子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の被害を告発したその勇気をたたえます。そして、二度と同じ悲劇を繰り返さないために、事例としてここに掲げました。
被害者がこれ以上、傷つことがないよう留意を願います。
S.TAKEDA
000314 恐喝事件 2001.3.12 2001.4.9更新
2000/3/14 愛知県名古屋市緑区の市立扇台中学を今春卒業した少年Kくん(15)が、元同級生らのグループに計5400万円を脅し取られたとして、愛知県警に被害届を提出。
経 緯 1998/ 2年生の夏、同級生のAとBが、「火の粉が飛んだ」と言って、花火をしていた10人余りの同級生たちを片端から殴っているところを、偶然通りかかったKくんが目撃し、恐怖感を持った。Aに「5千円貸してくれ」と言われ、恐怖心から、すぐに差し出した。その後、Aたち3人が「泊めてくれ」と自宅を訪ねたときも拒否できなかった。

1999/ 3年生になると加害少年グループは、よくKくんの自宅に来て、賭マージャンをした。いかさまマージャンをして、Kくんをカモにしていた。

1999/6/1〜3 車山高原への修学旅行で、帽子にジュースの染みをつけたと言いがかりをつけ、クリーニング代を巻き上げた。

6/21 Kくんの預金額を知ったAが、マージャンで負けたツケを払うように因縁を付けて、ほぼ全額の19万円を2回にわたっておろさせ脅し取った。金融機関からの問い合わせで、母親が預金の引き出しに気付く。また、家にあった約50万円の金がなくなっていることにも気付く。Kくんは、ゲームに負けたり、自分が汚した帽子のクリーニング代など、支払うにはやむを得ない理由があることを母親に訴えた。

7/1 預金の引き出しに気付いた母親が学校と警察に相談。しかし、被害少年は口を閉ざしていたため恐喝の事実は明らかにならなかった。
緑署に相談した夜、この日、Kくん宅に何度電話をしても不在であることを不審に思って自宅を見張っていたAらが、帰宅したKくんを問いつめ、学校と警察に行ったことがわかると、殴る蹴るの集団暴行を加えた。流れの速い用水に落とされそうになり、Kくんは殺される恐怖を感じる
以降、母親がどんなに説得しても、恐喝の事実を打ち明けようとはしなくなった。

8/  いかさまマージャンで10万円を恐喝。

10/ 恐喝・暴行がますますエスカレート。「簡単に金を脅し取れるヤツがいる」と市内の不良たちの間で口コミで噂になり、顔も知らないほかの中学校の生徒たちも、恐喝グループに加わるようになる。

10/15 土木作業員の先輩が、下校途中のKくんに、「金をよこせ。5万円ほしい」と要求。バイクの後ろに乗せてKくんの自宅まで行き、家から現金5万円を持ち出させて脅し取った。

10/28 リーダーらが手切れ金の名目で、500万円を恐喝。

2000/1/20 リーダーらが400万円を恐喝。

1/21 Kくんは専門学校の面接が近づいていたため、面接前に顔を殴られないよう、家から出ないようにしていた。しかし、リーダーらは、自宅まで押し掛けて連れ出し、暴行を加える。鼻骨骨折で9日間入院。専門学校の面接を受けられなくなる。

1/27 同級生の準リーダーが見舞いを装い、入院中の少年から、最後に支払うことになっていた1700万円のうち500万円分を恐喝。退院の2日前、これが最後と信じて、母親がグループに500万円を届ける。

2/9 先輩2人が120万円を恐喝

2/14 暴力団関係者の兄弟(17.19)がリーダーのAから80万円を恐喝(二重恐喝)。Aは包丁を突きつけられて350万円を要求され、コンビニ強盗まで計画。

スキー旅行に行く2日前、加害少年A宅で、Kくんの顔が腫れあがっているのを見たAの母親が、「どうしたの。うちの子にやられたの」と声を掛けたが、Kくんは、「ぼくがケンカをしていたら、A君たちが来て助けてくれた」と答えていた。Aもまた、家族の問いつめに「やっていない」と嘘をつき通した。

