『盗聴法ニュース』1号より

「自由の消える日」中村敦夫(参議院法務委員)


●幽霊の出現

1998年の春あたりから、法務省や自民党が、〈盗聴法〉を実現するために、野党に誘いをかけているという噂を聞いてびっくりした。
 そんなものができたら、自由社会の骨ぐみが変わってしまい、とんでもなく暗 い世の中になってしまう。
 夏に国会議員になり、法務委員会に配属されたので、この法律の原案に目を通 すことになった。
〈盗聴法〉は、〈組織的犯罪対策3法案〉の中に含まれていた。3法案とは、1、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案(盗聴法)2、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律案(組織犯罪への重罰化とマネー・ロンダリングの規制強化)3、刑事訴訟法の一部を改正する法律案(証人保護のための弁護活動の制限)である。
 2も3も国民の自由と権利を侵害するという点では問題のある法案だが、1、 の〈盗聴法〉は、自由な国が警察国家になってしまうという点で、社会に与える悪影響は超弩級である。
 他人の会話を自由に聞けるならば、透明人間のような特権を持つことになり、他人のプライバシーを完全に破壊することができる。
 人々はいつも、自分たちの会話や電話、FAX、インターネットのメールなどが盗聴されているのではないかと、おびえて暮らすことになる。これは、基本的人権が奪われる恐怖社会である。
 警察は神のような絶対権力を手中にし、法務省は戦前の内務省に変質し、大蔵省の上座につくことになるだろう。
 そもそも、経済不安はあるにしても、大規模テロの恐れや、暴力的政治対立がなく、他国に較べて圧倒的に重犯罪の少ない現状で、こんな強権的な監視機能がなぜ必要なのか。オウム真理教事件などは、捜査体制の不備と、判断ミスの連続が生んだ悲劇であり、適切な対処があれば悲劇の拡大を防げたはずである。
〈盗聴法〉第一条の中にある文言「電話その他の電気通信の傍受を行わなければ事案の真相を解明することが著しく困難な場合が増加する状況にあることをかんがみ」などは、まったく現実を反映しておらず、リアリティに欠ける。特異な事件が派手に報道されているが、犯罪件数は総体的に減少しているのが事実である。

●憲法違反の法案

〈組織的犯罪対策3法案〉と銘打っておきながら、〈盗聴法〉第一条では「組織」が対象になっておらず、「数人の共謀によって実行される・・・」という表現が使われている。数人とは、二人以上のことであり、電話は通常二人でするものだ。
 つまり、盗聴の対象は大組織でなくともよい。電話で話している人はすべてターゲットになるということである。
 盗聴の内容は、「・・・殺人、身代金目的略取、薬物及び銃器の不正取引に係わる犯罪等の重大犯罪」と記述されているが、「等」という字が入っているかぎり、その範囲は無限に拡大される。
 アメリカの場合、捜査当局の盗聴のうち、80パーセント以上が、犯罪と無縁な対象に向けられている。日本の警察官だけが、例外であるなどと誰が信じるだろう。
 また第三条では、「罪が犯されると疑うに足りる十分な理由がある場合において」と書いてある。つまり、これから罪を犯しそうだと思ったら、盗聴してもよいということである。どんな人だって、何かのきっかけで罪を犯す可能性はあるわけだから、いつでも誰でも盗聴してもよいということになる。
 裁判所の許可や、盗聴時の立会人の条件も形式的には記述されているが、よく読んでみると、実際場面では野放しになる。盗聴期間は「最大30日間」となっているが、その間、裁判所がチェックすることはできない。また別件の犯罪通信につながった場合、裁判所の許可が不要となる。

