子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
930113 暴行殺人 2000.9.10. 2001.5.25 2001.10.10 2002.3.20 2002.4.1 2003.7.1 2003.7.21 2004.8.23更新
1993/1/13 山形県新庄市立名倫中学校の体育館で、児玉有平(ゆうへい)くん(中1・13)が、用具室に立てて巻いてあったマットの中に逆さに突っ込まれた形で、窒息死しているのが見つかった。
状 況 顔は殴られたような皮下出血があり、大きく腫れあがっていた。手と足には打撲の跡があった。頭蓋骨陥没、骨折死因は窒息死
いじめの内容と経緯 一家は17年前に新庄市に移り住んだが、「新参者」扱いにされていた。また、みんなと同じ山形弁を使わないで標準語を話す、友だちを「さん」付けで呼ぶ、趣味が違うなどの理由から、周囲から反感を買っていた。有平くんも「なまいき」だとして日常的にいじめられていた

生徒たちの話では、小学校高学年の頃からいじめが始まっていた。中学校に入ってからも、教室で下着を脱がされたり上級生から歌など芸を命じられたり殴られたりしていた多くの級友たちが、有平くんがいじめられていたことを知っていた。

1992/ 事件の前年夏頃、部活動でいじめられた経験のある兄(中3)が、「部活でいじめられていないか」と有平くんに尋ねると、有平くんは「いじめられてもギャグを言って切り抜けているから大丈夫」と答えていた。

1992/9 集団宿泊研修から、有平くんが顔を腫らして帰宅したため、家族が学校に「いじめられているのでは」と相談。学校側は有平くんから事情を聴くが、いじめられたことを認めなかったため放置。

1993/1/13 放課後、有平くんは自分が所属する卓球部の部活のため体育館に行った。館内で上級生らに「金太郎」の歌に合わせて身振り手振りをする芸などをやらされていた。午後4時40分頃、館内用具室の前で、7人の生徒に芸を強要された際に拒否したために、室内に連れ込まれ、頭や殴ったり、足で蹴ったりの暴行を受けたその後、マットの中に頭から押し込まれ、そのまま放置され窒息死した。

塾に行く時刻になっても帰宅しないため、家族が午後7時過ぎに学校に問い合わせ、教師が遺体を発見。
学校・ほかの対応 事件直後、校長は「いじめ」の存在や、1992/9有平くんの親から「いじめ」の相談を受けていたことを否定。7人の生徒が逮捕・補導されてから、一転して事実を認める。

生徒に口止めする教師もいた。事件後に、生徒と教師間で事件やいじめ問題が語られることはなかった。

事件後、クラブ活動の際には各部に教師を2名ずつつけ、事件のあった用具室は使用しない時はカギをかける、下校する生徒を下駄箱まで見送るなどの対策がとられた。
学校関係者の処分ほか 1993/3/9 校長は事件での管理責任を問われて、20日間の停職処分。

逮捕、補導されて少年7人の審判の最中に、事件直後から体調を崩し、休みがちだった校長が退職。教頭と有平くんのクラブ顧問は転出、担任は別の県で教壇に立っている
など、多くの教師が移動。
生徒たちの反応 事件当時、体育館には約50人の生徒がいたが、ほとんどが「知らない。見ていない」と非協力的。

1993/8/24 審判のあった翌日のテレビ「スーパーモーニング」のインタビューに同中学生が、「やった(いじめた)生徒もかわいそう、遊びだったのでは?」「自分でマットに入ったのでは?」と話す。
アンケート 学校側が事故直後に実施した無記名アンケートの「有平くんをいじめているところを見たことがありますか」の問いに、300人超の生徒のうち17名が「見たことがある」と回答。ただし、「暴行があった」という生徒は1人もいなかった。
法務局の対応 山形地方法務局は、人権侵犯事件として調査。

1995/8/17 2年7カ月後、「事件発生前から有平くんに対するいじめはあった。いじめは一過性のものではなく、事件当日まで続いた」と発表。また、「他の生徒に対するいじめもあった」と認定。
「いじめに対する明倫中側の認識、指導体制は必ずしも十分ではなかった」として、明倫中学校の校長に、反省を促し今後の善処を求める「説示」。新庄市教委と山形県教委には、指導や安全管理徹底の「要望」を文書で行った。

