子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
860223 いじめ自殺 2001.8.12 2002.9.22更新
1986/2/22 三重県尾鷲市の鷲市立中学校の佐野公保(きみほ)さん(中1・13)が自宅2階の天井の梁(はり)にビニールのひもを通し首を吊り自殺を図る。
父親(53)が見つけて病院に運んだが翌朝(23日)6時15分
に死亡。
遺書・ほか 1986/1/10 学級通信に「いじめについて」という公保さんの作文が掲載されていた。
「最近、いじめ問題が、げんしょうするのではなく、めざましく増加してきました。だけどいじめというのは、どうしても起きてしまうことなのでしょうか。どんないじめでも、ほんのささいなことから、大きないじめに発展することが多いのです。
いじめる側の方は、おもしろくてやっているんでしょうか。私は、そんなことはないと思います。その人たちは、やはり家庭内からいじめの素、学校内にもち運んでくるんじゃないでしょうか。家庭内の不満を、なんも関係ない人たちに、腹いせとしていじめているのではないでしょうか。やはり、いじめをなくすには、いじめの素を消滅させないかぎり、一生続くんじゃないでしょうか。私はとてもかなしいと思います。実際に、いじめられている人が大勢いるのだから、人ごとと考えている人は、絶対にまちがいです。
いじめは、家庭内がもとなら、そのもとはなんでしょうか。それは、家族からのハートが少ないんじゃないでしょうか。私は、その家族からのハートが増えて、
いじめが消滅するのを心から祈っています」
と書いていた。
経 緯 1学期末頃から、同じ学年の女生子徒グループから、いじめられていた。
同級生はみんな「いじめられっ子といえば公保さん」と知っていた。

1985/9 公保さんは2学期には60日の欠席となり、長期間登校拒否状態だった。

2/22 公保さんは朝6時半頃起床。登校時間が近づくと、母親(51)に「気分が悪い」と訴えた。
進級問題などもあって、母親から登校するように厳しく言われたが、君保さんは「もう学校行けへん」と突っ伏していた。
いじめ態様 公保さんは「ゾウリムシ」とあだなをつけられていた。

公保さんが何か言うたび、クラスのボス的存在の女子生徒に「アホ」「キタナイ」など言われていた。登校すると友だちから「汚い」「臭い」「こっちに来るな」などと言われたことがあった。

仲の良い友だちとの交換日記に、「廊下で会うと蹴られたり、靴に画ビョウが入っていた」と書いていた。

1986/2/6 自殺の2週間前に学校近くの市営グランドでの球技大会で、公保さんがグランドの隅で小さな木ぎれに「××家の墓」と書いて立てていたのを同級生が発見。女子生徒約10人でとり囲んで、一人がその木ぎれでももをたたき、もう一人が公保さんのトレパンをももの辺りまでずり下ろした。
担任教師の対応 学級通信でクラスでのいたわりを再三呼びかけたり、公保さん宅に家庭訪問を繰り返したりしていた。公保さんに、登校拒否のカウンセリングを勧めていた。
参考資料 いじめ・自殺・遺書 「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部・編/1995年2月草土文化、「自殺 死に追い込まれる心」/君和田和一・西原由記子/1995年7月京都・法政出版いじめ問題ハンドブック 分析・資料・年表/高徳 忍/1999.2.10つげ書房新社



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