 第一、この法律は憲法違反だ。
 憲法二一条二項は、「通信の秘密は、これを侵してはならない」と規定している。個人的自由を尊重するのが、憲法が定める日本の国家像なのだから、下位の法律がそれをくつがえすことは許されない。
 また、憲法三五条は令状主義を定め、「捜査・押収には、その対象を明らかにして特定した、裁判官発布の令状が必要」となっている。
 盗聴法では、「盗聴令状に、被疑事実の要旨・罪名・傍受すべき通信とその設備を記載」しとなっているが、盗聴というのは、これから始まる会話を対象とするのだから、「傍受すべき通信」を特定することはできない。しかも、盗聴である以上、対象者に令状を示すこともできない。これを無視して強行するなら、憲法の令状主義を否定することになる。
 この法案は、できそこないの作文みたいに欠陥と矛盾に充ちており、司法の品格を揖なうような代物である。

●政界に謀略が渦巻く

 盗聴が、与党、野党を問わず、政治家をターゲットにすることは確実だ。
 過去に、神奈川県警が、共産党の緒方国際部長(現・参議院議員)宅に一年間にわたる違法盗聴を行ったことは有名な話だ。警察によるこの〈組織的犯罪〉は、裁判でもクロと判定された。
 「相手が共産党なら、ま、いいか」というわけにはゆかない。一度、盗聴が合法化されたら、対象は与党も野党もない。
 自民党と自由党は法案賛成でプッシュしているが、これから予想される政界の激しい再編で、自分がどういう立場になるかは誰にも分からないのである。与党系の圧力で、野党系議員を盗聴するなどという単純な図式にはならない。
 それどころか、同じ党内の権力争いで、警察官僚出身の議員が、他派閥のリーダーに盗聴を仕掛けるということも充分あり得る話だ。
 汚職議員や選挙違反議員の秘密が、盗聴によって暴かれ、ぞろぞろ逮捕されるのはよいことかも知れない。
 だが、そんな利点よりも、悪影響の方が較べものにならぬほど大きい。
 アメリカでは、フーバーFBI長官が、歴代の大統領の秘密を握り、50年近くも長官の座に居座った例がある。大統領たちが、FBIの気に入らない政策を進めることができなかったのは言うまでもない。
 盗聴によって政治家のプライバシーが暴露され、議会政治が混乱するのもバカげている。
 大統領が仕掛けた盗聴では、ニクソンのウォーター・ゲート事件が有名だが、ペルーでのフジモリ再選選挙でも、盗聴スキャンダルが吹き出した。
 最近では、韓国でも国会議員が盗聴された事件で大騒ぎが起きている。
 これらは氷山の一角であり、権力機構が盗聴によって得た秘密が、さまざまな勢力に売り買いされ、脅迫や恐喝で政治が歪んでしまうことは想像に難くない。
 日本の政界に盗聴法が入ってくれば、陰険で悲惨な事件が続出し、陰謀合戦で政情不安が渦巻くことになる。

●歯止めなき濫用

 盗聴法は、一度国会を通過したら歯止めが効かなくなるだろう。
 裁判所の令状認可があろうとなかろうと、相手は知らないのだから、いくらでも仕掛けることができる。
 その対象は、犯罪者や議員ばかりでなく、社会のあらゆる分野が範囲となる。
 秘密には、悪い秘密の他に、企業の秘密、報道の秘密、家族の秘密など、組織や個人にとって守るべき重要なものもある。
 企業にしても、企画や運営のノウハウを盗聴されたり、FAXやEメールを見られることは、活動の生命線を冒されることである。「この企業は犯罪を冒すかも知れぬ」という口実で、企業秘密が筒抜けになったらたまったものではない。
 行政の犯罪を暴こうとしているジャーナリズムやオンブズマン組織に対し、盗聴が仕掛けられる可能性も大である。警察が官庁であるかぎり、一般国民よりも役所に対して同胞意識を抱くのは当然だからである。
 行政訴訟などを起こそうとしている人間を罠に落とすため、通信傍受した会話を恣意的に編集し、証拠として採用することも不可能ではない。
 「あいつ殺してやりたいよ」といった言葉だけが拾い出されたとする。後にその人が、何らかのきっかけで行政の人間を殴ったとすれば、〈殺人未遂〉をデッチ上げることもできるだろう。 このようなバリエーションは、反戦運動、原発阻止運動、環境破壊反対運動、人権運動などを積極的に進めているグループや個人、また労組や宗教団体に対して、無制限に適用される危険がある。
 そのほか、家族間や友人同士の会話が興味本位で聞かれる危険性もある。電話や室内で話す時に、誰かに聞かれているのではといつも恐れねばならない。これでは日常生活が大変な重圧感に包まれることになる。
 韓国では、こうした一般人への盗聴が数十件発見され、今や国民的パニックになっているという。このため、政府が主要日刊紙に、「安心して通話してください。皆様の私生活保護は、〈国民政府〉の最優先課題です」と広告を出す異常事態となった。
 また、アメリカのロス市警による盗聴捜査の濫用が、マスコミで取り上げられ、非難の嵐が起きている。

