ケニアの貧しい家庭の子どもと
  サイディアフラハプロジェクト

ソシアルワーカー 荒川 勝巳



 アフリカ、ケニアで、貧しい家庭の子どもや、路上に出ていかざるをえない子どもたちのための施設を、現地の方とともにつくられた日本人青年がいらっしゃいます。荒川勝巳さんです。遠く離れたアフリカの地の現実を知ることで、私たち自身が、何をしていくべきかを決めるための、一助となればと願います。



 私の初めてのアフリカ行きは、1985年エチオピア飢餓の時だった。その理由は、少しでも自分が飢餓で苦しむ人の役に立ちたいと思ったから。結局エチオピアのビザは取れず、ケニア・タンザニア・ウガンダを回るにとどまった。そしてケニアの首都ナイロビで日本人ボランティア関係者の知遇を得、1987から1990年までナイロビ近郊の孤児院で働く。このボランティア活動を通して、海外ボランティアプロジェクトの有り方について学んだ。そして、ケニア人と対等の立場で接し、日本の支援者には充分な情報を流すことによって、ケニア人と日本人とで信頼関係を築けるようになることが大切だと考えるようになった。そこで1992年ケニアで子どものためのプロジェクトを設立する時は、ケニア人との共同運営という形をとり、日本の支援者へは月2回通信を送り続けることにした。

 1990年当時までは、ケニアの首都ナイロビで特定の場所に少数しか見かけなかったストリートチルドレンが、1992年にはナイロビのいたるところ、都心でも、下町でも郊外でも数多く見かけることになり驚いた。この変化はケニア社会の変動と強く結び付いている。アフリカ諸国は1960年前後に続々と独立し、ケニアをはじめ一政党制を敷く国が多かった。1989年ソ連邦崩壊とともに、アフリカへも複数政党制の波が押し寄せてきた。ケニアでは1991年一政党制から複数政党制へ移行し、1992年政党制変更後初の総選挙が行われる。この総選挙前後に独立前からあった、民族主義的な考え方が再燃し、民族闘争が起こって多数の死者を出すに至る。同時期に3年越しの飢餓に見舞われ、経済が落ち込んだ。それで低所得者層は生活に困り、其の子どもたちはストリートチルドレンとなって、町中やスラムを徘徊する。1993年人口百数十万のナイロビだけで3万名のストリートチルドレンが存在するとのこと。

 この低所得者層を考える場合、母子家庭の存在を抜きにはできない。ナイロビ郊外にある1つのスラム調査で、そのスラムにある全家庭のうち40%が母子家庭であるとのデータを集計した。ケニアの失業率は36%あり、男性でも適当な職を得るのが難しいと言われている。よって、女性が適職を得るのは非常に困難。母子家庭の母親たちの多くはスラムに住み、野菜・果物の露天商・行商、地酒作り、現地妻等でその日暮らしをせざるを得ない。ストリートチルドレンの多くはこの母子家庭から出ると言われている。母子家庭成立の過程を調べると、ケニア女性は親の遺産を相続できないという現実が浮かび上がってきた。アフリカ大陸に住む諸民族のうち90%は伝統的に女性が遺産相続することができない。ユーラシア大陸50%、アメリカ大陸70%と比較しても高いことがわかる。ケニアにおけるこの女性差別は、イギリスの植民地支配を通過することにより、より劣悪なものとなって現在に至った。他に母子家庭成立原因として考えられるのは、ケニアにおける人口増がここ40年以上4%近い高さを保っているということ。そして、ケニア男性の結婚適齢期が女性の結婚適齢期と比べるとずっと高齢なので、結婚できない女性がたくさん出てきた。それに人口増は、一定の人数しか住めない田舎から都会や町へ多くの人々を押し出していく。このうち男性は遺産相続権があるので、家族・田畑を田舎に残した出稼ぎになりやすい。それに比べ女性は遺産相続権がないので、始めから都会に住むことが目的となる。都会や町でこの男女は同棲し、子どもが生まれるが、男性は出稼ぎなので職を求めて各地を転々とし、女性は子どもと一定の場所に取り残され、結果的に母子家庭を作る。

 ケニアは失業率が高い国なので、ストリートチルドレンがつけそうな職業、たとえば靴磨きや新聞売りなどまで大人が取ってしまう。そこで子どもたちが路上ですることは、ピーナッツ売りなどごく小さい商い、紙屑拾い、大人からの小銭せびり、残飯あさりなどに限られる。特に残飯あさりはスラムの中にいてもできるので、やっている子どもは非常に多いように思う。