一方で、人権擁護課長は、具体的ないじめの方法や調査対象については、「プライバシーにかかわる問題なのでコメントできない」とし、有平くんの死亡といじめとの関連の有無についても「確認はしていない」と話した。
誹謗・中傷 家の塀に「殺してやる」と落書きをされる。
「あそこの育て方なら当然」「ケンカ両成敗、いじめられるには、それなりの理由がある」と言われる。
被害者の兄は、通学途中に生徒から、「おまえ、弟が殺されてよく平気で外を歩けるな」と言われ、妹も数人に取り囲まれ、「兄ちゃん、殺されてうれしいか」と言われる。
被疑者 1993/1/17 A(中2・14)が、「マットに入れろ」と自分が命じたと自供。B、C、(中2・14)とD、E(中2・13)、F(中113)、G(中1・12)の名前を上げた。

1/18 同中の生徒3人逮捕、4人補導。

7人は、児玉くんに暴行を加えてマットに押し込んだと供述していたが、事件が家裁に移る段階から7人全員が自白と証言をひるがえし、それぞれアリバイを主張し、否認に転じる。

加害少年の弁護団は、「児玉有平くんは、ひとり遊びをしていて自分からマットに入って死んだ」という事故説をたてる。
その後 2000/ 高校受験時の7月中旬から8月初旬にかけ、損害賠償請求訴訟の被告である元少年ら5人の家に、カッターナイフの刃が入った封筒と元少年7人の名前、住所、電話番号が載ったホームページを印刷した紙が郵送され、内4人には「パイプ爆弾を送りつける」などと書いた脅迫状が送りつけられた。消印はいずれも東京都内だった。(同ホームページでは現在、7人の名前、住所は削除されている)
裁 判
(家庭裁判所の少年審判)
1993/8/23
山形家裁は少年審判を受けた7人中、
A、B、Cの3人(中2・14)に関して「犯罪事実なし」と無罪判決。

不処分確定。
「A、B、Cと他の少年らがマット室前で被害者を取り囲んでいた」とする捜査段階での目撃供述もある。しかし
・少年らの自白内容の変遷には不自然な点が少なくないこと、
・自白内容が重要な部分で合致しておらず、一部分は当時体育館内にいた多数の者の供述とも矛盾していること、
・A、Bにいたっては当時自宅などに居たとする
アリバイを否定できないこと、
・Cについてもマット室から離れた場所にいたとする同人の弁解を一概に否定できないこと、
目撃者らの捜査段階での供述は、その目撃した当時の状況等から見て必ずしも全面的に信用することができないこと、

などから審判では、
目撃者らはいずれも、A、B、Cをはっきり目撃しておらず、捜査段階での供述は確信のないままに不明確な印象等について述べたものである旨証言するが、その証言は信用することができるなどから、A、B、Cの犯行に関する少年らの供述は信用できないとした。
1993/9/14
D、E(中2・13)、F(中1・13)の3人に有罪判決





1993/11/30
仙台高裁は
D、Eを初等少年院送致、
Fを教護院送致
の保護処分を確定。
「審判において、GはD、E、Fが被害者の体を支えてロングマットの空洞に押し込むのを目撃したと供述しており、その供述はそのなされた状況や内容からして信用できること、D、E、Fがそれぞれ当日の自己の行動について審判でしている供述の内容には、同人らと一緒にいた者の供述と一致しない部分があり、しかも不一致が生じている時間帯に本件非行がなされていることから、D、E、Fは共謀して本件非行を犯したものと認められる」とした。

処分を選択した理由について、「各少年の資質・環境に顕著な問題点は認められないが、本件は、被害者が死亡するという重大な結果が生じたにもかかわらず、少年らは非行に関与したことを否定しており、自己の行為に対する反省が認められないので、在宅での保護処分では少年らの更正は期し難い。そこで、14歳であるD、Eを初等少年院に、14歳未満であるFを教護院に送致するのが相当である。」とした。
1993/3/26 G(中1・12) 同県中央児童相談所の行政処分(児童福祉による在宅指導)。

