マリの暮らし

首都バマコの暮らし

          バマコ駅                   バマコの渋滞
バマコは、マリの公用語のひとつであるバンバラ語で「ワニの河」という意味で、
ニジェール河を挟んで両側に発展した、人口172万人(2009年現在)のマリ共和国の首都です。

西アフリカ歴代の帝国の交易都市として発達し、植民地時代にフランス領スーダンの首府となり
西隣のセネガルの首都ダカールとは鉄道で繋がっています。
北岸の旧市街と南岸の新市街に分かれ、地方からの流入によりここ10年間で人口が2倍になるなど、
新市街を中心に周辺も街を飲み込む勢いで拡大の一途をたどっています。
人口増加に伴い交通量も飛躍的に増え、至る所で慢性的に渋滞が発生しています。

バマコ市内はインフラ整備が進み、電気水道なども供給されていますが、
都市住民の多くは未だに薪炭などのエネルギーや井戸の水に頼っています。
このため、周辺地域から大量の薪炭がトラックなどで運ばれ、消費されています。
どの市場でも活気にあふれ、道路沿いには日用品から建設資材の店が
増え続けています。
服飾品に始まり、日用雑貨、電化製品、バイクに至るまで
多くの中国製品が入ってきています。
質は悪くとも、その安さから手を出さざるを得ないというところが、
一般的なマリの人々の懐具合を示していると言えます。
かつてはレバノン人のみが行っていたスーパーマーケットも、
マリ人が経営する小さなスーパーマーケットが
そこかしこにできて、市場では買えないような輸入品が陳列されるなど、都市住民の生活の変化も感じることができます。

首都近郊の暮らし

バマコの北部30kmにあるダラールは毎週土曜日に市が立ちます。
首都のバマコに近いため、様々な物資が集められ、トラックやバンに山積みされてバマコに運ばれていきます。
写真は周辺村から切り出されてきた薪材です。

土曜日に合わせて何日も前からロバ車で村から運ばれてきます。
こうして毎週多くの薪が切りだされ都市に運ばれるため、都市近郊の村々の森林の多くは、その生長量を上回って伐採され、衰弱しつつあります。
薪炭の他にも、菜園で育てた野菜や果物が集められたり、村で肥育されたウシやヤギ、ヒツジが集められたりして、同じように都市に運ばれます。
特にお祭りの前には、都市で買うよりも格安なので、ごちそうにするヒツジを買い物求める都市住民でごった返します。

            綿花の集荷                  トウモロコシのトウとバオバブのソース

バマコから東120kmにあるファナ地域のコビリ村はこの地域の特徴をよくあらわしている村です。
村に広がる耕地にはトウジンビエやトウモロコシなどの穀物やワタやラッカセイなどの換金作物を作付けます。
ワタは近くのファナという町に集積工場があるので、
収穫期に大きなトラックが村まで来て運んでいきます。
この耕地には日本でも化粧品などに使われるようになったオイルの採れるシアバターノキが多く残されています。
雨期に入ると熟すこの実を地中に保存しておいて、乾期の仕事の少ない時に女性たちがオイルを抽出します。
村では手作業なので大変な重労働です。
村の北には一年のうち数カ月だけ枯れてしまう川が流れていますが、
この川の水を利用して、マンゴーやグアバなどの果樹やトマト、ナス、キャベツ、トウガラシ、タマネギなどの野菜をしています。できた野菜や果物は都市から商人が買い付けに来たり、近くの市場に自分で売りに行ったりしています。

主食はトウジンビエやトウモロコシを粉にして、
日本のそばがきのように練ったトウという食べ物です。
バオバブやオクラなどの野菜のソースや肉や魚入りのソースをつけて食べます。
プリンのように弾力があってとてもおいしいものです。
他にも炊いたご飯にピーナッツバターや
野菜の入ったソースをかけたティガデゲなども有名です。
電気水道はありません。水は井戸からその都度汲んできます。
電気がないので懐中電灯かランプを使います。
最近はソーラーパネルも手に入るようになったので
お金さえあれば日中車のバッテリーに充電しておいて
夜、電灯をつけたり、テレビを見ることができます。

また、多くの村で小学校が援助によって建設されています。                  生活水は井戸から
年々増え続ける生徒数に校舎建設が追い付いていませんが、村人手作りの教室もたくさんあります。
村の通りでは通行人相手に揚げドーナツや揚げサツマイモを売って小遣い稼ぎをしているおばさんがいます。
みんなご飯前の小腹がすいた時に買って食べています。

