子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
841203 抗議自殺 2001.1.30 2001.3.20更新
1984/12/3 長野県北安曇郡松川中学の尾山奈々さん(中3・15)が、期末テストの朝、自宅物置の中で制服のまま首吊り自殺。
遺 書 1  3年C組のみなさんへ

 期末テストはどうでしたか。まあ私は期末テストを受けなくてすんだのですが、別にテストがいやだからこうしたわけではありません。勉強についてはほとんど悩みをもっていない人でした。成績低下という事実もありましたが、本当に勉強していない私にはそれは理由にならなかったのです。高校受験についても「どこでもいい」という安易な考え方でした。とにかく勉強のことではありません。

 ところで、私がしたことについて、「どんなことがあってもそうしてはいけない」「それは現実から逃避している。つらいことがあっても逃げてはいけないけといった意見がでると思いますが、それはきっとそうなのでしょう。そのような人が私はうらやましい。しかし、私もいつかはそうだったのです。そのような考え方の人は私のような不幸な考え方にならないで下さい。

 しかし、私の最後のお願いですが、
直接の原因だけで勝手に推測して、自分の考え方のみで「たいしたことないのに」と判断を下すのだけはやめてください。感じ方、考え方は人によって違うのです。私はたとえようがない程、苦しく、悲しかったです。

 
ところで、このような時期に動揺させてしまって、非常に申し訳ありません。しばらく授業にくる先生が人生についてとか、道徳的なことを言うかもしれません。まあ、私はえらそうなことをいう先生がとてもきらいでしたが。

 先生といえば、私の有様を見て、A教諭が「ざまあみろ」とか思ったりしたら、くやしいです。いや、あの教師だったら、生徒の前で口に出して言うかもしれません。まったく心残りだ。
 わき道にそれましたが、本当にすみません。これを言いたくてこの手紙を書いたのでした。
 上履きについている茶色の物質はココアなので安心して焼却して下さい。生活記録には多少他人の文がまじっています。私の文はほとんどあほらしいのですが、たまに真意が書いてあると思います。たぶんわかりにくいので、考え込んで下さい。机の中にありますが、ゴミ箱行きはきらいだそうです。ハデだし。
 ぞうきん、出さなくてすみませんでした。毛糸はぞうきんに向かなかったようです。
数学係は早苗さん一人では大変なので決めておいてください。掲示係はほとんど仕事をしなかったので、いいと思います。選択がついに4人になりましたが冬をのりきってください。

 もし、花を飾って下さるのなら、あの席はだめです。
 クラス全員を暖めなければならないストーブの熱で、しおれてしまうかもしれません。

 それでは、みなさん、さようなら。
                                                  おわり。
                           松川中学校 3年C組 34番 尾山奈々より。
遺 書 2  今日は期末テストですが、このたびの私の行動には、全然関係ありません。短絡的思考の方、残念でした。ときたま今日実行してしまっただけです。
 
 11月の少し前から考えていたから、1か月以上も考えていたことになりますが、ひきとめてくれる事物もありました。しかし、
ご丁寧にも背中を押してくださるものもあって、決意を固くすることができました。率先して押して下さったのは学校です。だれにも計画は話していませんでしたが。

 私が生死を安易に考えていると思うかもしれませんが、
惰性で生きているのはいやなのです。人が考える不幸は、私にとって幸福に思えたのです。毎日が冷たく悲しかった。
 
もうすぐ苦しみから解放されるということだけが楽しみでした。
 
原因はそうだと思われる場所でさがして下さい。推測による原因は、すべてではありません。しかし、限られた言葉では真意を書き表せません。直接的にものは、きっかけでしかありません。

 『17歳の遺書』もよみましたが、あの本には別に、影響されていません。
抗議文 (奈々さんが学校の机の中に入れていた)抗議文

手紙といっても殆ど抗議文なのでまるでI先生に渡した手紙のようだと本人が思っている文を読むはめになってしまった人へ (我ながら長すぎるのであきれている)

私が中学生をやっていて という感想文を書くとしたら 教師には不信感しか持つことができなかったということを書くでしょう。
教師なんて信用できません!あの人達が教えてくれるのはテストの点のとりかたや本音と建前の使い分けくらいです。そのあまりにも大きい生徒への影響力を考えずに行動することも良くあります。

持っているものは人をはかるための巨大なものさし。そしてそれは どんなに古くなっても 人に何を言われようと決して変えません。
そして、生徒が私のようなアホばっかりなので自分が偉いと思い込んでしまっているのです。そのような人々に評価され、一生にもかかわるなんて とても 悲しい。

私は学校教育に 大いに不満です。授業も まともに受けられない者が何を言うんだ、と言われるかもしれませんが。
みんなは慣れすぎてしまっています。私は気が狂いそうです。脳をダイナマイトでふっとばしてしまいたいのです。残り少ない思考力で 私にできる最も効果的な方法を考えています。期待していてください。

 
では さようなら       −END−
 もう これっきりで おわりです。
学校なんて 大きらい みんなで命を削るから
先生はもっときらい 弱った心を踏みつけるから
」と書いていた。
その他 I教師にあてて、奈々さんが書いた抗議文があったが、「本人(I先生)が燃やしてしまったのでない」とした。内容としては、「あんな子でいいんです。これは、死んでも直らないから、もう待たなくていいです。私の悪口を他人に言ったことは絶対に許せません。途中からクラブの方針を変えてくれたけれど、その後もサボったのは、クラブを続けたら先生のいう通りにやってしまいそうだから、どうしてもできなかったのです」と書いていたという。

教師に提出する「生活記録」には、学校や社会への批判や思春期の揺れる思いが綴られていた。
学校・ほかの対応 「3年C組ののみなさんへ」と書かれた遺書は、生徒への衝撃が大きいとして、クラスの生徒たちに見せずに、その日のうちに両親に返却。

