人間のバックボーンにあった左翼の思想というものが千々に乱れていく。はっきり言って『マルクス・エンゲルス全集』なんていうものは、今、出したって売れないような本になってしまった。ぼくらがなけなしの金をはたいて一生懸命になって買わなければならなかったような本が、今やそんなもの商売にならんというので終わりになっちゃうような時代になった。インテリゲンチャのなかだってそういう状況になっているわけで、われわれとしてもどういうふうに変わっていくんだろうということがあるだろうと思うんです。
 生活クラブをやってきたなかで、ぼくは77年に代理人運動を提起しているわけですが、そのころに既に社会主義に対する疑問を口にしては左翼の連中に忌み嫌われてきていた。ソビエトの崩壊ということも口にしていたり、いろいろなことを言ってきたが、そんなことは左翼からは絶対に容れられないことであったろうと思います。では、90年前後の変動というものを生活クラブはどう受け止めてきているのかということが、一つ、大きな問題としてあります。私は大きな枠組みとして、70年の初めからいろいろな形で消費の本来の姿をどのように考えるかということを基本的に考えてきました。今となっては当たり前だけれど、当時、プラスチックを使うのをやめるなどと言うやつは、偏狭な、変わった人間と思われていたわけです。そういうことを生活クラブではいち早くいろいろな形で問題にしてきました。

 

 −中略−

 

古田 初めてお会いするのでどんな人だろうと楽しみにしてきました。
 私が大学に入ったのが79年なんです。大学に入ったら女性学というのがありまして、それまでろくに勉強もせず女の子バンドをやったりして、もろに女を売り物にしていた私にとっては、まさに、これこそ自分が陥っていた困難な状況を分析してくれる学問だというかんじで、はまりまして、急に勉強しだしました。理論的には当時、マルクス理論が女性差別問題に適用できるのかどうかというところが問題になっていました。そういう意味でマルクス主義フェミニズムから入ったようなところがあります。
◆驚いた町工場の女性の位置
 ですから、実際には過去の運動や既存の理論への批判から入るみたいな学問的な入り方をしたのですが、何でそこにいったかというと、私は東京の北区の生まれで、少女時代は柴又の対岸の松戸あたりに住んでいたんですが、周りじゅうが町工場だったものですから、女の人も当然働いていたんです。家族従業員で、無給で、お父さんたちがビールを飲んで休んでいる時間もずっと働いているんですよ。だけど、学説の中ではそれが「労働者」ではなかったんですね。賃金ももらっていないし、労使関係にもないので、経済の外側にいる存在だったんです。労働条件が悪すぎるから「労働者」じゃないなんて。それにすごくびっくりしまして、「じゃあ労働者ってだれのことなの」みたいな疑問が湧いて、基本の理論に対しては根掘り葉掘り勉強しましたけれどぴったりくるのがない、女性たちが自分でつくるしかないなと思ったという世代です。
 今日は岩根さんにお会いできて本当に光栄だと思っているんですけれど、60年安保を経験された方々のお話とか生き方というものにとても共感を覚えているところがあります。でも運動の中には70年安保の挫折感を引きずっている人たちがいて、その人たちの中には自己否定的な美学がどこかにあるような感じがするんです。何と言えばいいのかわかりませんが、運動のなかでも生産的な話にいかなくて、理屈は色々言うんだけれども、かなり悲観的、自滅的なかんじなんです。その中で農業に関わるようになった運動や、生活に根ざした女性の運動というのがとても前向きな感じがするんですね。それはなぜかなというのを考えたんです。生活クラブを担ってきた最初の世代の女性たちもとても前向きだと思うのですが、当時、他に主婦の活躍する場がなかったですよね。
 インテリの女性とか、能力のある女性が主婦とされ、個別に分断された家庭に閉じ込められてしまって、能力はあるが、何をすればいいかわからない、組織もないし、「名前のない問題」と言われていた問題にはまってしまうような人たちの層が実際に高度経済成長を経過した日本の都市部にはあったと思うんです。ステイタスの高い専業主婦で、かなり高学歴の人もいますよね。その人たちがジェンダー分業を割り当てられ家事をせざるを得なかった。それでも、家事というのは、日常に根ざし、目の前にいる命をどうやって生かしつづけるのか。何か食べさせて、寝かせて、温かくしてという、生にねざしたポジティヴな要素を持っていた。よくも悪しくもそこのところを引き受けざるを得なかった、そういう社会層を結びつけ、自分の力をつけながら、新しい社会の突破口を開いていくような運動が本当になかったんだと思うんです。
◆生活クラブの自己肯定的スタンス
 自分のいるスタンスのところから自分を肯定しながら、例えば家事に責任を持っているということをフェミニズムは否定してきたのですが、生活クラブの運動というのは、そこから何が見えるか、そこから見えたものを何かやっていこうというスタンスがあって、そこはとても評価できるし、必然的な運動なんだろうと思っていました。
 その後、代理人運動というものが出てきたときに、トゥーレーヌのエコロジーから始まって政治に手を伸ばす市民というのを日本でだれがやっているかなと考えたときに、ああ、この女の人たちがやっているんだという実感がありまして、私としてはとても評価をしていたところがあります。そういった一定の必然性があったし、そこで必要なことを本当になさってきたのだなと評価しているのですが、こうした先進国的な社会層はこのあとどうなるのかということですよね。そこらへんが現在の問題になっているところなのかなというふうに感じているところです。

