「わたしなりに、『われらの同時代』ともいうべき、過ぎ去った短い20世紀について、早手仕舞いに歴史的総括を試み、その20世紀の経験の総括に基づいて、かならずや人類史的危機がしだいに露呈してこざるをえないであろう、将来の21世紀をいかに生きるべきか、のオルタナティヴを価値構想した、一種の決算書です」。
いいだもも氏がこのように宣言する書物を書評するなどという力量は私にはない、ということを、この2ヵ月で身にしみた。
私には決算書を評価する能力=「マルクス的共産主義」についての造詣に基づく自らの思想的立場、がない。かといって決算書を解説する能カ=20世紀に関する広汎な知識の積み重ねとしての教養、にも欠けている。評価も解説もできない人間が書評を書くというのはルール違反である。
書評は書けないが読書感想文は書ける。いや正しくは感想文をこそ書かねばならない。何故なら私が読んでもこの本はおもしろかったから。つまり、「マルクス的共産主義」についての造詣に基づく自らの思想的立場がなく、20世紀に関する広汎な知識の積み重ねとしての教養に欠く人間にとっても、この本はおもしろかったのである。『20世紀の<社会主義>とは何であったか』という題名によって、あらかじめ読者対象外に身をおいてしまう圧倒的多数の人々に、Γ題名にまどわされずにこの本を読んでみてよ。高村薫や藤沢周平をおもしろく読めるだけの語学力と感受性さえあれば、充分にこの本もおもしろいですよ」と伝えるために、私は感想文を書かなければならないのである。では何故におもしろかったのか?
<歴史=物語>の聴衆=消費者として
三波春夫の「元禄名槍譜・俵星玄蕃」は私にとっての昭和歌謡曲ベスト1である。『平家物語』『太平記』も好ましい。『三国史』などは吉川本はもちろん横山光輝からファミコンゲームまで一通りハマッた。要するに「軍記物」「語り物」が大好物である。「サラエヴォに始まり、サラエヴォに終わる」20世紀の歴史書である本書を「俵星玄蕃」と同例に論じることは書評では許されないかもしれないが感想文ではアリである。共通するのは歴史=物語に対する感受性と人間に対するシンパシーである。
山崎佳代子氏の『解体ユーゴスラビア』(朝日選書)を手がかりに、今日的サラエヴォ事態を出発点として、バブル崩壊後の日本、中国王朝交替史、マルクスの同時代としての∃一口ッパ史、レーニン「帝国主義論」、ドイツ社民党とレーテ革命、NEP(新経済政策)とフォーディズム、コミンテルンと中国革命、「レーニン最後の闘争」の現場検証、農業コルホーズ化政策の惨状を経て、テオ・アンゲロプロスの最新作『ユリシリーズの瞳』のラストシーン、サラエヴォの霧の中の惨劇で終わる本書は、学問・教養としての歴史ではなく、物語、語り物としての歴史の魅力をいやというほど教えてくれる。通史として語ることによって浮かび上がってくる諸個人、一人ひとりの人間の栄光と悲惨を語ることよって実感しうる歴史。
物語の消費者としての聴衆がどのように歴史を実感しえたのか、その中身の検討はさておいても、共振しうるものとして歴史をとらえることは、21世紀に向けての最低限の条件である。
<歴史=物語>の語り手=生産者として
もちろん、歴史は単なる物語ではない。
「歴史とは物語ではない。出来事である。その出来事と自ら遭遇する構えなくして歴史は語れないのではないか。歴史は高見の見物をするものではない。それに接するものが、自分白身の構えから生き抜くべき経験である。要するに、俺だったらどうしたか、俺ならどうするか、ということ抜きに歴史は語れない。
だから、歴史を語るとは、覚悟を語ることである。いま、覚悟なく歴史をふりかえり、歴史を語ることが多すぎないか。」(『不逞者』宮崎学、角川春樹事務所)。
いいだもも氏には覚悟がある。「マルクス没後の極東の一門人」としての自負であり、「マルクス的共産主義」者としての立場である。
この覚悟−骨太な背骨−が貫いているからこそ、本書は<歴史=物語>の書になり得ているのである。ロシア革命期におけるボルシェビキを始めとするすべての主人公の個性がくっきりとうかび上がってくるのも、いいだもも氏の一貫した「マルクス的共産主義」者としての立場ゆえである。
覚悟を持った者が語る物語であるからこそ、歴史はおもしろいのである。“歴史の消費者であることと生産者でもあること。この自覚を持ちえるのかどうかが、21世紀に向けての社会主導者の最低限の資格である。
ロウを得て蜀を望む
最後に、本書のサブタイトルに注目したい。21世紀のオルタナティヴヘの助走、とある。あくまでも助走である!! オルタナティヴを展開しているのではないのである。冒頭に引用したいいだもも氏の手紙にあるとおり「オルタナティヴを価値構想」したものである。
21世紀へのオルタナティヴ構想(いいだ氏の表現では「新生事物」)を求めての第一歩=20世紀のく社会主義>の総括の書である。答えはない。問いがあるのみである。
「現実には戦後の『民主主義』へのノスタルジアと20世紀の『社会主義』へのノスタルジアのカクテルにほかならない戦後的価値の保守だけでは、時代の根本的転換の開始に対応できない」し「対抗できない」のである。
「新生事物」としてのオルタナティヴ構想も、それを担うべき主体についても明示的に語らず、その「価値構想」のみを総括として提出した著者の誠実さが、強く心に残る。
あえて一言注文をつけるとすれば、本書がシリーズの第一作目であってほしいという期待である。本書に続き、20世紀の<社会主義>シリーズとして、是非とも義和団事件から始まる中国革命史と、江戸後期から始まる日本革命思想史の刊行を望みたい。「極東の一門人」には極東を舞台とした歴史=物語をこそ語らせたい。
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