 他国でもそうだと思うが、ケニアでも女の子のストリートチルドレンは少ない。それは、女の子は母親の家事手伝い、あるいはメイドとして他の家で使われるため。しかし、そのストリートチルドレンになった女の子を対象にした調査では、エイズのHIV感染が30%で、他の性病感染は90%にものぼるとの結果が出ている。これは、この少女たちが大人による買春やレイプの対象となるからであり、同じストリートチルドレンの男の子にレイプされることもある。一方、メイドとして働く少女達は月給1600円程度で雇われれば良いほうで(それも親に取られる場合が多い)、わずかな食事以外はただ働きである。貧困家庭の少女達はたくさんいるので、ごく一般家庭でも雇うことができる。少女達は雇われた一家の中でも一番早く起き、炊事・洗濯・子守り・水汲み・そうじ等家事全般をこなし、夜は最後に眠る。勿論学校へは行けない。少女達は一家の主婦がいない時に、主人や息子、その友人・知人から性的いやがらせを受ける危険にさらされる。主婦によっては、年長の少女を雇うと自分の夫や息子をその少女に取られるという心配が働き、7〜8才の幼い少女を雇うこともよくある。主婦は同じ心配から少女を憎み、少女は孤立する。これらの少女達はストリートチルドレンのように人目につきにくいので、見過ごされがちだが、子どもの人権が守られていないという視点に立てばストリートチルドレンと大差はない。そして、母子家庭の母親やこれら少女達のことから女性差別の深刻さも考えさせられる。

 我々のプロジェクトがある町はサバンナの中にある。マサイの人々が山羊を連れ、近くを通り過ぎもする。ナイロビは人口が今も急増傾向にあり、工業地帯が延びる場所がなくなってきた。そこで、農業には適さない近郊のサバンナへ近年工場が進出してきている。この町近隣はサバンナ内でもっとも工場が集まっているところ。ここへはケニア全国から人々が建設作業員や工場労働者の職を求めてどんどんやってくる。母子家庭もそれと同時に移ってきた。しかし、まだ他に我々と同種のプロジェクトは作られていない。そこで我々はこの場所に注目した。

 その頃我々の運営資金はあまりなかったので、廉価でしかもニーズに合わせたものをということで、ストリートチルドレンやスラムの子どもを対象にした保育所を1993年7月から始めた。当初は少しでも子どもの親から養育料を請求して運営費の足しにしようとしたが、今では親の経済的事情を考え、全ての子どもを無料にしている。それに、保育所を終了した子どもは地元の小学校に行く。そこでも小学校入学資金等を払えず落ちこぼれ、ストリートチルドレンに戻った子どもも出た。そこで、1994年12月保育所を終了した子どもからは、その親の経済的能力に合わせ、入学(ケニアでは1月が学年始め)資金等を出すことにした。そして、これらの小学生に保育所の授業がない土曜日に保育所の教室へ来てもらい、小学校での学習成果を我々の先生に見せ、そのあと補習授業を行なう。女の子は親が家事手伝いのため家に置きたがるので、親を説得して、保育所へ通うようにもしている。

 子ども達のこれらの支援を通して、最近は我々と母親との間に絆ができつつある。母子家庭の貧困は原因が母親や社会にあることから、今年から、母親を対象にした生活向上のためのセミナーを開き、母親達を啓発することにした。同時に、母親自立への積極的な方法として、裁縫教室を開くことも考えている。テーラーは需要があり、他のNGOでも幾つか同様の教室を開いているので参考にできる。

 孤児院を昨年の2月に開院。孤児もまたストリートチルドレンの状況に似たところがある。ケニアで孤児が出る原因としては、親が病気・事故或いは民族闘争で亡くなるのであり、その家庭もまた母子家庭である場合が多い。母子家庭の母親は子どもに食物を与えられないだけでなく、彼女等自身も食べ物に困っていて、体力がない。それで彼女等は病気に冒されやすく、しかも、妊娠中絶・出産をくり返すのでそのつど体調を悪化させていく。ただケニアは今でも大家族主義的なところが根強く残っていて、親が亡くなった場合はその親類縁者がその子どもの面倒を見るのが普通。しかし、その親類縁者がスラムに住み貧困にあえいでいる時、どうしてもその子どもは疎外される。我々の孤児院はそういう子どもを引き取り養育する。引き取るといっても、その親類縁者との関係を断ち切るわけでなく、年に数度その親類縁者のもとへその子どもを里帰りさせる。その子どもが成長して孤児院を出る時は、その親類縁者のもとへ戻し、そこから子どもは社会との接点を見つけ出してゆく。

 我々のプロジェクトは孤児院を開くことにより、この地域で存在を一般的に知られるようになった。地域のキリスト社会(ケニア人はキリスト教徒が多い)やケニア政府関係者とも協力関係が以前より密接になってきている。ケニア政府は予算が少なく、社会福祉へその予算をあまり回せないので、ケニア政府から金銭的援助を求めるのは難しい。しかし、今後これらの人々とたびたび話し合いを持ち、連携して、地域コミュニティの中で貧困家庭・孤児等をどう支えてゆくかを探ってゆきたい。




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