‥‥続く

<特別インタビュー>

自治体基本条例と北海道(下)

<お話>

神原 勝 
(北海道大学教授)

<聞き手>

伊藤 牧子
(生活クラブ北海道・理事長)

 前号では、自治体政策の総合的な課題から、現に先行する条例制定の動きについて、本質的な問題提起がなされ、具体的な神原提案への反響がいくつか寄せられた。今回も条例制定に関わる「首長の参加」という提案から始まる。そして、北海道をめぐる道州制の議論は、鮮やかにここ数年の道州制議論の虚妄をつくに違いないと考える(編集部)

 

基本条例制定における「首長参加」
<伊藤> 自治体基本条例が「生きる基本条例」であり続けるためには、制定過程に市民、職員、首長、議員の4者の参加が必要であるとおっしゃいました。条例制定に市民参加は当然のことと思いますが、首長参加とは具体的にはどういうことでしょうか。

<神原> 先ほど制定過程における4課題で言いましたが、各地の状況を見ると条例案の策定手続が貧しいと思っています。市民参加をやるのはいいのだけれど、4者の関係なのだから、4者がきちんと参加して作るかたちになっていないとね。首長が、「基本条例の素案のご検討をお願いする市民委員会を設置します」ではだめですね。
 市民参加で基本条例を作るというときの市民参加には、二つの意味があります。ひとつは文字通り市民が参加して意見を表明して討論する市民参加。もうひとつは市民が参加する市民委員会が中心になって、4者の参加を推進して条例案作りをプロデユースする市民参加。ところが現実は前者の市民参加だけで、首長が素案作りを市民委員会に丸投げするケースが多い。これでは駄目です。市民だけではわからないことがたくさんあるからです。
 ですから4者の参加をバランスよく進めなければなりません。市民として、首長・職員・議員も異なる経験を生かして、どんな基本条例がよいのか、意見を出し討論しなければならない。「首長参加」を率先して行なう。「職員参加」も当然です。これをきちんとやらないから「議員参加」も進まない。その結果どうなるかと言えば、基本条例の議会関連規定は美称的なものに終わり、それにあわせて、基本条例全体の条文が抽象的になります。

 

<司会> 少し難しい話しですが、今流行のネグリの「構成権力」、つまり自治体版の「憲法制定勢力」をどうするかということですね。つまり、本当に自治体を支える主体、先生のいう4者の合意にしないと、実効力がないわけです。

 

<神原> そう。「基本条例制定権力」は主権者市民であり、そこから最高規範性も出てくるのですが、内容を作る上においては、やはり現場体験を持つ首長、職員、議員の説明や意見を聞かないと、自治体運営の課題や情報が共有されません。ですから「基本条例制定会議」は、市民主導で進めるのは当然ですが、実効あるものにするには最初から4者の参加が不可欠なわけです。基本条例の議決という政治的な決済手続を考えれば、例えば、札幌市の場合は市長が言いだしっぺですから、自ら率先参加し、議員にも参加を呼びかけるべきです。
 そうした環境を整える努力なくして、市民に委ねるだけだとすれば、明るい展望は開けない。それよりもなによりも、私は、条件が整わないなら、自治基本条例などは慌てて作るべきではないと思うのです。先の6原則と4課題をクリアするには相当な時間と労力が必要です。そこを省略すると作文条例になります。実は私はそこを一番恐れているんです。

