子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
850900 いじめ
不登校
2005.6.新規
1985/09/ 東京都羽村町の町立羽村一中学校で、男子生徒Iくん(中3・14)が、同級生のつっぱりグループからの度重なるいじめで、自律神経失調症になり、3年の後半から卒業するまで登校拒否。
経 緯 1984/ 2年生のときからIくんは、同級生のつっぱりグループの副番長格のMやA、仲間の4、5人から、授業中にイスで殴られたりするなどのいじめを受けていた。

1985/ Iくんは生徒会副会長に当選し、風紀担当になった。Iくんが中心になって、生徒会で服装検査や持ち物検査をはじめた。

MやAらのつっぱりグループから、「小さい(Iくんは背が高くなかった)くせに生意気だ。それで学校の仕事なんかすんじゃねぇ」と言われ、いじめがエスカレート。

休み時間に廊下で、多くの生徒たちが見ているなかで、MやAら6、7人が、アーミーナイフのハサミで「髪の毛を切ってやる」といって追いかけ、Iくんをトイレに押し込んで、殴るけるの暴行を加えた。ハサミをナイフに変えて、「お前を殺してやる」と言ってナイフで切りつけた。
Iくんはナイフを押さえようとして、手が切れ、首にも切り傷がついた。
その後、トイレの外に押し出され、さらに殴るけるの暴行を加えられ、Iくんは身動きできず、廊下にうずくまっていた。【ナイフ事件】

Iくんが担任教師に事件を告げたことで、「チクッた」として、ますますいじめがひどくなる。

職員室の教頭の机の前で、教頭と生徒会担当の教師と生徒会のことで打ち合わせをしていた時、Iくんは、後ろからいきなりつっぱりグループのメンバーから思いっ切り跳びげりをされた。Iくんは机にドーンとぶつかった。

9/ 夏休み明けに、Iくんは階段から突き落とされそうになった。
帰りに待ち伏せされるのが怖くて、校門のフェンスを乗り越えて帰宅。

Iくんは、つっぱりグループの一員から睨まれて、足がすくみ、一歩も動けない状態になった。
翌日、「このままじゃ殺されちゃう!」と泣き叫び、登校しなくなった。

学校が、「学校全体の取り組み」をしないまま、Iくんは卒業式にも出席できず、不登校のまま卒業。高校に進学。
いじめ態様 ささいなことを理由に、殴るける。口のなかにカミソリの刃を入れる。授業中、消しゴムや教科書を投げつける。Iくんの教科書を破り捨てて焼却炉に捨てる。学生服をプールに投げ込む。
被害者 一日中部屋のすみにうずくまって、食事もとらなくなった。
医師に「自律神経失調症」と診断される。
被害者の親の対応・ほか Iくんが学校に行けない状態になって、母親は勤めをやめた。
両親で、児童相談所に相談に行ったり、都の教育相談に行った。
学校には、いじめをなくして、安心して登校できる体勢をつくってほしいと申し出た。
教師の対応 ナイフ事件では3人の教師が通りかかった。
最初の2人は、声もかけてくれない。顔も見ないで通り過ぎていった。
3人目の教師が、Iくんを生徒を指導する部屋に連れていったが、その教師はIくんに、「生徒会の役員がつっぱりグループと問題を起こすとは何ごとだ」と叱りつけ、担任が来るまで約10分間、正座を命じた。

Iくんは若い女性の担任教師に一部始終を話し、帰宅後に事件を聞いた両親も学校に来て、対処を申し出たが、担任教師は、MやAに口頭で軽く注意しただけだった。
Iくんがチクッたとして、いじめはますますエスカレートしたが、担任教師はIくんに、「休み時間は職員室の近くにいなさい」と言うだけだった。

教頭と生徒会担当教師の前で、Iくんはいきなり、飛び膝げりをされたが、教師らは何も言わなかった。

Iくんの両親からの訴えに、学校側は形式的なアンケートを実施。いじめはないと判断。
職員室でも討議されることはなかった。
加害生徒たちに、担任が事情をきくが、いじめはやっていないと言われ、これ以上指導はできないとする。
背 景 同校は、Iくんが入学する前から荒れていた。つっぱりグループが対立抗争を繰り返していた。
生徒による教師への暴行事件や、校内外での暴力事件もひんぱんに起きていた。
校舎のあちこちの壁板やガラスが割られ、喫煙や服装の乱れもあった。
他の被害者 校内で、いじめが横行していた。
つっぱりグループから、雑巾を口につっこまれ、それ以来、使い走りをさせられた生徒。
蚕のさなぎを食べさせられた生徒。
黒板消しで頭を真っ白にされ、集団でスカートめくり(茶巾しぼり)をされた生徒。
などがいた。
裁 判 1986/ 学校設置者である羽村町を相手に民事訴訟を起こす。

いじめから登校拒否となり、希望する高校への進学もできず、経済的、精神的な損害を受けたとして、治療費・慰謝料など694万円の損害賠償請求。
原告側の言い分 Iくんは、自分自身は卒業してしまったが、このままではいじめはなくならない。あとにつづく被害者を出さないためにもと決意して裁判を起こした。
被告側の言い分 学校側は「登校拒否は、Iくんの怠学」と主張し、最後まで、いじめによるものだとはみとめなかった。
裁判での証言 担任教師は、MやAについて、「部活に熱心な生徒」「好感がもてた」と証言。一方、Iくんについては「仲間にとけ込めない」「暗い感じを受けた」などと、いじめられたIくんに問題があったかのような証言をした。

また、「Iくんと両親からいじめの訴えはなかった」と証言。学校側は、「
裁判結果 1991/9/26 東京地裁八王子支部で棄却(確定)。

いじめの部分的個別事実認定。いじめが登校拒否の一因と認定。
一方で、「このようないじめにあったらほとんどすべての者が登校拒否するであろうような、特にはげしいものではなかった」と認定。

また、「現実に学校教育における限界を考慮する必要がある」「いじめに対していかなる措置をどのような方法でとるか、とらないかの判断は、教育現場の専門的な裁量権にゆだねられている」として、いじめ対策措置の時期・内容は学校側の裁量であり、学校側の過失なしとした
「被告の町側には安全配慮義務違反はなかった」として、棄却。
その後 Iくんは、裁判をしている最中に高校を中退。アルバイトをしながら自活。フリーのカメラマンになる。
参考資料 1991/9/26産経新聞・夕(月刊「子ども論」1991年11月) 1.判時1182号(いじめ裁判/季刊教育法・臨時増刊号2000年9月/エイデル研究所)、「イジメと子どもの人権」/中川明編/信山社、「子ども白書」1999年版/日本子どもを守る会/草土文化、「事件に見る 親と子の余白」/弁護士・杉井静子著/新日本出版



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