子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
850920 体罰事件 2005.1.15.新規
1985/9/20 東京都江戸川区の清新第一小学校で、放送委員会顧問の教師(34)が、朝礼の時の委員会活動の報告がうまくできなかったのは「お前がしっかりしないからだ」などと言って、放送委員長のNくんの左右の頬をを両手ではさみつけるように2度たたいた。Nくんは、あごの骨を折り、前歯1本が抜け、大学病院に緊急入院。
経 緯 午前8時半頃、体育館で放送委員たちが朝礼のときに使った放送機材の後片付けをしていた。
そこへ放送委員会顧問のA教師が入ってきて、「朝礼の時の委員会の活動報告がうまくできなかった」という理由で、直接活動報告をしたわけでもない放送委員長のNくんを呼びだした。
A教諭は、「お前がしっかりしないからだ」などと言って、Nくんの左右の頬をを両手ではさみつけるように2度たたいた。
Nくんは、あごの骨を折り、前歯1本が抜けた。
大学病院に緊急入院。
PTAと学校の対応 9/21 午前9時30分、PTAが緊急役員会開催。
出張中の校長に代わり、教頭が事件を報告。
父母側から、A教師による1年3組の担任を本日よりしばらく中止してほしいとの申し入れ。9/24午後7時より緊急運営委員会開催を決定。

9/22 日曜日に、PTA役員らが、事件を目撃した児童を集め、事件の経過を確認。
被害者父母からも事実や要望の聴取を行った。
それらをもとに、事件発生からNくん入院までの経過を文書にまとめた。

9/24 校長、教頭、PTA担当教諭、保護者約100名が出席して、緊急運営委員会開催。
討論の内容は、
(1)A教師のこれまでの数々の体罰の実例
(2)2年前より問題になっていたにもかかわらず、これを適切に指導できなかった学校への不満
(3)体罰についての学校の考え方
(4)A教師が担任をしている1年3組の授業に対する今後の不安

その後、PTAの運営委員会として、
(1)父母側の意見を公開質問状にして学校に出す
(2)その回答を受けて臨時総会を開催する
(3)公開質問状作成特別委員会を結成する
その他、などを決議。

9/25 教頭が、1年3組の担任を代行。

9/26 校長が、全校児童集会で全児童に、事件について説明。

9/27 PTAが、公開質問状作成特別委員会をつくり、公開質問状を作成。

9/30 PTAが、学校に公開質問状を提出。

9/30 学校側は保護者にあてて、「事故の顛末とお詫び」の手紙を出す。
事故の状況事故への反省今後の教育等が書かれていた。とくに、「被害者のN君には何等の非がなく、一方的な教師の傷害事件である」点を強調。

10/23 「公開質問状」の説明会開催。教師全員と保護者側運営委員が出席。
校長より質問状への回答がなされる。

(1)当該教諭の責任について
児童側に全く非が認められていないにもかかわらず、突然一方的に骨折に至るほどの体罰を与えられており、父母は到底信じられない気持ちである。当該教諭はどういう理由で、またどういう気持ちで今回の行為に及んだのか、説明をして頂きたい。
9月20日の放送委員会の発表は、準備不足もあって満足できるものではなかった。(中略)委員長に「もっと責任をもってやってほしい」という願いと「しっかりしろよ」という励ましの意味をこめて軽く肩をたたいてやるつもりであった。ところが意識とは逆に教師としてしてはならない暴力をふるってしまったことは全く恥しい限りである。
当該教諭の今回の行為は、教職の立場としては到底許されないものである。当該教諭は、教職の立場として、今回の行為に対する自己の責任をどう取るつもりなのか、明確にしていただきたい。
今回のことは教師として恥しい限り教師の職を辞して責任をとる
(2)指導上の責任について
今回の事件発生以前にも過去2年間、当該教諭の体罰について父母からたびたび指摘されていた。この間の同教諭の行状に対して、学校としてどのような指導がなされていたのか、説明していただきたい。
1984/2/4 職員朝会で「懲戒について」「体罰についての公的見解」のプリントを全教師に配布し、例をあげて説明、「体罰」を絶対しないように注意する。(略)
この間の指導をどのように評価されるのか。また、問題点はどこにあったのか、説明して頂きたい。
開校時来営々として築きあげてきた学校の信頼を失ってしまったことを深く反省し一日も早く信頼を回復するため、今まで以上に教育の成果をあげることを考える。
(3)学校としての体罰の考え方について
体罰の是非について、教諭間で検討したことはあるのか。あるとすればどのような内容であったのか、説明して頂きたい。
体罰はないと信じている。
是非について検討したことはない。(略)
(4)今後、学校全体で体罰一掃の為にどのように対応していくのか具体的に説明して頂きたい。
体罰はないが、人権に係わる言葉使いなどについては、これからも一層注意し、人権尊重の教育を推進していく。


