子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
760512 体罰死 2000.9.10. 2001.2.17 2001.5.25 2001.9.20 2002.11.17 2003.2.30 2005.7.更新
1976/5/12 茨城県水戸市第五中学校の体育館で、体力診断テスト実施中、補助要員として動員されていた佐藤浩くん(中2・13)が、体前屈テスト担当の女性教師K(45)から叱責され、平手と手拳で頭部を数回殴打された。8日後(5/20)、原因不明の脳内出血により死亡。
経 緯 体育館で、体力診断テスト実施中、生徒会・中央委員でもあり、補助要員として浩くんは動員されていた。

浩くんは「なんだK(女性教師)と一緒か」と体前屈テスト担当のK教師を侮蔑する言葉をつぶやき、ずっこけの動作をした。(K教師の弁。ただし、至近距離にいた生徒は誰も聞いていないという。)
K教師は「言っていいことと悪いことがある」と叱責し、平手で1回、右手拳で頭部を数回殴打した。

浩くんは数日後、身体に変調をきたし、8日後(5/20)、原因不明の脳内出血により死亡。
左頭部に皮下出血(こぶ)が認められた。
学校・ほかの対応 学校から親への体罰告知はなかった。
葬儀に際して、学校は遺族に「土葬か火葬か」と聞いた。
生徒たちに、通夜への出席を禁止していた。
火葬後25日して、家族が体罰事件を級友から知らされた時には、遺体は火葬されており、解剖もなかった。
加害教師 K教師は浩くんが1年生のときに国語の担任をし、親しみをもっていた。
K教師は他の生徒に対しても体罰を行っていた。

1986/3/ 退職。
背 景 水戸五中では教師による体罰が横行していた。
警察の対応 水戸地検は、教師の行為と死亡との因果関係は不明としながらも、K教師を暴行罪で起訴。
刑事裁判
(一審)
1977/5/ 略式起訴の略式命令罰金5万円。
1977/6/ K教師は、判決を不服として、正式裁判申し立て。

水戸地裁で、現場を目撃した4人の生徒は、「(K教師は)こぶしで頭頂部付近を強くたたいた」と証言。

1980/1/16 一審の水戸地裁で、生徒らの証言を採用し、「私憤による暴行」「学校教育法で禁止された体罰にあたる」として違法性を認定。暴行罪で罰金3万円の判決。K教師控訴。
刑事裁判
(二審) 
1981/4/1 東京高裁の二審で、「正当行為」により逆転無罪。

「400名前後の生徒と十数名の教師の面前、いわば衆人環視の中でなされたにもかかわらず、大多数の者は気づかず、また話題になった形跡もない。生徒はおとなしく叱られていたし、Kも感情を高ぶらせて激しい行動に出る状況ではなかった。
言葉で注意しながら、生徒の前額部付近を平手で一回押すようにたたいた他、右手の拳を軽く握り、その拳を振り下ろして生徒の頭部をこつこつ数回たたいたのであり、原判決のいうように、強く殴打したと認定するには疑問が残る。
」と認定。
数メートル離れた場所にいて、目撃はしていない同僚教師の「気合いをかけている程度」という証言を採用し、目撃した生徒たちの証言は「誇張」だとして退けた。

「女性教諭の行為は『軽くこつこつとたたいた』にすぎず、私憤によるものではない」として、生徒を懲戒するにあたり、「平手及び軽く握った右手の拳で同人の頭部を数回軽くたたいた」ような場合、「外形的には・・・身体に対する有形力の行使ではあるけれども、学校教育法11条同法施行規則13条により教師に認められた正当な懲戒権の行使として許容された限度内の行為」である。として、教師の“愛のムチ”は「適法な懲戒」と認定
教師としての節度をいちじるしく逸脱したものとは認められない。かりに、それが見ず知らず、他人に対してなされた場合には、有形力の不法な行使として暴行罪(刑法208条)が成立する。

