森のいのちの物語

永田 銀子



 「この木が天をささえている。わたしたちの部族がほろびる日が来たら、わたしはこの木を引きぬくだろう。わたしがこの木を引きぬけば、天がくずれ落ちてきて、あらゆる人々が姿を消す。すべての終わりが来るのだ」

(「世界をささえる一本の木」ジュルーナ族の伝説より)



 ブラジル・アマゾン河の支流のひとつ、シングー川の流域に、シングー国立公園があります。陸の孤島と言われる奥地に、近寄りがたい深い森に守られて、約20部族のブラジル先住民が暮らしています。

 この本は、そのシングーに住む人々の神話と伝説を、先住民の血を引くブラジル人画家ヴァルデ=マールが、美しく素朴な絵と文でつづったものです。私は、小さな偶然からこの本と出会い、日本語に翻訳することができたことをとても幸せだと思っています。

 とにかく美しい絵本です。どのページにも細かく描きこまれた愛らしい動物や魚、そして鳥たち。さまざまな緑を見せてくれる木々。星、花、蛍、蟻、そして人。まか不思議な物語の世界が広がっています。その絵をながめ、心の中で地球を半周して、遠いアマゾンの森に思いを馳せる、森の香りに浸る、そんなひとときを味わえる本です。

 神話と伝説−という言葉を使うと、なにか遠い古いもののように響くかもしれません。けれど、この本に納められた24の物語は、今も、深い森の中にある村々で、老人から子どもたちへと、焚き火のまわりで語られる、生きた物語なのです。

 この物語の世界では、人と動物の間に境界線はありません。人も動物も、森に暮らす生き物同士。時には、人は動物たちよりも小さく弱い存在です。食べるものが無かった人々に、小さな小鳥が種のまき方を教えてくれたり、火を知らない人々にジャガーが火をくれたりします。闇の中に暮らしていた人々に、光をもたらしたのはトキイロコンドルでした。逆に、夜がなくて眠れなかった人々に夜を教えたのは、嫁に来た大蛇の娘でした。こうした物語を通して、子どもたちは、森の声に耳を傾けること、森の色に目をこらすと、森のことは森に教えてもらうのが一番だということを、覚えて行くのかもしれません。

 弓矢で狩をし、水の中でしびれ草をたたいて魚を捕り、木の実を集めて食べる。ひょうたんで食器を作り、ヤシの葉で籠を編む。まるで奇蹟のようですが、そういう生活が今でも続いています。けれどそれは、単に「未開の人々」「文明から取り残された生活」を意味するわけではありません。彼らもラジオは持っていますし、密猟者から森と河を守るためには銃も手にします。学校教育も受け、部族の言葉のほかに、ブラジルの国語であるポルトガル語を話します。町に出ていわゆる「文明人」に接するときにはズボンも上着も着ていきます。けれど、村に客を迎える時や、祭りの日には、そろって伝統の盛装をします。つまり裸になって羽の飾りをつけ、木の実の汁や墨を塗って身体を染めるのです。

 シングーの人々が伝統の生活を続けているのは、もちろんそれを守ってくれる深い森があるからです。けれど偶然にだけ頼っているわけではありません。人々は、はっきりとした意志を持って、伝統を守り、伝統を守るために「いのちの森」を守ろうとしています。

 広いブラジルには、200以上の先住民部族が住んでいます。シングーのように伝統を守っている部族は少なく、多くは「文明」に接し、既に消滅してしまったり、アイデンティティーを失いつつあります。「文明」に呑み込まれてしまった先住民は、社会の最下層に組み込まれていきます。その結果、南マットグロッソ州の先住民の村々では、アルコール中毒患者や自殺者の増加が大きな問題になっています。そういう部族に共通しているのは、固有の名前や言語、歌・踊り・祭りなどの伝統が失われてしまっていることだという話を聞きました。

 そういう報告を聞くと、シングー川流域の人々の生き方から、また違ったものが見えてくるように思われます。子どもたちに神話を語り、弓矢の作り方を教え、狩りに連れて行く父親。赤ん坊を連れて木の実を採り、魚を焼き、土器を作り籠を編む母親。部族みんなで協力して行われる家造り、祭りの準備。「白い人」の文明から逃げるのではなく、自分たちの文化を守っている、その強さに学びたいと思うのです。あまりに複雑で多様化した現代社会の中で、自分の足場、守りたいもの、子どもに伝えたいものが見えなくなっている、そういう自分の危うさを考えずにはいられません。

 はじめに引用した一節は、ジュルーナ族の成り立ちを伝える洪水神話の結びの部分です。「私たちが世界をささえている」「私たちが滅びれば、世界も滅びる」という伝説は、いくつもの部族に共通して伝わっているものです。それは、アマゾンの自然の大切さを示していると同時に、人の心が滅びることの危険を教えているのではないでしょうか。私はこの物語を読むたびに、深い森から届いたいのちのメッセージを感じるのです。




プラッサへのご質問、お問い合わせ
および入会・購読を希望される方は
ここからどうぞ


praca@jca.ax.apc.org