サヘルに住む人々の暮らし

マリ共和国の中でもよりサハラ砂漠に近いトンブクトゥ地域には
昔から遊牧を生業とするトゥアレグの人々のほかに、
主に農耕に携わるソンガイや商業を担うアラブ人が住んでいます。
私たちが住んで活動の拠点としていたトゥアレグの村ティンナイシャは
一面に広がる砂の中にある小さな村でした。
住むために現地でブグーと呼ばれる丸屋根のテント風の家を
村人に造ってもらいました。
学校や診療所のような公共施設は日干しレンガで造られていますが、
ほとんどの村人はブグーに住んでいます。
木の枝や根を利用して家のフレームを組み立て水草で編んだゴザを載せて屋根ができます。       ブグー
根を利用するのはこの地域の木の枝に多いトゲがないことと砂地なのでまっすぐに伸びているからです。
元々は移動生活を想定した家なので数日で完成しますがこの家づくりは伝統的に女性の仕事です。
大きな村や州都トンブクトゥの町には日干しレンガの家が多くなりますが、その場合にも敷地内に小さいブグーを造っているのをよく見かけました。暑くて乾燥した気候に最も適した住まいなのでしょう。


ある時、村人に「主食の中で何が好き」と尋ねたことがあります。その人の答えは「米、ミレット、ソルガム、トウモロコシ(甘くない種類)の順番で好き」でした。
この地域では米の多くは雨の多い南の地域から運ばれて来るので他の穀物に比べて口にする頻度は多くはありません。味の良さに加えてミレットやソルガム、トウモロコシのように粉にする手間がいらないので好まれたのかもしれません。
村では朝に夕に杵と臼を使ってミレットやソルガムを脱穀する音が聞こえました。
それは十歳前後の少女から始まって女性の仕事です。
トウモロコシは石ですりつぶすのでもっと大変そうでした。
地元でとれるソルガムやミレットは粉を湯がいてそばがき状にしたものにソースをかけて食べます。
乾燥したナマズやタマネギ、オクラ、トマトなどが使われますが、しばしば砂も混じっていました。
市の立つ日やイスラム教の祭日にはヒツジやヤギの肉が加わります。

 

 

 

 


アッタイと呼ばれる砂糖入りのお茶を味わう時間はみんなの楽しみのひとつです。
中国製のホーローのポットに中国製の緑茶(半発酵)と砂糖を入れ、
炭火で沸かして小さなグラスで飲みます。
一杯目はお茶の味が強くて苦く、二杯目はほど良い甘さ、
そして三杯目はほとんど砂糖湯になりますが、独特の作法があり大人になって初めて美味しいお茶が煎れられます。
ただ緑茶も砂糖も高価なので貧しい村人が気軽に飲むことは出来ません。


植林した木を根付かせる際の最も大きな障害は放牧されているヤギやヒツジ、ラクダやウシなどによる食害ですが、牧畜はこの地域の主要な生業です。
自分の所有している家畜だけでなく、人から預かって世話をするのを仕事にしている人たちもいます。
子ども達が世話をしている場合も多いです。郊外の井戸ではたくさんの家畜に水を飲ませている光景がよく見られます。
運搬の仕事にはラクダやロバが使われますが、ラクダを所有していることはその人に一種のステイタスを与えます。
嫁入りもラクダに乗って行われます。


現金を稼げる仕事が少ないので長期間出稼ぎに行く人も多いです。
首都バマコや地方都市だけでなく隣国モーリタニア、ギニア、
遠くコートジボワールまで出かけます。
女性は水汲みや食事の支度、育児、畑仕事だけでも大変な労働なのに
市場でモノを売って現金収入を得ています。
商品は例えば、家畜の乳を加工したヨーグルトやチーズ、皮細工、
水草で編んだゴザ、綿で紡いだ糸、石窯で焼いたパン、揚げ菓子、野菜などです。
大きな町で仕入れた品を自分の村の市場で売っている人もいました。
ラクダやロバに乗って移動できればいいけれど、涼しい夜中に歩いて往復する、文字通り足で稼いでいる場合が多いようです。
近所の女性たちが穀物の収穫期を迎えた近くの村へ鍋釜を提げて出かけるのを見送ったことがあります。畑のそばで仮住まいをしながら数週間収穫作業に従事して毎日いくらかの穀物をもらってその期間食いつないでいたようです。