子どもたちとの深い絆を
イヴォネ・ベゼラ・デ・メロさんに聞く

ブラジルのストリートチルドレン - part 1 -

インタビュー:工藤 律子



カンデラリア事件以後も、ブラジルの路上で生活せざるをえない子どもたちの状況は、全く変わってはいない。イヴォネ・ベゼラ・デ・メロさんはそう語る。今年の夏、「children's eyes」公演の際、「日本ブラジルこども支援ネットワーク」の招聘で来日した彼女はそう語る。メキシコの子どもたちを、日本に紹介している工藤律子さんに、現在のブラジルの子どもたちについて聞いていただいた。



 今日はリオのストリートチルドレンについてお話を伺いたいのですが。

イヴォネ  実を言うと、私は「ストリートチルドレン」という言葉が好きではありません。私に言わせれば、本当は「ストリートチルドレン(Children of the street)」など存在しないからです。存在するのは、家庭や社会に虐待され、「路上(ストリート)に見捨てられた子どもたち」です。

 1983年に、その路上に見捨てられた子どもたちへの救援活動を始めたそうですが、そのきっかけは、何ですか?

イヴォネ  私は、13歳の頃から貧しい子どもたちへの社会的な慈善活動に関ってきました。母が、私たちきょうだいに、「ブラジルのような不平等な社会に生きている人間は、常に社会に奉仕する義務がある」と説いたからです。ですから、私はスウェーデンの外交官と結婚してヨーロッパに住んでいた時もスウェーデン政府のアフリカ開発団体で働き、毎日を貧しい子どもたちと過ごしていましたし、その夫と離婚してブラジルに戻った時にはまた、通りにいる多くの子どもたちに出会い、自然にこうした活動を始めたのです。

 ご両親も社会活動に熱心な方なんですね。

イヴォネ  はい。母などは、毎週末に貧しい子どもたちのための施設から一人ずつ子どもを家に招待して、一緒に週末を過ごすようにしていました。つまり、こうした(社会)活動に取り組む姿勢は急にではなく、人生での経験を通して身についたのです。

 ほかのごきょうだいも同じですか?

イヴォネ  いいえ。子どもの頃は一緒に慈善活動をやっていましたが、大人になってからは私だけが続けています。そうした傾向は、私自身の子どもたちについても同じです。誰もがこうした活動に関心を持てるわけではありませんからね。私には28歳と22歳の娘と、27歳の息子がいますが、下の娘だけが私がしているような社会活動に興味を持っています。彼女はニューヨークに住んでいますが、ブラジルに来るといつも私の活動を手伝ってくれます。

 ところで、93年のカンデラリア事件以降、リオの路上の子どもたちの状況はどう変わりましたか?

イヴォネ  まったく変わっていません。私は今でも通りで子どもたちを訪ねて歩いていますが、彼らの状況は更に悪化しているほどです。ドラッグ中毒がよりひどくなり、からだもボロボロです。しかし、政府は依然として何の対策も打っていません。

 また事件以降、NGOに関しても重大な問題が持ち上がりました。彼らがきちんと活動をしなくなったのです。事件に恐怖を覚えたNGOはどこも、もう路上の子どもたちへの救援活動をやらなくなってしまいました。しんどいばかりですぐに結果の出ないこの活動に、興味を示さなくなったのです。

 みんなファベーラ(スラム)の子どもたちへの支援活動へと流れました。その方が、ずっと楽ですからね。彼らは一定の場所に住んでいますし、(子どもだけでなく)家族と一緒に問題と取り組んでいけますから。

 そういうわけで、今では私が、リオの路上で活動している唯一の人間になりました。

 リオには、いわゆる「ストリートエデュケイター(路上の子どもたちを訪ねて歩き、世話をする専門の職員)」はいないのですか?

