夏の一日
エストレラ・ジ・アマニャンの
子どもとのディズニーランド

原山 あずさ



 7月に行われたイベント「Children's eyes」で上演された「R.U.A.1997〜道で〜」。あの素晴らしく想像的かつ躍動的な劇で、わたしたちにブラジルの子どもの世界を伝えてくれたヘコンシリアサン・ド・メノールのメンバーのスケジュールはかなりハードだったようです。そんななかで、一日だけオフの時間をつくって頂き、日本の高校生(自称高校生の成人もついてきましたが)と一緒にディズニーランドへ行ってきました。「え?なんでディズニーランド?」といわずに、あの名役者・スタッフたちのそれはそれは「パワフル」な素顔を感じてください。



 子どものころ、だれしもキラキラと輝き、楽しくてしかたがなかった『夏の一日』があったのではないだろうか。今回のホームステイ体験と、ディズニーランド訪問は彼女たちのそんな一日になったのではないかと、できあがった写真をながめながら思った。

 東京講演最終日。講演の熱気もさめやらぬなか、8名いた子どもは、2、2、4名に分かれ3つの家庭にホームステイすることになった。私は、4名の子とアネージオさん(劇団スタッフ)の5名のブラジル人とともに、東京都郊外のKさんのお宅で過ごした。12歳のホザンジェラ、13歳のタイナ、14歳のプリシラ、17歳のエニ。

 電車の中から早速おしゃべり開始。タイナが一人電車からおりれず、『イチガヤ、イチガヤ』と繰り返し言って、どうにか新宿から帰ってきた話、日本の印象がくる前とは全然ちがっていたこと。質問したりされたりで、他の日本人ともすっかり仲良くなる。到着後、ブラジルや日本のゲームを教え合いながら、大騒ぎ。

 Kさんの奥さんが、テンプラ、お刺し身、手巻き寿司などの日本料理を用意してくださった。また近所に住む日系ブラジル人のマリエちゃん(プラッサ5号で紹介)が、フェイジョアーダ(ブラジルの豆料理)やお菓子を持参。サンパウロの日本食レストランで事前に練習!?をしてきたそうで、お刺し身も気に入ってモリモリ食べる。食後花火をする。『こんなのブラジルにはない!』と、おおはしゃぎ。タイナとホザンジェラはいつまでもやっていた。

 しばらくして今回の劇の話になる。シナリオがもともとあったのではなく全員で作り上げた劇だという。『日本人が考えつかないようなブラジルの子どもの現状をどうやって伝えたらいいか、一番悩んだ』『みんなで、考えて、考えて演じてみたんだけど通じた?』この演劇を通じてひとりひとりがいろいろなことを学び考えたことが通じてきた。

 突然、神父様にならったのだろうか、日本の歌の大合唱がどこからともなく始まる。日本人も一緒になって歌った。笑ったり、おしゃべりしたり、彼女たちはどこまでも明るい。やっぱり子どもはこうでなくっちゃ!それぞれの家庭で、みんなどんな夢をみているのだろう。

 さて、翌日のディズニーランド。空にもみんなの喜びが伝わったのか、ピカピカの晴天。到着するやいなや、スタッフの大人も含めてソワソワ。『とりあえずお昼ご飯を食べよう』のひと言に『NフO(ヤダー)!』の大合唱。ゲートに入った瞬間全員駆け出して入場。体中が『ワー!』と叫んでいるようだ。ジェットコースターを中心に、次から次へと駆けて移動。スプラッシュマウンテンというアトラクションでは、滝の上から、歌が聞こえてくるし、いつもどこにいるのかすぐにわかるぐらい感想をいいあったり、叫んだり、笑ったりだった。いくつかのパレードをみたが、いっしょに踊ったり、手を振り、目立っていたせいでパレードのミッキーやお姫様、王子様も投げキスをしてくれたり大サービスだった。特に夜のパレードでは、口をぽっかり開け、そして瞳をキラキラさせてみとれていた。マカレナショーでブラジルの曲がかかった瞬間、『キャー』といって、全身で踊る。

 興奮はいつまでも冷めなかった。帰るときも、『あーもー帰りたくない』と本当に残念そうだった。今回日本人スタッフとして、プラッサのメンバー他、ボランティアで高校生などポルトガル語が話せる人、話せない人も参加した。帰るころには、どうやってコミュニケーションをとったのか、すっかり友達どうしになっていた。

 『いくつかのことは、迷惑かけちゃったけど、私たち本当にうれしかった』と年長のパトリシアがそういってギュッと抱き締めてくれたとき、この企画に関われて、みんなに出会えて本当によかったと思った。

 彼女たちも私たちも、帰ればそこにまた日常という現実が待っている。今回の日本訪問を、人生の中にどう織り込んでいくのかは個人によるが、心の中の明るいなにかにつながってくれればいいなと思っっている。




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