子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
860701 暴行殺人 2003.6.22 2003.9. 2004.4.18 2004.9.26更新
1986/7/1 東京都小平市の拓殖大学花小金井体育寮で、空手道部の2年生部員13名が1年生部員9名に対して集団リンチ。政経学部の森哲也くん(大1・19)が翌7/2死亡。別の部員Iくん(大1・19)も内蔵破裂の重傷を負った。
経 緯 1986/ 2年生部員13名は、1年生部員9名に対して、2年生に対する態度が悪いなどの理由で、たびたび集合をかけ、説教や注意をしていた。

1986/5/ 頃から、1年生部員に、足蹴りするなどの暴力を加えるようになった。

7/1 午後、2年生部員が1年生部員に、4年生部員の空手道着を洗濯して4年生部員に届けるよう指示していたが、していなかったことに腹を立てて、夜、1年生部員を寮の一室に集合させた。

午後11時20分頃、寮の部屋の隅に1年生部員9名を一列に並べて正座、黙想をさせ、2年生部員13名が対峙して座った。

X(大2・20)とY(大2・19)が説教を始めたが、それに対してCくん(大1)が弁解したことから、Xが激怒。Cくんの腹部に足蹴りを加えた。

それをきっかけに、2年生6人による暴行が始まった。
哲也くんは、XとYを含む4人に腹部、頭部などを足蹴りにされるなどの暴行を受け意識を失い、救急車で市内の病院に運ばれた。頭部、顔面、胸部、四肢当に捻挫、肋骨骨折等の傷害を負っていた。
(哲也くんは9人の丁度まんなかに、Iくんはその隣にいたことから暴行が集中したとみられる)

7/2 午前1時3分頃、哲也くんは外傷性ショックで死亡。
Iくんも内蔵破裂の重傷を負った。
背 景 空手部は昭和5(1930)年に誕生。学生空手界で、最も古い歴史をもつ一つ。全日本大学選手権大会に7回優勝。
1986/5/第22回東日本大学選手権で6回目の優勝。
6/第14回関東学生個人選手権で、主将が初優勝。

部員は約40人。寮には八王子市にある拓殖大学教養課程に通う1、2年生の空手部員24人が生活していた。

空手道部では、伝統的に2年生の部員が、寮生活全般にわたって1年生の部員の指導・監督を行っていた。1年生部員がこの指導・監督に反する行動をとったときには、連帯責任で寮の一室に全員が集められ、正座、黙想、2年生部員による説教のほか、足蹴りされるなど暴力的制裁を受けることがあった。
他の事件 1978/5/3-7 同大の応援団によるシゴキ死亡事件があった
A(大3・20)ら7人が、群馬県赤城山の山荘でおこなった応援団の合宿で、「気合いを入れてやる」と新入生部員(大1)に説教、竹竿や拳で殴り続けた。特にMくんは「動作がのろい」と言われ、190回も殴られ、5/10早朝、全身打撲が原因で死亡。(別冊宝島410 殺人百貨店/宝島社)
学校の対応 応援団シゴキ死亡事件をきっかけに、4年ほど前から寮生活指導委員会がつくられていた。
1986/7/1 同委員会が開かれ、大学本部に呼び集めた寮生ら約180人に生活指導面の注意をしていた。

7/3 大学最高幹部による緊急大学審議会を開いた。
1.かけがえのない命に代えられないが、遺族に対して全力をあげて弔意を表す。
2.空手部を廃部にする。
3.事実関係を調べたのち、退学を含む厳しい処分を行う。
4.二度と不祥事が起こらぬよう対策を検討、実施する。
などを決定。

首謀者を退学処分。
被害者 体格はよかった。
森哲也くんの実家は岐阜県にあり、小学生の頃から岐阜市内の空手道場に一日も欠かさず通い、中学生時代には、ヨーロッパにも遠征した。
岐阜東高校に入ってからも空手の大会でいくつもの優秀な成績を残していた。近所の子どもたちに空手を教えたりもしていた。
父親が1981年に亡くなってからは農業などの家の仕事をよく手伝っていた。

死因は外傷性ショック死。頭部に1カ所打撲があったほか、腹部に3カ所、内出血があった。
謝 罪 大学と加害者の保護者から、被害者と遺族に陳謝と賠償金の支払いがある。
首謀者2人は一審判決後、釈放されるとすぐに遺族のもとに陳謝に赴き、各自10万円ずつ送金した。
学校関係者の処分 大学長に対しては、勧告。
加害者への処分 2年生6人を傷害致死と傷害の容疑で逮捕。刑事裁判。
東京地方裁判所八王子支部にて、2人に懲役2年の実刑判決。被告控訴。

1987/5/28 東京高等裁判所にて、控訴棄却。(確定)
参考資料 「人権侵犯事件例集 改訂版/法務省人権擁護局内人権実務研究会監修/財団法人 人権擁護協会 1998.10.発行、1986/7/2朝日新聞・夕(縮刷版)、1986/7/3朝日新聞(縮刷版)、「やさしく引ける判例総覧 学校教育」/1993.11.20日本アソシエーツ株式会社



ページの先頭にもどる | 子どもに関する事件 1 にもどる | 子どもに関する事件 2 にもどる

Copyright (C) 2000 S.TAKEDA All rights reserved.