原告意見陳述要旨


リクルート過労死裁判を考える会(仮称)
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原告意見陳述要旨

1999年7月29日 石井淳子


私どもの長男偉が亡くなりましてからこの8月で、丸3年が経とうとして居ります。

あの日救急車で息子が運ばれたという第一報を受けました時、真っ先に私の胸の中に溢れて来ました言葉は、「過労」というこの一言でした。

しかも「くも膜下出血」という病名を聞きまして、これは容易ならざる事態であることも直感致しました。

とうとう恐れていた事が起きてしまった。ついに息子はオーバーヒートしてしまった、という気持でいっぱいでした。

と申しますのは、偉が年に2、3回の帰省の折に話してくれる言葉のはしはしから、どれ程にハードな仕事に就いているかは、伺い知る事ができました。

ある時など、旭川に帰ってきました折でしたが、夜中の12時過ぎに会社からの電話で起こされた事も有りました。

その時、息子はこう申しました。

「ごめんね。起こしてしまって。リクルートでは夜中の12時は、まだ夕方感覚なんだ。」と。

又用事が有って息子の部屋に電話しましても、夜在室している事はまずなく、いつも留守番電話が応対するばかりでした。

同じようにお友達も、平日は夜遅くてまずつかまえる事が出来ないので、土曜日の朝に電話すると出てくれる事が有り、「徹夜明けなのか」と聞くと「そうだ」という返事だったそうです。

深夜残業は当たり前、徹夜が頻繁という状況で、本人もこのままでは友達をなくしてしまうと言って、携帯電話を買ったと言って居りました。

この勤務体制は、ビーイングからデジタルビーイングへ兼務という形で移動してからは更にひどくなったようで、だれのサポートもリリーフもない中で、しかし一人精いっぱい、誠実にありったけの体力、気力、努力をふりしぼって出来るだけ最高の良い仕事をしようとしたと私は確信しています。

亡くなる1か月前の、7月、札幌への出張の際などは、朝の6時迄会社で仕事をしていて、その足でそのまま空港に赴き、その日の午後2時半には、もう札幌で取材の仕事をしている事も分かりましたが、親の私としては何もそこ迄する必要はなかったのでは、と今となっては非常にせつなく感じます。

偉は責任感も強く、こうと自分できめた事や頼りにされた事は、苦しくとも精いっぱいの努力をして成しとげようとする子供でした。

デジタルビーイングへの移動も、あの子の編集センスをかわれての事と教えられましたが、それで有れば尚の事、まるっきりの畑違いの分野であっても、兼務という忙しさの中で出来る限り頑張った筈です。

しかし、会社からの回答書は、まるでそもそも偉が無能でだらしがないから、ただ、だらだらと会社に居残っていただけだと、言わんばかりのものでした。

この3年近くの日々を、毎日毎日、私は何故あの子が29才で死んでいかねばならなかったのか、何が原因なのか、どんな働き方をしたのか、どのように働かされて来たのか、その事を知りたいと思い続けて参りました。

今あの子は自分の働き方について、一言の抗弁も異議申し立ても出来ません。今となりましては、私があの子にしてやれるせめてもの、たった一つの事は事実を調べる事、それだけになってしまいました。

私どもは何も事を荒だてたくて、提訴という形を取った訳では有りません。会社からの十分な協力のない中で私どもで考えられる、出来る限りの方法で息子の勤務状況を調べて参りました。そして少しづつ事情が分かって来るにつけて、ますます、やっぱりあの子は過労が原因で亡くなったのだと考えるようになって参りました。

私がこのように、偉の死は、過労死だったと考えるこの確信について、公平な立場から、全般的に調べて戴いたうえ公正な判断を下して戴きたく、切にお願い申し上げる次第です。


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