裁 判
(家庭裁判所の少年審判)
1993/9/16 「犯罪事実あり」とされた少年たちの内3人(D、E、F)が認定を不服として、仙台最高裁判所に抗告

1993/11/29 高裁棄却。抗告を棄却する一方で、家裁の認定を覆し3人のアリバイを否定、7人全員が事件に関与していたと判断。

被疑者7名は、捜査段階においていずれも本件非行に関与したことを自白しているところ、それは、知り合いの捜査官と雑談を始めてから、20分くらいしか経たないのに、捜査官の胸に抱きついてしばらく泣いたうえで自白したもの、自己と両親との関係や両親の心情を慮り苦しみながらも、捜査官に説得されて自己が体験した事実を述べたことが窺われるもの、本件非行に至る経緯及び犯行状況の全般にわたり詳細に述べ、その供述内容には体験者以外に知り得ない事項が相当部分含まれるもの、捜査官の問い掛けに泣き出しながら真情を告白したと考えられるもの、捜査官の取り調べが進行中に家族の前で非行の詳細を説明しその模様を実演してみせたりしたものなど、いずれも自己の体験を述べたものと考えられる。被疑者少年らの捜査段階における各供述には、細部において若干食い違う点はあるが、そうした食い違いは自己の責任を軽減しようとし、或いは記憶が不鮮明であるなどの理由で生じたことが窺われるうえ、各供述内容は大筋において相互に一致するものである。」

「被疑少年らはそれぞれにアリバイを主張し、一部の被疑少年については、そのアリバイの主張に一見沿うかのような友人達の供述があるが、これらの友人達の供述は、アリバイの裏付けとなりえないものであったり、或いはその供述に反する他の参考人の供述と比較し信用できないものである。アリバイと矛盾する参考人らの供述は、客観的証拠に裏付けられ、或いは特別な体験と結びついたもので、いずれも十分に信用できる。
被疑少年ら7名については、いずれもアリバイは成立せず、同人らの捜査段階における自白はその信用性に疑いを容れる余地はない。」
とした。

1994/3/1 最高裁棄却。
その後 保護処分の3人
1994/10/14 再審請求にあたる保護処分取り消し請求を申し立てたが抗告棄却。山形家裁は2人について棄却、1人(F)については処分終了を理由に
却下。
また、当初ただ1人非行事実を認め、山形県中央児童相談所の行政処分を受けた少年も、処分無効を確認する行政訴訟を起こした。
少年法と犯罪被害者遺族 少年法34条に、少年側に有利な決定が出たときだけ処分の執行を停止できると定めているため、一度無罪判決の出た少年たちの処遇が変わることはなかった。なお、現行の少年法は被害者側に抗告権を与えていない。この事件をきっかけに、少年法改正の議論が高まる。

審判がいつ始まり、いつ終わったのか、遺族は蚊帳の外で連絡がなく、マスコミを通じてしかわからなかった。特別措置として報道向けに公表された審判決定の要旨も、マスコミを通じて手に入れた。しかし、その中にも、なぜ有平くんが殺されなければならなかったのかを知る手がかりは薄かった。

「法制審では、遺族の審判傍聴をぜひ実現させてほしいし、もう一歩進めて、被害者側から何らかの形で審判で意見を述べる機会を制度としてつくってほしい」
(児玉昭平さん/1998/7/10朝日新聞)

昭平さん(51)は「自分の子どもが殺された状況を聞きたくはないが、審判の傍聴は遺族の権利として認めるべきだ」と述べた。(少年法の改正が)少年への厳罰化につながるとの慎重論も出ているが、児玉さんらは「軽微な犯罪と凶悪犯罪とを同列に扱うのはおかしい」と反論した。(2000/10/18読売新聞)
裁判の問題点 検察庁の送致事実に、警察の送致事実や高等裁判所の棄却決定に記載されているようないじめ事実は存在していない。(少年らが被害者に対してかねてからいじめを繰り返していたことや事件当日も一瞬芸を繰り返し強要したが拒否されたことは削除され、偶発的な傷害致死事件の容疑に転換されてしまった
日本社会事業大学教授・弁護士 若穂井 透(イジメブックス イジメの総合的研究4 「イジメと子どもの人権」/中川 明 編/2000年11月20日信山社)
裁判(民事) 1995/12/16 少年審判では事件の真相が明らかにされなかったため、両親が学校設置である新庄市と、監禁致死などで逮捕・補導された7人の生徒を相手取り、慰謝料など1億9千300万円を求める損害賠償請求の民事訴訟を起こす

