国境なき医師団
   「ニュースレター」No.20より転載

もう大丈夫、
   明日はルワンダに帰れるわよ



 国境なき医師団のカナダ人女医レスリー・シャンクスが、アニエスの小さなお腹を触診しながら言った。難民の子供たちには消化器系の病気が多いが、5才のアニエスの場合は、栄養失調と赤痢で一時は非常に危険な状態にあった。しかしもう大丈夫。食欲の出てきたアニエスは、姉のバナナまで欲しがるようになった。アニエスの母親も嬉しさを隠せない。父は失ったが、アニエスは生まれ故郷のルワンダに帰国できる。



 レスリーと隣の重患用テントに入った。10床あるベットに横たわっているのは、いたいけな子供たちだ。その中に左腕を白い包帯で巻いた10才前後の美しい少女がいた。少女の脇に、兄と思われる少年が座っていた。ミッシェルというその少年の視線に触れて、私は一瞬立ちすくんでしまった。凍てつくようなミッシェルの視線は恐ろしい悪夢の中を彷徨っているようだった。私はこんな悲しそうな子供に初めて会った。カンボジアでもモザンビークでも、こんなに悲しく冷えきった子供の目には会わなかった。

 「ハジメ(筆者)には、是非ミッシェルとその家族に起きたことを知ってもらいたい。100万人といわれるルワンダ難民の一人一人にはそれぞれの悲劇がある。それが、現実を知らない人々の中で一つに抽象化されてしまわないように、ミッシェルの家族の話を書き留めておいてもらいたいんだ」

 ケニヤルワンデ語しか話せないミッシェルにかわって、ザイール人看護婦のレミーが話してくれた。

 「ミッシェルはゴマから40キロほど南にあるルワンダ難民キャンプにいた。6000人いた難民はみなフツ族だった。一ヶ月ほど前ザイールの反乱軍がやってきた。彼らはムニヤルワンデ、つまりザイールに住み着いたツチ族で、長い間ザイール政府から差別的な扱いを受けてきた人々だ。反乱軍はキャンプに入ると食料を配ると偽って難民を集めた。ミッシェルの母と妹も集まった難民の中にいた。突然、反乱軍の兵士が機関銃を乱射した。40人が殺され、ミッシェルの母も犠牲者の一人だった。ミッシェルの妹は折り重なった死体の下で、じーっと動かずにいた。反乱軍は死体にガソリンをかけて火を放ちその場を立ち去った。銃声を聞いて駆けつけたミッシェルと父親が発見したのは、燃やされている母親と、その下でかろうじて生き延びていた妹だった。幸運にも妹は炎の中から救い出された。母親がとっさに妹をかばったのだろう。妹は左上半身に深い火傷を負ったがもう危険からは脱した。ここのキャンプに辿り着いたときは、誰もが彼女の死を覚悟していたのだが。

 ミッシェルも妹もまだ幸運と言うべきだろう。生き残った父親が故郷で子供たちを待っている。妹ももう少しすれば動けるようになるだろう。家族3人で故郷で暮らせるのだから」

 1994年にルワンダで起きたフツ族過激派による組織的なツチ族へのジェノサイドでは、50万とも100万ともいわれる人々が殺された。私の会ったツチ族ルワンダ人の誰もが、家族の何人か、ひどい場合には全員をジェノサイドで失っていた。父親と妹が助かったミッシェルは、それに比べれば運のいいほうなのかもしれない。しかし私は、ミッシェルに母親の悲劇を乗り越えるよう激励などはできなかった。彼の悲しみを共有できない私がそんなことを言うのは、ミッシェルを冒涜するように思われたのだ。ミッシェルは学校の成績も良く、将来はレスリー・シャンクスのような医師になりたいという。私にはそれが実現するように祈る他なかった。

 夜7時、ンサンジェの国境なき医師団難民キャンプに、350人の難民が到着した。トラックに乗せられて続々とやってくる難民たちは、ほとんど貧しい農民たちだ。疲れ果て、所持品と言えば、水を入れるポリタンク、ゴザ、鍋くらいだ。国境なき医師団のザイール人現地スタッフが記録をとりながら家族ごとに毛布とBP5(栄養補給用高蛋白ビスケット)と手渡し、テントを割り当てていく。健康に問題のある難民は診療テントに収容され、孤児は看護婦が世話をする。アフリカの太陽と風雨にさらされながら野宿を続け、そしてトラックで悪路を揺られてきた難民たちにとって、国境なき医師団のキャンプはオアシスのようなものだ。星の美しいザイールの夜が深まり、難民キャンプはすぐに静寂を取り戻した。明日の早朝、難民は2年ぶりで母国ルワンダの土を踏む。



深夜に及ぶミーティング


 10時、ンサンジェのキャンプから戻ったスタッフを待ちかねたように、国境なき医師団ゴマ本部のミーティングが始まった。オランダ、カナダ、イギリス、フランス、それぞれのアクセントの強い英語が飛び交い、時々それにオランダ語やフランス語が混じる。ふと、1994年にはこのなかに日本人看護婦の山本さんがいたことを思い出した。

 その日の活動を各自がレポートにした。レスリーは患者の状況、コレラなどの伝染病についての所見を語り、アニエスが全快したことを伝えた。つねにユーモアを忘れず、沈みがちなスタッフの気持ちを引き立てているンサンジェキャンプの責任者、イギリスのフィル・クラークが難民の到着と明日の出発予定を告げた。全員のレポートが終わると、チームリーダーのジェームス・オビンスキーがゴマ周辺でのザイール反乱軍(新コンゴ共和国の独立が宣言されていた)と政府軍の動き、そして難民の動向を報告した。ザイールのモブツ大統領がフランスから帰国し、傭兵を雇い反撃にでる可能性が強まっている。ルワンダの砲兵部隊がザイールとの国境沿いに配置されたという。緊急時の撤退準備計画が伝えられ、難民の受け入れ、医療活動、給水活動、ゴマ近郊の病院のサポートの継続と、スタッフの安全対策が確認され、深夜に及んだミーティングは終了した。



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 このルワンダに関しての原稿は、「国境なき医師団日本事務局」のご好意により、転載させていただきました。



関口元さんプロフィール

1946年東京生まれ。パリ大学法学部卒業。元WWF JAPAN(現世界自然保護基金日本委員会)事務局長。現在はフォトジャーナリストとしてレポート、エッセーを発表している。1993年よりボランティアとして国境なき医師団を支援。阪神大震災、ルワンダ、ザイールなど現地でのMSFの活動の様子を写真に撮り提供。




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