2/半ば 少年グループは卒業旅行と称してKくんを 長野・白馬方面に3泊4日のスキー旅行に誘う。グループは、大型の車とタクシーに分乗してKくんを自宅まで迎えに来た。Kくんは、後続のタクシーに乗り、見送る母親にピースサインをしてみせた。しかし、Kくんは旅行中、荷物持ちをさせたり、タバコの火を胸に押しつけなどの暴行を受け、新たに550万円を要求された。

2/15 旅行から帰った日の深夜、リーダーらが、Kくんを後ろ手に縛り、粘着テープで全身をぐるぐる巻きにして棒で殴る、蹴るなど集団暴行。肋骨骨折で20日間の怪我。2度目の入院。
入院中、グループの少年が病院に来て、屋上にKくんを連れ出しているのを発見した患者ら3人が、怒鳴って彼らを追い返し助けてくれる。これをきっかけに、Kくんは被害の事実を話す。男性らは少年と母親に警察に被害届けを出すことを勧める。

3/5の退院後、少年の自宅に「貸した金を返せ」と電話がかかってきて、少年は母親に1000万円出してくれるよう、頼んでいた。

3/5 警察に被害届けを出しても「金の貸し借りだった」と言い訳されないよう、入院仲間が被害少年と母親を伴い、加害者の家を訪問。日付と金額、加害少年の名前を書いたリストを前に恐喝の事実を告げられ、Aは両親の前で恐喝の事実を認める。

3/14 少年が愛知県警に被害届を提出。事件発覚。
被 害 「シロブタ」「ハゲ」などと無理矢理悪口を言わせ、ケンカをしかけさせる。パチンコ台を確保するために並ばせる。携帯で呼びだして、ストレス解消に暴行。賭マージャンを強要し、被害少年が席を立った隙にパイを動かした。「とことん殴れば、記憶が飛ぶ」と言って殴った。タバコの火を押しつけられたり、背中に火傷を負わされていた。脅し取られた金以外にも、加害少年グループは1000万円を要求していた。
被害者 被害少年が中学校に入学した年のゴールデンウィークに、父親が運河で溺死。3000万円の生命保険金がおりた。加害者たちは、被害者を「グッチ金融」というあだ名で呼んでいた。

Kくんは、金の支払期限が近づくと、泣きわめいたり、殴りかかったりして暴れたため、母親には手に負えなかった。またKくんは、「大きくなったら働いて返すから、お願いだから貸してほしい」と、15万円を毎月千円ずつ13年かけて返すなど、具体的な返済方法まで示して、母親に哀願した。

明らかに殴られて帰ってきても、Kくんは母親に「自転車で転んだ」などと言い訳をしていた。
Kくんが殴られて顔をパンパンに腫らして帰ってくるのを見て母親は、「お金を渡しているのにこんな目に遭わせられるのでは、渡さなければ何をされるかわからない」と怖くなり、手を着けずにいた夫の死亡保険金3000万円を取り崩して、言いなりに渡し続けた。

母親がおろした預金が3700万円。少年の祖父など親族からの借金が1700万円。
学校・ほかの対応 1999/6 修学旅行の頃から、学校側は少年の異変に気付いたが、踏み込んだ指導ができなかった。

7/1 Kくんに遅刻や欠席が増え始めたことから担任教師が自宅に電話をいれる。息子が恐喝にあっていると気付いた母親が、Kくんを伴って学校に相談に行く。担任教師、学年主任、指導主任等が話を聞くが、Kくんは「お金は全部、自分で使いました」と答えていた。また、Kくんは、教師に対して「怖い」と漏らしていた。教師たちは、警察に届けるよう指導。教師の1人が事前に緑署に赴いて、「口が重い子なので、うまく聞き出してください」と依頼していた。
その後、担任教師はKくんの家庭訪問を続けたが、母親から「息子が暴れるので来ないでほしい」と言われた。