2001/9/18 山形地裁にて結審。
原告側の主張 原告側は、捜査段階の自白調書や少年審判の決定をもとに、

1.当時の学校長は有平くんに対するいじめを知りながら、効果的な防止策を講じなかったばかりでなく、クラブ活動に教員が立ち会わないなど、生徒の生命身体の安全を保持する義務を怠った。

2.当時の7人の生徒は共謀して有平くんをマットの中に押し込み、窒息死させた。

などとして、死に至るまでの有平くんの精神的苦痛に対する慰謝料などを求める。

また遺族は、加害者側の少年たちを法廷に呼んで、事情を聴くことができると考えた。
被告側の主張 元生徒側は、調書の任意性や信用性を否定。7人全員がアリバイを主張し関与を否定。
「有平君が自分でマットの中に入った可能性もある」と事故死説を唱えた。

裁判では、児玉君を用具室に連れ込むのを見たとされる元生徒を証人に呼んで、「本当は見ていなかった」と目撃を否定する証言を引き出すなどして、「冤罪」だと訴えた。
元生徒7人は全員、証言に立って、無実を訴えた。

学校側は「いじめを把握できなかった」と管理責任を否定。また、生徒たちと同調し、「7人の生徒の関与が肯定できないから学校の責任も生じない」「継続的ないじめはなかった」と反論。
被 告 2002/1/ 「山形明倫中事件・無実の少年たちを支援する会」が発足。

2002/3/19 山形市内で開かれた報告会には約50人が参加し、元生徒の1人が「裁判で無実を証明していただき、本当にありがとうございました」とあいさつした。
判 決 2002/3/19 山形地裁にて、手島徹裁判長は「棄却」判決。

判決では、7人の生徒のうち一部の生徒による
有平君への日常的ないじめがあったことは認めたが、いじめの存在と事件との関係を否定

有平君の死に関しては、
「自らマットに入り込み窒息死した」とする被告側の自過失説を採用せず、明確な判断を示さなかったが、同校の生徒の中でマットに頭から入る遊びがあったことや、遺体や現場の状況から「事件性すら認定できない」と指摘した。

主犯格とされた元生徒Aの自白が他の元生徒6人の逮捕、補導につながったことから、この自白の信用性を第一に検証。捜査段階における自白の変遷の不自然さや秘密の暴露がないこと、警察の強圧的取り調べなどを上げ、自白の信用性を否定。

「裏付けるべき客観的な証拠がなく、逆に客観的物証と積極的に矛盾している」とし、「保護者らの立ち会いが排除された状況で長時間かつ過酷な取り調べを受けた」として、
自白も取調官の誘導とした。元生徒7人を逮捕・補導した同県警の捜査について、「取調官の追及は極めて厳しく、14歳以下の少年に対する取り調べとしては極めて不当」と捜査を批判。

大人の誘導、暗示を受けやすい少年の立場を考慮し、捜査段階における被告の元生徒らの供述、目撃証言もほとんど否定。
7人が事件現場の体育館の用具室にいなかったというアリバイを認め、事件に関与した証拠はないと判断した。

学校(市)についても、7人の関与が立証されない以上、管理責任追及を退け、賠償責任はないと結論づけた。
判決要旨 【いじめとの関係】
 児玉有平君は平素いじめを受け、事件当日も再三いわれなきいじめを受けており、そのようないじめと本件とが関連するとの疑いは容易に生じうる。
 しかし、芸を強要したり、単独で暴行を加えたりといった従来のいじめと、原告が主張するような集団による執拗かつ危険な暴行との間には看過し難い隔たりがある。また、被告元生徒らには本件以前に児玉君に対するいじめに参加した形跡のない者もおり、児玉君がいじめを受けていたというだけで、そのような者と本件を結びつけることはできない。
 明倫中の生徒の中にはロール状に巻かれて立てかけられたマットに頭から入る遊びをしたことがある者もおり、マットに逆立ち状態で入っていたというだけで、児玉君が他人の力によって入れられたと即断はできない。
また、遺体の状況から何らかの暴行が行われたか否かを確認することはできない。遺体発見時の用具室の状況は何者かが暴行を加えたとするには整然とし過ぎている。
 供述証拠以外のいわゆる物的証拠と、信用性に問題がないと容易に思われる供述証拠のみで検討すると、
被告元生徒らと本件の結びつきはおろか、本件のいわゆる事件性すら認定することができない。