学校は、警察署を通じて、報道機関などに情報を流さないよう要請。校長は、「学校としては、奈々さんの死因について思い当たることはない。ただ、奈々さんはいくらか不良っぽいところがあったので、
深く詮索することは死者をムチ打つことにもなりかねないのではないか」と、両親に告げた。
作 文 12/4 クラスの生徒たちに作文を書かせる。原因と思われることは何も出てこなかったと担任が遺族に報告。ただし、作文は遺族には渡されなかった。
調査・ほか 両親が焼香にやってきた同級生から話をきく。

奈々さんは「英語クラブ」で部長をやっていた。最初は顧問のI女性教師仲がよかった。
奈々さんが「クラブが面白くないんで変えたいんですけれど」と言いに行ったら、「計画に入っていないからダメだ」と言われ、その時からミゾができたようだった。

奈々さんがクラブに出てこないため、I教師が理由を尋ねた。「面白い計画が立てられないから」と奈々さんが伝言すると、「それなら面白いように計画を立て直せばいいじゃないか」と言われ、「自分に言ったのとずいぶん違う!」と奈々さんは怒りだし、対立が深まっていった。

I教師は英語クラブの活動を1年生の基礎からやり直す「授業」のような形でやろうとしていた。
一方、奈々さんはクラブはクラブで、授業とは同じ形にしないでほしいと考えていた。I先生はあくまでも方針を変えず、議論は口論にもなり、奈々さんは次第に反抗的態度を示すようになっていた。

I教師との対立から、奈々さんはI教師を避けるため、教室の窓から逃げようとしたり、その奈々さんを追って、I教師がスカートを引っ張ったり、教室でI教師が奈々さんの腕を掴んで争ったりしていた姿を生徒が見かけた。

I教師は、他の生徒がいる前で、「あの子は前はあんな子じゃなかった。どうしてあんな子になってしまったんだろう。前のように良い子になるまで待つわ」と言った。

奈々さんは授業を2時間ずつ、2日続けてさぼり、学校放送で名前を呼びだされ、職員室で説教を受けた。一度などは、学校を抜け出して帰宅してしまった。

奈々さんは、英語クラブでの一部始終をストーリーにして、友人にマンガを書いてもらって、「SICKLE TEA」(担任がカマキリに似ていることから「カマチャ」というあだ名になり、「カマ」と「茶」をつなげた奈々さん流の造語)という題名の小さなマンガ本にしていた。表紙に「かわいそうな少女の物語です」とあって、「注意」として、「この少女は先生の考え方ややり方が不満でした。ただつまらなくてさぼってしまったのではありません。もし、私がクラブに出ていたら、先生の思い通りにクラブがなっていたでしょう。一種の抗議でした。それに気付かない先生はバカです」と書かれていた。

9月に入ってたびたび、「死」を口にだしていたが、友人たちは冗談だと受け止めていた。

死ぬ一週間前から、授業中まるっきりノートをとっていなかった。

12/1 奈々さんは学校や教師を激しく批判する抗議文と、I教師あての抗議の手紙を書いて学校の机の中にいれていた。
経 緯 奈々さんはまじめな生徒だった。そのまじめさを「損だ」と思っていた。学校の成績はよかった。中学校でもクラスでトップ、学年でもトップクラスだった。しかし「頭がいい」と言われることに違和感を持っていた。小学校の高学年の時、「よい子ぶっている」「天才ぶっている」としていじめられたことがあった。

2年生の3学期になってから、赤い靴下をはいてきたり、髪に軽くウェーブをかけたり、友人のスカートを借りて長いスカートをはいているように見せかけたりするようになった。

2年、3年と「風邪をひきたい」「休みたい」を連発するようになる。わざとぬれた服を着て寝たり、窓を開けたまま寝たりしたことがあった。

最初、家族は、奈々さんの手紙を読んで、家出をしたと思った。同級生らから話を聞くまで、自殺の原因にまったく心当たりがなかった。(奈々さんは成績優秀だったため、試験が原因とは考えられなかった)

遺族が事実を知って、奈々さんの死から2ヶ月後、報道機関に手紙を書く。
4/28 朝日新聞が大きく報道し、事件が明るみになる。
学校・ほかの対応 2/8 教育委員会を通して、遺族は学校に「I教師との衝突」ついて真偽を確かめた。結果、事実をほぼ認めたものの校長は、「奈々さんの死とは結びつかない」「良い生徒にするための普通の指導をしてきただけ」「学校には責任はない」と回答。

取材に来た新聞記者に対して校長が、「尾山奈々という子はこんな文書を書く子だ」と言って、「抗議文」を渡す。一方、両親には、
奈々さんがI教師にあてて書いた抗議の手紙は、「本人(I教師)が焼いてしまったのでない」と答えていたため、遺族は5ヶ月間、このような文章が学校にあることを知らずにいた。このことをライターに尋ねられて校長は、「学校にあったものだから、どうしようといいだろう」と答えた。抗議文についても、「あんな文を書くというのは、生徒の領分をはきちがえていると思うね。不愉快だよ」と言った。

学校は、テレビの取材班に、やや投げやりに答えたテストの答案を見せていた。
例) 科学変化の前後で、物質の性質が変わるのは【友情】の結びつきが変わるためである。
   水素など気体は原子がむすびついた【夫婦】からできている。  など。
その後 両親が、奈々さんの遺稿を『花をかざってくださるのなら』にまとめる。
参考資料 「花を飾ってくださるのなら」 奈々十五歳の遺書 /尾山奈々著 保坂展人 編/1986年3月講談社、「愛しき娘よ」13歳の遺稿と母親の手記/吉野和子/1992年9月母と子社



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