一方で、学校はAら3年生グループがKくんから金を脅し取ったのではないかと疑い、疑いを持った少年と親を学校に次々と呼びだした。学校側は、Aの関与については「まだ、はっきりしない」としながらも、「これだけ息子さんは怖がられているのだから、学校に来ないでほしい」という趣旨のことをAの両親に言う。

10/29 中学校南校舎2階の女子トイレで、洗面台の下に現金16万円入りの封筒があるのを女子生徒(中2)が見つけ、教師に届けた。封筒は地元農協のもので、表側の右上隅にポールペンのようなもので、「100万円」と横書きされていた。
11/9 同中学校は愛知県警緑署に届けた。

1998/4から2000/2の逮捕直前まで、扇台中学校では、Aを中心としたグループの問題行動をA4判のワープロ文書で6枚にわたり、詳細に記録していた。内容は全部で134件にも及んだ。
1999/6 修学旅行時の記録には、「立食パーティ中、『帽子にジュースをこぼしたのはおまえだ』と威嚇し、(被害者の少年を)数名でつけ回す」などの記述もあった。ほかに、同級生に暴行を加え草を食べさせた、自転車に乗りながら通学途中の小学生の女子児童の腹を蹴った、バイクの無免許運転、喫煙、万引き、ファミコンソフトや弁当などの万引きの強要、パチンコ、電話で呼び出し暴行を加えるなどの行為も把握していた。

加害少年たちは学校に来ることはほとんどなかったが、来ても保健室に直行することが多かった。校内を歩く場合には、必ず教師が張り付いて、1人で行動させないようにしていた。また、学校は他校とも連絡を取り合って、行動の把握に務めていた。学校側は問題行動を見つけるたびに、保護者に連絡をとり、愛知県警緑署にも定期的に報告をしていた。

2000/4/6 緊急の保護者会を開き、学校側は「残念です」「申し訳ない」と謝罪。

6/13 名古屋市教育委員会は、前校長と教頭を含めた同校教師4人と教育長ら市教委事務局幹部4人を懲戒処分などにした。
警察・ほかの対応 逮捕された3少年らが容疑者として関わったとされる事件が、(逮捕後)愛知県警が認知しただけで6件あり、内3件が捜査未了で名古屋地検に送検されていなかった。未処理の3件はいずれも被害届けが出されていた。中署でも3件あった。3少年以外の未成年がかかわったものもある。

1999/6/21 別の同級生(15)が、下校途中の路上で、逮捕された3少年のうち1人から、「ぼこぼこにするぞ」と脅され、財布から現金2000円を抜き取られた。同日夜、愛知県警緑署に被害届けを出した。同署は、被害者や加害少年の調書を取り、現場も確認。加害少年は容疑を認めたが、同署は共犯者を捜査せず、事件を立件しないまま書類送検しないで放置していた。被害少年の家族がその後、秋頃、2度にわたって、電話で捜査状況を聞いた結果、「やっております」と回答。学校側も電話で問い合わせたほか、7月の終業式の日と、2学期開始直前にも、教師が同署を訪れ、捜査を進めるよう要望していた。しかし、事件は処理されなかった。

他にも、1998年10月中旬に起きた傷害事件と、1998年11月初旬に中学校内で3回にわたって起きた暴行、傷害事件があった。いずれも同級生が被害を受けており、発生直後に緑署に届けていた。同署は加害少年たちから事情を聴くなどの捜査をしたが、「被害者との供述が食い違い、目撃者もいない」などの理由で捜査が難航。補充捜査をしないまま、1年以上も放置され、処理されていなかった。同署が立件できたのは、自転車の盗難2件とバイクの窃盗1件のみ。

1999/7/1 少年と母親が愛知県警に、「息子が勝手に預金をおろした。同級生からいじめられているようだ」と2時間にわたって相談。しかし、Kくんは3人の実名をあげながらも、「お金は自分で使った」「お金は貸したもの」と言い張ったため、警察は母親に「金の貸し借りでは事件にならない」「目撃者がいなければ怪我でもしないと事件にはならない」と説明。少年から恐喝の事実は聞き出せなかった。