イヴォネ  いません。子どもたちが入れる避難所や施設はありますが、彼らを直接訪問して歩く活動家はいないのです。というのも、(ブラジルでは)ストリートエデュケイターの活動の基本的な方法論というものが確立されていないからです。カンデラリアでの虐殺事件以前も、通りで子どもたちの世話をしていた人々は、私を含めて皆、それぞれ好き勝手な方法で取り組んでいました。

 しかしそれは余りよくないことです。この(ストリートチルドレンの)問題にきちんと対応するためには、本当はしっかりした方法論や対策というものが必要なのです。しかも、この問題の根底に「貧困」がある以上、対策は、貧困に対する解決策と並行して打ち出されなければなりません。貧困が存在し続ける限り、子どもはいつか路上へと飛びだしていきますからね。幸い、すべての子どもがそうではありませんが。

 あなたの著書によると、カンデラリア事件以降、それまであったストリートチルドレン関係のNGOのいくつかは、きちんとした活動をしていないということで、認可を剥奪されたそうですが。

イヴォネ  はい。それは深刻な問題になりました。

 もともと、「子ども」というのは、お金集めの絶好のキャッチフレーズになるということで、沢山のNGOが「子どもへの支援」を掲げて、認可を受けていたのです。でも、実際はどの(NGOの)プロジェクトも本来「プロジェクト」と呼べるようなまともなものではありませんでした。認可した政府の側もいい加減だったのです。

 カンデラリア事件の時には、世界各国から「ストリートチルドレン救援のために」ということで、合計1千5百万ドルというお金がブラジルに寄付されましたが、そのお金が一体どこへどう使われたのか、私には今でもさっぱりわかりません。ブラジルではそういうことが、当たり前のように起きるのです。私たちの国にお金を寄付してくれるお金持ちの国々は、自分たちが送ったお金がきちんと使われているかどうかなんて見届けには来ませんからね。

 そういうわけて、カンデラリア事件の後、私がメディアを通じて、少しずつそうした実態を訴えていったことで、今では状況が代わり、「ストリートチルドレン救援」のNGOは限定されてきました。カンデラリア事件の起きた年には、リオだけでも270あったのが、今では3つだけです。  その3つは、すべてブラジルのNGOですか?

イヴォネ  そうです。まず何といっても、お金持ちの国が第三世界の子どもたちを支援しようとすると、とても大きな賭けを伴いますからね。というのも、お金持ちは大抵モノやお金を与えたがるだけで、その成果というものを要求しないため、お金がいつのまにか無駄になるのです。

 私が今行なっている救援活動では、リオの現場に来て、子どもたちの現状と私の仕事ぶりを自分の目で確かめる人からしか、寄付を受け取っていません。お金がそれを必要としているこどもたちのもとへきちんと届くためには、そうすることがとても重要だからです。

 それに、人々の興味は、メディアの興味と共に変化します。メディアが興味の対象を生み出しているからです。80年代には「ストリートチルドレン」だったのが、今は「児童売春」になり、といったふうに。だから現在、路上の子どもたちの問題は、誰にとっても、特に身近にそうした子どもたちのいない国の人々にとっては、あまり興味のないテーマなのです。

 目立った変化や事件がないと「問題」は忘れ去られ、置き去りにされるわけですね。

イヴォネ  そうです。おかげで、今私が世話をしている子どもたちの場合でも、路上暮らしから抜け出せる子は、全体のほんの1割しかいません。子どもたちを救うためには、彼らのための学校を建てたり、ドラッグ中毒対策プログラムを実施したりする、特別な政策が必要なのに、そのための予算がないからです。

 路上暮らしの子どもたちの問題は、スラムに暮らす子どもたちの問題とは全く異なります。彼らの場合、まずあらゆる暴力との繋がりを断ち切らねばなりません。そのためには、政府が十分な予算と独自の政策を持って、積極的に問題に取り組む必要があるのです。しかしまだ、それがなされてはいません。

 現在リオには、国や市の「ストリートチルドレン対策プログラム」というものはないのですか?

イヴォネ  特にはありません。身寄りのない子や路上暮しの子どもが入れる避難所や施設はありますが、多くの場合、設備が悪く、清潔でないうえ、職員が子どもたちに接する態度が冷たいため、子どもは余り入りたがりません。路上暮しの子どもたちと接する職員というものは、ただ給料をもらって、予算内で世話をするというだけの人間ではだめなのです。子どもたちを十分に愛し、子どもたちが愛されていると実感できるような対応のできる人物でなければならないのです。

 近年、路上暮しの子どもの人数というのは、増えていますか?