更に高裁は、「懲戒の手段方法」を口頭による説諭を原則としながらも、「単なる身体的接触(スキンシップ)よりもやや強度の外的刺激(有形力の行使)を生徒の身体に与えること」には、
教育上肝要な注意喚起行為ないしは覚醒行為としての効果があるから、「有形力の行使と認められる外形をもった行為は学校教育上の懲戒行為としては一切許容されないとすることは、本来学校教育法の予想するところではない」として、違法ではないと判断。

生徒は、8日後の5月20日に脳内出血で死亡しているが、
死亡と本件行為との間に因果関係はない。当時、浩くんは風疹にかかっていた。

判決確定。
民事訴訟 1979/11/10 遺族が懲戒行為と生徒の死亡との因果関係の有無を争点として、K教師と水戸市を相手どって約4900万円の損害賠償請求を求めて提訴。

1982/12/15 「暴行と死亡の因果関係は立証できない」として、遺族の請求棄却判決
裁判での証言 検察官の「どの程度の行為ならば体罰に当たるとお思いですか」の質問に、K教師は、「教育的価値が前面にあり、必要性があるのであるならば多少の苦痛を伴うものであっても体罰に当たらないと思います」と答えた。

法廷では、守秘義務のある指導要録が持ち出されたり、「オッチョコチョイの点もある生徒である」などと言われ、裁判のなかで亡くなった浩くんの名誉が傷つけられた。
判決の影響 東京高裁が、外形上は体罰のように見えても、その内容、程度からして体罰とは言えない場合があることを認めたことで、「体罰」の概念があいまいなものとなった。

また、「単なるスキンシップよりもやや強度の外的刺激」に積極的な教育的意義を認めたことは、体罰が横行している学校現場を力づけることとなった。

この「判例」は以降、「体罰」が問題とされた場合の学校・教師側が自らを正当化する論拠として引用されることとなった。
関 連
体罰批判裁判 
K教師は、
1984/10 高裁の無罪判決に疑問を抱き、生徒の遺族からも話を聞き、事件のあり様や判決を批判した作家・竹原素子氏に金300万円と謝罪広告を求めて、名誉毀損の民事訴訟を提訴。

竹原さんが高裁判決の感想を地元紙に寄稿した文章なかで、「絶対に『愛のムチ』ではない。この一瞬に教育はなかった」「ささいなことに教師の特権とばかり『愛のムチ』を乱用されることは、絶対に許せない」などの記述について、K教師は「あたかも感情だけに支配されて生徒に殴打を加えたかのような虚偽の事実を掲載された」と主張。

1989/10/27 水戸地裁で、小野聡子裁判長は、「体罰問題の現状を明らかにし教育のあるべき姿について意見を表明することは、教育活動、社会の発展に寄与するものであり、本件記述の大半は原告の名誉を毀損するものの、公共の利害に関する事項で公益を図る目的がある上、その内容を真実と信じる相当の理由が被告側にはあった」と不法行為を認めず、原告の請求を棄却。
K教師の「確定判決以外は真実ではない」との主張を退けた。

1984/12 同じく、研究者・今橋盛勝氏に対して100万円と謝罪広告を求めて、名誉毀損の民事訴訟を提訴。
棄却。
その後 高裁判決の約一週間後に、水戸で「子どもの人権を守る父母の会」発足。
参考資料 『教師の体罰と子どもの人権−現場からの報告−』/「子どもの人権と体罰」研究会編/1986年9月学陽書房、『体罰と子どもの人権』/村上義雄・中川明・保坂展人 編/1986年11月有斐閣人権ライブラリー『新 書かれる立場 書く立場』 読売新聞の[報道と人権]/1995年4月読売新聞社「学校教育と体罰−日本と米・英の体罰判例−」/杉田荘治/1983.4.15有斐閣、「学校の中の事件と犯罪 1945−1985/柿沼昌芳・永野恒雄編著/2002.11.25批評社」、1989/10/28信濃毎日(月刊「子ども」1989年12月号)



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