半月後、母親は1人で児童相談所を訪問し、相談する。しかし、本人を連れてこなければ話にならないと言われる。
警察署員の処分 緑署の生活安全課課長と少年係長を本部長訓戒、前少年係専門官が署長訓戒。署長と前署長は監督責任を問われ、本部長注意。

「処分が甘いのではないか」という報道陣の問いに対して、首席監察官は、「緑署の対応に、法律上の懲戒に問えるような違法行為はなかった。ただ、不十分な点があり、訓戒や注意処分が妥当と判断した」と説明。職務怠慢ではなかったとした
背 景 地域の年上の不良が年少者に恐喝や暴行をするのが常態化。同中学校はかつては進学校として名高かったが、この頃は荒れており、生徒同士の恐喝や金銭トラブルが頻発していた。

1999/10/30 4人の少年が、名古屋市中区の少年(中2・14)を中区の地下鉄駅に呼びだして、現金50万円を脅し取ったとして、2000/1 愛知県警中署に事情聴取を受け、内1人は名古屋地検に書類送検されていた。4人はこの下級生を数回にわたって恐喝し、約80万円を脅し取っていた。4人の内2人が5400万円の恐喝に関与していた。
加害者 約8ヶ月間に約80回の恐喝を繰り返していた。関与した少年は10人前後いると思われる。

リーダーのA(16)は、被害者のKくんと同級生で、体も大きく力も強かった。
1999年秋、Aは、「これ(恐喝)で一生食っていくんだ」と仲間に話していた。

もともと同級生らが中心だったが、夏頃から他校の不良仲間が加わった。

1999/9 元同じ中学の1学年上の先輩で、1学年上の不良グループを仕切っていた土木作業員の先輩が被害者の存在を知り、リーダーから上前をはねる二重恐喝)。次第にリーダーを使って400万円、500万円を脅し取り、恐喝の主導権を握る。少年たちは、脅す、金を取る、実際に金を手にする者の役を複雑に絡ませ、被害者が記憶しずらいようにしていた。

4/5 県警がリーダーら2人の同級生と中区の中学生(15)1人の計3人を逮捕
4/21 扇台中学校に隣接する中学校に通っていた無職少年(15)を逮捕。
4/26 扇台中学校の先輩2人を逮捕。
5/10 扇台中学校の先輩1人を逮捕。
5/15 扇台中学校の先輩で土木作業員の少年(17)を逮捕。
5/31 「二重恐喝」の暴力団組員の兄弟(17.19)を指名手配
6/2 準リーダー格の少年から、恐喝のことを聞き、「少しちょうだい」とねだって現金2万円を受け取ったとして、下級生の女子生徒(中3・14)を犯罪取得金譲り受けの容疑で書類送検。

少年たちは、毎日のようにタクシーを利用し、パチンコやカラオケ店に通いつめていた。また、ロレックスやオメガの時計、プラダの財布、スーツ、オートバイ、2、3万円するジーンズ、ガールフレンドに20万円するバックのプレゼントなどを購入、風俗店通い、ラブホテルにお金をつぎ込んでいた。10月に「手切れ金」名目で500万円手に入れ、新幹線で大阪に「食い倒れ旅行」に行く。ブランド品の財布やアクセサリーを買いあさり、フグやカニを食べ、ピンクサロンをはしご。ワゴン型タクシーで名古屋に返る。(1日で約40万円近く使う)