11/15 PTA運営委員会より、事件発生以後のPTA活動の経過と今後の活動報告を記した議案書が提出される。

11/16 臨時総会開催教師と父母とが、今後の教育の現状を共に学び考え合う「懇談会」を定期的にもつことを決定。
それまでの経緯 今回の事件発生以前にも、過去2年間にA教師の体罰について、保護者からたびたび指摘されていた。

1983/4/1 同校開校と同時に赴任。1年1組を担当。

5/ 連休明け頃、クラスの4、5名の児童が登校拒否に陥って、全く学校に行けなくなった。
3学期くらいまで症状を引きずっていた児童もいた。
クラスの児童には、夜中に突然起きて宿題調べをする、宿題や忘れ物がないか学校と家との間を何往復もするため登校に時間がかかるなどの行動が続出。クラスの半分くらいの児童が拒否反応を示した。

保護者が聞き取りをして事実確認を行った
児童らはA教師から、忘れ物をすると往復ビンタ、首しめ、逆さ吊り等の暴力を受けていた。頭をたたかれて、頭飾りのピンが割れて出血した児童もいた。些細なことで殴られて鼻血を出す児童はたくさんいた。一人の児童が楽器を忘れただけで、音楽の授業を中止。勉強がわからないと「私はバカです」と言わせるなどもあった。
同教師の授業は、「授業中の子ども達は、1年生のくせに身動き一つ、お喋り一つせず、まるで軍隊みたいだった」「運動会の時に作る子ども達の円は、コンパスで描いたみたいに正確だった」。

7/ 夏休み前の父母懇談会で、父母らが体罰の事実を問いただした結果、A教師は「カッとなって、感情が先走って行ってしまった」と回答。

9/ 20名近くの母親が、A教師の体罰状況、やり方、他の生徒たちの反応などの情報を集め、事実を列挙した文書を携えて、校長に陳情。校長から「改善のための努力をする」との約束を取り付けた。 

保護者のたびたびの抗議を受けて、校長、教頭が、しかり方、注意の仕方、体罰は絶対にしないように、A教師に注意。しかし、多少回数が減った程度で、厳しすぎる指導は続いていた。

1984/3/ 開校以来、設置されていなかったPTAが結成されるPTA役員に、1年1組で体罰問題で奔走した保護者の多くが名前を連ねた。

1984/4/ A教師は2年4組を担当。体罰を頻繁に訴えていた保護者の子どもは、A教師担任のクラスから外された。クラスの児童にかなりの拒否反応が出た。しかし、同クラスには、教師擁護派だったり、他から転校してきたばかりで学校の事情に疎い親が多く、問題は表面化しなかった。

1985/ 3学期にA教師が父母懇談会で、「来年度もぜひこのクラスを受け持ちたい」と希望したが、出席している保護者たちが大反対。結果、クラス替えはなく、担任だけが変わった。

4/ A教師は1年3組を担当。クラスの保護者からも、「教師の体罰が厳しすぎるので悩んでいる」との相談が、他クラスのPTA委員にあった。
加害教師 性格的に非常に几帳面で、自分独自の尺度がはっきりしている。そこから外れることは、どんなことでも許せなかった。

過去10年にわたる教員生活のなかで、日常茶飯的に体罰を行っていた。
前任校でも、「足払いで頭を打った」「体操のできない子にワンと言えといった」などの事例があり、保護者からの抗議もあり、校長からの注意も受けていた。しかし、改まらなかった。
教師の処分 1985/11/20 東京都教育委員会は、A教師を諭旨退職処分。
参考資料 「教師の体罰と子どもの人権」現場からの報告/「子どもの人権と体罰」研究会編/1986.9.5学陽書房



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