10歳のとき、近所の床屋で左の眉毛を半分剃られた。
相手が小学生なのをいいことに一言の詫びもなかった。「坊やが急に顔を動かすから・・・」。
鏡を見るたびに不快にさせるのは、恥ずかしさより、言い訳をする床屋のおじさんのゆがんだ表情だった。
以来、床屋は僕の禁断の地となった。「2度と足を踏み入れない」という決意は固かった。
少年時代は母親、やがて姉、結婚してからは妻という具合に、
その時々、身近にいる女性に髪を切ってもらってきた。その禁を破ったのは、25年後のアフリカである。
* * * * *
誘惑の魔手は、ナイロビ郊外のスラムに潜んでいた。
スワヒリ語の勉強を名目にナイロビに来て3ヶ月、僕の行動半径は広がり、ケニア最大のスラム・キベラ地区にも遊びに行くようになっていた。
そこで木の下の床屋さんに出会った。
広場の一角、木立が並ぶあたりに床屋さんのエリアがあった。1本が1軒。
鏡と流行の髪型見本を打ちつけた木の前に、いすがひとつ置かれている。
刈られたばかりの縮れたアフリカンヘアが風に乗って、綿毛のように漂っている。
アフリカの陽射しと風の中での散髪、これは魅力的だった。
しかし、僕はすぐに客になれなかった。
当時、僕たち1ダースの日本人学生たちは、卒業式恒例のスワヒリ語劇の準備に入っていたが、その役柄がネックだった。
演し物は、日本神話をアレンジした「オロチ」。ケニヤ人にはアクションものが受けるらしいヨ。
過去最高の評判をとったのは「一本刀土俵入り」、やはり和風でいくべきダ。
アフリカンの蛇の怖がり方はハンパじゃないよネ。
あれやこれやの検討の末、八岐の大蛇を登場させることになった。
|
退治するスサノオ役は僕に回ってきた。髪を長く伸ばしていたので、それを後ろで束ねると絵になる。
それだけの理由だったが、主役を任された以上、髪を切る事はできない。それから2ヶ月、さらに伸ばし続けた。
* * * * *
卒業式の日、劇に幕が下りると校長は観客に問う、「この生徒たちを卒業させていいかな?」。
いっせいに大きな拍手。僕たちは、それぞれの衣装・メイクのまま一人ひとり卒業証を受け取った。
翌日、僕は早速キベラに向かった。
「10センチくらいバッサリやってくれ!」
床屋の青年は、はじめての東洋人を興味津々で引き受けてくれたが、直毛などカットしたことがない。しかも道具はバリカンのみ。
普通なら10分で済むところが、悪戦苦闘の30分。それでも青年は久しぶりの力作に満足気だ。僕は料金の3倍のチップをはずんだ。
それから帰国するまでに、たいして髪が伸びたわけでもないのに3回も通った。
相変わらずバリカンひとつだが、手際はだんだん良くなった。最初のときは、黙々と取り組んでいたのが、世間話に応じる余裕も出てきた。
帰国直前には一緒に収まった写真を手渡した。
* * * * *
アフリカを離れて15年が経った。また床屋に行かない日々を続けている。そして髪がむさ苦しくなるたびに胸の中でつぶやく。
「ちょっとナイロビまで散髪に・・・」
|