Kくんが2度目の入院で、同室の患者に心を開き、被害の実態を打ち明けたことを知った加害少年らは、Aの自宅に3、4人が集まり、「このままでは警察にばれる」「自殺に見せかけて殺すしかない」「遺書を書かせよう」と話し合った。自殺を偽装するために、Kくんの携帯電話に何度も電話をかけ、遺書を書かせようとしたが、つながらずにいるうちに、事件が発覚。
加害者の過去 Aは、小学校低学年で学童保育に通っていたときには、いじめられていた。父親は厳しく、木刀を持って追いかけ回したり、玄関でひどく殴ったこともあった。中学1年の頃、上級生にいじめられ殴られたり、恐喝されていた。神経性の胃腸炎で遅刻することもあった。中学2年の4月頃から学校を休みがちになり、5月からは喫煙が目立つ。3年生になった春以降、ほとんど学校には行かなくなっていた。

Aも土木作業員の先輩にたびたびリンチを受けており、逆らえなかった。
処 分 この事件で、女子一人を含む加害少年(15-18)15人を逮捕もしくは書類送検。9人が中等少年院、6人が保護観察処分になった。リーダー格の少年A(16)を約1500万円の恐喝容疑で、準リーダー格の少年(16)とともに中等少年院に送致。Aには、「2年以上」との参考意見がつけられた。
約1600万円の恐喝容疑で送致された土木作業員の少年を中等少年院に送致。
120万円の恐喝容疑で送致された定時制高校生(17)を中等少年院に送致。
30万円の恐喝容疑で送致された定時制高校生(16)を試験観察。
100万円の恐喝と傷害などの容疑で送致された中区の少年(15)を中等少年院送致。など。
加害者の謝罪 逮捕後、加害少年から「一生心に残る傷を負わせてまことに申し訳ありません。一日もはやく回復し、立ち直っていただけるよう念じております」と少年に向けて謝罪文が届く。また、加害者の両親から、被害者と家族あてに子どもが起こした事件に気付かなかったことについて、「悔やんでも悔やみきれず痛みさえ覚えます」と謝罪文が届く。

2000/5/17 Aの両親が脅し取った金の返金と慰謝料とお詫びの気持ちを含めた現金を支払って、示談が成立。
誹謗・中傷 「親の責任をはたしていない」など、大金を用立てた被害者の母親(42)に非難が集中する。
関 連 光文社発行の週刊誌「女性自身」が、5月2日号に「加害の少年」として、両目の部分を横長に黒く目隠しをした少年の写真を掲載。しかし、掲載された写真は別人で、今回の事件で逮捕された少年らとは全く関係がなかった。間違われた少年の家族の抗議を受けて、光文社は誤りを確認し、4月25日発売号で謝罪記事を掲載。
その後 校長は事件対応で体調を崩し退職。5/1から新任の校長。

2000/4/29 同校3年生の生徒5人が、隣の中学校の生徒2人(中3)と一緒に、下級生(中2・13)に「口のききかたが悪い」「生意気だ」として、殴る蹴るの暴行を加え、足などに10日間の怪我を負わせた。7人を傷害容疑で書類送検。送検された5人の内4人は、5400万円の加害少年から暴行されていた。
その後 約1年を経過してなお、被害者親子はお金を渡し続けたことに対して、「ああするしかなかった」と話す。少年は、「だれかに相談できるものなら相談したかった」しかし、「先生に注意してもらっても、次はもっとやられる。警察に言ったら言ったで仕返しが来る。本当は助けてほしかったが、どうしていいか自分でもわからなかった」と振り返った。そして、学校で続く事件に対して、「少なくなってくれればいいとは思うけど、学校はしっかりしろ、と言っても、しっかりしないと思う」と述べた。一方、母親は、警察などに相談していたが、「息子が自分の口から恐喝されたと言わない限りは、何回行ってもだめだと思った。今でもそう思っている」と話した。
参考資料 朝日新聞2000/4/7、2000/4/9、2000/4/10夕、2000/4/12、2000/4/22、2000/5/16、2000/5/17、2000/5/18夕、2000/5/19、2000/6/1夕、2000/6/2朝・夕、2000/6/6、2000/6/14、文藝春秋2000年6月号 子供たちを救え 「母」はなぜ無力だったか 中学生5千万円恐喝/文藝春秋取材班/2000年6月1日文藝春秋、中日新聞2001/4/2



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