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●お母さん、お父さんへ
「親と子との信頼関係さえ、日頃からきちんとあれば、子どもは絶対に打ち明けてくれるはず」。そう確信して言うひとがいる。
でも、私はそう思わない。親にだって言えないことがある。親だからこそ言えないこともある。
思春期の自立しようとしている子ども、芯の強い子どもは、親に頼ろうとはしない。自分でなんとか解決しなければと思ってしまう。
「弱い自分」を認めたくない、親にさえ見せたくないというプライド。
そして、親の限界というものもある程度、見越していて、言っても仕方がない、解決にはならない、というあきらめ。
また、親にチクったことが相手にばれたら、今よりもっとひどい目にあうという恐怖もある。もちろん、学校の先生に打ち明けたところで、解決できるなどとは思わない。言えば、かえって事態は悪くなることを経験から知っている。
そして何より、親に心配をかけたくない、自分のことで悩ませたくない、苦しめたくないという、子どもなりの思いやり。
意志の強い子どもほど、親に心のうちを悟らせない。たとえ、ひとりでは背負いきれない荷物の重みに押しつぶされようとも、「助けて!」とは、死ぬまで口に出せない。
明日から学校は冬休みにはいる。子どもたちは楽しみにしているはず。とくに今、学校で辛い目にあっている子どもたちにとってはなおさら、束の間の安息日。しかし、休みはじきに終わる。また学校が、辛い日々が始まる。
お母さん、お父さんにはぜひ、長期の休み明け前後の子どものたちの様子に気を配ってほしい。死を決意した子どもたちは、実にあっけなく死んでしまうから。
あとから考えれば、あれがサインだったのかと思い当たることがあるかもしれない。でも、それはほんのささいなこと。
いつもは几帳面な子が、始業式を明日に控えて上履きを洗わずにいた。友人からの電話に出るときの様子がぎこちない。ものに当たり散らすことがある。ここのところ急に無口になった。大切にしていたものを兄弟や友人に惜しげもなくあげてしまう、など。
日常生活のなかではありふれたシーン。思春期の子どもにはよくあること。何もなかったとしたら、記憶にも残らないささいな変化。
子どもたちは、死のぎりぎりまで演技する。家族との団らん。お手伝い。楽しかった家族旅行。数時間前まではテレビを見て笑っていた。テレビゲームに夢中になっていた。もしかしたら、彼らなりに最後の瞬間を楽しい思い出でかざりたかったのかもしれない。あまりに辛い人生だったから。
笑顔の下に死を決意ていたなど、どうして考えられるだろう。せめて、涙のひとつもこぼしてくれていたら、気づいてやれたかもしれないのに・・・。
新学期がはじまっても、けっして気を抜かないでほしい。
「この休みの間に何かが変わって、もういじめられることはないかもしれない・・・」淡い期待が期待のまま終わったと知ったとき、絶望感が子どもたちを押しつぶしてしまう。
今のいじめは考えられないほどしつこい。小学校1年から6年まで、小学校でのいじめが中学校までも、いじめが原因で学校を中退したあとも続くことがある。
楽しいはずの青春の日々が、他人の悪意で真っ黒に塗りつぶされてしまう。若さゆえに、ことさら強く感じる永遠とも思える時間の恐怖。逃れられないという絶望感。相手が死ぬか、自分が死ぬかするまで続く、そう思ったとき、やさしい子ほど、相手の死より先に自分の死を願ってしまう。
子どもがもし、「学校に行きたくない」と言い出したとしたら、頭ごなしに叱らずによく話を聴いてほしい。
けっして、世間の声、「親が甘やかすから不登校になるんだ!」「昔の自分たちだって学校に行きたくないことはあった。でもみんなガマンして行ったんだ。今の子どもは辛抱が足りない」「殴ってでも行かせろ!」「不登校になると、将来、ろくな大人になれない」等に、惑わされないでほしい。
すぐには本当のことを話してくれないかもしれない。子どもたちは親をテストする。大事なことを打ち明けてもいいかどうか。自分の話をどこまで真剣に聴いてくれるか。
一年も、二年もあとになって、「実はあのときの『学校に行きたくない』と言った本当の理由はいじめだった。でもあのとき、お母さんが、『そんなに嫌なら休んでいいよ』と言ってくれたから、ぼくは死なずにすんだんだ」と、子どもに打ち明けられて泣いた親もある。
自殺未遂をしたことのある子どもには特に気を付けてほしい。
「死ぬ気になればなんでもできる」などというのは他人ごとだから言える。生きていることが地獄だから、一瞬の痛みと恐怖を乗り越えてでも、何も感じない世界へ行きたいと願う。
「『死ぬ、死ぬ』と言うヤツに限って本当に死んだためしがない」。これもウソだ。自殺未遂をした人間は何度も繰り返す。
失敗したから死ななかっただけであり、成功したら死んでいる。「死の道筋」ができて、より死の恐怖を乗り越えやすくなるとも言われる。
「死にたい!」という言葉の裏には、「死にたくないよ、誰か助けてよ!」という叫びがある。
では、どうしたらいいか。どうすれば、わが子の自殺を食い止めることができるか。
明確な答えは、残念ながら私にもない。ただ、「うちの子に限って(ありえない)」と思っている親よりは、「もしかして・・・」と常に心に危機感を抱いている親のほうが、子どもの小さなサインに気がつきやすいと思う。
ハレものに触るように扱うのではなく、子どもといろんなことを話してほしい。たとえば、いじめについてどう思うかとか。どうすれば、いじめられるがわは死なずにすんだと思うかとか。たとえば、このページに掲げた事例についても、話しあってほしい。
結論を出すのが目的ではなく、自分でも気づいていないかもしれない様々な思いを解放すること、死ぬこと以外の選択肢もあること、いろんな可能性を引き出していくことが大切だと思う。
そして、親は常に子どもの味方であることを、照れずに、はっきりと、言葉と態度で、子どもたちに伝えてほしい。
同じ時間、労力、エネルギーをそそぎ込むなら、生きているわが子のために。
そして、子どもたちを死なせないために、今、おとなたちができることを真剣に。手探りしながら。
2000年12月22日 S.TAKEDA
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