イヴォネ  いいえ、余り変わっていません。リオには大体二千人くらいいます。メンバーは毎日変わっていますけどね。

ブラジルには約一千六百万人の貧困層がいて、リオには六百万人いますが、その子どもたちの多くは家庭に問題を抱えており、昼間は路上で物乞いをしたり、物売りをしたりしているといえます。でも、大抵は夜になると家へ帰るのです。子どもは、家庭内の暴力が自分の我慢の限界を越えた時、初めて、家出して、通りで暮らすようになります。

 でも、路上にいても、家庭にいるのと同じくらい様々な暴力にあうというのに、なぜ敢えて路上を選ぶのでしょう。

イヴォネ  路上の場合の暴力は、(家庭の場合とは)少し違うからです。

 例えば、七、八歳の少女が家出するとき、彼女の家の中には母親の愛人などによる性的暴力が存在します。その場合、少女にとってセックスは暴力を意味します。しかし、路上生活には、仲間同士のケンカやセックスは存在しますが、そこに暴力というイメージは伴いません。それが特定の人間との、強いられた関係ではないからです。路上では、子どもたちは今日はこの子、明日はまた他の子と、というふうに、相手をかえてセックスをします。ですから、それは大人にレイプされるのとは全く違うことなのです。

 また、(子どもが路上生活を選ぶのには)ファベーラに麻薬マフィアがはびこっていることも原因に上げられます。メキシコやコロンビアなどと違い、リオのスラムコミュニティは、麻薬マフィアによって仕切られています。彼らは強大な勢力を持つ上に、武装しており、ほんの十三歳くらいの子どもまで組織内に巻き込んでいます。子どもたちは、自分たちの住む地域で毎日のように、警察とマフィアの戦争を目の当たりにし、死体を見ることや弾が飛び交うなかで暮らすことに慣れてしまっているほどです。彼らの住む場所は(通り以上に)非常に危険な所なのです。

 「ストリートチルドレン」というと、メキシコなどの例を見ても、男の子が多いと思うのですが、ブラジルでもそうですか?

イヴォネ  はい。というのも、ブラジルはマチスモ(男性優越主義)社会ですから、大人でも子どもでも、女の方が暴力や飢餓に対する忍耐力が強いからです。だから女の子は、家庭内で虐待を受けても、そう簡単には家を飛びださずに、我慢するわけです

 ストリートチルドレン同士でも、女の子は男の子に従う、といった風潮があるようですが−

イヴォネ  ええ。女の子は「母性」を持っていることが、一つのハンディとなっているようです。

 そうしたハンディを和らげるために、少女たちは、例えばセックスの際も、異性とよりも同性と、より頻繁に関係を結びます。女同士のセックスはより優しさに満ちたものだからです。彼女たちはまた、大人とよりも、子ども同士のセックスを好みます。

 通りでのセックスは、多くの場合、異性、同性のバイセクシュアルな関係にあります。それは子どもたちの大半が幼いころにレイプされた経験を持ち、彼らにとってセックスは暴力を象徴しているからです。彼らはセックスをその時の気分と必要に応じて行なうだけで、相手にそれ以上の感情を求めません。セックスの後、より深い愛情が生まれるとは考えていないのです。

 路上暮らしの子どもたちの年齢は、どのくらいですか?

イヴォネ  私のケアしている子どもたち72人の中には、7、8歳の子はもちろん、14、15、16、17歳の子も大勢います。彼らは6歳くらいからずっと通りに暮しているわけですが、歳を経るに連れて、その状況はひどくなっています。NGOはどこも年長者へのケアをしたがらないからです。幼い子どもたちのためのプロジェクトは沢山あっても、年上の子供たちのためのものはないのです。

 ですから、14、15歳以上の子どもは、心もからだもボロボロな状態です。多くの子はエイズに感染しています。私のグループでも、30%は感染者です。しかし、それに対する対策はありません。悲惨な状況です。世間は幼い子どもたちには同情しますが、14歳以上の子どもに対しては、まったく逆。人々にとって、彼らはギャング集団以外の何者でもないのです。

 私は、しかし、年齢の高い子どもたちとの絆をいつも大切にしてきました。現実に、ブラジルの「ストリートチルドレン」の大半はそうした年齢層、つまり12歳から18歳くらいの子どもたちなのです。ですから、彼らの世話をするのは、とても重要なことなのです。

 幼い子どもをケアする人々が多いのは、その方が簡単だからでもあります。12歳以上の子になると、例えば女の子なら、すでに彼女自身が母親になっていて、子どもを育てているケースも多くあります。そうなると問題は複雑で、その子だけを保護して施設に入れても、問題は解決しなくなります。夫はどうするか、その子どもはどうするか、ということになりますからね。とにかく12歳以上の「ストリートチルドレン」のケアは非常に難しいのです。

 どうすれば、12歳以上の子どもたちの社会復帰を手助けできると思いますか?