 

<伊藤> 上田市長には、市民、職員、首長、職員の参加を対等につくり、基本条例に対してどのような考えでこれに望むのか示してほしいですね。実効性のある条例を期待したいところです。

 

自治体基本条例への近道
<神原> 優れた自治基本条例に到達できる一番効果的な方法は、総合計画型のアプローチです。つまり、総合計画をきちんと策定し、計画中心の政策運営の体制を構築すれば、よい自治体基本条例が制定できるということです。自治体の総合計画といえば。武蔵野方式が有名ですが、最近は岐阜県の多治見市がより発展的な素晴らしい計画づくりをやっています。
 ここでは原則として総合計画にない政策は行なわない、という大命題があります。前期5年の実施計画と後期5年の展望計画に分け、実施計画の3年目に市長選挙が来る。その選挙公約と当初の展望計画の再検討を加えて、4年目に実施計画を見直し、1年前倒しして次の5年の実施計画を確定する。もちろん計画には、事業一覧や政策の数値目標とか財源構成も示される。
 非常に斬新で実効性に富んだ総合計画ですね。そればかりでなく、策定手続における市民参加、職員参加、情報公開、それに計画運用と政策評価、財務会計、組織改編などの問題が連動しているのですね。これらはみな自治体基本条例に不可欠の基幹的な仕組みです。ですから、きちんとした総合計画をやれば、実効性に富んだ優れた自治体基本条例がつくれます。
 少しそれますが、選挙のマニフェスト運動がありますね。公約が単なる口約に終わらないように、数値目標や財源構成を示した政策論争を行うようにと。これは大変よいことで私も大賛成ですが、いまお話したような意味での総合計画による自治体運営、あるいはそうした総合計画の理念や制度、原則を組み入れた自治基本条例ができていないとマニフェストも作れないのです。公約ないし口約をマニフェストと言い換えただけになってしまいます。
 もうひとつは、市民参加型のアプローチで、これは二番目に有効です。まず市民参加条例を制定する。これも、ある程度具体的な市民参加の場面を想定することになります。総合計画の策定、重要事項の決定、予算の編成、政策の評価を行なうとき、などなどですね。そうしますと、それぞれの場面が具体的な仕組みになっていないと参加は推進できません。そういう意味で参加条例は優れた自治体基本条例への効果的な道のりになりうると思うのです。

<司会> 確かに……。基本条例を作って、市民の直接請求権や、住民投票をやる権利を縛るようなものを作ったりなんかする自治体もありますから。‥‥続く

介護保険法改正

新介護保険制度の評価(下)

関西国際大学教授
長谷 憲明

 前回、前々回は介護保険制度の改正の概要について述べたが、最終回の今回は現時点での改正についての評価を行う。評価はどのような視点を評価軸に置くかによって大きく異なる。今回の介護保険制度の改正の基調として、超高齢化社会を迎えつつある中での社会保障費用の抑制、特に国庫負担の抑制の視点があったことは否めない。それは一の立場であるし、その結果として「折り合える」ものとなっていれば問題が無いとは言えないが許容範囲と言えるだろう。介護保険制度に関しては多くの利害関係者がいる。
 行政、サービス事業者、関係職種の団体、その他…。しかし、最も重要なのは、国民・利用者である。制度改正により、国民はどうなるのか、その視点が最も重要な視点と言える。以上のことから、利用者の視点、行政、事業者等の視点から評価を試みると共に、それらを含め全体として制度がどこに向かおうとしているのかを推測し、評価してみたい

 

