ストリートに生きる子どもたち
―フィリピン―

工藤 律子(ジャーナリスト)



「オイ!」

 毎朝、宿の門を出ると、通りの反対側から手を振る少年がいた。マニラに到着して、2、3日目からだっただろうか。初めは、「おい!」と言われて「なんじゃい!」と振り向いたところに3歳くらいの少年が素っ裸でニコニコ立っていたので、驚いた。少年はそれから毎日、私たちの姿をみつける度に、歩道を走りながら元気に手を振ってくれた。

 「オイ!」の少年は、両親と三人、歩道に置いた手押し車を「わが家」に暮らしていた。ある日、両親に名前を尋ねると、「アクセル」と教えてくれた。

 アクセルくんは、お母さんのおなかの中にいるときからずっと、人生を路上で過ごしてきた。お父さんは貧しい農村出身で、仕事を求めてマニラへ来た。お母さんはマニラのスラム育ちだ。二人は結婚し、路上生活を始め、そこでアクセル君を授かった。今はプラスチックや古新聞などのゴミを集めて売る、リサイクルの仕事をして生計を立てている。一日に60〜70ペソ(300〜350円)稼げるから、何とか食べていけるそうだ。ちなみに、フィリピンの人たちの主食・米は、現在、1・約100円である。

 マニラには、アクセルくん一家のような「ストリートファミリー」が大勢いる。歩いていると至る所で、道端に敷いたダンボールのうえで昼寝したり、手押し車の脇で食事をしたり、路上にテレビを置いて見ている家族に出会う。貧しくても悲愴感はなく、どこかのどかだ。子どもの教育や衛生など問題は多いにしても、暖かい気候の下、最低限の収入さえあれば何とか暮らしていけるからだろうか。何より「家族一緒」だからだろうか。

 同じ路上生活をしていても、親から見捨てられ、傷つけられて、ひとりぼっちで通りへ出てきた子どもたち=ストリートチルドレンには、深い影が感じられる。

 街に一本しか走っていない電車の南の終点に近いロトンダ駅の辺りには、家出して数ヶ月から数年経つ少年たちが5〜6人、寄り添って暮らしている。歳は12〜16。一番年上で足の不自由なロデルくん(16)を中心に、いつもビニール袋に入れたソルベント(接着剤)を吸いながら、電気屋のショウウインドウのテレビを見たり、駅の階段でコイン投げゲームをしたり、時にはブレイクダンスやカラオケの真似をしたりして、遊んでいる。

 ソルベント(500・で約100円)や食べ物を買うお金がなくなると、物乞いに出かけ、稼ぐとまたソルベント片手に通りを徘徊する。そして夜中になったところで、閉まった店のシャッターの前に段ボールを敷き、眠りにつく。そんな毎日の繰り返しだ。

 少年たちはみんな、親や同居の親戚の誰かに暴力を振るわれたことを苦にして、家出してきた。ロデルくんの場合は、叔母によく殴られたのが家出原因だそうだ。彼は言う。

「もっと大きくなって殴られない年齢になったら、家に帰るよ」

 「ハンバーガーが欲しい」「ジュースも買って」―会いに行くと決まって、少年たちは、しつこいほどモノをせがんだ。せがまないのはリーダー格のロデルくんだけ。ところが、日本へ帰る前の晩、お別れを言いに行った時は、様子が違っていた。

 私たちがお別れの言葉を伝えると、ロデルくんが通訳を通して、

「僕たちに何度も会いにきてくれて、ありがとう。また会える日を楽しみにしています」と、あいさつしてくれた。と、みんなが一斉に、今まで見たことのないほど寂しげな眼差しで、私たちを見つめた。モノをせがむ子はもう一人もいなかった。最後に、一番小さい子が、私の腕を掴んで放そうとしなくなった。それを見た年上の子が、まるで「この人はただの知り合いで、おまえの親じゃないんだよ」と諭すかのように、その子の腕を引っ張った。

 ストリートファミリーの子どもたちとストリートチルドレン。私はマニラのストリートに生きる子どもの二つの姿を通して、改めて子どもたちにとっての家族や親の大切さを想った。


季刊『芽』夏号(JURA出版局発行)より転載




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