●膨大な費用と少ない効果

 現在アメリカでは、デジタル・テレフォニー法が作られ、電話、パソコン、ファックスなどの通信設備に、盗聴可能な仕様を組み込むことが、電気通信事業者に義務づけられている。これに対し、議会、業界、人権団体などから強い反対の声が湧き上がっている。
 人権問題もさることながら、膨大な費用がかかるわりに、その効果は少ないからである。
 盗聴捜査は、機器の設置、記録の解析や文書化などで莫大な費用が必要だ。加えて、それにたずさわる人件費で、予算を圧迫する。
 捜査当局の盗聴の80パーセント以上は、犯罪とは無縁だという結果が出ており、無駄な空振りに終わっている。
 盗聴令状一件あたりの費用が約6万ドル(660万円)もかかり、年間総費用は約6300万ドル(69億円)にも上る。
 この結果、有罪者は550名弱であり、有罪者一人を投獄するのに11万ドル強(1200万円)もかかったことになる。
 有罪者のほとんどは麻薬関係だが、550名ぐらいの逮捕に、これだけの大掛かりな装置と費用が必要だろうか。
 実際には、逮捕できなかった大勢の人々に盗聴を仕掛けたために、これだけの費用がかかったわけである。
 日本よりも人権意識が高く、行政に対する監視が厳しいアメリカでさえ、盗聴捜査が公正に行われていない。秘密主義が先行する日本の行政が同じことをやったら、被害と経費の損失は測り知れないものになるだろう。

●議員が立ち上がる

 盗聴法は、どんな角度から見ても整合がなく、利よりも害の方が大きい。
 なぜ今時、このような必然性のない法案が迷い出てきたのだろうか。
 時代遅れで無意味な「思想管理」への欲望なのか。
 法務省や警察が、他省庁をしのぐ権力を獲得したいからか。
 それとも、新分野を開拓し、予算を増やしたり、電話会社や通信機器会社などと接近し、天下り先や利権を拡大しようという動機なのか。
 一度成立した法律を覆すことは、大きな困難がつきまとう。
 人々の自由を縛り、社会を暗いものにする危険があるならば、不真面目な動機で出される法案を葬る必要がある。
 それができるのは、良識ある政治家たちである。
 去年の11月17日、午後6時半、星陵会館である集会が開かれた。
 〈盗聴法・組織的犯罪対策法に反対する市民と国会議員の集い〉である。
 この法案に反対する超党派の議員が八人壇上に立ち、それぞれの立場で、この法案の危険性を訴えた。それ以外にも数人の議員が応援にかけつけ、会場は四百人を越す市民で満員だった。
 第二部は、私と福島瑞穂議員の司会で、石川好、佐高信、テリー伊藤、辛淑玉、宮崎学の各氏が熱弁をふるうパネル・ディスカッションが行われた。
 大きな反響があり、国民の批判が急速に拡大しつつある。
 (資料提供・富山大学教授・小倉利丸)