1.利用者の立場
 利用者の立場からみると、否定的な評価とならざるを得ないだろう。理由は改正が「負担増と給付抑制」のセットになっているからである。負担増は、介護保険にとどまらず、消費税や年金保険料、所得税、医療保険料と多くの負担増の一つにすぎない。また、給付抑制も、介護保険にとどまらず、年金や今後医療保険等においても予想される。そのような改正が、全体としてやむを得ないものと言えるかが最大のポイントである。
 なお、負担増とあわせて「サービスの質の改善」がいわれている。これは負担増を納得し貰うための手段の意味合いもあるが、あわせてサービスの改善に繋がるかについても考えたい。
@負担
 総事業費の拡大にともなう介護保険料の引き上げ、また入所施設を中心としたホテルコスト分の徴収、食費負担の見直し等により確実に負担が増加する。
 負担増は、実際のサービス利用者とサービスを利用していないものとの間では評価が大きく異なる。10%程度の利用者を残りの高齢者や中高年が保険料を拠出して維持する制度であり、意見の相違を内包したしくみと言える。
A給付
 サービス体系の再編、新予防給付によるサービス利用の制限、入所施設の利用者の絞り込みと入所施設建設の抑制等により、以前と比べて自由なサービス利用が制約を受ける。
 サービス体系の変更に伴い、要支援・要介護1対象の8割前後が介護保険給付から新介護予防へと移行する。これは300万人が利用しているとしておおよそ120万人前後であろうか。この対象者に対してどのようなサービスが提供されるか、全体像は明らかになっていないが、市(区)町村による予防プランの作成と市(区)町村が指定した事業者からのサービス利用とドラスティックな変更となる。また、あわせて入所施設利用対象が要介護2以上の認定者となると共に、重度者にシフトする。資源の有効活用という観点からは必要性はあるが、その代替サービスが整備できるか否かが評価の鍵となる。この分野にも市(区)町村の関与が大きくなるので、市(区)町村の企画力・実施体制により格差が広がると考えられる。
ア 入所施設
 入所施設の需要は依然として高いが、利用者の重度者へのシフトと施設整備の抑制が考えられることから利用者にとってはこれまで以上の待機が生じると思われる。
 施設入所の必要性の検証が十分行われないままに、ユニットケアの推進ということで従前と比べて建設に抑制が働く。
イ 居宅サービス
 施設入所はますます困難となり、その分在宅での暮らすための住まいを含めたサービスの充実が求められる。施設の代替となる「暮らしの場」が地域の中に整備されないと、「家族の介護地獄」への逆戻りに繋がる。
 その対策として、市(区)町村が介護保険事業計画の中に位置づけ、その整備計画も明確にする「地域密着型サービス」の導入等が予定されている。当該保険者の制度設計能力により、大きな市(区)町村格差が発生することが見込まれる。
 地域の中にどのような継続して在宅で生活することが困難な高齢者等の「住まい」を整備していくのか、それができなければ「さすらいの介護ジプシー・介護地獄」への逆戻りとなる。それはハードの整備だけでなく、具体的なサービスの仕掛けというソフトの分野の整備もあわせ必要になる。ソフトが不十分であり、かつハードの方向も定まっていない現状では、「利用できるサービスがない」状態の発生が市(区)町村によっては生じると思われる。
Bサービスの選択
 介護保険制度創設時の「うり」は、措置時代の市(区)町村が管理したサービス提供から、自らサービス事業者を選択できるしくみへの転換であった。
 今回の見直しに際しては自由な選択の幅が狭まる。要支援・要介護高齢者の4〜5割弱が新予防給付に移行する。そこでは市(区)町村が作成(一定の要件下での委託は可能)する「予防プラン」を踏まえたサービス利用及び提供となる。予防的サービスを選択しないとサービス利用の一時保留等の制約が課せられる見込みである。
 また、サービス総量の抑制もそれに拍車をかけると思われる。
 例えば、介護保険事業計画によるサービス量の整備が、これまでの過去3年間の実績の伸びを踏まえたサービス量の拡充という視点から、現時点でたてる2016年の必要なサービス見込みから逆算して作成する介護保険事業計画へと転換する。過去の実績を踏まえて3年ごとにサービス量の拡充を図るのではなく、10年先の需要予測を現時点で推計し、それを目標値として逆算したサービス量を計画化する。このことにより過去の実績の伸びから解放され、より数値目標による計画的サービス整備が可能になる。そのことによって、ニーズと供給のミスマッチが生じてサービス利用の抑制が働く可能性がある。
 また、地域密着型サービスは保険者が指定する。サービスの整備総量は保険者が決定し、その範囲内での整備・指定となる。この結果、他の保険者に属する被保険者の利用の制限に繋がるとともに、サービス量の上限が設定されるために選択の幅が狭まる可能性が残っている。
 以上の結果、サービスの選択の幅は確実に狭まると考えられる。
C利用者本位、自立支援について‥‥続く

