なおこのシネマ宝石箱
〜子どもが輝く瞬間〜  第五回

『鉄塔武蔵野線』

親松 尚子



鉄塔武蔵野線
監督/長尾直樹
脚本/長尾直樹
原作/銀林みのる
     第6回日本ファンタジーノベル大賞受賞作
     新潮社刊
出演/伊藤淳史
     内山眞人
     菅原大吉
     田口トモロヲ
     麻生祐未
制作/「鉄塔武蔵野線」製作委員会
     バップ 他
1997年作品/カラー/ビスタ/1時間55分



 「鉄塔武蔵野線」は何しろ熱い映画だった。秋の気配を感じ、目眩にも似た感覚で逝く夏を惜しむ。そこで思い返した時、夏の暑さは実際に味わった暑さより、実は熱いものに感じられるのものなのかもしれない。始まる時は果てしなく長く、いつまでも終わらないようにさえ思え、けれどもお盆を過ぎると加速度的に9月に近づいていく−。

 この映画はそんな夏休みの気分と夏の暑さを思い出させてくれた。

 主人公は小学6年生の少年、見晴(みはる)。彼は両親が離婚するため二学期からは母親の実家の長崎に転校することになっている。だから彼にとってはこの夏は東京での最後の夏休みになるのだが、近所に建っている「武蔵野線71」というプレートをつけた鉄塔を眺めているうちに、1号鉄塔まで行ったら、そこには何があるのかと思い立つ。鉄塔には父親との思い出があり、見晴は様々な思いを抱えての冒険なのだ。2歳年下の暁を誘い、二人だけの鉄塔調査隊を結成し、自転車に乗って鉄塔を辿っていくというのがこの映画の物語だ。

 全長28.1Km。しかしそれはあくまでも直線的な距離でのこと。建物やフェンスにぶつかり、水路を通り、川を渡り。と、まさに山あり谷ありの難コースだ。踏破した鉄塔には1基ずつ鉄塔の下にぺたんこにしたびんの王冠を埋めていく。二人の子供たちの自転車の騎乗ぶりはなかなかのもので、一心不乱にペダルを漕ぐ様が印象的だ。

 道中、ラブホテルの前で先生と出くわしたり、トラックに追いかけられたりしながら進んで行くのだが、次第に日が暮れていく。疲れて不安がっている暁を家に帰すことにし、見晴はひとりで走る。公衆電話から母親に電話をした後で、スクラップ置き場の廃車の中で野宿するが、菓子パンを食べながら見晴は泣いてしまう。この辺りがこの映画の最大の見せ場だろう。彼は車のドアを閉め、静かに眠るのだが、見ていて見晴と一緒になって心の奥がキュンキュンと痛くなってくるのを感じた。

 シチュエーションは違っていても、この時の見晴の気持ちは実は誰もが体験したことがあるはずだ。知らないうちに日常に嵌まり込んでくる逢魔が刻の胸騒ぎや見慣れた街角が見知らぬもののように思われた猫町体験は、たまらない不安と同時になぜかしら不思議な高揚感を伴っていた。やっとのことで家に着いて、安堵と共に忘れられがちだが、こうして振り返ってみればそれこそが宝物なのかもしれないのだ。

 さて映画はこの辺まで、実に丹念に描かれていて、あくまでマイペース。それは少年たちの足取りそのもののようでもあるのだが、正直見ていてけっこう辛かった。けれども映画はこの見晴の野宿の辺りからグンと動き出してくる。とにかくここからが見所なのだ。

 見晴役の伊藤淳史君が何しろ本当にいい。小さな胸に様々な思いを秘めつつ、1号鉄塔を目指す。途中、自転車も壊れ、靴も失い。それでもひるまない。身ひとつになってからは、より足取りを確かなものにしていく。言わば、素、あるいは無になっていく。そういう心の状態をスクリーンで体現していたのだから、まったく見事としか言いようがない。

 また出番は少ないが母親の捜索願いを受け、見晴を保護する鉄塔パトロール隊員を演じた田口トモロヲが役柄を超えて清々しく感じられた。実際、4号塔の前で見晴をつかまえ、車で家まで連れ戻すという役所なのだが、見晴を追いかけ、一度は取り逃がすあたりのやり取りが、生き生きしていて、異色な味わいを添えていたように思う。

 最近「地球の楽園」という写真集にライアル・ワトソンが寄せた賛辞を読んでいて、またこの映画のことを思った。

 そこでライアル・ワトソンは船が難破して見知らぬ島に漂着した時のことを、一生であれほど解放的な気分になったことはないと語っている。

 着ていた服以外に何も持たず、島の住民と言語も文化も共有できないとなれば、頼りにできるものは何ひとつなく、自分は自分でしかないし、それ以上でもそれ以下でもない、現実よ、こんにちは、という案配だと。

 「鉄塔武蔵野線」は暑くて熱い夏休みという楽園の物語かもしれない。そして私たちは人生で果たして何度、楽園に行くことができるだろうか。そんなことを考えた。

 ぜひとも真夏の盛りに1時間55分、映画館のスクリーンに身を委ね、見晴の目を通して、そういった楽園の気分を感じたいものだ。




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