【自白の信用性】
 本件では被告元生徒の一人が最初に自白し、その供述内容に基づいて、取調官が他の被告元生徒らの取り調べを進めたところ、全員が同日ないし翌日中に自白した。元生徒による最初の自白が信用性を欠くとなれば、当然に他の被告元生徒らの関与にも相当の影響を及ぼす。
 本件では、最初に自白した被告元生徒のアリバイの正否が重要な問題点となっており、当裁判所も、被告元生徒らの自白の信用性を検討する上で、この点が最も重要な課題と考える。
 最初に自白した元生徒のアリバイは、学校の外で姿を見かけたとする証言などにより主要な点で真実と認められ、他の証拠によってはこのような認定を覆すに足りない。自白内容についても、マットに押し込む態様などの重要な点で客観的事実と明確に矛盾するなど、その信用性な重大な疑問が存在するといわざるを得ない。

【結論】
 本件の証拠構造は物証に乏しく、特に根幹部分に関しては全面的に被告元生徒らの自白に依存せざるを得ない構造であったが、その自白に関しても、
・14歳以下の少年たちだったにもかかわらず、保護者等の立ち会いが排除された状態で長時間、過酷な取り調べを受けた
・自白と否認をひんぱんに交錯させている
・内容に変遷が見られ、変遷に合理的な理由がない
・不自然・不合理な点がある

内容を裏付けるべき客観的証拠がなく、逆に自白内容が客観的証拠と矛盾する
・体験者でなければ述べ得ないような具体性、迫真性を含んでいない
・秘密の暴露が全くない
などの事情が見られる。
 このように被告元生徒らが自白に至った過程及びその自白内容には、信用性を否定する方向の数々の重要な問題点が含まれており、もはやいずれの自白の信用性をも肯定することはできないというべきである。また、
被告元生徒らの主張するアリバイないし体育館内の行動については、これを認めるに足りる相当の証拠が存在する。

控 訴 遺族側は判決を不服として、即日控訴。
控訴審判決 2004/5/28
仙台高裁の小野貞夫裁判長は、請求を棄却した
1審判決を取り消し、少年審判で不処分(無罪相当)が確定した3人を含む7人全員の事件への関与を認め、計約5760万円の支払いを命じる判決学校側の管理責任は1審同様に認めなかった。
判決要旨
(1)事件性の有無
児玉有平君の死の原因は、マットに長時間逆さまに入った状態でいたためである。ひどい暴行を受けたことを明らかに示す身体の損傷はないが、有平君の身体の損傷は、他人から暴行を受けたものとしても説明がつくものである。

本件マット及びその下に敷かれたマットに付着しただ液・血痕、有平君の発見者の目撃供述等からすると、有平君は本件マットの右側のロール状に巻かれたロングマットの方から、前面(顔、腹部)をややマット室の奥の壁側に向ける格好で、万歳する形で、逆さまに入ったものと推認できる。

本件マットには有平君の卓球用ラケットが入っていたが、上記体勢でラケットを取るためにマットに逆さに入ることが危険なことは容易に分かるし、そもそも有平君の日ごろの態度からすると、部活動中にマット室に入って遊んでいたとするのは不自然な感を否めない。また、有平君の左足用のズックが他のマットの空洞から発見されたが、有平君が本件マットに入った状態で足を前後に動かすことによってズックがそのマットの中に飛び込んだとみるのは難しい。そして、仮に、有平君を制圧して本件マットに押し入れるとすると、数人が協力しなければ困難である。