<食>の焦点E

大豆と日本農業

(財)協同組合経営研究所元研究員

今野 聰

1.味噌と納豆
 普通の食品店には味噌、醤油、納豆は欠かせない。1980年代末、コープかながわが「納豆シンポ」を開いたことを思い出す。700名組合員が集り、納豆にタレが必要か否かを討論した。ムンムンの熱気だった。いかに大事な食品だったか。
 このように日本食に占める大豆関連商品。どうも大変化を遂げつつあるらしい。納豆はコンビニでよく朝買いする。包装材では、経木入りとわらつと(苞)入りは少数派に転落。もっぱらデパ地下の高級納豆で屹立する。
 毎日紙記事(05.2.2付)によれば、納豆の家庭消費市場はざっと、2004億円(全納連加入約300社)。95年比伸び率138.3%。食料全体が96%伸びの中、圧倒的に健闘している。種類が増え、「だだちゃ」、「丹波黒豆」、インドネシア由来の「テンペ」までと紹介する。なるほど、面白い。かつて私の趣味は納豆ラベル集めだった。
 パックの半分も中身が無い納豆は3個セット特売などで、上げ底ではないかと疑りたくなる。メーカー調査で、発酵の微妙さに関係があるとは聞いたが。‥‥続く

健康を「食」から考える(下)

「食の共育力」の復権を

岸田 仁

生活クラブ生協・神奈川 常務理事(あんず薬局代表)

5.現代日本の食生活の問題点と食生活指針
(1)食生活の7つの問題点
 今の日本の食生活の問題点を『粗食のすすめ』の著者、幕内秀夫氏による石炭ストーブのたとえを参考にしながら見てみましょう。結論から言えば、日本人の食生活の大きな傾向は「不完全燃焼」状態です。
 まず第一に、燃料の間違いがあります。石炭ストーブなのに石油、ガスを燃料に使っています。食生活の欧米化の中で主食の米が軽視され、小麦粉、油脂、砂糖、牛乳・乳製品、肉・肉加工品が急増した問題です。
 第二に、燃料の入れすぎがあります。つまり食べ過ぎ状態です。摂取熱量が増加しているのに、運動不足で消費熱量が減少しているから当然太ります。
 第三は、空気不足、酸素不足でちゃんと燃えません。体にとって不可欠なビタミン、ミネラルといった微量栄養素が欠乏しています。微量栄養素の欠乏は精製食品の増加が大きく影響しています。また化学肥料で土地の地力が衰えてきているため、同じものを同じだけ食べていても昔に比べて摂取できる栄養素の量はかなり減ってきているのです。
 第四は、煙突が詰まり、排気不良におちいっています。つまり便秘です。便秘は腸内で発生する有害物質を体に取り込む原因になります。食物繊維の減少が便秘を促進しています。食べ物のカロリーや栄養価を気にすることはあっても、繊維質の摂取を気にかける人は残念ながらあまりいません。ファイバードリンクの人気も長くは続きませんでした。
 第五は、不純物の混入です。石炭だけでなくビニールが混じっているのです。これは、保存料、着色料などの化学物質や遺伝子組み換え食品にあたります。食品添加物は体に余計なストレスを与え、免疫力を低下させるのです。
 第六は、グレードが低い燃料になってきていることです。石炭でいえば泥炭などの質の良くないものに当たるでしょう。食べ物では柔らかい食品が大きく増えてきているのがこれです。咀嚼する回数が減り、消化にとって大切な咀嚼する習慣が大事にされなくなりました。
 そして最後に第七は、熱くなっているストーブに水をかけ燃焼を妨げることです。食べ物では冷たい食品の増加がこれにあたります。冷たい食品は体を冷やすため新陳代謝を低下させたり、免疫力の働きを弱めることにつながります。
 現代日本の食生活の問題点を7つあげましたが、重要なことは、問題は一つではないということです。これらが複雑に絡んで問題をより大きくし、日本人の健康を阻害しているのです。‥‥続く



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