炭焼報告(2002/11-2003/01)

ティンナイシャ

1)社会環境

(1)森が出来たティンナイシャ

T 人の暮らし

内戦終結後、援助の基点として再構築された村は、井戸、学校、役場、診療所、援助物資倉庫などが作られ、生活基盤の整備が行なわれた。しかし、村人の生活に大きな変革をもたらした要因に、植林帯(現在は帯状ではない)が大きく関わっており、家畜飼料や薪炭材、ブグーや日除けの骨組みなど様々に利用されている。

特に、家畜飼料として、森を利用することは、周年で家畜飼料を提供でき、各戸でのヤギの肥育頭数が多くなっている。また、その他の家畜(ロバ、ラクダ、ヒツジ ウシなど)も数多く目にするようになっている。

このことでは、植林帯は薪炭や資材の供給以上に、牧畜民として生活基盤の維持に大きな役割を担っている。


井戸に集まるウシ
U 周りの天然林

村が植林帯の森の中に再構築されたことで、普段の生活に必要な薪炭、資材を住居の周りのプロソピスを利用していることから、周りの天然林が切られることが減り、目覚しい回復を見せている。その回復は、既存のアカシアやバラニテス(タボーラック)が枝を切られることなく、のびのびと枝を伸ばしている。また、旧湖岸と旧ティンナイシャ間の幅2kmの砂丘地帯にも東からレプタデニカ(アナ)が侵入してきており、砂丘の幅も狭くなってきている。

砂丘にレプタデニカが侵入し、砂を止めて安定させて、その後、他の植生が侵入してサヘル地域の疎林が形成されるという教科書に出てきそうな植生の偏移が見られる。


植生が回復した旧ティンナイシャ
V コミュニティーフォレスト

現在、ファギビンヌに広がるプロソピス林は、ティンナイシャ村(ティナファラジ分はファラシの)の管理下で村有林のような位置付けとされている。

サヘルの森が始めた植林帯は、コミュニティーフォレストとして現地に根付いていると言える。しかし、残念なことに、森の維持管理については、コミュニティーとして主体的に管理しているといえる状況ではない。このコミュニティーフォレストは、クミンに属する村人が、その利用において日常の生活に必要な物(薪や建材)を自由に手に入れることができるということとなっている。しかし、自由に伐採が許可される条件として、自家消費に限られている。

現地で、薪を取るために行なわれている施行として、プロソピス林に火入れをして一度に0.5haほどを焼き払い、立ち木のまま燃え残り枯れたプロソピスを薪として切り出している。これは、林床に落ちた刺のある枝、立ち木の刺などを燃やしてしまうことから、林内での作業が容易となる利点がある。また、燃やされたプロソピス林も、幾つかの力のある株からはヒコバエ(シュート)が出て、適度な密度で森が再生されている。


焼き払う薪取り場

商業目的の伐採の場合は、3ヶ月を1単位として7500CFをオーゼフォレに支払い、伐採許可を受けなければならない。この料金については、40%が地元のコミュニティーに還元される仕組みとなっている。

杉野の聞き取りでは、これまでにオーゼフォレへ伐採料が支払われ、その一部がティンナイシャに還付されたことはない。

W 森の経済効果

ティンナイシャの森について、現地でよく耳にする意見として、この森は住民の生活に何ら利益をもたらさないと言われる。確かに、商業目的で利用が進んでいるとは言えない。しかし、家畜飼料が安定供給されることにより、地域の家畜の肥育頭数が多くなっていること、また、日常の生活で消費される薪がただで手に入ることなど住民の生活に根ざした利用が行なわれている。


薪運び

今回のティンナイシャ滞在は、気温の低い12月で、日没後、気温が下がると各家(ブグー)の前では、家族が暖を取るために焚き火が行なわれていた。

ここで、消費される薪だけでも、町の市場で売られている薪の値段(3本で100CF)に換算すると1晩で500CF程の薪が消費されている。これを月に換算さんすれば15000CF程の金額となっている。また、日除け(テンデ)で利用される細い柱材もトンブクトゥでは1本500CFで売られており、小さな日除けでも20〜30本程の建材が使われており、日除け1つ取っても決して安価ではないが、ティンナイシャでは各家に1〜2棟の日除けを立てている。

X 天然更新

当初、ティンナイシャの植林帯は幅100m長さ2kmの帯状の植林帯だったが、成林後に林内放牧により、家畜がプロソピスの種子を食べて、未消化の種子が糞に混ざって植林帯の周辺に撒き散らされ、その種子が発芽して、植林帯がコアとなって回りにプロソピス林が広がっており、その拡大は現在も続いている。


砂丘に侵入する植生

植林帯地図

これまで、種子の拡散を担う家畜として、ヤギが考えられていたが、反芻動物のヤギの場合、食べた種子が未消化の形で糞に混じる割合は非常に低く、謎となっていた。

今回のティンナイシャ滞在で、植林帯の周辺を検分すると、崩れたロバ糞に多くのプロソピスの種子が混じっているのを目にした。プロソピス林もティンナイシャの市場からムブナ方向、ズエラ方向への伸びが顕著で、市場を基点にした人の移動と重なることから、市場で、餌としてプロソピスの種子をロバに与え、市からそれぞれの村に帰るロバが道中で落とす糞によってプロソピス林が広がっている。


崩れたロバ糞とプロソピスの種

(2)ティンナイシャと民主化

T クミン(コミューン)

マリの民主化で、地域の行政単位が以前とは異なっており、行政の最小単位がクミン(コミューン)という形となり、住民4000名以上でクミンが成立し、4000名に満たない場合は、周りの村や町と合併してクミンにまとめられている。

ティンナイシャも例外ではなく、シェリフェン、ティンナイシャ、ケルゲッザフ、アマガンナン、ティワルティン、アルカシェン、イダカカマン、ティンガタに各村が合併され、クミン−ティンナイシャとなっていた。ティンナイシャの管理下にあるプロソピス林の利用は、これらの村々の全住民に認められた権利となっている。

そこで、ティンガタ村以外の全ての村が、ティンナイシャの東側に移ってきており、それぞれの村が小さな部落を造って暮らしているが、結果として1つの大きなティンナイシャ村となっている。ティンガタ村に関しては、学校や井戸などの援助を受けて、村の基盤整備が進められたことがあり、簡単に村を放棄してティンナイシャに移住してくることが難しいとのことである。

クミンの長はメイヤーとし住民の選挙で選出される。

U 援助依存の問題

マリの民主化と内戦の終結でティンナイシャがこの地域の援助基点となり、UNHCRやGTZ(ドイツのODA)などの援助が集中した。かつてのティンナイシャも、環境難民のキャンプとして成立したし経緯があり援助依存の傾向が強い村だったが、周りの村々は、ティンナイシャに援助が集中することを羨む一方で、それぞれの暮らしが維持されていた。

しかし、クミンとして1つのティンナイシャにまとまったことで、それらの村々も援助の恩恵を受け、援助プログラムの終了後も援助に対する期待が強くなっている。

それは、ティンガタ以外の村々がティンナイシャに移ってきたこと理由の一つに上げられる事からも理解できる。