これらの客観的事実関係だけからは、有平君の自過失か否かを確定できないが、有平君が自ら本件マットに入った可能性は低く、むしろ、複数の者が有平君に暴力をふるい、有平君を制圧して押し入れた可能性が高いといえる。

(2)捜査段階でマットに押し込むのを目撃したという上級生の証言の信用性
上級生の一人は、後半の部活動に参加するため、マット室前で靴ひもを結んでいる時、元生徒らが有平君をマット室前で取り囲み、マット室に連れ込んで本件マットに押し入れ、マット室から出てくるのを見たと捜査段階で供述し、93年3月の少年審判でより詳しく証言している。

上級生は1審及び当審で「目撃は全くしていない。目撃したと供述したのは警察で犯人扱いされ、どなられたりして怖かったからで、少年審判で覆すと何が起こるか分からないと思ったからである」と証言する。

しかし、少年審判での2回にわたる証言内容、当審での検証結果等によれば、93年3月の少年審判で一貫し証言する部分(マット室前で有平君が7人くらいの明倫中男子生徒に囲まれ、マット室に入れられ、奥のマットに身体を持ち上げられて頭から入れられた。その生徒の中にD、E、Gらを見た)は信用性が高いというべきであり、上級生の1審及び当審での証言は信用できない。

1審と控訴審で撤回された上級生の目撃証言は、信用できるとした。

(3)捜査段階で最初に関与を認め、他の6人の名前を挙げた元生徒のアリバイの成否

A及びBは、部活動をしないで友人と下校しているとして、アリバイを主張する。しかし、Aについて、Aを下校途中に見たとする2人の供述のうち1人については供述に幾点か疑問があり、また、供述通りとしても、目撃した時点や他の信用できる目撃証言に照らし、アリバイとはなり得ない。もう1人については気象状況等からして事件当日(93年1月13日)の目撃供述とは認め難い。Aと一緒に下校したとする友人の供述も、他の目撃供述等に照らすと信用できない。また、Bについても、Bと一緒に下校したとする4人の供述は、他に一緒に下校したとされる1人がこれを否定し、その1人の供述が信用できることなどから、アリバイの成立は認められない。

E及びGは、部活動終了後、体育館に来てバスケット遊びをし、そのまま下校したと主張するが、E、Gと一緒にバスケットをして遊んでいた生徒らは、E及びGがバスケット遊びから離れて相当時間経過後に戻ったと供述しており、これらに照らし、E及びGのアリバイは認められない。

Cも、部活動終了後、体育館に来て同じ部の仲間らと一緒にバスケット遊びをし、そのまま下校したと主張するが、Cと一緒だったことを覚えていないとする上記仲間らの供述に照らし、Cのアリバイは認められない。

Dは、体育館で部活動を終了した後、同じ部の部員と下校したと主張するが、同部員らの供述によれば、部活動が終了したころから玄関辺りでDを見かけるまでの間は一緒でなかったと認められるから、Dのアリバイは認められない。

Fは、前半の部活動中に、部活動とバスケット遊びをして、マット室前には行っていないと主張するが、バスケット遊びを離れたとの複数の供述があり、Fのアリバイは認められない。

7人のアリバイは、事件があったとされる時間帯に絞って判断した結果、認められないとした。
少年審判の抗告審と同様、アリバイを崩す別の目撃証言を採用した。

(4)7人の自白の信用性

元生徒らは当時、中学1、2年生であり、全員が当初否認し、その後保護者の立ち会いのない取り調べにおいて事件への関与を認めたが、その取り調べは長時間に及ぶこともあり、また、否認と自白を繰り返す者もいて、自白に秘密の暴露は認められないことなどからすると、元生徒らの自白の信用性については慎重に検討する必要がある。

しかし、取り調べ状況、自白の内容及び変遷、自白相互間や客観的証拠関係との整合性などを具体的に検討すると、一部、取調官の誘導によると疑われるものもあるが、そのほかは格別に取調官の自白の強要等を認めることはできない

かえって、Aの当初の自白は、否認していた93年1月17日、保護者が警察署に迎えに来るのを待っている間に、偶然に以前取り調べられた警察官から本件の事情を聴かれ、短時間で、有平君をマット室に連れ込み、本件マットに押し入れるまでの全体的な事情を供述したもので信ぴょう性が高い。

