子どもたちに関する事件【事例】



注 :学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ事件を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
951220 体罰事件 2005.6.8新規
1995/12/20 愛知県豊田市の市立若園中学校で、男性教師(32)が、宿題ができていなかったことなどを理由に、他の生徒の前で、男子生徒Aくん(中1)の顔や頭を40回ほど殴った。男子生徒は、一時耳が聞こえなくなる内耳振とうと診断。
経 緯 12/20 Aくんは、宿題が未提出だったため、わからない部分を他の生徒に聞いていた。
そこへ理科担当の男性教師が入ってきて、突然、けりとばした。
Aくんは理由を言ったが、遊んでいたと勘違いされ、他の生徒の前で、顔などを20回ほど殴られた。さらに髪の毛をつかまれて、机に頭を15回ほど打ち付けられ、耳が聞こえなくなった。黒板に体を5回ほどぶつけられ、最後はアッパー気味に殴られた。

最初は教室に生徒たちが大勢いたが、教師の顔つきや声がふだんと変わる気配を察して、怖くなり、次の授業の理科室に行った。

教師がAくんを病院につれて行ったところ、一時耳が聞こえなくなる内耳振とうと診断。

12/21 翌日、Aくんは顔をはらして登校したが、気分が悪くなり早退。
母親が病院に連れて行こうとしたが、教師が別の病院に連れていき、「風邪」と診断された。

はれがひくのに1週間以上かかり、口のなかが切れて血だらけ。歯も磨けない状態だった。
加害教師 理科担当の男性教師(32)。
1995/4/1 同中に転任。

1996/2/23から自宅待機。
3/21 市教育長あてに、「今後、体罰は一切しない。生徒の心を何より大切にしていく」などの内容の申立書を提出。
他の被害 教師は、日常的に多くの生徒に暴力をふるっていた。4月に転任してきて以来、少なくとも1年生だけで暴力を含めて10数件あったことが判明。(当初、学校側が認めていたのは3人の生徒への暴力のみ。
これらの証言について、校長は「把握していない」と話した。)

5/下旬 「部活動をだらだらしている」として、Aくんは同教師から傘の柄で頭をたたかれた。母親が抗議の電話をした。

まじめに理科の実験をしていなかった男子生徒の頬を平手でたたいた。

「お金の貸借をメモした生徒手帳をみんなで見ていたら、学年主任に取り上げられ、それが教諭に回され、2人が頭と胸を殴られた」
「備品を壊し、すでに担当の先生からしかられた子が、翌日、関係のない教諭にいすをけられ、足にけがをした」
「掃除をさぼった子をパイプいすで殴り、しばらくあざが消えなかった」
「実験の時にマッチの日を口で吹き消したら、頭を5回くらい殴った」
「2時間続いた理科の授業で、1時間目のあと遊びに行った2人が、2回ずつ殴られた」
「ノーヘルメットを注意された子が、職員室へ髪を引っ張って連れて行かれ、3回殴られた」

また、女子生徒からは、「わいせつ」被害の訴えが相次ぐ。
「『○○ちゃん色っぽいねー。抱きつき攻撃』と言いながら、後ろから抱きついた。」
「別の子が後ろからくすぐられた」
「『お尻に○○がついてるよ』と言ってお尻に触った」
「座っている1人用のいすの横にくっつくように座った」など。
別の事件 同教師は前任校の豊田市立前林中学校でも、日常的に体罰をしていた。
1993/ 1学期後半から担任をしていたクラスの男子生徒Bくん(中1)に集中的に暴力。授業中に私語をしたりすると平手で頬をたたいたり、足で顔をけったりするなどを繰り返すようになった。

1993/ 冬、宿題を忘れたBくんを生徒指導室で注意。後ろ髪をつかんで机の角に数回額を打ち付けた。Bくんの額は約5pほど切れ、顔が変形するほど腫れあがった。病院で「全治2週間の打撲」と診断。

男性教師は生徒宅を訪れ謝ったが、生徒は「あんな先生がいる学校には行きたくない」と3学期から休みがちになり、2年生になっても1、2学期はほとんど登校できなかった。3学期からようやく、通学。
高校進学の希望をもっていたが、登校できなかった間の勉強の遅れを取り戻せず、進学を断念して就職。

体罰は市教委に報告されたが、行政処分はなかった。
教育委員会・ほかの対応 1995/3/22 愛知県教委は、同教師を停職3カ月の懲戒処分。(県教委が、体罰問題で停職処分を出したのは今回がはじめて)
市教委は、監督責任を問うて、校長を文書訓告。
その他の対応 市民グループ「子どもの人権を考える会」は、県教委に教師と校長への厳しい懲戒処分を求める請願を提出。処分について、「2人とも処分が軽すぎる」と反発。

一方で、前林中学校の卒業生らが、処分軽減を求める請願を市教委に提出。「4月から教壇に立ってもらいたいと願っていたので、残念だ」と話した。
参考資料 1995/2/20朝日新聞、1996/2/20朝日新聞・夕刊、1995/2/22中日新聞・夕刊(月刊「子ども論1996年4月号/クレヨンハウス)、ほか



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