子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の書籍等に掲載された氏名は、そのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
960306 体罰傷害 2001.10.23新規
1996/3/6 沖縄県那覇市立小学校で、男児(小6)が、給食後の清掃の仕方が悪いとして、担任の男性教師から顔面を殴打するなどの体罰を受けた。
経 緯 担任の男性教師Tは、給食後の清掃の仕方が悪いとして、学校配膳室において、Aくんを含む4人の生徒を整列させ、顔面を殴打するなどの体罰を加えた。
傷 害 Aくんは、眼球震とう、左目瞼腫脹(しゅちょう)、眼窩(がんか)内側壁骨折(左眼球陥凹の症状固定)の傷害を負った。
経 緯 男性教師は、当該事件以前にも体罰を行っていた(裁判で認定されたAくんへの体罰のみ記述)。

1995/9頃、T教師は教室で、給食用のプラスチック製膳の角で、Aくんの頭を3回殴打し、出血させるケガを負わせながら、放置した。

1995/10頃、T教師は教室で、Aくんにメガネを外させたうえに、左顔面を殴打した。

1996/1 下旬頃、T教師は学校内体育館で、学芸会の練習中にふざけていたとして、Aくんを足蹴りし、蹴倒すなどした。

T教師は学校内で、ささいな理由から、Aくんの頭を数回にわたって、太鼓のバチで叩いた。
親の対処 当初は話し合いによる解決を希望し、弁護士を立てて調停の申し立てをしたが、那覇市と教師はこれに応じなかったため、やむなく提訴。
訴 訟 T教師と那覇市に対して、損害賠償を求めて提訴。(代理人:真境名光弁護士・多田元弁護士)
沖縄県内で、体罰問題が裁判になったのは、始めて。

1999/9/13 提訴から約3年1カ月を経て、那覇地方裁判所で和解成立。(原告の実質的勝訴)和解交渉だけで約1年を要した。
裁判での証言 被告側は、「体罰を受けた子どもに問題があり、本件体罰は教諭の教育的配慮に基づくものだった」と主張。

教師は、Aくん本人が傍聴する法廷で、足蹴りにした暴力を否定し、「足でつついた」と証言。

Aくん自身が法廷に立って証言。教師のウソに対する怒りを表明。「自分には援助してくれる親がいるけれど、体罰を受けても裁判もできない子がたくさんいる、体罰をした先生を厳しく罰してほしい」と訴えた。
和解要旨 1.被告らは、被告Tが原告に対し次の体罰を加えたことにより精神的、身体的損害を与えたことについて、「本件体罰が教育的配慮に基づくもの」との本件訴訟上の主張を撤回するとともに、被告らの事故後の対応が原告に不信感を抱かせたことについて、原告およびその家族に対し、深く陳謝する
(中略 体罰の具体的事実=経緯参照)

2.被告らは、学校教育法11条が厳に体罰を禁止しているにもかかわらず本件体罰がなされたことにあらためて思いを致し被告那覇市はこれまでも行っていた校長会、新規採用教員オリエンテーション、補充教員研修会、生徒指導主任連絡協議会等における体罰禁止指導を今後とも継続的に実施するほか、さらに学校教育現場における体罰根絶のための総合的なプログラムを策定しその実現のための指導教育を徹底するよう努力する。

3.被告那覇市は、万が一にも今後再び体罰による事故が発生した場合にはすでに事故当事者の意見を反映させるべく改正・施行している事故報告書に基づき、当事者の主張を十分聴取し、公正で客観的な調査・報告を行うこととする。

4.被告那覇市は、本件体罰に対する反省と第2項および第3項の趣旨を周知させるため、那覇市教育委員会教育長名で別紙の内容の文章を「教育広報なは」に掲載する。

5.被告那覇市および被告Tは連帯して、原告に対し、本件和解金として100万円を支払う。ただし、被告那覇市と被告Tのあいだでは、被告Tの負担部分はなく、被告那覇市は被告Tに対して求償しない。

注 第2項の「総合的プログラム」国連子どもの権利委員会の1998年6月24日日本政府に関する所見・勧告45項に沿うものであり、単なる体罰禁止のかけ声だけに終わるのではなく、体罰を現実に予防するための、体罰の原因、弊害に関する調査研究、それに基づく体罰防止マニュアルの作成(すでに実施している自治体、教育委員会がある)、学校教育現場における各種研修などで体罰防止の指導、児童生徒らへの体罰を含む暴力否定の人権教育などに関する総合的なプログラムの策定である。
原告の意見 原告Aくん(和解時、高校生・15)の意見
「ぼくはこの裁判で学んだことがあります。絶対に被告みたいなおとなにはならないということです。被告は自分の生徒の前で、しかも裁判という場で平気でウソをついていました。そのとき、うしろで見ていて、『こんな汚い根性をもったおとなもいるんだな。しかも、先生という立場で。ぼくはこんな先生に教えられたんだな』とくやしくて、情けなかった。それと、日本の裁判は長すぎました。もう中学校も卒業して、小学校6年生のことは忘れてしまいました。もう少し早く終わってほしかった」
参考資料 1999/10/1不登校新聞



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