神戸児童連続殺傷事件を考える



前号において、「神戸児童連続殺傷事件」について、みなさんがどう考え、感じられたかをお願いしましたが、お二人の方から、返事がよせられました。子どもをもつ親として、今回の事件をどのように受け止められたかを、率直に書いてくださいました。私たちみなが子どもの問題を考える一つの参考にしていただければ、幸いです。



神戸児童連続殺傷事件について

吉田 文子





 神戸の事件の感想の用紙を横目でながめながら、どう書こうかと悩んでおりますうちにどんどん日が経っていきます。

 この8月に、神戸に住み大震災に遭った、夫の友人を訪ねました。よくできた活発だった中学生の息子さんが、あの震災の影響から、いろいろな面から心に傷を負い、登校拒否の真っ最中だそうです。

 恐ろしい体験、光景、ひきつづく大人達の自分勝手で醜い行動、それらを目の当たりにした彼らの心の傷を、私達がどうこう言って、それで済むものではないと感じました。

 しかしながら、事件については多角的な面から何かしらの疑問を投げかけ、記憶に深くとどめ、考え続けていかなければ、行動していかなければ、何も変わらないと思います。



 あの事件については、一時報道も加熱し、あちこちで論議を呼びましたが、少し落ち着いてからじっくり考えてみますと、『親が悪い』、『学校が悪い』、と、誰かのせいにはできないと思うようになりました。強いて言うならば、私達おとな一人一人のせいです。

 社会のせい、と言ってしまうのは簡単だし、さももっともらしく落ち着くかのように見えます。しかし、今回の事件で一番忘れてはならないのは、「何が原因なのか、はっきりはわからないが、現代の子供達の中に、彼のような犯罪をおかすようになってしまう要素が潜んでいるらしい事実」だけが、確かだという、おそろしいような印象だけが、私達の中に残されたのではないでしょうか。



 夏休みが終わり、小学生の子ども達は学校へ通いはじめました。小学校1年生というのに、9月3日には給食が始まり、2学期からは週1日ですが午後の授業も1時間あります。

 これも、学ぶことが多すぎて、授業を理解する為には時間獲得が必至で、しかも完全週休二日に備えて、徐々に変わらなくてはならない教育の現場が変化している証拠です。ゆとりどころか、私自身が小学校時代から言われ続けていた「つめこみ教育」は、何一つ子ども達や現場の実感として、改善されてはいないのです。



 私たちは、ひとりの人間として、何ができるのでしょうか。自分の心から、生き方から、見直してみることが、今切に求められている事なのだと思います。

 疲弊した社会システムに満足することなく、ただいたづらに苦情を言うのでなく、自分の足元を見直し、社会の宝である子ども達を守っていかなければ、と反省することしきりです。

 私達(日本)は、便利さと、刺激と、お金を、すでに必要以上に求めすぎているのではないでしょうか。新聞記事やドラマのストーリー等でも見かけることが多くなりましたが、子ども達の純真な心が安らげる、ほっとするような家庭作り、社会作りは、きっとその役に立つと信じます。




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