子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
950221 いじめ自殺 2002.5.5 2005.5.15更新
1995/2/21 茨城県東茨城郡美野里町の町立美野里中学校の高木一則くん(中2・14)が、いじめを苦に自室で首吊り自殺。
遺 書・ほか 制服の胸ポケットに折り畳んだレポート用紙が入っていた。
「僕は、一年のときもいじめられました。それも二人にバカにされ、あげくのはてには物などもこわされたりしました。二年になったときは、一学期にいじめられて そのときもがまんしました。二学期にはひどくなり○○、××にバカにされ物を投げ ける、なぐるなどの暴行を受けました そのときはがまんならず 先生にいいました。それがま違いだったのです。○○がつれてきた不良4人に教科書を投げられ 先生に言った後の一人は、『チクリマン』と言われ その時は泣きそうでしたが、今では、クラスで 相談する友達もいません 部活でも仲がよかった友達も敵になりました。後輩にもバカにされがまんしました。しかし僕はがまんできません この世の中は、僕には合いません ごめんなさい。クラス、部活で助けてくれる人もいませんでした。」と書かれていた。
経 緯 1994/10/11 一則くんは教室で友人と追いかけっこをしていて、別の生徒とぶつかって、けんかになり、2人に殴られた。周りにいた生徒たちも相手に加勢するようにはやしたてていたという。放課後、一則くんは殴られたことを担任に報告。この時は、殴った生徒と親が高木家を訪れて謝罪した。

1995/2/中旬 一則くんは、水泳部の副部長をしていたが、トレーニングのメニューづくりで先輩と対立して部内で孤立。

2/21 一則くんは4時限目まで授業を受けていたが、「気分が悪い。熱がある」などと訴えて、昼過ぎに帰宅した
午後7時過ぎ、自宅の物置で自殺しているのを家族が発見。
いじめ態様と経緯 仲間はずれにされたり、机やかばんの中の文房具や教科書を放り出されたこともあった。
いじめはクラス全体、学校全体に及んだ。
被害者 正義感が強く、校則を守らない生徒を注意し、教師に告げたりもしていた。そのことで、同級生から反発をかっていた。
両親の対応 両親は、学校側が「いじめはなかった」とマスコミに話したことに反発。遺書を公開した。
担任の対応 担任教師は一則くんの死後、「本当にまじめでクラスの仕事も自分から進んでやってくれていた。学校をずる休みするとか何らかのSOSを出してくれていたらと思うと残念です」と話した。
また、部活でのいじめについても「放課後になると、真っ先に運動着に着替えてグラウンドに出ていたので、一生懸命にやっていたと思っていた。トラブルがあったなんて考えられなかった」と話した。

また、今までの経緯として、
教室で同級生に殴られる事件があったあと、機会があるごとに様子に注意したり、話しかけたりするようにしていた。3学期になって特に明るく振る舞うようになった。
1月下旬に福島猪苗代町に2泊3日のスキー合宿に行った時も楽しそうに見えた。
2/20 自殺する前日の放課後、進路について話し合った際も、「(殴った生徒とは)うまくいっているの?」と聞くと、一則くんは仲良くやっているよ」と答えた。
などと話した。
事件後の
学校の対応
学校は、「仲間はずれにされていた事実は知らなかった」とした。
校長は、「私たちも事前にキャッチすることができず、ご両親に対して言葉もありません」と言い、遺書に書かれているようないじめは把握していなかったと話した。

2/22 一則くんが自殺した翌日、1時限目に全校集会を行い、校長は生徒たちに、「起こってはいけないことが起こってしまいました。本当は彼は悲しかったのでしょう。つらかったのでしょう。二度とこういう悲しい出来事を起こさないようにしましょう」と話した。
その後、各学級で命の大切さについて話し合い、生徒に作文を書かせた。
作 文 作文の一つによると、一則くんは自殺する前日の技術家庭の実習で友人の作品づくりを手伝ってやり、「あとは来週やってあげる」と話していたという。
関 連 一則くん以外にも、「いじめられている」と学校に訴えていた生徒が2人いた。教頭は、「学校側でいじめだと認識したのは県に報告した1件だけで、あとはいじめだとは考えなかった」と話した。

1994/8-10 男子生徒(中2)は同級生3人から、約30回にわたって傷が目立たない程度に空手で殴られた。加害者と保護者が謝罪していじめは解消したとされている。
1994/1/ 県教委が実施した「いじめ状況調査」で報告。

1995/1/末 女子生徒(中1)が、3学期から同級生4人に無視されるなどのいじめを受けていると相談。
教育委員会の対応 県教育庁県教育庁指導課長は記者会見で、「遺書の内容を見る限り、本人にとってはいじめが原因であったと受け止めざるえない。学校も努力したが、発見や指導ができなかった」と話した。
県教委はプロジェクトチームを設置。教師向けのいじめマニュアルを作成中で、来年度にはいじめの抜本的な解消に向けた研究を始めることになっていたと話した。

2/27 県教委は全市町村の教育長を集めて緊急対策会議を開催し、いじめ問題を協議。
その席上で、美野里町の教育長は、「新聞、テレビを通して、県民の関心を集めてしまい、申し訳ない。両親と会って訴えを聞き、収まったと思っていたのに、マスコミがぶり返して問題を大きくしてしまった」などと話した。

こうした発言についても、同教育長は、「子どもたちの将来もあるので、こういった自殺の問題は広く喧伝すべきだとは思わない。町の中の出来事として解決すべきものなのに、マスコミが大きく騒いだ。事実の解明が逆に難しくなった。今後の学校の建て直しにも支障が出るだろう。そういう認識で述べた」と話した。
参考資料 「少年」事件ブック 居場所のない子どもたち/山崎哲著/1998.8.30春秋社、(1995/2/23朝日、1995/2/24朝日茨城版)いじめ問題ハンドブック/高徳忍著/1999.2.10つげ書房新社、1995/11/20朝日新聞・夕刊(月刊「こども論」1996年1月号/クレヨンハウス)、1995/2/24朝日新聞・大阪、1995/2/28朝日新聞・夕刊(月刊「こども論」1995年4月号/クレヨンハウス



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