ベトナムの「子どもの家」を支える会 主催

「ベトナムの友達をかこむ会」に
参加して

大橋 よし恵



 6月15日(日)、新宿区立四ッ谷区民センターで「ベトナムの友達をかこむ会」が開かれました。主催は、「ベトナムの『子どもの家』を支える会」。「子どもの家」は、南北に細長いベトナムの中央部に位置するフエ市内にあり、現在、約70人のストリートチルドレンが、ベトナム人スタッフおよび日本人スタッフとともに生活しています。そこで成長した二人の女性を迎えての楽しい交流会が催されたのです。



 来日したのは、グエン・ティー・タンさん(17歳)とチン・テー・クイー・ニーさん(16歳)、「子どもの家」の寮長を務めるチャン・ヴァン・ロックさん(35歳)、そして現地で観光や通訳の仕事をしながら「子どもの家」を支えているチャオン・ディン・ラームさん(27歳)の4人です。タンさんとニーさんは、ベトナム女性の伝統的な衣装であるアオザイを着ての参加です。2人とも涼しげな水色のアオザイがよく似合っており、少し恥ずかしそうに小さな声で話していましたが、「子どもの家」に入る前はストリートチルドレンであったとは思えない明るい笑みを終始絶やさずにいたのが印象的でした。

 タンさんの場合、父親が死亡して母親とも離別。3年前に入所して、現在は「子どもの家」に併設されている職業訓練センターで刺繍を学んでおり、将来は刺繍の技術を生かして独立したいと考えています。

 ニーさんは、父親が行方不明になってしまい、母親が行商で育ててきましたが、2年前に入所することになりました。昨年度は中学校で成績優秀生徒として学校長表彰を受け、高校1年の今は、将来、英語の教師になりたいという希望を抱いています。

「子どもの家」にいる約70人の子どもたちは、3歳から18歳まで。食事の用意や自分より幼い子どもの面倒を見たりしながら、タンさんやニーさんのように、「子どもの家」から学校へ通ったり、刺繍や木工彫刻などの技術を身につける訓練を行ったりしています。

 互いに助け合いながら自分の自立を考え、70人という大家族の一員として生活しているわけですが、「子どもの家」に来たからといって、すべての問題が解決されるわけではありません。親と死に別れたり、あるいは貧しさのために路上で生き延びなければならなかったという事情から、入所しても心を開けずに自分一人の世界に閉じこもったままの子どももいます。また、ドイモイと呼ばれる市場開放政策によって、首都ハノイや南部のホーチミン市は発展を遂げていますが、フエ市のような地方都市では、たとえ学歴があっても就職口がないという社会的な問題も抱えています。さらに、「子どもの家」のほかにも公営の施設はあるのですが予算が充分ではなく、そこでは発育途上の子どもたちが朝食なしの状況を強いられていますし、ストリートチルドレンではなくても、家計を支えるために幼い頃から物売りなどの仕事をせざるをえない子どもたちも、かなり多いようです。

 こんな報告が、「ベトナムの『子どもの家』を支える会」ベトナム事務所長の小山道夫さんからなされました。

 小山さんは、4年前に小学校教師の職を捨て、ベトナム・フエ市の「子どもの家」を設立した方です。当初は、自分一人の力が及ぶ範囲でストリートチルドレンのために何かができればいいと考えていましたが、いつのまにか支援の輪が広がり、職業訓練センターや障害児のための医療センターの設立にまでこぎつけたと言います。そして、活動が広がっていくことを喜ぶ一方、最近ではとまどいや不安を覚えるようになったとも言います。資金が集まらない、スタッフが確保できないといった理由で、活動をストップできないからです。「子どもの家」の休止または閉鎖は、一度路上に捨てられた子どもたちをもう一度見捨てることになるわけです。

 しかし、会場に用意された椅子だけでは足りず、多くの参加者が床にじかにすわるほど盛況だった「ベトナムの友達をかこむ会」の様子からは、当面、その心配はなさそうに思えました。とはいえ、安易な楽観は禁物ですし、先に述べたような子どもたちをめぐる問題がさまざま山積みしているのは事実です。

 ただ、一人の力は塵のようでも、それが集まれば揺るぎない山となって、タンさんやニーさんたちの未来を支えることができるのも事実です。そのためには、世界の友人たちに関心を持ち続け、塵のような力でも継続させていくことが大切なのでしょう。それを改めて実感させてくれる交流会でした。




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