神戸児童連続殺傷事件を考える



前号において、「神戸児童連続殺傷事件」について、みなさんがどう考え、感じられたかをお願いしましたが、お二人の方から、返事がよせられました。子どもをもつ親として、今回の事件をどのように受け止められたかを、率直に書いてくださいました。私たちみなが子どもの問題を考える一つの参考にしていただければ、幸いです。



土師淳君事件の容疑者の
中三の少年のことかも知れない
その「夏」

石森 珠江





 うだるような暑い日が続く、今年ではなくそれは三年前の話になるのですが、当時14歳だったうちの息子にも事件が起きた。というか起こされた。それも親である私からなのですけれど、ちょっとした内臓の病気とストレスで吐血し、たまたまうちが単親ひとりっ子家庭だったこともあり、暑さと痛みにのたうち廻り、食も水も受けつけられず、その間十日ぐらいだったでしょうか、だんだん、ここがどこで、今何時で、自分は誰かさえ判らなくなり、よくマラソンなどではあるそうですが、電解質のバランスの崩れによる脱水症状のような状態になって、最後、意識が飛んでしまい、そのあたりまでは良くある事らしいですが、その先の怖いのは、内在していた人格というか、潜在意識にある何かしらなのでしょうが、自傷行為、つまり、リストカットを実践してしまいました。

 その殆どを本人の私は覚えていないのですが、中三の息子の、隣の部屋とは云え狭い屋根の下、少年は119番を回すのを手違いで110番にダイヤルしてしまい、前後パトカーに守られての盛大なる(有名芸能人でさえここまでかという位だったと、のち聞くことになりました)、東京医大への救急入院となり、治療室の隣のベッドの交通事故のお兄さんは亡くなったというのに、死に損ないおばはんの生きている、この現実は凄い、と思いました。

 人ごとみたいに語りますが・・・集まるヤジウマの方々の中、唯一の救いは、警察や病院との受け答えの確かさというか、親を見ていた視点の鋭さに、新宿戸塚署の某警察官は、「おまえ14歳の割にしっかりしているなあ、母ちゃんが出るまで俺んちに来るか?」と仰言って下さり、又、大家の婆ちゃんは朝御飯の心配をなさり、息子の学校の先生方は、彼の心情をお聞きになりながら、毎日お弁当を用意して下さったそうです。それ迄、いろいろな事情で単親家庭になったとは云え、見栄や頭で人様の世話になどなるものかと歯を食いしばり、ツっぱっていた自分の何と愚かしく、情けないことかと、いきさつを息子から聞かされたその時、思わず流れる涙を止めずにはいられませんでした。

 自分一人で不幸を背負って生きているつもりが、とんでもない話で、誰かというより、もっともっと大きな存在がうしろに、宗教じみて云うのではなく守られている。そう感じました。

 そんな経験をしている息子が、特別グレもせず、登校拒否を(少ししたけど)殆どしなかったのが、奇跡的な位であります。それは全くそういう、大人のかたがたの無償の愛情を授けられたからに違いないと、愚母は感謝するのみです。世の中に、自分はひとりぼっちで生きてはいないと、それまで孤独の中にあった彼だから、尚更そう感じたのかもしれませんが、勉強嫌いでは相変わらずあるのだけど、生きることとは何か、本当の幸福とは何か、考え求めるようになった、あの夏の事を息子は多分一生忘れないだろうし、ご心配下さった方々の心のありようも思うようにできるようになり、子育てというのは、そんな母として云える立場では決して無いのだけれど、教育に必要なのは、親でもあるが、更に大きいそれは世の中だと思い乍ら、ニュースを見ている今です。こんな偉そうな事を私が云うと殺したくなる人もいるでしょうが、暑いせいか、ぶっちゃけて話をしてしまいました。

 これからの時代、ますます世の中揺れるでしょうし、夏より熱っぽい周囲の国々は何をなさって下さるかわからず、下手をすれば、息子たちの年代、ハイテク戦争のボタン押し作業に駆り出される可能性があるのだから、学問も大切ではあるけれど、校庭を芋畑(野菜じゃないです)に改良する体力、応用力も必要ではないかと、死にそびれた身だから、この際偉そうに云っちゃいます。




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