子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
761207 体罰自殺 2002.3.3 2003.3.30 2003.8.1 2004.6.6 2005.5.15更新 
1976/12/7 福島県田村郡三春町組合立要田中学校で、校長室の書庫に入れておいた公金10万6千円と教師の貯金通帳と印鑑、ストップウオッチなど盗まれ、教師4人が犯人と見立てた知的障害のある男子生徒Aくん(中3・14)に暴行を加えるなどして詰問。その後、犯人が見つかったのをきかけに、Aくんは再び共犯を疑われて詰問され、自宅近くの葉タバコ乾燥小屋の中で首吊り自殺した。
遺 書 部屋から見つかった走り書きに「学校がこわくなった。行きたくない」と同じ文句を19回も繰り返していた。
後にジャンパーのポケットから見つかった紙には、「本をわすれたからと言ったらB先生は図書室につれていかれ、本をさがしてからぼくのせいふくのポケットからしおりをだまってとり、とった人の名前をかけといった。学校がこわいので学校にはいきません」と書いてあった。
経 緯 1976/6/18 中学校で、校長室の書庫に入れておいた公金10万6千円が盗まれていたことが発覚。
6/19 女性教師の郵便貯金(預金高5万5千円)の通帳と印鑑も紛失していることがわかった。一緒にストップウォッチとえんぴつ削りも盗まれていた。

Aくんが父親に告げた話では、
6/19 4人の教師がAくんを校長室に閉じ込め、昼食抜きで、午後2時半くらいまで、4時間にわたって詰問された。途中、バットで殴られて鼻血が出た。(後の検察側の調査ではバットで殴られたという事実は確認できなかった)
「やりましたと白状するまで毎日、調べるぞ」と言われ、先生が怖くなってAくんは犯行を認めた。
(2、3日前に自宅に見慣れないワイシャツがあり、Aくんに聞いたところ、「先生と山さ登って、木にぶつかって鼻血出した。先生がワイシャツ貸してくれた」と答えていた。)

数日後、父親が学校に抗議に行くが、その場に呼ばれたAくんは、教師と父親の前で再び「やりました」と言う。

父親はAくんの自白が信じられず、町の有力者と警察に訴える。犯人や教師の暴行はうやむやなまま、示談成立。

11/末 盗まれた通帳で、若い男性が現金を引き出していたことが判明。

12/1 犯人の若い男性をAくんが知っているのではないかとみた教師が、再びAくんを問いつめた。
Aくんは学校から泣きながら帰宅し、「学校に行かない」と言う。祖母と母親に話した。

12/6 担任教師がAくんを迎えにくるが、Aくんは拒否。

12/7 Aくんは自宅近くの葉タバコ乾燥小屋の中で、首吊り自殺。

警察の対応 Aくんの死後、盗まれた貯金通帳をつかって金を引き出していた高校生の少年を送検。少年はAくんとの関係については口をつぐんだまま。
背 景 学校は生徒数200人足らずで、教師は校長を含め11人の小規模校。
被害者 小学校高学年からすでに学力が落ち込んでおり、友だちからは「ばか」呼ばわりされていた。
中学1年生の時に学校で行った知能テストでは、「IQ測定不能」と出た。(出題の意味を理解できない)
中学校では授業について行けなかった。数学の授業などでは図書室から好きな本を持ってこさせて、Aくんだけ勝手に読ませていた。
Aくんは人なつっこく、職員室にもたびたび顔を出していた。
関 連 中学1年生の5月初め、校内で9人の女子生徒のシャープペンシルと現金4000円足らずが立て続けに紛失。現場近くをうろついていたAくんを教師が2日がかりでつい詰めた結果、警察や家族、とくに父親には知らせないことを条件で盗みを認めた。
学校側は本人の前で父親に事情を話した。Aくんは父親と校長の前で、「今後、絶対にしない」と言って泣いた。この後、近くの駐在所で少年係の警官から説教してもらった。

中学1年生の時、Aくんは野球部に入部していたが、上級生4、5人が自宅まで追いかけてきた。
「お前、ひとのスパイクを履いてきただろう。出せ。なければ3000円弁償しろ」と言った。
祖父がAくんに問いただすと、「いじめられるので、履いてきたと言った」と話した。
翌日、上級生が、「他のやつが履いていた。疑ってごめん」と謝りにきた。
教師の処分 校長は引責辞職、教頭と教諭1人が戒告、他の3人の教師は文書戒告処分を受けた。
PTAの対応 PTAは、事件に関係した教師の行政処分軽減の嘆願署名を集めた。
誹謗・中傷 Aくんは家族に殺害されたとの噂がたつ。
(警察は「鑑定の結果、自殺に疑いはない」とする。)
その後 1992/11/28 福島市在住の映画監督渡辺文樹氏(39)が、同事件を題材に映画「ザザンボ」(「葬式」を意味する福島県の方言)を製作。「家族による他殺」を示唆する内容になっており、福島県船引町で行う予定の上映会が、会場から拒否され中止になる。

冒頭の字幕には「1978年、福島県下で起こった事件を題材にしているが、地名、人名などは現実のものとは関係ない」とある。しかし、登場人物の一部や中学校名は実名。家族が少年を殺すシーンもある。また、「容疑者への公開質問」と書き込まれたPR用ポスターには、事件関係者と観客を交えた討論会の実施計画も印刷されていた。

監督は、「私なりの手法で作ったフィクションだが、事件そのものに疑いを持っている。人権問題には十分に配慮した。作品として自信がある」と話した。
同事件について福島県警は自殺として処理。しかし、事件に疑問を持った監督が、独自取材をして映画をつくった。

県内外でも同映画は上映された。


1993/3/11 「中学生の自殺は家族による他殺だった」という内容の映画をめぐり、家族が渡辺監督を相手取り、1100万円の慰謝料の支払いを求めて福島地裁に提訴。

1994/7/2 民事訴訟の被告尋問で、代理人が「映画のパンフレットにある『土葬の墓を掘り返した』との記述は事実か」の質問に対して、渡辺監督は、「発掘は事実。大変な犯罪だと思ったが、死因の物的証拠を得ることが映画の表現に必要だと思ってやった」と答えた。
発掘の時期については、「1990年5月」と話した。(墓を発掘した場合、刑法で2年以下の懲役と定められているが、すでに時効の3年が経過)

参考資料 (1977/2/1朝日新聞)「車輪の下の子どもたち」/渥美雅子編/国土社、「賠償金の分岐点 教師が責任を問われるとき」/下村哲夫著/学研教育選書1992/12/5讀賣新聞・夕刊(月刊「子ども論」/1993年2月号/クレヨンハウス)、他者に向かい始めた「死との戯れ」少年自殺が告げる不吉な実相/芹沢俊介著/「論座」2000年7月号/朝日新聞社、ルポルタージュ「死角からの報告 −子どもが「人間」を殺した」/斉藤茂男 編著、共同通信教育取材班取材/1983.3.10太郎次郎社1994/7/2毎日新聞・夕刊(月刊「子ども論」/1994年9月号/クレヨンハウス



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