イヴォネ  まずは、ビデオやテレビといったごく普通の青少年がほしがる設備の整った、明るい雰囲気の、小さな家庭のような施設に彼らを迎え入れ、愛情を持って接することのできる専門職員が指導することが大切だと思います。施設が、通りと変わらない薄汚い場所だったり、人間的なぬくもりの感じられないところであれば、子どもたちはそこにいることを拒絶しますから。

 しかし残念なことに、今のところ、現実は理想とかけ離れた状況にあります。この状況を改善するには、彼らのケアに取り組む人々が、年長の青少年が路上で出会ってきた様々な経験というものを十分に理解し、それを考慮した対応と寛容さを示すことが必要です。それは(第3世界の)どこの国でも同じだと思います。

 年長者に対する寛容さ、という点で、メキシコで気になることがあったのですが、ブラジルでも、NGOなどの「ストリートチルドレン向け施設」は18歳以上の子どもを受け入れないのですか?

イヴォネ  はい、18歳が境界線になっています。ひどい話です。今17歳の路上暮らしの少年が来月18歳になるからといって、彼の境遇にどんな違いがあるというのでしょう。ブラジルでは、児童法は、18歳未満の子どもしかカバーしていませんから、18、19歳という年齢の青少年の問題は、最も深刻なものとなっています。

 彼らにとっては絶望的な状況といえますね。

イヴォネ  そのとおりです。受け入れてくれる施設もなければ、手に職をつけるための指導をしてくれる人もなく、何もないのですから。結局彼らには、生きていく上で取るべき道が、2つしか残されていません。通りで物乞いか何かをして細々と暮らすか、麻薬マフィアやギャング団に入るか、です。

 事実、私がケアしているグループの中には、現在服役中の子どもが15人以上います。内、2人はコカイン密売のために4年の刑になりました。ただ、同じことをしても、金持ちの子どもならば、親が大金を出せば、すべてが解決してしまいます。つまり、ブラジルには2種類の正義があるということです。色黒で貧しい人々のための正義(それは正義ではなく、差別なのですが)と、色白で金持ちの人々のための正義(それは偽善なのですが)とね。

 この十年ほどの間に、世界の貧困層は大幅に拡大し、富の集中も進みました。ラテンアメリカの人工の60%は貧困層です。民主主義の世の中となった今、こんな状況が続けば、近いうちに貧困層と富裕層の戦いが起こってもおかしくないくらいです。

 そんな厳しい状況の下でも、あなたとの触れ合いが、路上の子どもたちに何か良い変化をもたらしたと思いますか?

イヴォネ  思います。個人差はありますけどね。

 もともと状況がさほどひどくなかった子は、私との交流を通じて、比較的簡単に普通の暮らしに戻れます。でも、そうでない子は路上暮らしからなかなか抜け出せません。なかにはその結果、刑務所にいる子も沢山います。この間などは、刑務所に入って以来何年間も会っていなかった子どもから突然電話がかかってきて、「最近チア(”叔母さん”の意)のことを思い出してたんだあ」と懐かしげに話しかけられました。

 いずれにしても、子どもたちが良い方向へ向かうかどうかは、こちら(接する大人の側)が彼らのために尽くそうとする心の深さに、大きく左右されます。彼らを導くには、どんな場合にでも、死によってしか分かつことの出来ない深い絆を保つことが大切です。

 路上暮らしの子どもたちを相手に、あなたがやっているような「路上の学校(路上で文字などを教える活動)」を続けるのも、深い愛情と絆を感じていなければできない仕事ですね。

イヴォネ  そうですね。私はこの活動をとても大切だとおもっています。子どもたちを普通の暮らしに戻すには、ある程度の規則を決めて長時間かけてつきあい、普通に学び働くということがどういうことなのか、理解させる必要があるからです。彼らはいつも、昼間寝て、夜起きている、といった不規則な生活をしていて、まともな暮らしをしたことがないですからね。

