北部トンブクトゥ州での活動

ファビキンヌ湖周辺

一日の生活イメージ

ティンナイシャ村はトンブクトゥの西部100km付近に位置する小さな集落でしたが、
干ばつによる環境難民の援助拠点となり、人口が増加して、1970年代に学校や診療所、
定期的な市場の開催される村となりました。
サヘルの森が1988年から植林を始めた場所です。
当初は幅100m、長さ2kmの植林帯をつくりましたが、その後スタッフの植林協力と
家畜等による種子の拡散で天然更新も起こり、現在では幅5km、長さ10kmの三角形の
大きな森が成立しています。

内戦終結後、援助拠点として再建された村は、学校、役場、診療所、援助物資倉庫、
多くの井戸などが作られ、生活基盤の整備がなされました。
これに加えて、村人の生活に大きな変革をもたらした要因として、サヘルの森の植林による森づくりがあります。
この森は薪炭材、ブグーや日除けの骨組み資材、家畜飼料など様々に利用されています。

特に家畜飼料としての木の実や枝葉は、餌としての供給が通年可能であり、各戸でのヤギの飼育頭数も多くなっています。その他の家畜(ロバ、ラクダ、ヒツジ、ウシなど)も数多く目にするようになっています。こうしてみると植林帯は薪炭や資材の供給とともに、遊牧民の生活基盤の安定維持に大きな役割を果たしていると言えるでしょう。


ゴッシ

ゴッシはバマコから1000キロと遠いですが、長距離バスや普通車で行けることと、水分条件に恵まれた砂丘地帯ということもファビキンヌ湖周辺で培ってきた経験を活かすことができることも重要な要素でした。

ゴッシの活動は2006年にスタートし、治安悪化を受けて2009年に活動を休止しました。
ゴッシでは、ゴッシ300というプロジェクトを実施していました。既に活動を行っていたファビキンヌ湖周辺の村(ムブナ)での経験を基にしています。ムブナの女性たちは、サヘルが配布した苗を菜園に植え、菜園の周りを保護柵で囲っています。保護柵の材料も植林した木から枝を取り立派な柵を作ったのです。マリでの植林は常に家畜の食害と隣り合わせです。植林をやってみようという気持ちのある人には保護柵を作れるように、棘枝苗の材料を供給しました。もし失敗しても樹林が残り、家畜の飼料になります。まずはそのための300本を!という考えです。

ゴッシでの活動では現地の協力者に支えられました。

イズリッサ:若い青年で、弟分として活動を支えてくれました。
彼は、ゴッシの町にあるホテルで働いていますが、夕食を一緒に食べたりしている
うちに仲良くなり、様々な場面で手伝ってくれるようになりました。
「四駆の車を使いたい」と言えば、どこかのNGOの四駆の車を借りて来てくれ、
「柵を作るのに木の枝が欲しい」と言えば、値段も安く交渉してくれ、
「ネズミ対策で金網が欲しい」と言えば、モプチに行くトラックの運転手に頼んで、
買ってくるよう交渉してくれます。
料理も作ってくれましたが、山羊肉をトマトとタマネギで煮込んで作るデミグラで、
パスタバージョンと米バージョンの味がまったく同じでした。                 イズリッサは弟分


イスマール先生:ティンタハッテン小学校の低学年担当の先生です。
ティンタハッテンの元々の住民で、昔のティンタハッテン村の様子を教えてもらいました。
昔はティンタハッテン村には大きな森があって、
乾季には象がやって来て、2,3ヶ月居たという話を何度も聞きました。
北欧の援助で人口が急激に増加し、建材や燃料としてたくさんの木が切られて、
森が無くなってしまったようです。
さらに、食料増産用に畑を作る為、ダムが作られました。湖を増水した結果、
湖面に生えているアカシア・アルビダが水に沈み、かなり枯れてしまったようです。
アカシア・アルビダはとても有用な木なのですが、育つのが遅く、
もう一度アカシア・アルビダの林を形成させることは困難でしょう。
イスマール先生は苗木を作るワークショップ時から、                   イスマール先生と子どもたち
サヘルの森の活動に強い関心を持ってくれました。
村のチーフが「木を植えたい」と伝えてくれたので、苗木の作リ方を教えて、中身の濃い活動ができました。

 

イッサ:下宿先の大家さんです。正確には、イッサの家の横にテントを張らせても                      らって、寝床を作っていました。ご飯も作ってもらっていました。お米を持ち込ん                      で炊いてもらいます。
家族分も余計に炊くのは構わないのですが、1ヶ月ちょっとで、お米が100キロ                      以上!というのは…。そして、奥さんの手料理は17食連続で同じメニューだったこ                      ともあり、なかなかの一家でした。

 

                                       村に滞在していた時の日本人スタッフの家


トンブクトゥ事務所

英語学習イメージ

最果ての町
英語の辞典でトンブクトゥ(Timbuktu)を引くと、
「a place that is very far away」と記されています。
つまり「とっても遠い場所=地の果て」という訳です。
そんな最果ての地にサヘルの森は事務所を構えてプロジェクトを行っていました。
1990年の事務所開設当初は、ファギビンヌ湖畔のティンナイシャ村まで
ラクダを使って日本から来た「テレックス」を届けてもらっていました。

その後、1994年にマリ北部における民族紛争の激化で活動中断となるまで、
連絡拠点・苗木配布拠点として、トンブクトゥ事務所は多くのスタッフ、           トンブクトゥ事務所外観
ボランティアを受け入れていました。

1村10本100か村プロジェクト
紛争終結後の1998年頃からは、小規模・多拠点における植林活動を目指しました。
「1村10本100か村」プロジェクトの拠点として日本人スタッフも常駐しました。
「1村10本100か村」は、トンブクトゥ近郊に位置する村々に小規模な植林地を
設けるというプロジェクトでした。
地下水に恵まれたニジェール川の氾濫原に位置するトアレグやソンライの村々に
植林地と苗畑を設けるというものです。
実は砂漠の町トンブクトゥの南を流れるニジェール川は、冬季になると増水して
氾濫原一面が水に覆われます。                        

                                      ニジェール川の氾濫で水没したティンテルー植林
地水中から植林したユーカリ林が伸びている姿は不思議な光景です。
サヘルの森の活動としては珍しく族長や村長といった顔役を窓口として活動に着手し、ガルディアン(門番)と呼ばれる有給の管理人を置いて植林地の管理を行いました。
早くから現地入りしていた国連や海外NGOも大規模な植林活動を開始しており、内戦終結後のトンブクトゥ州内では空前の植林ブームとなりました。
主なプロジェクト地にはニジェール川氾濫原に点在するトアレグの村(ティンテルー、ティンタハッテン、ドーヤ等)、トンブクトゥ市郊外の砂丘に位置するトアレグの村(テリケン、テーシャック等)がありました。
植林樹種はユーカリ、アカシア・ニロティカ、プロソピス・ジュリフローラなどが主なものでした。

プロジェクトのその後
プロジェクトの目標は100か村でしたが、開始2年目に武装強盗に車を奪われるという大事件があり、20か村程度に拡大した段階で再度中断となってしまいました。
植林地管理のために有給の管理人を置くというスタイルも問題視され、日本人スタッフの帰国と共に中止となりました。
トンブクトゥ近郊での活動は短期派遣スタッフを通じてプロジェクト終了後もしばらく継続しましたが、マリ国内の治安悪化に伴って日本人の渡航も困難となり、中止されました。
約15年が経過したいま、トンブクトゥ郊外に点々と植えられた木々はどこまで成長したのか、村営の植林地は住民の役に立っているのか、ぜひ確かめてみたいところです。