ポコ・ア・ポコ (少しずつ、少しずつ)

旅行みやげ


堀 径世



 大学在学中、何度か、いわゆるアジア放浪の旅をした。

 そんな私に、旅行の情報をインターネットで伝える会社で記事を書いてみないか、という話が転がり込んできた。



 「百聞は一見にしかず」を地でいったのが、大学の4年間だった。特に大きな目的ももたず、ただ好奇心と気の向くまま、バックパックをかついで、乗り合いバスに揺られた。

 カンボジアでは、乾燥しきった道を、全身真っ茶色になってトラックの荷台で揺られた。ベトナムでは、北爆でやられたぼこぼこの国道を、木材や野菜といっしょに、24時間走りつづけた。マレーシアでは、日本よりもずっと振動の少ない高速道路を、ゆったりとした座席で眠ってすごした。インドネシアのスマトラ島では、永遠に続くかと思われるような山道を、一晩中走った。

 いろんな道があった。

 いろんな人がいた。

 いろんな生き方があった。

 人の幸せなんてみんなそれぞれ違う。そんな当たり前のことを学んだのはこの経験からだと思う。

 ところが、ミャンマー(ビルマ)への卒業旅行を最後に、こんな形の旅には行っていない。



 まだまだ行きたいところはたくさんある。見たいものもたくさんある。たくさんの人に会いたいし、おいしいものも食べたい。けっしてそんな気持ちが衰えたわけではない。ただ私の中で、どうしても正当化できない矛盾がある。行けば行くほど、アジアの国々への愛着が強くなればなるほど、その矛盾は抱えきれないほど、大きくなっていった。

 それは、旅行者は破壊者だ、ということだ。

 観光は破壊する。あらゆるものを。環境を、伝統を、自然を。そして人びとの日常を。価値観を。

 インドのガンジス河に行って、何よりも興ざめした。人びとが沐浴し、祈りをささげるヒンドゥー教徒にとっての聖なる河、は観光スポットと化していた。日の出の時間は一番の稼ぎ時。何十隻ものボートが河に漕ぎだし、観光客に声をかける。「1時間たったの○○ルピー、安いよ」。うんざりするほどたくさんの観光用ボートが河に出て、あちこちでシャッターが切られる。

 そこでは祈る人も、河も単なる見世物、金儲けの道具になっていた。

 こういった光景を見て、彼らは伝統を重んじていない、とか逆に生活のためには仕方ないのだろう、と言うのは簡単だと思う。

 しかし私がもっともやり切れないのは、こうして観光を押し進めている国はみんな経済的にとても貧しい、ということだ。彼等は外貨を、ドルを得る手段として、いちばん手っ取り早い観光に飛びつく。身を削ってドルを稼ごうとする。日常の風景を変える。破壊する。そしてその場を訪れるのは常に白人であり、日本人だけ。観光地であるために、あまりにも多くのものが犠牲になっている。

 その破壊の一端を担っている旅行者でいることに堪えられなくなってしまった。



 これまで、白人と日本人にオアシスや珍しいものを提供するために、地球上でどれほどたくさんのものが失われたのだろう。より手つかずで、目新しいものを求める貪欲な好奇心が、これからどれほどの秘境と呼ばれる地域を単なる観光地に変えてしまうのだろう。

 搾取する北側と、搾取される南側。

 観光は、豊かなものたちばかりをより肥やしていくような援助やボランティア活動につづく、第三の植民地主義だと私は思っている。そして双方ともぱっと見がいいだけに、第一の植民地主義よりも、もっとどす黒くて、えげつない。

 このような想いを卒業旅行みやげとして持って帰ってきたが、時が経ち、ほとんど忘れかけていた。ところが、今回、その観光産業に肩入れする仕事の話がきたのだ。

 旅行している最中ずっと日記をつけつづけ、いつかこれを形にしたい、と強く思っていた。さまざまなことを通して感じたこと、考えたことを人と分けあいたい。「汚い」「貧しい」「危ない」の偏見に満ちたアジアの国々が、どれほど豊かであるかを伝えたい。物を書く仕事、につきたい私にとって、これは願ってもないチャンスだ。

 こんな機会に恵まれることは滅多にないし、特別な能力も技術もない私は、それを最大限に活かすことくらいしかできない。それにまったく観光破壊をものともしていない人よりも、多少そういうことを念頭に置いて書くことができれば、自分なりのメッセージも送ることができるだろう。

 その一方で、「観光産業には絶対に携わらない」と日記にくりかえし書いていたときのことをフツフツと思い返すことにもなった。日本人のちょっとした気晴らしの場を提供するためや、マスコミが火をつけるブームのために、いったいどれほどたくさんの人たちが、踊らされなければいけないのだろう。

 観光情報の送り手になることは、破壊に直結する、見えざる大きな手になることを意味するのではないか。最初からこんなに大きな矛盾を抱えての仕事なんて、やるべきではないのかもしれない。



 ただ、もし書くのであれば、すこしは私の思いをこめたいと思う。それは、旅行者とは人びとの日常を勝手に「特別」と思い込み、大またで渡り歩く存在にすぎない。そんなちっぽけな存在であると自覚し、謙虚さを忘れないこと。通り過ぎたかどうかもわからないようなそよ風のようであること。

 そんなひとりひとりの小さな謙虚さと、相手への尊重が、大きな破壊を食い止めるいちばん効果的な術なのではないだろうか。そんなことを行間に漂わせることができれば、やる意味もあるだろう。

 心のわだかまりはなかなか消えそうにない。ただ、このわだかまりを、何かモヤモヤした感じを大切にしたい。無理に正当化しようとせずに、この気持ちと折り合いをつけてい校とする中で、自分のしてきた旅をふたたび体験しなおす作業ができればいいと思う。




プラッサへのご質問、お問い合わせ
および入会・購読を希望される方は
ここからどうぞ


praca@jca.ax.apc.org