 私がメキシコで路上暮らしの子どもたちに「将来何をしたい?」と尋ねたとき、大抵「わかんない」という答えが返ってきたのも、彼らが普通の生活を理解していないからでしょうね。

イヴォネ  その通りです。彼らは何もわかっていないのです。(教育を受けるなど)きちんとした情報を手にする機会が与えられていないために、彼らはまるで森に野放しにされた動物のように、何も知らない状況に置かれてしまっています。教育を通して、少しずつ情報を得ることによってのみ、彼らはより人間的な思考を始め、私たちとの対話を繰り返すなかで、その能力を高めていくのです。だから子どもたちとの対話は、とても大切なんです。

 あなたと長い時間を過ごしてきた子どもたちは今、自分の将来についてどんな考えを持っていますか?

イヴォネ  みんな「働きたい」と言っています。

 何をして、と言いますか?

イヴォネ  いいえ。通りでは特定の仕事に付くということが現実としてないので、そういう発想をしないのです。だから、私は子どもたちと何かをする時は必ず彼らをグループに分けて、この2人は食事の準備、こっちの2人は掃除、というふうに仕事を分担させています。そうすると、例えば「自分は料理が得意だ」と感じる子が出てきたりするのです。そうした経験を通して、彼らは少しずつ自分の能力に気づき、特定の事柄に興味を抱くようになります。

 ある時、スイス人のコックさんが開いた料理教室へ、10人の子どもたちが調理の助手として参加しましたが、その中の8人は、6ヶ月前から調理助手として働き始めていますよ。

 そうやって子どもたちを指導していくには、指導する側のあなた自身が、あらゆることに精通していなければなりませんね。

イヴォネ  心理学や教育、ブラジル問題や文化など、すべての分野をカバーできなければなりません。ただ通りへ出ていって何かする、というわけにはいかないのです。特に相手が「ストリートチルドレン」の場合、決まった接し方や教育方法というものはありませんから、あなた自身があらゆるケースに対応できる能力を身につけていることが大切です。

 世話をしてきた子どもたちの中に、路上暮らしを抜け出し、社会復帰したケースはありますか?

イヴォネ  はい、沢山あります。

 例えば、17歳の少女で、今美術学校に通っている子がいます。私は、通りで絵を教えていたときに、彼女が素晴らしい才能を持っていることに気づきました。それで今度、私が文章を担当した中流層の子どもたち向けの教本にさし絵を描いてもらったのです。現在、彼女の毎月の学費100ドルを援助しています。

 その少女のように、自分の存在価値が認められると、子どもは将来に希望を見出し、生き生きとしてくるといいますね。

イヴォネ  だからこそ(子どもたちに接する)私たちは、彼らの才能やいい所に気づく繊細さを持っていなければならないのです。もちろん子どもたちみんなが凄い才能を持っているわけではありませんが、何かきらめくものを見つけたときは、それをのばしてやる努力をすることが大切でしょう。

 ところで−少女が挿絵を描いた本を見せながら−この本はシリーズになっており、それぞれ違う内容なのですが、この話では、ブラジルに貧しい人々がいることなど知らなかったお金持ちの少女が、ある日テレビを見ていて、同年代の貧しい少女が「私は自分の自転車を持つことが夢です」と語るシーンにであい、心を動かされます。そして少女は、自分の家のガレージにあった2台の自転車のうちの1台を、その子にプレゼントしたいと考えるのです。しかし、両親はその話に余り関心を示さず、少女は学校の先生に相談に行きます。すると先生はテレビ局に電話をして、自転車を欲しがっていた少女の居場所を突き止めてくれます。こうしてお金持ちの少女は、ついに貧しい少女へのプレゼントを果たし、嬉しさのあまり、涙を流すのです。

 結末には、二つの異なる階層に暮らすブラジル人同士の歩み寄りが描かれています。それというのも、現実には、中流層の人々は、貧困層の人々のことを十分に理解していないからです。

 私は8月にリオで開かれるブックフェアで、このシリーズを紹介し、中流層と貧困層、両方の子どもたちを招待した集まりを開きたいと考えています。きっと楽しいものになると思いますよ。

 私は8月にリオで開かれるブックフェアで、このシリーズを紹介し、中流層と貧困層、両方の子どもたちを招待した集まりを開きたいと考えています。きっと楽しいものになると思いますよ。

【9号につづく】




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