また、Gが取り調べ後帰宅し、両親や親しい伯父に尋ねられ、有平君がマット室に連れ込まれ本件マットに押し入れられる状況を話した内容を記載したメモ、Gの93年3月の少年審判での証言も信ぴょう性が高いと認められる。そのほかの元生徒らの自白もおおむね信用できる。元生徒らの自白内容とマット室の乱れの程度、有平君の身体の損傷程度との間に矛盾はない。

7人は厳しい取り調べを理由に少年審判で「自白」を撤回したが、判決は「一部に誘導が疑われる以外、自白の強要は認められない」として「自白」の信用性を認めた。

(5)7人の責任
元生徒らはマット室において、有平くんの足を持ち上げ、手などを押さえて逆さまにマットに押し入れた結果、有平君が死亡したものであり、7人の間に共同暴行の意思が形成されていたといえるから、有平君の死に対し、共同不法行為が成立する。よって、元生徒らは、遺族に対し、有平君の死について損害賠償責任がある、とした。

(6)新庄市の責任
新庄市(明倫中学校長)が、マット室にロングマットをロール状に巻いて立てて保管し、無施錠にしていたことは、それ自体で何らかの危険を生じるものではなく、マット室での遊びも常軌を逸しなければ危険ではない。

そしてマット室内に生徒が連れ込まれて暴行されたり、マットに頭から入る遊びがなされていることは、一部の生徒以外には知られてなかったことが認められるから、
本件は通常予測できない異常な事態であるといえ、新庄市に国家賠償法の責任は無い。

明倫中の教諭は当時、部活動に立ち会っていなかったが、部活動は本来生徒の自主性を尊重すべきであるから、何らかの事故の発生する危険性を具体的に予見することができない限り、部活動に立ち会っていなくても過失はない。

明倫中教諭には、部活動中に生徒が暴行(いじめ)を受けないように保護する義務があり、同校を管理する新庄市には、生徒の安全に配慮すべき義務がある。しかし、
有平君が教育活動中に、暴行を受けることを予見できたとは認め難い。したがって、この点でも、明倫中の教諭と新庄市の過失は認められない。

「いじめの延長で事件が起きた」との遺族側の主張に対しては、校内での有平君への一発芸の強要や他生徒への暴行は認めたが、「いじめ死」と断定せず、「事件は予見できなかった」と学校側の責任を否定した。

その後 被告の元生徒側は最高裁に控訴。
参考資料 総力取材「いじめ事件」/毎日新聞社会部編/1995年2月10日毎日新聞社、「うちの子だから危ない」犯罪学博士の教育論/藤本哲也/1994年4月集英社、毎日ムック『戦後50年』/1995年3月毎日新聞社、1994年版「子ども白書」−家族と子どもの権利−/日本子どもを守る会編/草土文化、月刊「子ども論」1996年2号/クレヨンハウス、内藤朝雄氏のホームページ、「少年犯罪と少年法」/後藤弘子編/1997年9月明石書店、1998/7/10朝日新聞、2000/8/12朝日新聞夕刊、「いじめ時代の子どもたちへ」/芹沢俊介・藤井東(はる)/新潮社、「被害者が置き去りに−事実認定に致命的欠陥−」/黒沼克史/2000/9/6新聞(新聞名不明)、2000/10/18読売新聞「少年法を問い直す」/黒沼克史/2000/年7月講談社現代親書、イジメブックス イジメの総合的研究4 「イジメと子どもの人権」/中川 明 編/2000年11月20日信山社2001/9/19朝日新聞2002/3/18朝日新聞、2002/3/19朝日新聞・夕刊、2002/3/19毎日新聞、2002/3/20河北新報ニュース、2002/3/20朝日新聞、1995/8/18河北新報(月刊「子ども論」1995年10月号/クレヨンハウス)、1993/8/29毎日新聞(月刊「子ども論」1993年10月号/クレヨンハウス)、1993/3/19河北新報(月刊「子ども論」1993年5月号/クレヨンハウス)2004/5/29朝日新聞、2004/5/29毎日新聞



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