子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
970901 体罰事件 2002.4.10.新規
1997/9/1 愛知県春日井市の市立小学校の5年生1組の生徒6人(小5)が、体罰をふるう女性教師(44)を担任からはずすよう求めて学校に抗議。二学期が始まった9月1日から6人の生徒が登校を拒否した。
経 緯 1 1997/5/ 5年1組の担任の女性教師Aは、3時限目の体育の授業で、跳び箱の5段を跳ぶことができなかった女子生徒4人に、練習を続けるよう命じて、体育館に残した。4人は、4時限目も他のクラスと一緒に練習を続けた。その間、A教師は教室に戻って、算数の授業をしていた。

給食の時間になって、4人の生徒が教室に戻ると、「お前たち、何か言うことはないのか」と聞き、一人が謝った。するとA教師は、その生徒にだけ「お前は謝ったから給食を食べてよい」と許可した。残り3人に対して、「他の3人は前に来い」と言って、3人の襟首をつかみ、頬と頭を叩いた。

叩かれた子どもの親がA教師の自宅に抗議の電話を入れたところ、A教師は「ごめんなさい」と謝ったものの、「体罰は熱意の表れであり、愛のムチ。叩かれたことで、なにくそと思ってほしかった。どうしても跳び箱を跳ばせたかった。他のことにも自信がつくと思った。」と話した。
「納得できない」と親が言うと、「自分の考えについてこれないならもう知らない。面倒をみない。宿題も出さない。無視する」などと言った。
その他の事件 1 給食終了時、飲み残した牛乳びんを発見したA教師は、クラス全員に「自分が牛乳をすべて飲んだところを見たと証人を各自見つけるように」と言って、それぞれに証言させ、誰も証人のいなかった生徒を責めた。

女子生徒2人がわからない算数の問題を聞きにいくと、「バッカじゃないの。こんな問題もわからんの。これはXを使って解くんだ」と言い、「X」の意味がわからなかった生徒が質問すると、「お前たち、もっと自分で勉強しろ。私が小5のときにはもう中学校の問題を一人で勉強していた」と怒り、「X」の意味は教えなかった。

家庭科の実習で「げんこつ飴」をつくったとき、歯の矯正を理由に食べなかった生徒を、「食べないなら出て行け」と教室から追い出した。

A教師について、「言う言葉がひどすぎる」「すぐ叩く」と生徒は言う。
経 緯 2 97/6 初頭、体罰を受けた生徒の親たちが、「5年1組の父母有志」として、校長あてにA教師を指導するよう、要求書を提出。

校長の指導に対して、A教師は、申し立て書にあることを「おおむね事実です」と認め「反省します」と答えた。

翌日、生徒に「私はやられたらやり返す」「絶対にひかない。私は勝つ」と発言。
大声で生徒を罵ることは減ったが、個人攻撃が始まった。とくに、校長が「5年1組の父母有志」の1人の保護者の名前を教えたことから、その子どもに嫌がらせをする。
その他の事件 2 申し立て以降、

1日の帰りにその日の反省をさせ、つかえて言えなかった生徒を立たせる。

宿題をやってこなかった生徒に、「人間として宿題をやってくるのが当たり前。あんなもんは人間じゃないから」と言って、一匹、二匹と数える。

「お前たちは何のために勉強しているのか」と問い、1人の女子生徒が、「大人になって困らないためだと思います」と答えると、「大人になる前に死んだらどうするんだ。今日の帰りに車にひかれて死ぬかもしれない。1999年に人類が滅亡するから、お前らは中2で死ぬんだ。お前らの将来はない」などと言った。

A教師は、夏休みに旅行先のトルコから、特定の子どもにのみ葉書を出した。そのため、クラスでは「A先生の誕生日にプレゼントを届けた子だけへの葉書だ」という噂が流れた。申し立てもした親の中心メンバーの子どもには葉書は来なかった。
生徒たちの反応 4年生の時にA教師が担任だった生徒は、社会見学で集合時間に遅れたこで、「私の顔に泥をぬった。恥をかかせた」と、他の教師がとめに入るほどの剣幕で怒鳴られた。この生徒は、5年生でも再び同じ担任となったことを知り、始業式から一週間、泣き続けた。

ある生徒は、夏休みの最後になると嘔吐、発熱し、腹痛を訴えるようになった。笑顔を少なくなった。親が「そんなに怖いなら行かなくていいよ」と言うと回復した

ある生徒は、6月以降、家で何もしゃべらなくなった。「おはよう」も出ない。「学校の話はしないで。A先生の話もしないで」と怒りっぽく言う。

A教師が「お前ら中二で死ぬ」と言うのを聞いて、「死んだら(亡くなった)お母さんに会える」とつぶやくように言った生徒もいた。

「二学期はもっとやられる。もう行くのいやだ」と言う生徒や、夏休み最後の日に「もう明日は学校に行かないからね」という生徒もいた。
経 緯 3 親たちは、市民団体「子どもの権利」市民オンブズマンに相談。
8月後半にA教師を担任から解任するよう求める要望書を提出。

9/1 始業式から、子どもたち6人は登校をやめ、1人の家に集まり、自主勉強をはじめる。
学校は担任の解任を認めない。

一方で、A教師は体調不良を理由に始業式から病欠。そのまま休職状態に入る。

学校から、「A先生が休んでいるので出て下さい」と連絡があり、「いつA先生が来るか怖い」と怯える子どもたちのために、一週間、親が同伴して登校。
学校の対応 校長は、保護者との交渉のなかで、「教育界の常識は一般界の非常識です」と言い、「どんな理由があろうとA先生を交替させることはできない」と言った。
参考資料 「教師失格」/藤井誠二著/2001.4.20筑摩書房、



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